世界を遡る
中庭に着いた頃にはもう私は息も絶え絶えで、よろめきながら大樹の前で待つアースさんの元へと向かう。
執務室から私の部屋、そして中庭と、それぞれそこまで離れていないとしても、階段もある廊下をほとんど走って来たんだ。
そりゃあ息も上がるというもんです。普段そんなに運動してない人間だから、余計にきっついな……!
「おぉ、早かったの」
「そ、りゃ……いそいだ……からねぇ……!」
ぜーはーと肩で息をしつつ、途切れ途切れに言葉を絞り出せば、アースさんは申し訳なさそうに眉根を下げる。
なんか気まずげなのはあれですか。そこまで急がなくても大丈夫だったパターンですか。間に合わないよりマシだから良いよ。
「では早速行くとするか。ちと動かずにいるんじゃぞ」
肩が上下しているのも構わずにアースさんが乗って来たかと思うと、ふわりと周りで風が流れ、体が浮かび上がる。
どこへ連れて行かれるんと上を見上げれば、私が走り回っている間に湖から来てくれていたらしい。
空にはアースさんの本体の方が佇んでいて、ふわふわと浮かぶ私の体は真っすぐそちらへと向かっていった。
どうやら過去へ行くにはアースさんの本体で移動するようだ。
大きなアースさんの額の上まで来た所で、パッと浮遊感が消える。
周りを光の玉が寄り添うようにくるくると回っているから、魔法で落ちないようにはしてくれているんだろうけどさ。
こんな高い所に身一つで乗せないでください。めっちゃ怖いって。
「ちょ、角、せめて角を掴ませて……!」
「掴まずとも落ちんから大丈夫じゃよ?」
「安心するためのに必要なの!!」
高所恐怖症じゃないとはいえ、城より高い場所に連れて来られて、平気で居られるほど私の度胸は強くないです。
強風もダイレクトに来てるし、見たくなくても下の光景が見えちゃうし、マジで怖いんだって……!
きっと今の私は涙目になっている事だろう。
見ないようにしても見えてしまう光景に、心臓を掴まれるような感覚が襲い、背筋が震える。
それでもひぃひぃ言いながらアースさんの角へと手を伸ばし、ぎゅうっと抱き着くようにしがみ付く。
持つところがあるだけでも結構変わって来るもんだね。泣きそうだけど。
私の体勢が一応整った所で、小さい方のアースさんに大丈夫かと小首を傾げられ、コクコクと頷き返す。
すると止まっていた大きい方のアースさんが動き出し、世界を切り裂く咆哮を放った。
至近距離で爆音が放たれたが、アースさんの魔法で守られているからか。
凄まじい衝撃と音を感じるけれど、ちょっと耳が痛いぐらいで済む。
これ、守られてなかったら鼓膜とか破れてるんだろうなぁなんて思っていると、アースさんの前の空間に巨大な穴のような物が現れる。
青白く輝くその穴は、まさしく世界に空いた穴なんだろう。
アースさんはその穴へと飛び込んでいった。
青白い光の奔流の中、淀む事無く進んでいくアースさん。
不意に大きな揺れを感じ、瞬きを一度した瞬間、世界は様変わりしていた。
星空の中のような空間で、私達の真下を流れる輝く川。
川は一つだけではなく、周りを見れば上下左右、至る所に数多くの川が滔々と流れていく。
重力なんて存在しない、不思議な光景に瞬きを繰り返していると、小さい方のアースさんがひょっこりと顔を出した。
「さて、お主にはこの世界がどう見えておるかの?」
「えっと……川がいっぱいあるって言えば良いのかな?
