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いつか選ぶその時まで



「何かあればいつでも頼っておくれ。

 君は私にとって恩人なんだ。どんな事であれ、必ず助けになるよ」



 肖像画の間を出てすぐ、ルドルフさん達が居るというのにそんな事を言ってのけるグラキエース陛下に対し、冷や汗をかきながら苦笑いで曖昧に流す。

 一国の王が気軽にそんな約束をしちゃダメだと思うんですよ。しかも誰が聞いてるかわからない場所ですよここ。

 見てよ、護衛の騎士さんの顔が引き攣ってるじゃん。曖昧にして頷きもしなかったのファインプレーでは?


 今回の一件で信頼してもらえたと思えば良いんだか何なんだか。

 下手に弱みとか握らせちゃまずい立場じゃないんですか。握った所で何をするつもりも無いけどさぁ。

 ちらっとルーエとアイコンタクトをすれば、小さく頷かれた。やっぱしファインプレーだったじゃん。




 それからクラヴィスさんへのお見舞い、という名目でお土産を色々ともらい、城を後にする。

 グラキエース陛下も本調子じゃないからねぇ。長居は無用ってわけです。

 そう、ほんと、城に着いてそんなに時間は経っていないと思うんだけど、何だか色々あったなぁ……。


 一体何をどう処理すれば良いのやら。

 緊張の糸が途切れてしまったのもあって、どっと圧し掛かる疲れで思考がぼやける。

 考えなきゃいけないとは思うけど、考える事を放棄して変わる景色を眺めていれば、様子が変だと思われたらしい。

 ルーエが心配そうに声を掛けて来た。やっべ。



「お気分がすぐれないのですか?」


「んー、緊張しすぎて疲れちゃったかも? 領館に戻ったらお茶淹れてもらっても良い?」


「……はい、勿論です」


「ありがとー」



 ルーエには何も話せない。ユーティカの事はまだしも、先王陛下の事も、異世界の英雄の事も話せない。

 だからそれとなく誤魔化せば、それが伝わったみたいだ。

 それ以上は追及せず、口を閉ざしたルーエに心の中でもう一度感謝を述べて、再び窓の外へと視線を向けた。




 領館に戻り、一旦厨房に顔を出してからクラヴィスさんの部屋へ向かう。

 城であった事は全部クラヴィスさんにだけは話しておいた方が良いだろうからなぁ。

 多分寝てると思うけど、それならまぁ、起きるまでのんびりさせてもらおう。


 お茶もルーエが用意して運んでくれているので、くつろぐ準備はばっちりである。

 くつろぐだけなら自分の部屋でも良いんだけどネ。今はクラヴィスさんのとこに居たいんだい。




 部屋に着いて弱めにノックをすれば、すぐにシドが出て来る。

 どうやら予想通りクラヴィスさんは眠っているらしい。

 私とお茶を持っているルーエを見て、色々と察してくれたのか、シドは黙って私達を部屋に招き入れた。



「お嬢様、何かあれば呼び鈴を鳴らしてください。すぐに参りますので」


「ん、ありがと」



 ルーエが近くのテーブルにお茶のセットを置いている間、シドがそっと耳打ちしてくる。

 何をどこまで知ってるかは知らないけど、私が城に行ってたのは確実に知ってるもんなぁ。

 シドとルーエが静かに部屋を出て行き、二人きりになった部屋で深い溜息を吐き、ベッドの横に置かれた小さな椅子へと腰かけた。



「……クラヴィスさん」



 小さく名前を呼んでみるけれど、黒は開かず応えも無い。

 ただ、規則正しい穏やかな呼吸だけが聞こえてくる。



 ──とても無茶をしたと聞いた。

 魔力が暴走しているのに、それでも魔力を行使するのは、自ら死を招くような事だと。

 それでもこの人は無茶をした。私を守るために。



 もう二度と私が狙われる事は無い。

 そう言い切れたら良いのに、そうは言い切れない。

 もしもまたこんな事が起きれば、起きてしまえば、この人はきっとまた無茶をするんだろう。


