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遺した物



「──お嬢様!?」



 戦いが終わり、静まり返っていた屋敷にシドの声が響き、すぐさま振り返る。

 紅の焔も淀んだ気配も無くなり晴れた視界で見えたのは、シドの腕の中、瞼を固く閉じて苦し気な声を漏らすトウカの姿だった。



「嬢ちゃん!? おい、嬢ちゃん! しっかりしろ!!」



 あの魔導士は死んだ。確かにこの手で葬った。

 命の終わりも、魔力が潰えるのも間近で感じ取った。

 そのはずなのに、彼女の苦しむ姿に背筋を冷たいものが走り、何も考えず剣を投げ捨て走り出す。



「トウカ、トウカ……!」



 彼女の元へ駆け寄り、シドから彼女を受け取る。

 私の腕の中に納まる小さな体は酷く震えていて、瞼を固く閉じている。

 そして何よりその身には、今まで無かったはずの魔力が宿っていた。


 この魔力は私の物ではない。かといって、あの魔導士の物でもない。

 清らかで、それでいて私と同じかそれ以上の魔力。

 その正体が何かなど、考えるまでも無かった。



「う、うぁ……っ!」


「これは、お嬢様の身に何が……!?」


「……あの女が死んで、嬢ちゃんの魔力が戻ったんだ。

 だが、何だこりゃ……体に馴染んでいないのか……?」



 シルバーの瞳にはその光景がありありと見えているのだろう。

 触れる彼女の体は酷く熱を持ち、魔力が縦横無尽に駆け巡っている。

 魔力の暴走にも似た症状だが、違うのは魔力がその身を焦がしている事か。

 拒絶し、拒絶され、互いに削り合うようなその様は見ているだけでも痛々しい物で、握り締められた小さな手を包み込む。



「元はお嬢様の魔力なのでしょう!? 馴染まないはずが……!」


「奪われた挙句、あんだけ好き勝手使ってたんだ。歪みが生じていてもおかしくはねぇ。

 おかしくはねぇが……こんなの、どうしろってんだ……!」



 清らかでありながら異質なこの魔力は、ただ本来の主の元へと戻って来ただけだ。

 切り離され、使い潰され、異常が生じていたとしても、主の元に戻る事に異常は無い。


 だが、異質な魔力を無理矢理注ぎ込まれては肉体が持たない。

 それは私の魔力にも耐えうる器を持つトウカでも変わらない。

 そして既に主の元へ戻った魔力を引き剥がす方法など、私達は知らない。



「どうにか、どうにかならないのですか……! このままではお嬢様は……!」


「できたらとっくにしてる!! してんだよ……くそ……!!」



 このままではトウカが持たない。トウカが死んでしまう。

 そうわかっていても、元は彼女自身の魔力。

 例え肉体が拒絶していても魂の結びつきは強固で、それを引き剥がせたのはあの魔導士だけだった。


 恐らく人の理を超えたモノだからこそできたのだろう。

 私達には決して叶わない、その術を知る者はもういない。

 いないが、同じ人の理を超えたモノならば。数多の世界を駆ける彼の存在ならば。



 その一縷の望みに賭け、契約を通じて呼びかけつつ、少しでも魔力を減らし猶予を作ろうと彼女の体を駆け巡る魔力に触れる。

 だが、清浄な魔力の底に潜む何かに弾かれ、介入を拒まれた。



「う……」


「っ、トウカ、私の声が聞こえるか? トウカ……!」



 何に弾かれたか。否定したいのに、否定できない可能性が脳裏を過り、小さく呻いた彼女の声に縋り付く。

 そんなはずはない。そんな事があっていいはずが無い。

 だが、もし、もしも本当にそうなのだとしたら。


 心臓が嫌な音を立てて脈を打つ。

 耳障りな音を全て無視し、彼女の声にだけ意識を集中させる。

 しかし緩んだ小さな手は私の手を握る事は無く、開いた瞼から覗く黒の瞳は紅の輝きを宿していた。



「お、とうさま」



 私の手からすり抜け、私に手を伸ばしながら告げられたのは、私には決して使わない父親への敬称。



「ちがう、ちがうの、です」



 うわ言のように言葉を紡ぎ、首を振る彼女の瞳には涙が溢れ、柔らかな頬を伝い落ちていく。



「わ、たくしは……ちがいます」



 黒を浸食する紅に何を映しているのか。

 その瞳は私の姿を捉えているはずなのに、視線は交わらず揺らぎ続ける。



「おかあさま、が、おかあさまが……わたくし、を」



 あの魔導士と共に消えていたはずの呪いが蘇り、それと同時に力を強めていく。



「おとうさま、ちがうの、ちがうのです」



 まだ言う事の聞く魔力を操り探れば、呪いの源がトウカに宿っている。



「わたくしは、ばけものではありません……!」



 彼女を浸食するそれが誰の記憶かなど明らかで。

 大粒の涙と共に否定を繰り返す彼女の手を握りしめた。



「トウカ、トウカ……!」


「ちが、ちがう、わたくしは、ちがいます……!」



