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異変はそこに

 誰もが立ち止まり、虚ろに囚われている中を一人走り抜ける。

 すれ違う人達は皆一様に様子がおかしくて、傍を走っていく私を気にも留めない。


 いつもならもっと賑やかなのに。いつもなら誰かしら声を掛けてくれるのに。

 聞こえて来るのは戸惑う声ばかりで。誰も私を呼んでくれなくて。

 城内を包む異様な空気は不安と恐怖しかもたらさず、ただひたすら走るしか選べない。



 なんで、どうして、皆に、世界に何が起きているの。

 疑問が頭の中を埋め尽くすけれど、その答えは私の中に存在しない。

 アースさんは、何が起きたのかわかっているんだろうか。

 今は傍に居ない龍が脳裏を過るが、思考がそちらに傾く前に、視界に映った一人に全てが傾いた。



「シド!!」



 執務室の前、何も持たず、ただ虚空を見つめるシド。

 彼にも異変が起きているのは明白だけど、それでも私は声を張り上げる。

 シドもまた、他の人達と同じで反応してくれないかと思ったが、シドはゆっくりと私の方へと顔を向けた。



「シド! ねぇ私の事わかる!? 聞こえてる!?」


「……おじょうさま……」



 シドの異変はまだ軽いのか、私の声が聞こえているようだ。

 しかしその瞳はこちらを向いてこそいるが虚ろな物で、私の姿が見えているわけではないらしい。

 次第に逸れていく視線に、思わず力無くぶら下がっているだけの腕へと手を伸ばすけれど、やはり私の手は何にも届かない。


 どうして、と呟く私を他所にシドの視線が執務室の方へと向いて。

 自然と視線がそちらに向いて、示された先の光景を見て──呼吸が止まった。



「──あ」



 開け放たれたままの扉。

 誰かが暴れたのか、乱雑に散らばる壊れた家具。

 いつも整然としていた執務室は見る影もなく、異様な光景が広がっている。


 その中で、床に、長く艶やかな黒髪が広がっていて。

 その中に、微動だにしないあの人の手があって。



「──クラヴィスさん!!」



 壊れた家具を飛び越えて、その手の元へと駆け寄る。

 見れば物陰にクラヴィスさんが血の気の無い顔で倒れていて、その肩に手を伸ばす。

 だけど私の手はやっぱりクラヴィスさんに触れられなくて、私は顔を近付け叫ぶしかなかった。



「っ、クラヴィスさん! クラヴィスさん!! しっかりしてください!

 私の声が聞こえますか!? クラヴィスさん!!」


「……ぅ、ぁ…………」



 どこか痛むのか、眉間に皺を寄せ、呻き声を漏らすクラヴィスさん。

 横たわった体はどこも赤く染まっておらず、怪我は無いようだが、酷く痛むんだろう。

 耳元で何度も呼びかけるけれど、瞼はきつく閉じられたまま、私を映してくれない。



「クラヴィスさん、クラヴィスさん……! お願い、目を、目を開けてよ……! ねぇ……!!」



 どうすれば良いの。どうしたら良いの。私に、何ができるの。

 どれだけ知識があろうとも、どれだけ技術があろうとも、手も声も届かないのなら、私には何もできない。

 目の前にいるのに、傍に居るのに、大切なのに、大好きなのに──私には、何もできない。


 積み重ねた物がいくらあろうとも、求めた時に、求めた事が出来ないのなら、何の意味があるのだろうか。

 クラヴィスさんの苦しむ姿を見ているしかできなくて、視界が滲んでいく。

 縋り付く事すら許されず、胸元にある指輪を握りしめた時、壊れた窓から何かが飛び込んできた。



「トウカ! ここか!?」


「アースさん……!」



 飛び込んできたのはアースさんで、私を見てすぐに傍へ飛んで来る。

 アースさんは私の姿が見えている。私の声が聞こえている。私の手が、届く。

 震える手でアースさんへ手を伸ばし、鱗に覆われた体に触れる。

 伝わってくる確かな温もりに呼吸ができて、頬に涙が伝っていった。



「どうしようアースさん……! 皆が、皆が……!」


「わかっておる……どうやら過去に異変が生じ、それが原因で皆にも異変が起きておるようじゃ」


「過去に、異変……?」



 堰が切れて溢れた涙を、硬い尻尾が優しく拭う。

 おかげで僅かに冷静さを取り戻せたけれど、過去に異変とは一体何なのか。

 理解しきれていない私の隣に降り立ち、アースさんはクラヴィスさんの顔を覗き込んだ。



「言葉の通り、この世界の過去が変わり始めておるんじゃよ。

 何がきっかけかはわからぬが、この世界にとって重要な分岐点のようでな……。

 人が何かを決断するように、世界も数多の選択を経て、今の世界を形成しておる。

 数多の道の中、一つを選び続けて辿り着いたのが今だとすれば、過去の異変によりこの今へと辿り着かぬ道へと時間が進み出そうとしておるのじゃ」


「……このままだと、どうなるの……?」


「……ワシにもわからん。

 じゃが、このまま異変を放置すれば、世界は別の道へと進んでいく。

 そうなれば、今この世界を構成する物は……全て消えてなくなる可能性が高いじゃろう」



 理屈は、なんとなくだけどわかる。

 もしも私がクラヴィスさんと出会わなければ。

 もしも私がこの世界に来ていなければ。


 そんな『もしも』を考えた事は何度もある。

 誰もが一度は考えた事のあるだろう、可能性の未来。

 だけどその『もしも』が実際に起こりかけているなんて、思いもしなかった。



「全て、って……皆も……? 皆が消えかけてるのも、そのせいなの……?」


「恐らく、じゃがな。

 人によって症状が違うのも、異変が及ぼす影響の差じゃろう。

 この様子では……変化した世界にクラヴィスはおらんのじゃな……」



 クラヴィスさんが居ない世界。

 優しいこの人が、暖かいこの人が、愛情深いこの人が居ない世界。

 それはきっと、寂しくて、暗くて、悲しい世界だ。



「何とか、何とかしないと……! 異変を止める方法は無いの……!?」


「……あるにはある、が……」



 原因が何かわかっていて、焦る様子もなく落ち着いている。

 ならきっと、アースさんにはこの状況を打破する方法をわかっているはずだ。

 長い付き合いで得た確信を持って詰め寄るが、アースさんは酷く言い難そうに言葉を濁す。


 アースさんは世界を渡る者。世界を渡り、世界を守る存在。

 今起きているこの異変は、アースさんにとって対処しなければならない出来事のはずだ。

 だからその迷いは自分ではなく誰かを気遣っての物だろう。



 この場において、誰に気遣っているのかなんて、わかりきった事だった。



「……教えて、アースさん。私は何をしたら良いの」


「……そう、じゃな。わかっておる。わかっておるが……。

 ──トウカ、ワシは今からお主に酷な事を強いる。良いか?」



 人と龍。姿形は大きく違うけれど、感情があるのは私もアースさんも変わらない。

 お互いに覚悟は決まり、数秒見つめ合う。

 そうして告げられたのは、私の決断の時だった。



「お主は今この時、選ばねばならぬ。

 元の世界に帰るか、この世界の異変を止めるかを」



 ──わかっていた。いつまでも見て見ぬフリなんてできないと。

 わかっていた。いつかこの時が来る事なんて。


 それがこんな形で、こんな状況で訪れるなんて、誰も思っていなかっただけなんだ。

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