 いつか私はこの世界から居なくなるのに。

 こうして傍に居る事も出来なくなるのに。

 その時までずっと、この人は無茶をするんだろう。

 それぐらい大切にされているのは、ずっと前からわかっていた。



 異世界の人間だからだけじゃない。

 養女にすると決めたあの時か、それともまた別の時なのかはわからない。

 わからないけど、私の何かがこの人の琴線に触れて、私はこの人の特別になっていた。


 いつからか当たり前になっていた特別扱い。

 それが苦しくなるなんて、思いもしなかった。



「…………トウカ」



 掠れた声に呼ばれ、俯いていた顔を上げる。

 見ればクラヴィスさんがこちらを見ていて、パッと笑顔を張り付けた。



「あ、起こしちゃいましたかね? 喉乾いてますよね。今飲み物用意するんで待ってくださいねー」


「何か、あったか」



 いつも通りできたはずなのに、どうして誤魔化されてくれないんだか。

 動くのも辛いはずなのに腕を上げ、私へと手を伸ばすクラヴィスさん。

 力が入らないのか微かに震えているその手を取り、自ら頬を擦り寄せた。



「……王城で、グラキエース陛下にお会いしてきました。

 それで肖像画を見せてもらって……色々、聞いて来たんです」


「……そうか」



 肖像画がどこに飾られているか、誰が飾られているかはクラヴィスさんも知っている。

 だからそれだけで全て伝わったようで、軽く咳をしながら体を起こすクラヴィスさんに慌ててその背に手を添える。

 次いでベッドサイドに置いてあった水差しを取り、近くにあるコップへと注いで渡せば、相当喉が渇いていたんだろう。

 渡された水を一気に飲み干し、落ち着いたクラヴィスさんはコップをベッドサイドへ戻し、私の手に自分の手を重ねた。



「父上は、喜んでいた」



 ぽつりと、それでいてはっきりと告げられた言葉に、あの人の姿が脳裏に蘇る。

 きっかけ作りにわざわざお菓子を持ってきて、この都はどう映る? なんて突拍子もない質問をしてきて、一緒に笑顔が溢れる王都の街並みを見た人。



「君に会えると、心から喜んでいたんだ」



 クラヴィスさんの言う通り、あの人はただ喜んでいた。

 恐怖も悲しみも見せず、私の幸福を祈ってくれたあの人は最後まで微笑んでいた。



「会えないと思っていた君に会えると、君に自分が作ったリボンを手渡せると、とても喜んでいたよ」



 あの時はどうしてそんなに嬉しそうなのかわからなかった。

 わからないまま受け取って、わからないまま身に着けていた。


 私は、あの人の心残りにならずに済んだのだろうか。

 そんな誰にも答えを聞けない問いを呑み込む。

 酷い表情をしているだろう私の手を撫で、クラヴィスさんは穏やかに語り続ける。



「兄上はな……私が生涯家族を持たないのでは、と心配していた。

 だから私が君を養子に迎え入れた時、とても驚いていた。

 驚いて、喜んで……全てに気付いた時、君が帰るのか気になったのだろうよ。

 それでいて君が帰れるか心配になったんだ」


「……クラヴィスさんじゃなくて、私の心配も……?」


「あの人は家族を失う悲しみも、家族と会えなくなる寂しさも知っている。

 だから君と私がどうするか気になったんだろう。兄上は、そういう人だ」



 私が帰るのなら、クラヴィスさんはまた一人になる。

 私が帰れないのなら、私は二度と家族に会えない。

 どちらにするのか、そもそも選べるのか、と私達の行く末を心配してくれていたようだ。



 ──なら、私は、このままで良いんだろうか。

 グラキエース陛下が知っているように、クラヴィスさんだって知っている。

 家族を失う悲しみを、家族と会えなくなる寂しさを知っている。

 それを私は、この人に背負わせるのか。



「……クラヴィスさんは、残って欲しい、ですか」



 これだけは揺らがないと思っていた。揺らがないようにしていたつもりだった。

