過去を伝え、未来を想う
もう会えないと言っていた。遠い場所に孫が居ると言っていた。
それはきっと、他でもない私の事だったんだろう。
あのリボンは私のために作ってくれたんだ。
毒に侵されながらも、鎮静剤を使わないと動けない辛くても、わざわざ最後に会いに来てくれたんだ。
残された大切な時間を私のために使って、遺してくれたんだ。
見ず知らずの、それも血の繋がらない子供のために、あの人はどれだけ心血を注いでくれたんだろうか。
もう形すら無いけれど、息が苦しくなるほどの暖かさに目頭が熱くなっていく。
ぼやけた視界で肖像画を見上げている私の肩に、グラキエース陛下の手がそっと触れた。
「君に見せたいのはこの先なんだ。行こう」
まだ、何があるというのだろうか。
グラキエース陛下に促され、重い足取りで先王陛下の前から離れる。
体調が悪いのもあるんだろうけど、歩幅の小さい私に合わせてくれているようだ。
私の方は見ず、それでも私が追い付ける速度で、ゆっくり歩いてくれているグラキエース陛下に有難く思いながらその背に付いて行く。
歩いて、呼吸も整えて、溢れてしまいそうになった物も落ち着いて。
ようやく周りが見れたけど、どうやら奥に進むにつれて代を遡っているらしい。
壁に飾られている肖像画は少しずつ年代を感じる物へと変わっていく。
人によっては描かせた枚数が違うのか、それとも飾れない理由があるのか。
一つだけ飾られている人が居たり、対になるように飾られていたりと、その代によって飾り方が変わっている。
個性が現れているというより、なんとなくその時代に起きた事がわかるような飾り方だ。
「あぁ、そうだ」
何か思いついたらしく、小さく呟いたグラキエース陛下が足を止め、とある肖像画の前で立ち止まる。
それに従って私も立ち止まり肖像画を見上げれば、当時の王だろう金髪の男性の肖像画とは別に、薄い金髪の女性が一人佇んでいた。
明確な年代はわからないが、随分古い時代に描かれた物らしい。
手入れされていても古さがわかるその肖像画は、当時の王の家族、というよりその家臣、と言った印象を受ける。
「この方は君にも関係あるね。
君やクラヴィスよりも前、最初にユーティカの姓を名乗った人だよ」
多分、気分転換も兼ねて話をしてくれているんだろう。
何度も聞いたユーティカの姓をまた聞いて、思わず目を瞬かせる。
あれからクラヴィスさんと話す時間はあまりなく、会えても事件の対処に追われていてそんな話をする余裕も無かった。
だから私はその名前が背負う責任が何なのかまだわかっていない。
わかっていないまま守ってもらって、助けてもらって。
あの人はそんな私をどう思うんだろうか。
「陛下、ユーティカが担う責任とは何なのでしょうか」
「あー、クラヴィスと話す時間なんて無かったか。
……ま、今日知るか明日知るかの差だし良いか」
元々気にはなっていたし、教えてくれるとも言っていたから、試しに聞いてみればすんなり頷かれる。
恐らくその家が背負う役目のような物だから、限られた人しか知らない機密事項とかでは無いんだろう。
グラキエース陛下は明日の天気でも語るような、淡々とした口調で語り始めた。
「ユーティカというのは王族に生まれながら王位継承権を返上し、王家に忠誠を誓い、契約を結んだ者に与えられる家名だ。
王位を継げる者が居なくなるなど、何か問題が無い限り三代先までその契約は継続される。
トウカさんは血の繋がりが無いから契約は結ばなくて良いんだけどね。
契約の有無関係なく、クラヴィスの孫まではユーティカを名乗る決まりなんだ」
つまり王位争いを避けるために設けられた家名、という事か。
クラヴィスさんとグラキエース陛下の仲の良さから考えるに、二人の間で王位争いが起きたとは思いにくいけれど、周りがどちらを擁立しようとしていたかは別だ。
それに王太后の事もあった。ただでさえ大きい火種だったんだ。それ以外の火種を消すには丁度良かったのかもしれない。
「ユーティカの姓を与えられた者は、契約に従いこの国のために力を尽くさなければならない。
君は契約に縛られていないが、ユーティカ家に居る限りその責務を果たすよう言ってくる者もいるだろう。
だが、君は既にノゲイラの発展に尽力し、私の命を救うために勇気を振り絞り戦ってくれた。
