淀みの底へ
────溶け合う順番はそうね、最近あった事からで良いかしら。
全部見せてあげても良いけれど、そうすると時間が掛かるから、特に記憶に残っている物だけで良いかしら。
難しいわね、大変ね。でも頑張るわ。だからちゃんと見ていてね──
魔導士の声が頭に響く。
それと同時、どこかへ落ちて行って、気付けば王太后が傍に居た。
『本当にやるつもりなの?』
私に向かって話しかける王太后。
その顔は強張っていて、恐れ窺うようにこちらを見ている。
「えぇ、わたくしは本気よ」
私から魔導士の声が発せられ、視界が勝手に動く。
多分、これが魔導士の記憶だからだろう。
私の意識はあるのに私の意思で動けず、私の体は勝手に動いていく。
「もう時間が無くって……それに今の世界情勢なら、多少混乱が起きても大丈夫でしょう?」
『……それはそうかもしれないけれど、まだ少し早くないかしら。
グラキエースが王位に就いてまだ間もないのよ? それなのにまた王が変わるとなると、国が大きく揺らいでしまうわ』
「国のためだなんて嘘言わないで。
殺したくないのは貴女がグラキエースを愛しているからでしょう?」
王太后に手を伸ばし、ゆっくりと頬を撫でる。
小さく息を呑んで固まった王太后に、私の口角が上がっていく。
「可哀そうなオフィーリア。例え愛しい我が子を殺す事になっても、もう貴女は戻れないのよ」
──彼女も可哀そうよね。我が子を愛しているのに、我が子を殺されたから我が子を憎むしかなかったの。
クラヴィスのお兄さん、第二王子のアスルムね。彼が死んだ時、クラヴィスが一番怪しまれていたの。
膨大な魔力を持つ第三王子。異世界の英雄と同じ黒髪を持つ存在。
周りも彼を王にという声は多かったそうで、邪魔になった兄を殺したんだと皆が噂していたのよ。
でもね、あの三人って本当に仲が良くって……本当に、邪魔な物を遺してくれたわ。
アスルムは守護の魔法が得意だったの。結界や浄化も得意でね。死ぬ間際、クラヴィスやグラキエースに守護の魔法を遺して逝ったの。
そのせいでグラキエースまで手を出せなくなってしまって……上手く片付けられたと思ったのに、結局グラキエースが王位を継ぐのは防げなかったのよね──
『どうして、どうしてクラヴィスなの……どうして、あの時私にあの子を恨めと言ったの……!』
「どうしてって……そうでもしないと貴女、壊れていたじゃない?
大切な友人が壊れるのなんて見たくないもの、当然でしょう?
それに恨めなんて言ってないわ。わたくしはただ、クラヴィスが殺したんだって噂を聞いたから伝えていただけだわ」
──オフィーリアはアスルムに特に目を掛けていたの。
王位に就かせたいというわけではなくて、体が弱かったからなのだけど、我が子の中で一番気に掛けて大切にしていたのよ。
だからね、アスルムが死んだ時、オフィーリアは狂いかけていた。
そうなったら使い難くて困るから、クラヴィスを恨むように促してあげたの。
王城で飛び交う噂を沢山沢山、何度も何度も話してあげて、それが事実だと思い込ませてあげたのよ。
そのおかげでオフィーリアはどうにか立っていられたの。
もしオフィーリアがクラヴィスを殺しかけたら? その時はわたくしが守ってあげれば良いでしょう?
それにね? それをきっかけにクラヴィスと繋がりを持てたら、近付きやすくなるかなとも思っていたのよ。
クラヴィスの窮地に駆け付けて、命を懸けて助けてあげるの。そうすればきっと物語みたいな恋が始まっていたわ。
でもクラヴィスったら、どんな刺客が送り込まれようと自分で全部対処しちゃうんだもの。
行方不明になってしまった時も、わたくし一生懸命探したのよ?
でもどこにもいなくって、メイオーラが予想より勢い付いてしまって困っていたら自力で帰って来るし……そういう所も良いのだけど、ちょっと弱みを見せて欲しかったわ──
その残念そうな声を最後に王太后が遠ざかり、景色が流れていく。
次に現れたのは【わたくし】が良くやり取りをしていた──違う。私は知らないメイオーラの大臣で、彼は脂汗を滲ませた額を拭いながらこちらを窺って来ていた。
『魔導士様……その、今回の件なのですが』
「あら、異議を唱えるとでも?」
『そ、そういうわけではありません! ただこのままでは戦争に勝ってもその後が……』
「大丈夫よ、全てわたくしの予定通りだもの。安心して?」
『で、ですが……』
「あぁそういえば……貴方の息子さん、魔導士だったわね。一度お会いしても良いかしら」
『わ、我が愚息は魔導士と言っても末端の末端! 魔導士様にお会いするような立場ではございませんので……!
