知識というのは色々と役に立つ
あの後シドからお菓子をもらいながら聞いた話によると、どうもクラヴィスさんには放浪癖があるようだ。
昔から従者を置いて抜け出しては、あちこちで色々としていたらしい。
『ここ二ヶ月は大人しくしていたため油断していました』
『恐らくこれから何度もあるでしょうから諦めてください』
……というのがノゲイラで誰よりもクラヴィスさんを知っているシドのお言葉である。諦めが肝心ってやつですか。良いのそれで。
息抜きは必要だから良いとして、窓から飛び降りるのは止めて欲しい。
それからせめてちゃんと説明してください。突然すぎてホント死ぬかと思ったんですから。
そう一言二言文句を告げたが、クラヴィスさんはそんな事より私の知識を聞きたいらしい。
気付けば私は知っている限りの土壌改良に関する知識、そして農具など文明の利器についてクラヴィスさんが満足するまで説明する事になっていた。
美人の無言の圧力ってヤバいよ。悪い事してないのに悪い事をした気分になるんだ。それにお菓子くれるって言ったんだもん。これは買収じゃない、対等な取引だ。
それにしてもむかーし暇つぶしに読んだだけなのに、人って案外覚えてるのね。肥料の作り方や連作障害を防ぐための農法など、色々と話す事ができた。過去の私に感謝です。
魔導士というのもあってか、機械の話をしたら明らかに興味深々といった様子を見せていた。そりゃあ鉄の塊が動くなんて信じられないわなぁ。
こっちの世界の発展具合じゃ再現するのは難しいだろうけど、クラヴィスさんならいずれどうにかしちゃいそうだなぁ、なんて思うぐらいすごく質問されたよ。
どういった仕組みで動いているかなんて専門家じゃないから知らないって。テレビで見ただけで実際に見た事も無いんですぅ。え、テレビですか? えっとですねぇ……。
──そんな飛び降り事件からしばらく経ち、私は一人トテトテと装飾品の減った城を歩いていた。
私の予想は正しかったようで、クラヴィスさんは装飾品を中心に城の物を色々と売り、食料を買って領民達に無償で配給したそうだ。
そうでもしないと餓死者が大量に出る所だったらしい。あの畑を見た後だと納得だよ。
前の領主が貯めに貯めた装飾品のおかげでノゲイラの領民達全員に配給はできる額は確保できたが、それは一時的なもの。
資金はカツカツで、人手も足りていない。
何か解決策を練らなければ領民側も領主側も共倒れしてしまう状況になっていた。
だが、そこで私の知識が役に立ったようだ。
肥料を取り入れた畑の作物達はみるみるうちに元気になり、どこも他の畑より収穫量が少し多くなっていたそうだ。アムイの生命力すごいな。
短期間でも結果が出たのだからとにかくやってみようって事で、ノゲイラにある全部の村で取り入れてくれるようになったんだって。良かったわぁ。
そんなわけで、私が話した知識を元に、順次土壌改良に取り組む事が満場一致で決まり、作物問題はどうにかなりそうという目途が立ったのだが、それだけだ。
土壌が良くなっても天気の関係で作物がダメになる、なんてことも考えられる。
何よりどうにか資金を得なければ、土壌改良はおろか、城で働く人達の給金もままならない状況に陥りかねないんだそうだ。
要するに金が無くてヤバい、って事である。それはダメだわ。
資金を得ようにも、元々ノゲイラは辺境で特産品がほとんど無い土地だそうで、商売のルートもとてつもなくほっそりした物だったらしい。
ありがたい事にクラヴィスさんの知り合いに商人がいるとかで、領主になってから商人の出入りが少し増えたらしいが、特産品が無いのに変わりはない。
作物の実りが良くなって領地の食料問題が解決し、他領に余剰分を売り出せるようになったとしても、それだけではノゲイラを豊かにするには足りない。
ノゲイラをもっと豊かにするためには、ノゲイラの特産品に成り得る物を作りたい──というのがクラヴィスさんの考えで、私にも協力するよう頼まれた。
専門職でもなんでもない一般市民が得られる程度の物だが、使えそうな知識は色々とあるからね。お世話になってるんだからできることはしますよぅ。暮らしが良くなるのは良い事だし。
