繋ぎ、灯す
シドに手綱を任せ、混乱に満ちた大通りを馬で駆け抜ける。
魔導士はどこかに留まっているらしく、先ほどからディーアの動きが無い。
瓦礫に阻まれ、幾度も遠回りを余儀なくされたが、もうじき追い付くはずだ。
トウカはどうなったか。まだ間に合うのか。
襲い掛かる憂いを晴らす術など無いが、ディーアとの契約に変わりは無く、命の危機には瀕していない。
ディーアならば自分より先にトウカを死なせはしないはず。
だから彼女もまだ生きている。まだ間に合うのだと、そう思うしかない。
「主、これ以上は……」
「……わかっている」
逸る気持ちが伝わったか、シドの申し訳なさそうな声に静かに頷く。
一刻も早くトウカの元へ急ぎたいが、これ以上速度を上げれば馬が持たず、何より兵達が追い付けない。
式に参加せず馬車の番をしていた者達が異変を察し、すぐに走れるよう馬を準備していてくれたおかげで一部は馬に乗れているが、多くは自分の足で駆けている。
魔法や自力で追い付いている者はいるものの、速度を出せば兵の大半を置いて行ってしまいかねない。
ディーアの後を追えるのは契約がある私だけ。
その私を見失えば、彼等はどこへも行けなくなってしまう。
スライト達が多くの死兵を引き受けてくれたが、まだあちらにどれほどの戦力が残っているかわからない今、戦力を割くような真似はできない。
まだ先があるため無理はできないとわかっていながら、それでも皆に限界まで無理を強い、速度を出したまま駆け続ける。
そうして見えて来た屋敷の一つから魔力の衝突が起こった。
「あれは、イズール伯爵の邸宅……!」
「っ、急げ! トウカはあの屋敷にいる!」
呪いを刻まれ、まともに魔力を使えない今、誰の魔力かまではわからないが、あの屋敷で誰かが争い合っている。
ディーアに動きは無いままなので、恐らく誰かが魔導士と戦っているのだろう。
それが誰であれ、屋敷を壊す勢いのあれは近くに居る者など顧みていない、ただの殺し合いだ。
例え当人にそのつもりが無くとも、そこにトウカが巻き込まれてしまえば一溜まりもない。
焦る気持ちのまま屋敷に近付くと、何やら屋敷の周辺が異様に騒がしい。
あの魔力の衝突から逃れた屋敷の者達が騒いでいるのかと思ったが、そうではないようだ。
私達など見向きもせずに逃げ惑う人々の表情は明らかに何かに怯えた物で、中にはイズール伯爵らしき人物もいる。
一体何が、と考えるが、目の前の光景を目の当たりにした瞬間その必要は無くなった。
魔物へと変異させられたのか、下半身の肉が膨張し、這いずるように動く何か。
辛うじて人の形を保つ手には誰かの下半身だけが掴まれていて、垂れ流された血が地面に線を引いていく。
後ほど死兵にするために死体を集めるよう命じられているのだろう。
煌びやかだったろう庭園の一角には死体が折り重なり、小さな山となって私達を迎え入れた。
減った手駒を補おうと、この屋敷に居た者達を死兵に変えたか。
この屋敷に居た者は全て逃げ延びたか、殺されたのだろう。
この場に現れた私達を新たな餌と認識したらしい。
触手のようになった腕を振り上げ、呻き声を上げて襲い掛かって来た死兵へウィルが殴り飛ばした。
「主、ここは俺が」
「頼む」
半魔物化しているといっても、教会に出された者達に比べその動きは鈍い。
ウィルのように魔法を使えない者でも十分相手取れるだろう。
どのみちあの魔導士相手に大勢引き連れて行っても、今の私では守り切れない。
それにこの死兵達が屋敷の外へ出れば、被害が更に広がってしまう。
ならば屋敷に乗り込むのは少数に絞り、他の者はこの場に残り死兵の相手を務めてもらう。
問題は誰をどこに残すかだが──指示を出す前に金色の影が飛び出した。
