落ちて来たもの
ずっと、ずっと、どこまでも続く奈落の世界。
何も無い虚ろな空間をただひたすらに落ちていく。
一体いつまで落ちるんだろうか。
落ちているとは思うのに、重力を感じない空間だからか、段々上下がわからなくなってくる。
不思議と自分の体やアースさんが見えているからまだ良いけど、こうも変化が無いと不安になってくるなぁ。大丈夫なのかこれ。
いつまでこのままなのか聞こうかと思った時、突如光が私達を包む。
そして次の瞬間には、私達は月の無い、暗闇が広がる夜空の中へと放り出されていた。は?
「──落下してるぅ!?」
「うん? いかんの、ずれてしもうたか」
「呑気に言ってる場合かー!!」
アースさんが想定していた到着ではなかったようだが、今はそれどころではない。
どうにか顔を動かして下を見ると、どこかの湖の上に出て来てしまったらしい。
遥か下には森に囲まれた湖が広がっていて、湖の近くには村らしき物が見える。
「死ぬ、死ぬって! アースさん!!」
このまま湖に落ちたら間違いなく死ぬだろう。ふざけんな。
何とかしてくれとアースさんを掴んでいた手に力を込め、声の限り喚き叫ぶ。
そんな風に私が必死になってる一方で、アースさんは呑気に周りを見渡していた。ふざけんなおい。
「ふむ、ここはヘティーク湖のようじゃのぉ。
異変の傍に飛んだつもりだったんじゃが……魔流に引き寄せられたか?」
「アースさんん゛ん゛!!!」
「わかっとるわかっとる、そんな焦らんでも大丈夫じゃよー」
奈落に落ちて行く時とは違い、今は終着点がはっきりと見えている。
だからこそどんどん近付いている水面に、半ば泣きながら叫んでいるというのに、アースさんは普段と変わらぬテンションでそう言ってのけた。
あのですねぇ! 普段から空を飛んでるアースさんにはわからないでしょうけどねぇ! 普通の人間は空から落下してたら焦るんだよ!!
苛立ちも込めてアースさんを思いっきり握り締めれば、流石に痛かったのか。
アースさんが慌てて私の周りを回ったかと思うと、落下していた私の体はふわりと止まり、ゆっくりと湖の上へ降り立たされた。
「お、おぉ……浮いてる……助かった……」
「全く、焦らんでもお主の事はしっかり守るというに……もうちょっと信用して欲しいのぉ。
あぁそれと、あまり長くは持たせられんから、早く岸まで行った方が良いぞ?」
「それ先に言ってくんない?」
そういえば、世界が不安定だからあんまり魔法を使えないって言ってたっけ。
命の危機から脱したと安堵したのもつかの間、慌てて足を動かす。
そういうのは先に言って欲しいなー! アースさんってばいっつもそう!
降り立ったのが湖のど真ん中ではないと言っても、岸までそこそこの距離がある。
そのため水の上を走るという不思議な体験に心躍らせる余裕も無く、とにもかくにも岸を目指してひた走る。
過去に着いて早々着衣水泳は勘弁だもの。世界の異変を止めなきゃいけないのに、風邪なんかひいてられっかってんだ。
本日何度目かの全力疾走の甲斐あって、ギリギリ間に合ったらしい。
最後の一歩が水を踏みしめ、少し足先が濡れたものの岸へと辿り着く。
それまで水に触れもしなかったから、本当に魔法が切れる寸前だったんだろう
ほんの少し靴に水が染み込んでしまったようだが、これぐらいなら大した事は無い。
我慢してればそのうち乾くでしょう。それよりも、だ。
「さて……異変の要を探すんじゃが」
「ちょ、っと、待って……脚が……!」
「あー、うむ。ちと休憩しようか」
連続ではないとしても、流石に何回も全力疾走すると脚に来たらしい。
脚がプルプルと震えて限界を訴えていて、たまらずその場に倒れ込む。
異変を探すのも大事だろうけどほら、限界が来る前に休憩も挟まないと、いざって時に動けないじゃん? ネ?
私の貧弱さにちょっと呆れられた気がするが、私はクラヴィスさん達と違って一般人だ。
忍者みたいなのが周りに沢山居ても、私もそうなれるとは限らないんですぅ。
「さて、それならワシは辺りでも探っておくかのぉ……ん?」
時間を有意義に使うため、アースさんが私から離れようとするが、不意に空を見てピタッと止まる。
どうかしたのかと私もそちらを見上げた瞬間、近くに何かが凄まじい勢いで墜落した。は?
「な、なに今の!? 襲撃!?」
脚が限界とか言ってる場合じゃないと、咄嗟に頭を庇いながら立ち上がって周りを見る。
見ればほど近い場所に何やら黒い塊が落ちていた。これ、危うく直撃してたのでは。怖っ。
「どうやら異変の要があちらから来てくれたようじゃな」
まだ状況を呑み込み切れていない私を他所に、その黒い塊へと迷わず飛んでいくアースさん。
生き物、なのか。あんな勢いで墜落しても生きているらしく、僅かに動いているそれへ私も恐る恐る近付く。
そしてその姿がはっきりと見えた時、息を呑んだ。
「そんな……」
墜落の衝撃から主を守った深い漆黒の大きな翼。
ドラゴンのようなその翼は弱々しく揺れ、力無く地面へと広がっていく。
背中なのか、翼から覗く肌には黒い鱗が浸食していくように広がっていて、一部の鱗がガラスのように砕け散ったかと思うと、宙に溶けていく。
翼の主であり、鱗に覆われた誰か。
その誰かにしがみ付いていたのか、意識を失い傍に横たわる誰か。
間違いない。間違えるはずが無い。わからないはずが無い。
例え姿が違っていても、例え暗くてほとんど見えなくても、すぐにわかるほど私達はずっと共に居たのだから。
「……やはりクラヴィスが異変の在処だったか」
アースさんの呟きが湖を撫でる風に消えていく。
私達の前に落ちて来た黒い塊。
それは他でもない、クラヴィスさんとディーアだった。