特産品となるとノゲイラでしか作れない物、もしくはこの世界に無い物や貴重な物などがベターだろう。
何か思いついたら教えてくれ、と言われたが、正直この世界に何があって何が無いのか良くわからない。
だって水洗トイレがあるのに肥料が無いとか、誰が予想できるよ? 私には無理です。
そのため、まずはこちらの世界について知るために城の中を歩いてみる事にした。何があって、何が無いのかを知らないとね。
トテトテと歩きつつ記憶を探り、何か良いアイデアは無いかあちこち見て回る。
掃除をしている使用人を見かけて掃除機があれば便利かな、と思ったが、そういった物を開発するには元手が必要になるだろう。
プラスチックなんかを作るとしたらどれだけのお金が必要になるんだろうネー。少なくとも今手を付けることじゃないよ。
すぐに金になる物となると、やっぱり砂糖や塩、胡椒といった調味料の類だろう。
私の価値観からすればごく当たり前な物だけど、元の世界でも昔は胡椒と同じ重さの金や銀と交換されていたとかいうぐらいだ。
こちらだとどれも貴重な物だから作れるようになれば一番手っ取り早く金になるはず。
本当は既にある特産品も活かせたら良いんだろうけれど、何が強みか全くわからない状態だし、クラヴィスさんの様子を見る限り確実に稼げる方が良いよね。
塩なら海や塩湖から取れるけれど、ノゲイラには海が無いし塩湖らしき物があるという話も聞いていないから後回しで。
胡椒やスパイスも、元手になる種もどこかから輸入しなきゃいけない上に、ノゲイラの気候では育てるのが難しそうだ。
となると、やっぱり砂糖かな。
この世界で甘味は手に入り辛いというのはとっくにわかっている。
砂糖を作る事ができれば良い商売になるだろうし、甘味が高級品ならお菓子の種類も少ないだろう。
前にシドがくれたのも果物を混ぜ合わせただけの焼き菓子だったし……ケーキとか作ったらすごく売れそうじゃない? というか私が食べたい。
問題は原料だが、サトウキビは無理でも甜菜というカブの一種があったはず。あれなら寒い地域でも作れるだろう。
あとここでも取れそうなのは砂糖楓、だっけ? メープルシロップの元になるやつだよね。あんまり馴染みないけど、取り方は知ってるぞ。
そもそもこの世界にそれらに該当する植物があるかどうかわからないが、とりあえずクラヴィスさんに相談だな! まってろ甘い物!
そう踵を返そうとした時、視界の端に映った光景に足を止める。
今のは見間違いでなければ井戸、だよね? 水洗トイレがあるのに井戸なの? でも城の設備には水道があったよね? 何で井戸?
少し気になってそちらに近付いてみると、井戸の周りで二人の使用人がしゃがみこんでいるのが見えた。
何してるんだろうと様子を窺っていると、二人は傍にある洗濯物と思わしき服が山ほど入った籠からそれぞれ一つ手に取り、大きな石畳の上に広げる。
そして滑車を動かし水を汲み、服に水をかけたと思えば、木の棒を手に取って服をバシバシと叩き始めた。
「えぇ……叩いて洗ってる……マジかぁ……」
叩いて洗うとか、昔家族が見てた歴史ドラマでしか見た事ないよ。いつの時代をやってたっけあのドラマ。
しかも良く見れば井戸が滑車式である。だからなんでそこはそんなに発展してないの。というか水道あるんじゃないの。あれか、設備に使える費用的な問題か。
「生活改善もアリだなこれ」
設備の問題で洗濯用の水道が無いのかもしれないが、それよりあの洗い方は無いだろう。
あの洗い方では汚れが落ちにくいはず。時間がかかるし労力も大きく割かなければならない。ブラック企業状態なんだぞこの城。少しでも効率化をしなきゃ駄目だって。
洗濯機は無理でも洗濯板ぐらいならすぐに作れるはずだ。洗剤は……後回しで。石鹸しか作り方知らないもん。あ、石鹸でも十分か。
水汲みも滑車式じゃなくせめて手押しポンプにしようぜ。原理は前読んだ事あるからわかるぞ。何はともあれクラヴィスさんに相談だぁ!