「私も行きます!」
「フレン!?」
「この先足手まといになっちゃうってわかってます! だからここで! できる事をしてきます!!」
アンナの声を振り切ってフレンが駆ける。
そして走る勢いそのままに、地を蹴り飛び上がったかと思えばウィルの前に迫る死兵を蹴り飛ばした。
確かに彼女は強くなった。無意識ではあるものの自分の力を知り、十分扱えるようにもなっている。
その上で、実戦経験がほとんど無い自分が足手まといになると自身を過信せずに判断している。
あれなら無茶をせずに引く事もできるだろう。ウィルも、フレンが傍に居た方が余計な心配をせずに戦えるはず。
同じ戦い方を心得ている二人は息を合わせ次々と死兵を吹き飛ばし、道を切り開いていく。
その道を塞がれないよう兵達へと指示を出し、半壊した門を飛び越えた。
イズール伯爵の屋敷はメロリアの花が美しく咲くという庭園が社交界でも有名だった。
祖であるヴィオレーヌ公爵家の名残であるメロリアの花を慈しみ、守り継いでいるのだと皆が知っていた。
それが今はどうだ。
美しかったろう庭園には死兵が我が物顔で歩き回り、丁寧に手入れされていただろう花壇は踏み荒らされ、赤の花びらが無残にも散っている。
死兵に変えられたばかりだからか、まだ人らしい呻き声を漏らし彷徨い歩く死兵達。
変質した部位から黒く淀んだ体液が撒き散らされ、穢れていく様はまさにこの世の終わりとでも言ったところか。
機会があれば連れて来たいと思っていた。
最初は仕方無しとはいえ花を育て、好むようになっていた彼女に、一度見せてやりたいと。
それをこのような形で、それも連れて行かれる事になるとは。
屋敷内の魔力が膨れ上がり、何かが衝突したような轟音が鳴り響く。
それと同時、戦いの余波で吹き飛んだらしい扉から緋色の炎が溢れ出した。
あれは、シルバーの炎だ。
トウカに持たせていた飾り紐、あれで状況を知って駆け付けたのか。
しかしあの炎の揺らぎは、シルバーまで呪いに侵されてしまったか。
今にもかき消されてしまいそうなほど穢れた炎に、シドが馬を速める。
立ち塞がる死兵達を皆が押さえ込み、作られた道をただひたすらに進んで、屋敷の前まで辿り着いた所で追従していたルーエとアンナが足を止めて背を向けた。
「入口は私達が抑えます」
「主はトウカ様の元へ!」
死兵に挟み撃ちされないよう、そう告げてそれぞれの武器を振るう碧と紅。
響く打撃音を背にシドと二人、馬を飛び降り屋敷の中へ入れば、炎が消えて白い光が私達を包み込んだ。
それは、彼女に持たせた指輪に刻んだ魔法の光。
魔力を使い慣れていない彼女のそれは、私と違って触れれば崩れてしまいそうなほどか弱い光だが、それでも浄化の力を持つ光は触れた者の穢れを祓う。
根深く纏わり付くこの呪いは完全に打ち祓えないが、十分だ。
少し楽になった体でディーアの腕の中、懸命に戦う彼女の元へと飛び込む。
魔導士に近付いたせいで強まる呪いで魔法はおろか、魔力もまともに使えない。
だが、これなら、この程度なら、魔力を他者に渡す事はできる。
魔力を渡せるのなら、何より他でもない彼女を通してならば使えるはずだ──あの時もそうだったのだから。
確証は無いが、確信を持ってトウカに手を伸ばす。
繋がった魔力の道筋は例え暴走している魔力でも良く馴染み、容易く受け入れられる。
そしてトウカの体を通して指輪へと魔力を注ぎ込めば、指輪に灯る光が強さを増した。
「──遅くなった」
「クラヴィスさん……!」
青白い顔で、それでも私を見て安堵を露わにする彼女が手を伸ばす。
その手を取って、輝きと共に力を増した光が焔を打ち祓えば、晴れた視界の先、こちらを睨む紅の魔物が居た。




