笑顔で手を振って
止まってしまわないように、迷ってしまわないように、必要な物が何かだけ考えて。
足を引っ張ろうとする未練が追い付けないように、ただひたすらに静かな城内を駆け抜ける。
でもさ、いざ準備しろって言われても、何を持っていけば良いのかさっぱりだよ。どうしよう。
過去がどんな状況かわからないし、そもそもどんな異変に立ち向かう事になるのかもわかっていない。
とりあえず、自分の身一つでどうにかできるようにって心構えで行けば良いのかなぁ?
だとしたらクラヴィスさんにもらった指輪は全部持っていくとして、後は一応調合もできるし調合道具ぐらい?
それに服装もどうにかしないとだが、成長した体に合わせたこの世界の服なんて持ってるわけがない。
誰かの服を借りるにしてもサイズが合わないだろう。借りに行く時間があるかもわかんないしなぁ。
となると、あの服を引っ張り出した方が手っ取り早いかな。
兎にも角にも自分の部屋へと向かい、真っ先にクローゼットへと駆け寄る。
そしてクローゼットの一番奥にしまってある、クラヴィスさんが作ってくれた魔法の箱を取り出した。
これは保存魔法が掛けられた衣装ケースで、中に入れた物をその時のまま保存してくれているらしい。
首から下がる指輪を引っ張り出し、そっと近付ければ、指輪に宿るクラヴィスさんの魔力に反応し鍵が独りでに開いていく。
実際に開けるのはこれが初めてだからちょっと緊張しながら蓋を開けてみれば、中には私がこの世界に来た時着ていた、あの世界の服が綺麗に収まっていた。
「……まさかこんな形で着る事になるとはなぁ」
動きやすさを重視して買った、ごく普通のパーカーにジーンズ。
履きやすいからと数年間ずっと履いていたせいで多少傷みの目立つ靴。
いつか帰る時に必要になるからと、クラヴィスさんが何重にも保存魔法を掛けてくれたおかげだろう。
七年近く仕舞ったままだったのに、時間が止まっていたかの如く何ら変わらない服を手に取る。
これを着るのは帰る時だと思っていたけれど、この世界で生きるために着る事になるとはなぁ。
押し殺せない懐かしさに少しだけ目頭が熱くなるけれど、感慨にふけっている時間は無い。
早く着替えようと着ていた服を全部脱ぎ、急いで袖を通してみるものの、子供の体にはやっぱり大きいようだ。
袖から手は出ないし、裾から足も出ないしで、ちょっと気を抜いただけで転びそうになってしまった。あっぶね。
それでもどうにか着替えはできたから、アースさんに渡された結晶を握りしめる。
軽い力だったけれど、きっかけはそれで十分だったらしい。
パキっと音を立てて粉々になった結晶から、光が溢れ出た。
「眩しっ!?」
目が眩むほど強い光が全身を包み、思わず目を閉じる。
こんなに眩しいなら先に言って欲しかったな! そんな余裕無かったんだろうけどさ!
なんて脳内でアースさんへ文句を言っている間にも光は収まっていって、恐る恐る目を開けてみる。
そして真っ先に目に入ったのは、いつの間にか袖から出ていた自分の手だった。
「おぉ……一瞬だぁ」
少し大きくなった手に、高くなった目線。
さっきまではぶかぶかだったパーカーも、だぼだぼだったジーンズも、気付けばぴったりサイズになっている。
完全に元の姿に戻ったってわけじゃないから、記憶との差はあるけれど、動くのに支障は無いだろう。
靴紐もしっかりと結び直せば、服装はばっちりだ。
後は荷物だと、私が持ってる中で一番頑丈で使い勝手の良い鞄を引っ掴む。
えーっと、色を変える指輪は小指に嵌めて、何かあった時に換金できるよう宝石の類もちょっと持ってくか?
