時は来たれり
虹結びの祭りも目前に迫り、ちょっぴり忙しない城内。
私も打ち合わせだったりで忙しく走り回っていた。
虹結びの祭りがあると言っても、それはノゲイラだけの催し物。
ノゲイラをもっと繁栄させるには、普段のお仕事もきっちり進めておかなければならない。
それに虹結びの祭りにかまけて放置してると後が地獄なのでね……! 夏休み最終日の宿題みたいなことにはしたくないんでね……!
そういうわけで、行く先々で仕事が増えたり減ったり荷物が増えたり減ったりを繰り返し、あっちへこっちへと駆け回る。
いやー最初はディーアと二人で回るつもりだったけど、侍女三人組にも来てもらって助かったよ。
どこもてんやわんやだから、領主の娘も容赦なくこき使われております。
使える物は何でも使うスタイルは好きだから良いよー。こっちも率先して引き受けてるしー。思ってたより多くてびっくりしたけど。
「のぅトウカ、次はどこへ行くんじゃー? そろそろバランス取れなくなってきそうなんじゃがー?」
「えーっとちょっと待ってね。
警備部に行って配置の最終チェックがあって、経理の方で悲鳴聞こえたって話だからそっちも見に行くでしょ。
で、デザイナーさんから上がった次回のパーティー用の衣装についてと、品種改良の件で幾つかできたやつ報告しなきゃだからクラヴィスさんとこにも行かなきゃで……」
「まずはクラヴィス様のところでも良いと思います! 正直私も限界です!」
「そうだよねー! フレンも顔見えないぐらい持ってくれてるもんね!」
器用に頭に資料を乗せながら、ふわふわと飛んでいるアースさんの横で、資料やら荷物やらを大量に抱えてくれているフレンが苦笑いで宣言する。
体質とか魔法関係で常人より力持ちらしく、重い物でも何のそのな彼女だが、いくら何でも前が見えないのは危険だ。
私達以外にも駆け回ってる人が多いからなー。お互い不注意でぶつかりでもしたら悲惨な事になってしまう。
ちょっと前も資料が散らばって、順番がわからなくなってしまったと泣きつかれたりしたからねぇ……。
あの時ほど自分の記憶力の良さを感謝した事はありません。直前に目を通してたやつで良かったよ。
「じゃあとにかくクラヴィスさんとこに行こう。その後の事は後で考える!」
「──お嬢」
警備部の方へ向かいかけていた足をくるりと反転させ、クラヴィスさんの執務室へと歩き出す。
そんな私を呼び止める声が聞こえて顔だけそちらへ向ければ、滅多に見ない私服姿のスライトが居た。
「あ、スライトじゃん。おかえりーゆっくりできた?」
「あぁ、忙しい時期に休みをもらってすまなかった」
「だいじょぶだいじょぶ、忙しいって言っても誰かいなかったら回らないって程じゃないから。
特に問題も無かったし、安心して軍部に顔出してあげてよ」
予定では今日も休みのはずだったから、きっと帰って来てすぐなんだろう。
私達が抱えている仕事の山を見て、申し訳なさそうにしているスライトへけらけらと笑ってみせる。
人員不足だった最初の頃は別として、人も増えて来た今、誰かがいないと回らないような脆く危ない組織作りはしていない。
忙しさの原因である祭りだって毎年の行事だから、ある程度形式化はできている。
部下の人達には、色々と経験を積んでもらう良い機会になっただろう。
そして何より、警備関係が一番忙しいのは祭り当日である。
毎年迷子だの喧嘩だの、大小様々な事件が起きるからねぇ。
事前準備とかあるにはあるが、極論、当日さえどうにかしてくれれば他はどうとでもしてみせるとも。
事務仕事は代わりにできても、警備のお仕事はできないからさ。適材適所ってことよ。
なんて考えていたら、スライトがフレンの方へ行っていて、持っていた荷物を半分ほど取っていた。
「え、わっ」
「主の所へ行くんだろう? 俺も主に帰還の挨拶をしに行く所だったから、ついでだ」
「ありがとうございます!」
「わしもわしもー」
「……アース殿は平気だろう?」
アースさんのおねだりに、スライトは心底不思議そうに首を傾げていて、思わず鼻で笑ってしまう。
ウィルだったら「しゃーないっすねー」とか言いながら持ってくれただろうけどねー、相手はスライトだもん。
普段から武官それぞれの限界を見極めて訓練付けてるだけあって、割とそういうとこ厳しいよこの人。