その姓を名乗る責務なんて十分すぎるほど果たしてくれているから、今後誰かに何を言われても堂々としているんだよ?」
「何か言われる事もあるのですか?」
「契約を結んだからには国家の奴隷になったようなもの、だなんてふざけた認識の者が結構いるみたいでね。
クラヴィスがユーティカを名乗った時だって、王家のためだーなんて言って無茶を強いようとする者は少なからずいたよ。
そういう奴は大体黙らせたから大丈夫だとは思うんだけど、気を付けるに越したことはないだろう?」
色々と対処してあるようだが、相当厄介だったんだろう。
思い出すだけでも心底めんどくさそうにしているものだから、苦笑い交じりで頷いておく。
王家との契約だから王家に何か言われるのはわかるけど、周りがどうこう言ってくるのは面倒だなぁ。
そういえばクラヴィスさんがノゲイラに来た時も無理難題を押し付けられたんだっけ。
確か軍を編成してもおかしくない魔物退治をクラヴィスさんとシドの二人でやれとか、そんな感じだったかな。
結局魔物はアースさんだったし、クラヴィスさんと先王陛下の取引でノゲイラに行くための方便みたいなとこもあったみたいだが、確かに無茶言われてるね。
見せたい物はまだ先にあるらしく、一つ、二つと肖像画の前を歩いていくと、歴代の中でも特別な人の肖像画なのだろう。
額縁だけでなく壁にも装飾が施されたその場所には大きな肖像画が一枚飾られていて、グラキエース陛下はおもむろにその肖像画へと一礼する。
とりあえず真似しておこうと私も一礼し、次に見上げたその瞬間、肖像画に描かれた一人の人物に目を見開いた。
「これが君に見せたかった肖像画、初代国王と異世界の英雄だ」
「この、人……」
グラキエース陛下が示す先、椅子に座った金髪に白金色の瞳の男性の後ろで、寄り添い合う夫婦らしき男女。
同じ金髪だから、水色の瞳の女性はきっと初代国王の妹か姉のどちらかなんだろう。
でも、その隣に立つ男性は明らかに違う。
黒い髪に黒い瞳に、こちらでは馴染みの無い東洋系の顔立ち。
もしかしたら、とは思っていた。
異様に発展している上下水道、七五三と似た要素が多いハレの儀。
そして何より、彼もまた異世界から来ていたから、何度も考えた。
だからその人を見て、全てを理解して、全てに納得した。
──やっぱり異世界の英雄さまは同郷だったか、と。
確信は無くとも推測はできていた事実に対し、どう反応するのが正しいのやら。
緊張したままを描かれたようで、強張った顔で身構えている英雄の姿になんだか肩の力が抜けてしまう。
そんな私の反応を見て、グラキエース陛下は小さな吐息を漏らし、私と同じように何かに納得した様子で微笑みを浮かべた。
「君も知っているだろうけど、初代国王はシェンナード王国の王女の婚約者だった。
だが策略によって婚約者を亡くし、シェンゼ王国を建国した後も独身を貫いた。
そのため王位は彼の甥、英雄とその妻となった初代国王の妹の間に生まれた子に受け継がれた」
わざわざ私にこの肖像画を見せたかったのは、もうわかっているからか。
私の隣で肖像画を眺めて語るグラキエース陛下の横顔からは、驚きも戸惑いも感じられない。
「王家には異世界の英雄の血が流れている。だからなんだろうね。
時折、彼の英雄と同じ特異な力を持ち、彼の英雄と同じ黒を持った者が生まれるようになった。それがクラヴィスだ」
私が知る限り、私とクラヴィスさんだけが持つ黒色。
異世界の英雄と同じ色、英雄のような力を持っている証。
この色が特別な色として扱われているのは、そういう理由か。
「君は」
小さな声で呼びかけられ、グラキエース陛下の視線がこちらに向く。
その眼差しにどんな思いが込められているのか。
全てを悟るには関係が浅く、気付かず流すには鈍くいられなかった。
「いつか、帰るのかな」
あぁそうか。
城に呼んで、クラヴィスさんが居ない場所で、二人きりになってまで聞きたかったのは、この事か。
この人はクラヴィスさんを大切に思っている。
たった一人の弟を、たった一人しかいない肉親を、大切に思っている。
だから私がクラヴィスさんの元を離れるのか聞きたかったんだ。
「……アースさんに、送ってもらう約束をしています」
「……そうか、それは良かった」
寂しそうに、でも心から安心したように頷かれる。
その姿は一国の王などではなく、ただの弟思いのお兄さんだった。




