幕間 遠い日の面影
──光を見た。それだけははっきりと覚えている。
人の言葉を話す異質な魔物。それに引きずられる形で出て行った黒髪の女。
明らかに不審だが、どこか気の抜ける者達が居なくなり、辛うじて動く手を持ち上げる。
見た所外傷は無いようだが、魔力の暴走で中がおかしくなったか。
痛みが酷く、動かない体。痺れる指先。視覚や聴覚といった五感にも違和感を感じる。
それでも、今まで感じたことが無い程に、魔力が落ち着いている。
「ヘティーク湖……確か、ノゲイラの……」
私達はメイオーラとの戦場に居たはずだ。
魔力が暴走しかけ、野営地で休んでいる所に奇襲を受けた。
明らかに私の居場所を知っていた暗殺者達は、確実に仕留めるために敵味方構わず毒をばら撒いた。
本来なら防げた物を、荒れ狂う魔力に身動きが取れず、ディーアが代わりに受けてしまった。
そこまでは覚えている。
しかしその後に何があったのか、何もわからない。
「……っ……ぅ……」
意識を失っていた間に一体何があったというのか。
何故、シェンゼ王国の北方にまで飛ばされているのか。
思い出そうにも、考えようにも、思考を拒絶しているかの如く頭が酷く痛む。
だが、それでも状況を把握しなければ、と、悲鳴を上げる体に鞭を打ち、ディーアへと視線を向けた。
「何か、わかるか」
「……」
言葉少なくディーアへ問いかけるが、どうやら彼も何もわからないらしい。
その上、声を出さず、首元に手を添え首を横に振った素振りから察するに、毒で喉がやられているようだ。
何の毒を使われたかわからないが、あの様子ではもう喋るのは難しいかもしれない。
筆談用の魔道具でも作ってやれたら良いのだが、今は体も動かず、材料になる物も無い。
しばらくは身振り手振りでやり取りするしかないだろう。
とはいえ、浴びただけで酷く爛れる程の猛毒を受けたにも関わらず、意識がはっきりとしているらしいディーアに少し安堵した。
机に置かれた調合道具や、施された手当ての形跡を見る限り、あの者は調合師の知識を有しているのだろう。
元々ディーアの血筋が毒に耐性を持っているのも一因だろうが、いざという時、まだ動ける手足があるのは心強い。
「……できるな?」
何を、とは言わずに確認すれば、短剣を手にしたまま小さく頷かれる。
それなら良いと、そうならなければ良いと思いながら、痛む肺から息を吐き出した。
手入れの行き届いた艶やかな黒髪に、こちらへの好意を隠さない黒い瞳。
見た事の無い様式の服装に加え、この辺りでは見かけない幼さの目立つ顔立ちは、王家に唯一残る肖像画に描かれた彼の英雄と似た物だった。
異世界から来たこの国の英雄。
初代国王の友となり、この国の礎を築いた一人。
己に流れる血と、宿ったこの黒の始まり。
彼女は恐らく、彼と同じ、異世界の人間なのだろう。
異世界の人間でありながら、何故か私の魔力を纏う未知の存在。
敵意は感じなかった。むしろ初対面の私達に好意しか向けてこない、不思議な女。
油断してはならない。警戒を緩めてはならない。
彼等は私達の事を知っていた。ならば私の立場も知っているはずだ。
何か目的があるはずだ。私に近付こうとする理由があるはずだ。例え彼の英雄と同じ異世界の人間だとしても、善人とは限らない。
そうわかっている。わかってはいる、が。
──光を見た。強く、脆く、不安定だが確かで、温かな光を。
私はあの光を、手を包んだ温もりを、覚えている。