応急手当の道具も詰め込んで、後は調合道具を、と思ったが、調合道具は研究室の方に置いてあるんだった。
私の部屋からだと少し遠回りになるが、中庭から近いのでそこまでタイムロスにはならないだろう。
急いで取りに行かねばと、散らかった部屋をそのままにまた走り出そうとした所で、ふと脳裏に彼の姿が過った。
そういえば、ディーアが常に持ち歩いていたはずだ。
皆があの場から動いていなければ、中庭に向かう途中に会えるだろう。
触れられないままなら借りるのも難しいかもしれないけれど、その時はそのまま研究室に行けば良い。
そうと決まれば早速と、肩で数回呼吸を整えて、私は再び走り出した。
成長して、歩幅が大きくなったからだろう。
思っていたより早くディーア達と別れた廊下へと辿り着く。
見れば皆、時間が経つにつれて異変の影響が強まっているのか、力無く床に倒れ伏していた。
「ルーエ……」
「ぅ……うぅ……!」
別れた時は私を認識できていたルーエも、もう私がわからないらしい。
声を掛けてもルーエはこちらを見ず、頭を抱えて苦しんでいる。
他の皆も似たような様子で、今すぐ駆け寄り傍に居たくなるけれど、手を握りしめその衝動を押し留める。
早く助けたい。早くいつもの皆に戻したい。
そのためにはここに留まってはいけない。傍に居られない。
助けるために、離れるしかないとわかっている。
だから立ち止まらずにディーアの元へと近寄り、その肩へと軽く触れてみれば、私の手は通り抜ける事なくディーアの肩へと届いた。
何が要因かはわからないけれど、これなら当初の目的を果たせるだろう。
意識が朦朧としているのか、触れても反応の無いディーアにぽつりと呟く。
「……借りるね」
体に障らないように気を付けて、ディーアがいつも身に着けている小さな鞄から携帯用の調合道具を取り出す。
ごそごそと漁られて違和感を感じたのか、呻くディーアの手に自分の手を重ねた。
「絶対、助けるから」
返事は無い。聞こえているかもわからない。それでも、告げる意味はある。
そう信じて、冷たい手を柔く撫でてから、鞄に調合道具をしまいその場を離れる。
「──ま、って」
けれど、後ろから聞こえた微かな声に、私は止まってしまった。
「今のって……」
今の声は、ルーエでも、アンナでも、フレンでもない。スライトでもない。
振り返るとそこには、ディーアが私を見つめ、手を伸ばしていた。
「ディーア……!?」
「っ、……まっ、て……ま……て……!」
辛うじて音になっているような、そんな声で私を呼び止めるディーア。
声が出せないはずなのに、それでも振り絞って私を呼び止める彼の姿に、思わず立ち止まる。
もしかしなくともディーアには私が認識できているのか。
それに、クラヴィスさんと同く何が起きているか、私が何をしようとしているかわかっているようだ。
彼の知っている姿とは別人なのに、それでも私に気付き、私へと手を伸ばすディーア。
その手を取るか迷ってしまった私に、ディーアは叫んだ。
「か、えって」
「ディーア……」
「す……て、て……いい、から……!」
ガラガラの声で、わずかに聞き取れるような言葉で、必死に訴えるのは私が帰る事なのか。
毒に潰された喉を酷使してでも、声を出す事で更に苦しい思いをしても、ディーアもまた、私が帰る事を願うのか。
──思えば、二人はわかっていたのかもしれない。
気付いた時には私を宝と呼ぶようになり、全てをかけて守ろうとしてくれたクラヴィスさん。
初めて会った時から、異様なまでの忠誠心を捧げてくれたディーア。
多分、私は過去に行って彼等に出会うんだろう。
出会って、別れて、また出会ったんだろう。
「──じゃあ、なおさらだね」
伸ばされた手に、私は緩く手を振った。
「絶対帰って来るから、待っててね」
「っ……ぁ゛……!」
泣きそうなディーアへ一方的に帰って来る約束を押し付けて、私は二人と出会うために走り出した。




