希望の光
熱が痛みを生み出し、振りかぶって固まった剣が滑り落ちていく。
耳を劈く金属音と共に女の嗤い声が響き渡った。
「あ、はははははは!!! そのまま振り抜いてしまえば良かったのに、馬鹿な人ねぇ!」
突き刺さる刃から染み出し、広まり始めた呪いが体内から俺を蝕んでいく。
クラヴィス達を襲った呪いとは違い、この呪いは純粋に相手を死に追いやる類のようだ。
浸食を防ぐために魔力で覆うが、体内で呪いが好き勝手に暴れ、溢れた血を吐き出す。
「残念ねぇ残念ねぇ! もう少しでわたくしを殺せたのに、もう少しでその恨みを果たせたのに!
たかが子供一人のために自分の願いを取りこぼすなんて、本当に愚かだわ!」
その場に崩れ落ちる俺に勝利を確信した魔導士が嘲笑う。
──僅かな隙でも致命的になると、つい先ほど目の当たりにしただろうに。
魔導士の背後、影が揺らぎ、鋭い光が煌めく。
それに合わせて炎を操り魔導士へと放つ。
無駄な足掻きだと魔導士は嘲笑を浮かべたまま炎を振り払うが、その一手が決まりだった。
「──え?」
「……馬鹿なのはどっちだか」
突然笑みを固め、呆然と後ろを振り返る魔導士。
その背には俺よりも先にこの屋敷へ駆け付け、今の今まで息を殺して機会を窺っていたディーアがいた。
「あ──、あ、ぁああ!? いたいいたいいたい!! なにを、わたくしの体に何をしたの……!!?」
ここからでは見えないが、恐らく毒を塗った短剣でも刺したのだろう。
魔導士は突如火が付いたように叫び声を上げて暴れ出す。
それに伴い暴走し始めた焔を掻い潜り、小さな子供を捕らえる焔へ手を伸ばした。
流石は薬を熟知した者が作り出した代物というべきか。
人外の域に達した相手でもその毒は相当効いているらしく、これ以上無い程魔力が乱れている。
おかげで焔の檻も揺らいでいて、嬢ちゃんを取り戻すにはこれ以上無い機会だ。
打ち合わせなど一つもしていないが、互いにすべき事はわかっている。
炎を纏わせた手で揺らぐ焔へ掴みかかり、何もかも拒もうとする焔の檻を無理矢理こじ開ける。
そうして人一人分の隙間が空いた所で、ディーアが檻の中へとその身を滑り込ませた。
「っ、──!」
声は無い。けれど自分を呼ぶ声が聞こえたんだろう。
閉じられていた瞼が開き、黒が従者の姿を捉え、小さな手が伸ばされる。
力は無く、今にも落ちていってしまいそうなその手を掴み、引き寄せたディーアへ焔が襲い掛かった。
「逃がさない逃がさない逃がさない──ダメよ、絶対に駄目なの、ソレはもうわたくしのモノなのよ──!!」
「ぁ、ぅぐ──!」
毒に侵されても、黒く淀んだ血を吐こうとも、捕らえた獲物は逃さないと焔を操る魔導士。
その醜い執着が具現化したかのような醜い焔はディーアの腕を呑み込んでいく。
しかしようやく取り戻しかけた主を手離すわけがなく、ディーアは焔に呑み込まれようと構わず小さな体を抱きしめた。
「いい加減! 諦めやがれ!!!」
怒声と共に炎を操り、ディーアの肉体を呑み込む焔を振り払う。
苦し紛れに放たれた焔は容易く散っていき、すぐさまディーアの肩を掴んで後ろへと飛び退いた。
「あ、ぁああああ……!! いつもいつもお前が邪魔をする!
あの時もお前が、お前さえいなければ手に入れていたのに!」
怒りに身を任せて喚き散らし、暴れるその姿こそあいつの本性だろう。
それまでぎりぎり取り繕っていた淑女の仮面はどこへ放り投げたのやら。
皺だらけの顔を醜く歪ませ叫ぶ女は、俺ではなくディーアを睨みつけた。
「あの時もそうだった! お前さえいなければあの人はわたくしのモノだったのに!