では私はこの取り引きを進めて参りますので、失礼致します……!』
「あら残念」
きっと息子を魔物に変えられると思ったのだろう。
慌てて出ていく後ろ姿に思わずくすくすと笑みが零れ落ちる。
──シェンゼはずっとメイオーラに悩まされて来ていたわ。
遠い昔に起きた戦いをずっと引き合いに出して、小競り合いばかり起こして。
その戦争だってメイオーラの裏切りのせいで大変だったでしょう?
だからわたくしね、メイオーラを無くしてしまおうと思ったの。
貴女の魔力を使って、メイオーラでの地位を築いた後、わたくし沢山の人達と取引をしたのよ。
メイオーラの土地だったり、魔石だったり……とにかくメイオーラの国力を削れるよう手配してあげたわ。
そうすれば戦争が起きなくとも、いずれメイオーラは滅びてくれると思ってね。
魔堕ちに関する実験もできたし、厄介な魔眼を持ってる魔導士を消せたし……メイオーラもその内地図から消える事でしょう。
謀ってとても大変よね。上手く行って良かったわ──
クラヴィスさんを脅かし、この国を蝕んでいた全て。メイオーラを滅亡へと誘っていた全て。
それが【私】の──【わたくし】じゃない。彼女の策略で、彼女の願いの道筋だった。
記憶が混ざり、いくつもの姿が過る。
私は知らないけれど【わたくし】は知っている誰かが沢山、沢山過って。
その中に一人、私も知っている姿があった。
『あぁぁああああぁ゛あ゛!!!? 私の顔が、顔がぁああ゛あ゛あ゛!!!??』
「煩いわね、少し静かになさい」
『カ、ヒュッ────!?』
地下深くの牢屋。蝋燭の揺らぐ炎に照らされた男が石畳の上に倒れ込む。
顔を剥がれ、喉を切られ、自身の鮮血に蹲るその男は、ゲーリグ城から私を連れ去ったパラダイム男爵だった。
──パラダイム男爵? ……あぁ、ノゲイラの領主だった人? そういえばそんなのも居たわね。
あの時は確か……そうそう、貴女を連れ出すのに使えそうだったから助けてあげたの。
本当は貴女の事も手元に置いておきたかったのだけど、魔力と時間をもらった後、何故か勝手に離れて行ってしまってね?
まさかクラヴィスが貴女を拾うなんて思ってなかったものだから、どうにかして貴女を取り戻さないと、と思った時にノゲイラの領主が捕まったのを聞いたの──
『ぁ、ぁ』
「そうそう、静かにしていなさいね。そうすればちゃんと治してあげるわ」
──そうね、そう。クラヴィスを恨んでいるようだったから使えるかと思ったのよね。
わたくしの代わりに貴女を攫って来てくれたら、クラヴィスへの報復を手伝ってあげるって。勿論そんな事させないけれど。
それでね、あの人を脱獄させるために顔を剥いで、別の人に被せて偽装してあげたの。
大変だったのよ? ただ脱獄させてあげても良かったのだけど、そうすると周りが騒がしくなってしまうでしょう?
だから偽装するために似た体系の人を用意しなきゃいけなかったし、顔を剥ぐのも騒いで煩いし。
オフィーリアに手配してもらっていたから多少騒いでも大丈夫だったけれど、あんまりにも煩いものだから一旦喉を切って声を出せないようにしてあげたの。
おかげで静かに脱獄させてあげられたから、むしろ良かったのかもしれないわね。
それなのにあの人、せっかく機会をあげたのに失敗ばかりでね。
ノゲイラに入り込むためにって魔物を貸してあげて、魔物に襲われるだなんて騒ぐから安心できるよう魔道具も用意してあげてって、それはもう色々してあげたのよ?
それなのに貴女一人連れ出すのも満足にできないんだもの。本当、残念な人よね。
なんであの人を助けに来なかったのかって?
だって、その頃には体が老い始めていたんだもの。
醜い体ではクラヴィスに会えないじゃない? だから仕方なかったの──
血溜まりで呻く姿が遠ざかり、また様々な場面が流れていく。
彼女に関わった大勢の人が苦しみ、死に、堕ちて行く。
悍ましい記憶なのに、恐ろしい光景なのに、その淀みへ溶け始めているのだろう。
悲鳴が聞こえようと怒りを向けられようと、次第に何も感じなくなっていって、何も思わなくなっていって。
どこかに引きずられ堕ちて行く。
深い深い淀みの底へ堕ちて行く。
ここで意識を手離せば終わりだと、何もかも終わるのだと直感が告げている。
しかし抗おうにも意識は沈んでいって、何もかもが遠ざかって行って。
────嫌だと手を伸ばした先で緋色の炎が煌めいた。




