緩やかに、穏やかに
見回りは終わりという事で、大講堂へと戻る。
まだ授業は終わっていないようなので最初と同じく後ろの扉からそっと中を覗き見てみると、変わらずクラヴィスさんが魔法陣の解説をしているようだ。
さっき見た時とはまた別の魔法陣なので、授業自体は進んでいるんだろう。
でもなぁ……なんかこう、皆大丈夫なのかな……すっごい沈黙が重いというかなんというか……。
心配していた事が起きているんじゃないかと思いつつ、後ろでシルバーさんが授業を眺めていたのでそっと中に入り静かに近寄る。
ちらっとこちらを見たのでちょいちょいと手招きすれば、私に合わせてかがんでくれた。話が早くて助かるぅ。
「そっちは終わったみてぇだな。どうだったよ? うちの奴らは」
「まぁ、言いたい事はありますが……生徒さん達大丈夫ですかこれ。付いていけてます?」
「いけてるわけねぇなァ」
「やっぱりぃ……」
授業の邪魔にならないように小声でのやり取りだけど、あっけからんと言ってのけるシルバーさんに思わず頭を抱える。
以前からクラヴィスさんの魔法陣は特殊だと聞いていた。
そのままではクラヴィスさん以外誰も使えず、他の人も使えるようにするには魔法陣を一から読み解いて再構築しなければならないほどだと。
シルバーさんだって読み解けるようになるまで年単位で研究したって言ってたぐらいの代物なんだもの。
正直、今回クラヴィスさんへ授業の話が来た時点で無理では? って思ってたんだよねぇ……! やっぱり無理だったんだぁ……!
「だいじょーぶだいじょーぶ。こうなるのはハナからわかってたからな。
もしこれであいつの魔法陣を理解できるようになったんなら、卒業にしてやっても良いぐらいだ」
クラヴィスさんの魔法陣は他の魔導士からすれば異常なまでに綿密だと聞いている。
だからシルバーさんからすればこれは予想通りなんだろうけれど、それはそれとして生徒さん達のこれからのモチベとかが心配になるんだよ。
授業中だから静かなのは良いとして、若干空気が重いんですよ。大丈夫なのかこれ。
クラヴィスさんも事前にこうなる事を危惧していて、特別授業を行う話が来た時一度は断ったぐらいだ。
それでもシルバーさんが強く要望していたので今回授業を行ったのだが、この雰囲気を見ても大丈夫だという確信があるらしい。
シルバーさんは柔らかな眼差しで生徒達を眺めていた。
「今は無理でも、あいつらならその内わかるだろうさ。
それになぁ……あいつの魔法陣に慣れた俺でも再構築が難しいモンは山ほどある。
早い内に俺以外にも解読できる奴を育てとかねぇと、いずれ再構築できないまま放棄するしかねぇモンが大量に出て来ちまう」
「それは……すごく勿体ないですね」
「だろ」
私の説明を頼りに、あちらの世界の技術を再現したクラヴィスさんの魔法陣。
本来なら何年かかっていてもおかしくなかった技術すら形にしてくれたおかげで、ノゲイラは急速な発展を可能にした。
けれどその特異性からそのままの複製は不可能で、普及するには誰でも扱えるように再構築しなければならなかった。
最初はクラヴィスさんが魔法陣の作成から再構築まで全てしていたけれど、領主として様々な仕事に追われてそちらまで手が回りきっていなかった。
それがシルバーさんがノゲイラに来てくれて、ようやく沢山の技術を普及できるようになったのだ。
とはいえ、シルバーさんの予想通り、まだシルバーさんに見せていない魔法陣は沢山ある。
しかも唯一クラヴィスさんの魔法陣を読み解けるシルバーさんですら、一つの魔法陣を再構築するのに数ヵ月も掛かる場合もあるほど難しい作業だと聞いている。
もしこれで誰も解読できる人が居なくなってしまえば、本当に放棄するしかなくなってしまいかねない。
そうなった時、一体どれだけの発展が遠ざかってしまう事やら。考えたくもないです。
一応、シルバーさんや他の魔導士の人に「こういう魔法陣を作ってください」って依頼してみた事もあったけど、未知の技術だからか中々上手く行かなかったんだよねぇ。
どうにか形になったとしても国家レベルの大規模な魔法陣になってしまったりして、実用には向かない物ばかりだった。
結果、クラヴィスさんの魔法陣を再構築するのが良い、という結論に至ったわけです。難しいもんだねぇ。
私達がもたらす発展にはクラヴィスさんの魔法陣が不可欠だ。
そしてそれを解読し、再構築できる人を増やす事も必要になって来る。