お前のような卑しい者なんてあの時死ねば良かったのよ!!」
どうやらディーアとは浅からぬ仲らしい。
軽く視た限り直接会った事は無いようだから、どうせ策を邪魔したとか、そういったあの女の一方的な恨みだろう。
魔導士が誰を恨もうとどうでも良いが、ディーアへの怒りで周囲を見れていない今の内に体勢を整えさせてもらおう。
勢い任せに飛び退いたせいで噴き出た血を軽く押さえ、呪いに阻まれまともに効かない回復魔法の代わりに腹の傷を炎で焼き塞ぐ。
剣はあちらに転がったままだが、どのみちこの傷では満足に振るえない。
二人を後ろに押し退け体勢を整えながら炎を作り出した所で魔導士が動き出した。
「卑しい者達が……! どこまでわたくしを愚弄するつもりなの……!
もう、もう良いわ!! 精々苦しんで死になさい!!!」
そう叫び黒い焔を作り出す魔導士。
魔力が乱れ、威力もばらつきがあるが、その焔に乗せられた呪いは厄介極まりない。
それにこれ以上呪いが重なれば、俺もディーアもまともに動けなくなってしまう。
何よりあの女は最早俺達への殺意しかなく、執着していたはずの嬢ちゃんすら殺すつもりだ。
渦となって襲い掛かる焔を防ぐため、魔力を練り上げ炎の壁を作り出す。
だが、それを妨げるように体内で蠢く呪いが苦痛を生み、視界が歪んだ。
「く、そ……っ!」
炎と焔がぶつかり合い、轟音が鳴り響く。
俺でこの有様だ、ディーアもどうにか動くのが限界だろう。
それなのに子供を抱えてこの焔を掻い潜り逃れるなんて無理難題でしかない。
それでも、せめてこの子だけでも逃さなければ。
未来に満ち溢れた希望の結晶だけでも守らなければ。
崩れてしまいそうな炎を無理矢理繋ぎ留め、消えゆく炎を新たな炎で埋め尽くす。
膨大な魔力が圧し掛かり、俺の眼が終わりを捉えてしまったその時、小さな声が響いた。
「【れ、がりた】……!」
背後から良く知る魔力が広がり、白い光が俺達を包み込む。
ふっと体が軽くなったのを感じると同時、白い光は結界となって迫りくる焔に立ち塞がった。
敵前だというのに思わず後ろを振り向けば、ディーアの腕の中、指輪を握りしめ真っすぐ焔を見つめるあの子がいた。
「嬢ちゃん……!」
あれほど魂に干渉を受けていたのだ。正直、目を覚まさないだろうと思っていた。
それでも意識を取り戻したのはその魂を守る特異な力か、あるいは身に着けている守りのおかげか。
どちらにせよ目を覚ましてくれた事は喜ばしい。しかし、それを喜ぶ暇は無かった。
「ご、め……ながくは、もたない……」
「……いいや、十分だ」
嬢ちゃんの言う通り、クラヴィスの持たせた守りは強力だが、魔法を使い慣れていない嬢ちゃんでは長時間張り続ける事はできないだろう。
だが、嬢ちゃんがこの魔法を使ってくれたおかげで多少呪いが弱まった。
これなら今の俺でも、二人を生かす活路を作り出すぐらいはできるだろう。
嬢ちゃんが作ってくれた僅かな時間を最大限使い、魔力を練り上げる。
未だ残る呪いで少々魔力が淀むが、先ほどまでに比べればこの程度大した事は無い。
だが、俺がしようとしている事はきっと嬢ちゃんは望まないだろう。拒絶するだろう。
だから言葉は無く、ただ一度ディーアへ目配せすれば、全てを察したディーアは静かに身構えた。
人の死に弱く、本人が好んでいる砂糖菓子のように甘い心根を持つこの少女は、俺を切り捨てる事などできやしないだろう。
泣いて、喚いて、その手を伸ばそうとしてしまう。そうして傷付いてしまう。
だから何も言わない。嬢ちゃんには何も背負わせない。
これは俺が独断でした事だ、なんて思ってはくれないとわかっていても、俺にはそうする以外選べない。
「ぁ……まって、まって……シルバーさん……!」
察しが良すぎるのも考え物か。
嬢ちゃんの悲痛な声が後ろから聞こえるが、聞こえないフリをして前に進み出る。
心の揺らぎと共鳴して結界も揺らぎ、小さな亀裂が走る。
最後に呼吸を整え炎を構えたその時、俺の目が影を映した。
「──遅くなった」
一つ、聞き馴染んだ声が響く。
そして揺らいでいたはずの結界が強い光を放ち、迫り続けていた焔を完全に打ち払った。