 急速に強まる呪いと共に、暴走し始めた魔力を抑え込み、必死にトウカの名前を呼ぶ。

 返される否定は記憶の中の言葉か、それとも私の呼びかけに対する物か。

 判別などできないけれど、浸食されていく黒が私を映す限り、この声が届いていると願い、縋るしかない。



「そんな、まさか」


「あのアマ、まだ嬢ちゃんを……!」



 全てを悟っても、悟らなくとも変わらない。これは誰にも防げなかった。

 例え事前にこうなるとわかっていても、彼女の魔力が元に戻る事は勿論、魔力に潜んだそれだけを排除する事も出来なかった。

 そう頭ではわかっているのに、わかってしまうからこそ、何もできない自分に腹が立つ。



 このまま私はトウカを失うのか。

 何もできないまま、何もしてやれないまま苦しませて、全てを失うのか。

 小さく震え続ける手を握りしめる事しかできないのか。


 全てを凍らせるような恐怖が襲い掛かるが、それを晴らす術など無く、ただトウカを呼び、アースを呼び続ける。

 黒が全て紅に染まってしまうその刹那。

 トウカの髪を飾っていたリボンが光を灯した。



「こ、れは」



 淡く輝き、独りでにトウカの髪から離れたリボンが、私とトウカの手に巻き付き、結びつける。

 銀の生地に金の刺繍が施されたそれは、以前あの人がトウカに贈った物だ。

 あの人が最期に遺した贈り物。あの人が最後に作り上げた小さな守り。



「クラヴィス! トウカはどうなっておる!?」


「アース……!」



 私達を柔らかな光が包み込み、糸のような魔力によって魂が結ばれる。

 そこへ全力で飛んできてくれただろうアースは、その光景に数秒思考を巡らせた後、安堵の息を漏らした。



「あぁ……そうか。間に合ったのではなく、間に合わせてくれたのじゃな」



 ゆっくりと私達の元へ降り、トウカの様子を見つめるアース。

 その姿には焦りなど無く落ち着いたもので、私もそっと息を吐いた。



「後はワシに任せなさい」



 アースが輝き続けるリボンに触れ、リボンを通じてトウカに魔力を通わせる。

 先ほどとは違い、弾かれる事無く溶け込んでいくアースの魔力はトウカを包み、やがてトウカから魔力が溢れ出した。



「……トウカの魔力か」


「うむ、この中にあやつが自身の欠片を潜ませ、トウカへ送り込んだのじゃろう。

 元々お主らが駆け付ける前に随分同化が進んでいたようじゃからのぉ……ほんのひと欠片でも最後の一手となりえたというわけじゃ」



 トウカから離れ、アースの導きに従い宙に留まる魔力の塊を見て、シド達も状況を理解したのだろう。

 緊張の糸が途切れたようで、深く息を吐きながらその場に音を立てて座り込んだシルバーがアースに問いかける。



「で、その魔力はどうすんだ? 嬢ちゃんに戻すわけにはいかねぇだろ」


「そうじゃのぉ……もうトウカの肉体には別の魔力が馴染んでおる。

 異物さえ排除すれば戻せん事も無いが、満足に使う事はできんじゃろう。

 むしろトウカを苦しめる要因になりかねん」


「では……」


「大地に還してしても良いが、いずれトウカに帰って来てしまうじゃろう。

 今ここであやつの欠片ごと消し去ってしまうのが一番安全じゃろうな」



 主と引き離されていた反動か、本来あるべきだった場所へ強く引き寄せられるらしい。

 今にもトウカの元へ戻ろうとする魔力を抱き、アースがこちらへ視線を送る。


 どうするか、など問われずとも答えは出ている。

 魔法に憧れを抱く本人に無断で決めるのは申し訳ない気もするが、私達にとってはトウカの安全が第一だ。

 迷う事無く頷き返せば、アースは魔力の周りを飛び、鼻先でそっと触れる。

 すると魔力は弱く輝いて、透明な結晶を遺して消えていった。



「幸い、時間の方は少しだけ取り戻せた。

 こちらには浸食しておらんようじゃから、ワシが預かっておこう。

 今トウカに返すと魂と肉体が乖離しかねんからな。折を見て返すとしよう」



 恐らくあの結晶がトウカの奪われた時間なのだろう。

 手の平に収まる程度の小さな結晶をアースは丁寧に魔力で包み込む。


 その時リボンの輝きが小さくなり、淡い光が溢れ出す。

 どうやら力を使い果たし、消えてしまうようだ。

 光と共に徐々に消えていくその一欠片を握りしめた。



「……父上」



 ずっと目をかけてくれていた。

 この色を持って生まれた王族としてあるまじき願いも聞き届けてくれた。

 それなのに、私はあの人の助けになるどころか、最期を見送る事すらできなかった。

 それなのに、恨み言一つ言わず、命を削りながら私の花に守りを遺してくれた人。



「ありがとう、ございます」



 空へ溶けるように消えていくその光景を最後まで目に焼き付けて、穏やかな吐息を漏らす彼女を抱き締めた。

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