「パパー!」
走って部屋に戻り、扉を開け放った私を迎えたのはいつも通り仕事をしているクラヴィスさんと、傍に控えていたシドだった。
ねぇシド。その「困った子だなぁ」って顔止めて。今猛烈に反省してるから。せめてノックすれば良かったと思ってるから。急ぎ過ぎたのはわかってるから。
ちょっとテンションが上がってただけなんです。我ながら良い事を思いついたからテンションが上がっちゃったんです。許してやって。
「……シド、この書類をそれぞれの担当者に渡してきてくれ」
「かしこまりました」
恥ずかしさで若干縮こまり、部屋を出て行くシドに黙って道を譲る。
微笑ましい物を見る目で見るのは止めてくれ。中身は大人なの。精神的にくるから止めて。
「で? 何を思いついた?」
クラヴィスさんはクラヴィスさんでスルーする事を選んだようだ。
手持ちの書類を机に置き、両肘をついて顔の前で手を組み、何事も無かったかのように促される。
それはそれで恥ずかしさが込み上がるような……次から気を付けます。はい。
「えー、まずはちょっとした生活改善案を提案しまーす」
「話してみなさい」
コホンと咳払いをし、ここに来るまでに頭の中でまとめておいた内容を説明し始めた。
とりあえず、まずは生活改善からだ。砂糖は残念だけど後回しです。じゃなきゃ砂糖に取り掛かる前に誰か倒れちゃいそうだもの。でも絶対やるからな。
ちょっとした工夫で効率良く洗濯できる洗濯板と、子供でも水を汲み出すことができるようになる手押しポンプ。そして日々の生活でとっても重要になる石鹸。
その三つを簡単な絵を用いながら説明すれば、クラヴィスさんは黙って深く頷いた。これは手応えありかしら?
「洗濯板ならすぐできますよ。多分」
「確かに、聞いている限り石鹸や手押しポンプとやらはすぐには難しいな。
……鉄は最低でも鍛冶の者を呼ぶ必要がありそうだな」
何かメモを取り出したクラヴィスさんにほっとして頬を掻く。
そっか、石鹸はともかく手押しポンプは専門の技術者が必要だよね。
捕まった人の中に技術者がいなければ良いけど、この様子だと怪しいネ。
「……よし、わかった。来なさい」
メモを書き終えたクラヴィスさんはそう言い、私が描いた洗濯板の絵を持って席を立つ。
何をするのだろうかと黙って着いて行けば、城の奥へと連れて行かれた。どこだここ。
資材置き場なのか、木材や木でできた箱などが山積みになっている所を迷うなく進むクラヴィスさん。
初めて来た場所に戸惑いつつも、はぐれないようトテトテとその後を追えば、動きやすさを重視した作業着らしき服を着た人達が集まっている場所へと辿り着いた。ここの管理担当の人達かな?
「ゼフ・エルシェはいるか?」
突然現れた領主とその養子に驚いていたが、クラヴィスさんに言われて一人の男性が慌てて前に出る。
垂れ目が印象的な日に焼けた肌をしたその人は、恐る恐ると言った様子でクラヴィスさんを窺っていた。
あれだよねー、いわゆる社長がいきなり自分を呼び出したって状況だもんねー。そりゃそうなるわ。
それにしてもクラヴィスさんは一体何をしようとしてるのだろうか。
首を傾げつつそれを見ていると、クラヴィスさんはゼフに向けて指で私を示した。なんだ?
「この子に少し付き合ってやってくれ。給金もその分追加で出す」
「ん?」
「は、はい。わかりました旦那様」
だから説明をしろと言ってるでしょうパパン。
何でもかんでもいきなり過ぎるんですよパパン。
この人と一体何をしろというのか。
そう首を傾げてクラヴィスさんを見上げれば、クラヴィスさんはそれを正確に読み取ったのか私の頭をポンと撫で、持っていた紙を私に手渡した。
「ゼフは木の細工が得意だと聞いている。君の言っていた物も再現できるだろう」
わざわざしゃがんで私に視線を合わせ、周りには聞こえないよう小さな声で告げられた言葉に思わずぽんと手を合わせる。
なるほどーこの人に手伝ってもらって洗濯板を作れって事ですかー……ってわかるかぃ!?
できればそう最初から言ってほしかったなぁと思いつつ、少し間をおいて間延びした返事をしておいた。はぁい。