シルバーさんには彼等の中から自分と同じ事ができる人が現れると信じているんだろう。
頭を悩ませている生徒達を見ても焦りなんてなく、ただいつものように飄々とした様子のまま立ち上がる。
それと同時、授業の終わりを知らせる鐘が鳴り響いた。
「で、どーだった? わかった奴はいるかー?」
シルバーさんの問いかけに生徒達が一斉に振り返る。
突然後ろから聞こえた声に驚く人がいたりだったり、何か言いたそうにジト目でシルバーさんを見ている人がいたりと、反応は様々だが誰一人理解できた人はいないんだろう。
小さく首を振る彼等に、シルバーさんはけらけらと笑った。
「んじゃ、精々試験頑張れよー」
多分、今回の授業で理解できるようになった人がいたら試験で優遇するとか言ってたのかなぁ。
からかうような声色で生徒達に発破を掛けたシルバーさんは、クラヴィスさんを連れて扉の方へと悠々と歩いていく。
そうして二人が部屋を出て扉が完全に閉じられた途端、生徒達から一斉に非難の声が上がった。
「あの鬼畜教師ー!! 俺達が苦しむ姿がそんなに面白いかー!!」
「アレ絶対無理だってわかってたじゃん! チキショウ!」
「せめて事前にヒントを寄越せー! 予習させろー!!」
「うぅ……頭沸騰しそう……」
「試験を餌に私達を弄んだのよきっと……! それでも教師なの……!?」
「わぁ、酷い言われよう」
「お嬢様、とりあえず部屋を出ましょうか」
「んー……でもさぁ、ほっといて良いのかなこれ」
シルバーさんの思惑がどうであれ、生徒達からすれば無茶な課題を突き付けられてたようなもんだったからなぁ。
非難轟々な生徒達をなだめるべきかと悩んでいたが、皆で騒いだ事で少し落ち着いたらしい。
数秒すれば騒ぎは収まり、代わりに一斉に集まったかと思えばクラヴィスさんの魔法陣について議論を交わし始めていた。わぁ、切り替えが早い。
「大丈夫そうだね。私達も行こっか」
「はい、お嬢様」
シルバーさんもこうなるとわかっていてクラヴィスさんを連れ出したんだろう。
議論のボルテージが上がっていく生徒達を横目に外に出れば、離れた所でしかめっ面をしているクラヴィスさんへシルバーさんが笑いかけていた。
「……それにしても、シルバーさん変わったねぇ」
「……そう、ですね。以前に戻ったように思います」
「そっかぁ……それはきっと良い事だねぇ」
私が感じた変化は、昔の彼を知るシドにとっては変化ではないのだろう。
ゆっくりと二人の方へと近付きながら、シドと二人、小さく言葉を零す。
依頼すれば引き受けてくれるし、任せた仕事はしっかりとこなしてくれる。
ちょっとした無茶も聞いてくれて、頼れば応えてくれる頼もしさも変わらない。
変わらないけれど、魔導士学校での在り方は随分と変わった。
校長として、教師として、どんな生徒であろうと等しく教え、育て上げてくれている。
先生として生徒からの評判も良く、外部の私から見ても良い先生をしていてくれていたと思う。
でも以前のシルバーさんなら、こんな風に特別授業をするなんて考えすらしなかっただろう。
誰であろうと等しく教えるけれど、特別なんて存在は持たなかった。
どれだけ慕われようとも、どれだけ才能があろうとも、あの人は生徒達に特別を与えなかった。
誰であろうと平等で、誰であろうと一線は越えさせない。
それが変わって、こうして特別な事を考えるようになったのは、きっと彼女との戦いが終わったからだ。
私自身は詳しく聞いていない。
クラヴィスさんは知っているだろうけれど、私はただ、そうだと察しただけだ。
シルバーさんは──オネスト・ファルムは彼女に奪われたんだろう。全てを失ってノゲイラに来たんだろう、と。
奪われて、取り返す事もできなくて、奪う相手も消え去った。
そうして彼の中で何か区切りでも付いたのか。
少しずつ、本人も自覚しているかわからない程にゆっくりと変わり始めている。
その変化は良い変化だと、私は信じている。
「んぁ? 嬢ちゃんもシドも、なぁに変な目で見てんだよ」
「何でもないですよーぅ」
「えぇ、何でもありません」
「……ぜってぇ何かあるだろ」
隠す気も無さそうな誤魔化しをする私達に対し、呆れつつもそれ以上は追及せず、困ったように笑うシルバーさん。
うん、やっぱり元から良く笑う明るい人だけど、前よりも柔らかい表情をする事が増えてるよ。
それは私達の誰よりも彼を知るクラヴィスさんもわかっていて、シルバーさんの見えない所で小さく笑っていた。