上とか、下とか……あ、下にある川はなんか、荒れてるっぽい?」
「そうかそうか、その様子ならちゃんと同じ光景が見えておるようじゃな」
私の答えに少し安心した様子を見せるアースさん。
どうやら望む答えを返せたようだけど、一体ここは何なんだろうか。
辺りを見渡している私に気付いたのか、元々答えるつもりだったのか。
アースさんは流れ行く川を見つめながら告げた。
「ここは……そうじゃな、世界の狭間とでもいうべきか。
あの川の一つ一つがそれぞれ一つの世界なのじゃよ」
「この川が……?」
「見る者によって見え方が異なるようでなぁ。
ワシの仲間の一人は、世界が大樹に見えると言っておったわ」
アースさんの言葉を聞いて、改めて真下に流れる川を見下ろす。
多分、一番近くにあるこの川がクラヴィスさん達の世界なんだろう。
荒れているように見えるのは、異変によって世界が変わりかけているからか。
他の川を見るが、見える限り荒れているのはこの川だけだった。
あの川のどれかに、私の世界の川もあるのかな。
覚悟は決めたのに、ふとそんな事を思ってしまう自分にちょっぴり顔が歪んでしまう。未練がましくて駄目だねぇ。
「……ワシと違う見え方がしておったらちと面倒な事になっておったが、同じなら問題無かろう。
すぐにでも過去へと遡れるが……」
すぐに戻したつもりだったが、一瞬の変化も見逃してくれないらしい。
まだ戻れると、まだ帰れるんだと選択肢を残そうとしてくれるアースさんに、私はけらけらと笑って見せた。
「じゃあ早く行かないとねー。
あんまり遅くなるとおやつの時間に間に合わなくなっちゃうよ?」
「……そうじゃなぁ、それは嫌じゃなぁ。
では、行くとしようか。ちと揺れると思うが我慢じゃぞー」
「はーい」
この決断を覆すつもりは無い。もう帰る場所は定めたんだから。
だから笑って、帰る場所はあの世界なんだと答えれば、私の決意を汲んでくれたらしい。
深刻な状況なのに変わりは無いのに、アースさんもいつものように笑ってくれる。
そして私が角に掴まり直した途端、アースさんは真下にある川へと飛び込んだ。
いくら荒れていようが、アースさんは物ともせず川を遡っていく。
世界を現す川だけあって、この世界の歴史も漂っているらしい。
時折、どこかの光景を映した泡や岩が流れていく。
「着くまでにちと説明しておくぞ……って、別に息を止めんでも良いんじゃよ?」
「……あ、ホントだ。息できる!」
条件反射で息を止めていたけれど、川と言っても実際の水ではないからだろう。
アースさんに言われて呼吸をしてみれば、普通に呼吸もできるし声も水に遮られず響いていく。
確かに水の中にいる感覚がしてるのになぁ。不思議な感覚に頭が混乱しそうだ。
「良いかの? 過去へはワシも共に行くが、分体の方しか着いて行けん。
しかもこの荒れようじゃ。あまり強い魔法は使わん方が良さそうでのぉ……。
使えても身の周りの事や身を守る程度だと心得ておいてくれ」
「え、でもさ、世界が変わるぐらいの異変を止めなきゃなんだよね?
アースさんがその状態で、戦争を止めろとかそんな話だったら結構無茶じゃない?」
「そこらへんはワシも行ってみなければわからんからのぉ……。
わかるのは……そうじゃな……。
クラヴィスの様子からして、異変はあやつの周りで起こっておるという事ぐらいか」
となると、とりあえずクラヴィスさんに会いに行く感じで良いだろうか。
憶測ではあるけれど私は過去で二人と出会うようだし、頼りのレガリタもクラヴィスさんの魔力でないと使えない魔法だ。
一見冷ややかな印象でも、根本的にお人好しなクラヴィスさんの事だ。頼めば協力もしてくれるはず。
問題を挙げるとすれば、過去のクラヴィスさんだと政治的な立ち位置が危うい事か。
私と出会う前となると少なくとも王太后は健在の頃なわけだし、私の知る時代とは全く違って、内部の軋轢とかありまくりだろう。
そう考えるとちょっと不安になって来たなぁ。
今までは誰かに守ってもらえるのが当たり前だったけど、そうじゃないんだって心に刻んでおかねば。
アースさんも似たような事を思い至ったんだろう。
視線が合い、お互いほぼ同時に苦笑いしてしまった。
「多少なら魔流の力も使えるとは思うがのぉ……。
とにかく身を守るのを優先して動くんじゃぞ。お主に何かあれば全てが終わるんじゃからな」
「わ、わかったけど、そんなプレッシャー掛けないでぇ……」
全てが終わるとか、怖い事言わないでいただきたい。こちとら一般人だぞ。
とはいえ、世界の異変を止めなければならないんだ。
多少の危険も承知の上で行動する必要も出て来るだろう。そうならない事を祈ってよう。
話している間にも目的の時間へと辿り着いたらしい。
最初よりも更に荒れ狂う川の流れの中、大きい方のアースさんが止まったかと思うと、ここへ来た時と同じく咆哮を上げる。
すると今度はアースさん本体の前ではなく、私達の目の前に穴が現れた。
「さて、ここから先はこっちのワシの仕事じゃな。
ほれ、ワシを掴んで、一思いに行くんじゃ」
「……もしかしなくとも私が飛び込むの……?」
「そうじゃよ?」
どうやら今度の穴に飛び込むのは私が主導らしい。そうじゃよで済まさないで欲しい。
マジかぁと思いつつ、アースさんの角から手を離して穴の方へと近寄る。
軽く中を覗き込んでみると、来た時とは違って穴にはぽっかりと暗闇だけが広がっていた。
これは、中々勇気がいるやつですネー。なんで来た時と違うかなー。まだ光の中に飛び込む方が気持ち的にマシだったなー。
なんて、底も何も見えない穴に少々腰が引いてしまうけれど、ここまで来て引くわけにはいかない。
「女は度胸、女は度胸……えいっ!!」
そう自分に言い聞かせ、アースさんを握りしめながら私は穴へと飛び込んだのだった。