──そんな、穏やかであろうとも忙しなくあろうとも、一秒、一分、一時間。
止まる事の無い時を刻む、普通の、当たり前の、いつも通りの日々。
いつか終わりが来るとわかっていても、それがいつかはわからない。この世界で重ね続ける私の日々。
そう思っていた。そう考えていた。
先延ばしにして、目を逸らして、逃げ続けていた私の責任。
それがこんな形で、こんな突然に叩きつけられるなんて、誰も思いもしなかった。考えもしなかったんだ。
まず初めの異変は、世界だった。
「……え?」
太陽に雲がかかったかのように、不意に世界が薄暗くなる。
日差しが遮られたわけでも、明かりが消えたわけでもない。
ただ本当に、世界にうっすらと暗闇が広がっていく。
「まさか……!」
一番初めに反応したのは、アースさんだった。
持っていた物を放り投げて、近くにあった窓を突き破る勢いで開けて飛んでいく。
戸惑い、呆然としていた私に襲い掛かった次の異変は、私の唯一の従者だった。
「……! ぐ……!?」
「ディーア!?」
視界の端でディーアの体が傾き、そのまま鈍い音を立てて床へと倒れ込む。
ほんの数秒前まではいつも通りだった。いつもと変わらない、普段通りのディーアだった。
それなのに駆け寄ったその人は、苦しそうに胸を掴み、浅い呼吸を繰り返し、顔色は青白く変わり果てていく。
まるで即効性の毒を与えられたような、そんな突然の出来事。
突然すぎる出来事に思考が追い付かず、ディーアの名を呼び、その体に手を伸ばす。
けれど、私の手は空気に触れたかのようにディーアの体を通り過ぎていった。
「な……なんで……? 何が起きてるの……!?」
はっきりと見えている。ディーアの体も、私の手も、幻影ではなくそこにある物。
それなのに、どうして私の手はディーアを通り過ぎて行ったのか。何故触れる事ができないのか。
自分では理解できない現象に、周りへと助けを求めるべく振り返れば、そちらでは別の異変が起きていた。
「ぅ、あ、ごめんなさい、ごめんなさい、もうしわけありません、二度としません、だから、どうか、どうか……!」
「……なんで、アタシは生きて……? 死んだ、はずなのに……アタシが生きてるなら、アイツらは……!?」
「ふ、フレン? アンナ?」
「どうして、あんたまで、俺を、俺を一人にしないって……! 騎士になるまで、傍にいるって言ったじゃないか……!」
「スライトも……どうしたの!?」
頭を守るように抱え込み、その場にしゃがみ込んで必死に誰かへ懇願するフレン。
呆然と自分の両手を見ていたかと思えば、怒りと憎しみに染まった唸り声を上げるアンナ。
自分の胸を掻きむしるように掴み、涙を流して誰かへの嘆きを叫ぶスライト。
何度呼んでも何度叫んでも、誰もこちらを見ない。私の声が聞こえていない。私が、認識できていない?
まるで皆が別人になってしまったかのようで、まるで私が別の世界へと来てしまったかのようで。
突如襲い掛かった異変の数々に、戸惑い皆を見ているしかできずにいると、ルーエがよろめきながらこちらを見ていた。
「お、嬢様……!」
「ルーエ! ルーエ、話せる!? 何が起きたかわかる……!?」
「……わかりません、何も、何もかもが、消えて……記憶、が……!」
異変には個人差があるようで、まだ私を認識できているルーエに手を伸ばすけれど、やはり私の手は空を切る。
一体、皆の身に何が起きているんだろうか。この世界に何が起きているんだろうか。
クラヴィスさんならわかるだろうか──クラヴィスさんも同じ異変が起こっているのでは?
嫌な予感が頭を過り、今すぐ走り出したくなるけれど、耳に届いた呻き声に踏み出しかけた足が止まる。
今の皆を放り出しても良いのだろうか。あんなにも苦しんでいるディーアを置いて、行って良いんだろうか。
そう、躊躇い迷う私に、ルーエが叫んだ。
「行ってください……! 私達が、私達でなくなる前に! 早く!!」
「っ……! すぐ戻るから!! 待ってて!!」
ここで狼狽えていても何にもならないのなら、行くしかない。
そうわかっているんだろう。そして私が躊躇う理由もわかっているんだろう。
それでいて、わざと追い立てるように叫ぶルーエに背中を押され、私は弾けるように駆け出した。