 でも、時間が経つにつれて、大切な物が増えていくほどに、暖かい心に触れるたびに、止まらない揺らぎが生まれているのは自分でもわかっていた。



「……それを決めるのは、君だけだ」



 もういっその事、誰かに決めて欲しい。他でもない貴方に決めて欲しい。

 もう投げ出してしまいたいのに、クラヴィスさんはそうはさせてくれなかった。



「『何もかも捨てて残ってくれ』と、そう告げるのは簡単だ。

 私は君があちらに残して来たものを知らない。

 だから家族との思い出も、友人との約束も、何もかも捨ててくれと願えてしまう。

 君が背負う孤独がどれほどのものかわからずに、簡単に願えてしまうんだ」



 私が生まれ、育った世界。今は遠い、私の居場所。

 私は全て覚えているけれど、あの世界を知るのは私だけ。

 私が捨てればもう、何も無かったのと同じになってしまう。



「そうして君に願いを押し付け、君が残ったとして」



 不意に言葉が止まり、クラヴィスさんは私を見つめる。

 きっと、この人はそのもしもの未来を私よりも明確に想定できているんだろう。

 優しいのにどこか苦しげな眼差しを向けられ、小さく息を呑んだ。



「残れと願った私を、恨まないか」


「う、恨むなんてそんな……!」



 そんなの無い、あり得ない。絶対に無い。

 そう言い切りたいのに、クラヴィスさんの眼差しがその言葉を押し留める。



 肉親であろうとも、我が子であろうとも、疎まれ、恨まれ、憎まれた。

 一見気にして無さそうに見えるけれど、その過去は確かな痛みとして、呪いのように刻み込まれているんだろう。


 だけど私は、私がこの人の大切であるように、私だってクラヴィスさんが大切だ。

 だから恨んだりしない。憎んだりしない。負の感情なんて、欠片も抱いたりしない。

 そう確信しているのに、明言できるはずなのに、揺らぐ心が否定の言葉を歪ませる。



 もし、もしもの未来で、私が帰らないと決めて、それでも帰りたくなってしまったら。

 その時私は、この人の手を振り払いたくなってしまうんだろうか。

 こんなに暖かい手を、沢山守ってくれた手を、この繋がりを振り払う日が来るんだろうか。

 この人が恐れているように、私を繋ぎ留めた人を恨んでしまうんだろうか。



「……いつかは選ばなければならない道だ。どちらを選んでも後悔しない事は無いだろう。

 選んだ先の現実に打ちのめされ、在り得た未来に溺れてしまうかもしれない。

 後悔して、選んだ事を嘆いてしまうかもしれない」



 眼差しだけで言葉を紡げなくなった私に、クラヴィスさんは恨み言一つ言わず、優しい声で語り続ける。



「だからその時が来るまで、沢山悩み、沢山考え、君自身が選びなさい。

 少しでも後悔しないように、君自身の答えを選ぶんだ。

 幸い、君には選ぶ時間が与えられているのだから、その時間全てを使って選びなさい」


「……わかってます。わかってますけど……難しい事言ってくれるなぁ……」



 選択肢を与えられているのは私であって、クラヴィスさんではない。

 何より私の人生そのものを左右する選択を、私以外が選べるはずが無い。

 そう当たり前の事を諭されて、力無く笑ってしまう私にクラヴィスさんは呆れる事も無く、ただいつものように優しく微笑んで私の頬を撫でた。



「君は君自身の幸せを考えれば良い。

 どこであれ、君が幸せでいてくれる事が私の望みだよ」


「……なんか、本当のパパみたいな事言いますね」


「……君の父であろうとなかろうと、きっと私は同じ事を望むだろうよ」



 なんだか泣いてしまいそうで軽く冗談交じりに流してしまった言葉に、どれほどの想いが込められていたか。

 それを知るのはもう少し先の事だった。

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