不変の執着
「困るのよね、たかが傍系如きが我が公爵家の後継者だなんて。
わたくしが王妃になった暁にはこんな恥知らずの伯爵家、真っ先に取り潰してあげないと」
エントランスホールを進み、迷う事無く階段を上っていく魔導士は焔を操りながら昏い微笑みを浮かべる。
きっとその胸の内には、この土地を引き継いだ伯爵家に対する怒りが蠢いているのだろう。
逃げ遅れた人を死兵に変えながら、焔を操り屋敷に施された伯爵の家紋を焼き消しながら進んでいく。
そうして階段を上り切ったところで檻の中に魔導士の手が伸び、ゆっくりと私の頬を撫で上げた。
「そのためにも、早く貴女の体をもらわないとね?」
イズール伯爵家は良くも悪くも目立たない、ごく普通の貴族だと聞いている。
例え王妃になったとしても、それこそ国を揺るがすような犯罪でもしていない限りそう簡単に取り潰す事なんてできない。
だが、盲目的に願うその瞳には王妃の地位が絶対的な物に映っているらしい。
自分の望みが全て叶うと信じて疑わず、上機嫌で私の髪に指を通していく。
丁寧な手付きで撫でられたところで嫌悪と恐怖しかないけれど、こちらに意識が向いている分、誰かは逃げられるはず。
視界の端に見えた人影に気付かない事を願い、会話を続けるべく震えそうになる口を開いた。
「……私の魂を貴女の中に溶け込ませるという事でしたが、具体的にはどのようになさるのですか」
「不安よね。でも大丈夫、痛くはないはずよ」
私の隠しきれていない恐怖を不安と捉えたらしい。
安心させるような声色でゆっくりと言い聞かせるように語り出した。
「まずはわたくしの魂と貴女の魂を同調させるの。
貴女にわたくしの記憶を流し込んで、わたくしの全てを見てもらうわ。
そうすればわたくしと貴女の隔たりが減って、上手く溶け合えると思うわ」
きっと魔導士の瞳には恐怖に耐える子供が映っている事だろう。
くすくすと笑いを零した魔導士は、目を細めて私の顎へと手を掛ける。
「本当は消してしまった方が楽なのだけど、貴女への褒美だものね。
わたくしも頑張るから、貴女も受け入れて頂戴ね?」
力は込められていないが逃げる事を許さない手が、瞳が私を捕らえる。
息が詰まりそうな圧迫感が襲い掛かってくるけれど、できる限り時間を稼がなければならない。
このまま取り込まれてしまわないよう、小さく息を吸ってずっと抱えていた疑問を投げかけた。
「……何故、私の魔力を奪った際に肉体も奪わなかったのですか?
そうしていればこのような手間も減っていたでしょうに」
どうやったのかは知らないし、わからない。
けれど私がこの世界に来たのに、この魔導士が関わっているのは明らかだ。
この世界に呼ばれて、連れて来られて、魔力と時間を奪われた。
その時全てを奪われてもおかしくなかったのに、私はクラヴィスさんの元へと流れ着いた。
何故一思いに全て奪ってしまわなかったのか。何故それほど執着しているのに私を手放したのか。
疑問を投げつけられた魔導士は、呆れた様子で溜息を零し吐き捨てた。
「だって異邦人の肉体なんて王妃には相応しくないじゃない」
顎を掴んでいた手に力が入り、爪が肌に食い込んでくる。
鋭い痛みを感じて反射的に逃れようとしたけれど、逃れる事なんてできず、耐える他無かった。
「当然でしょう? 王妃には由緒正しき高貴な血筋が求められるの。
確かに貴女は彼の英雄と同じ異世界の人間だけど、英雄と凡人では全く違うわ。
王家に余計な血を混ぜてはいけないの。そのためにわたくし、頑張って用意していたのよ」
唐突に手が離れ、僅かな自由を得たのを機に距離を取る。
といっても檻の中では大した距離は取れなくて、すぐにでも手が届いてしまう距離で身構えるしかない。
そんな私の些細な抵抗を意にも介さず、魔導士は胸元に手を当てて得意気に微笑んだ。
「この体はわたくしが作ったの。
わたくしの元の体はすっかり変わってしまったから、新しい体に変えなければいけなくなってしまってね。
どうせなら王妃に相応しい、美しく誰からも愛される体にしようと思って頑張ったのよ。
公爵家の正統な血筋を遺せるようわたくしの体を元にして、美しい者を見つけたら取り入れて……。
死なないように操るのってとても難しいのよ? ちょっとでも力加減を間違えたら死んでしまって、とても大変だったわ」
その言葉だけではどんな方法で自分の理想の体を手に入れたのかはわからない。
しかし迷う事無く人の命を奪い、好き勝手使い潰すような存在だ。
頑張ったのだと誇らしげにしているその体は、きっと私が想像もできないような悍ましい方法で作り上げられたに違いない。
「そうして長い間苦労を重ねて、ようやくこの体が出来た時、丁度クラヴィスも生まれて来てくれたの。
王妃になるべき存在であるわたくしと、長年居なかった黒を持つ王子クラヴィス。
わたくしの体が出来上がってから彼が産まれたのも、わたくし達が結ばれる運命だからに違いないわ」
キラキラと目を輝かせ、胸元で両手を握り、明るい声色で運命だと信じている。
肉体は今にも崩れてしまいそうなほど老いているのに、その姿はまさに夢見る少女のようだ。
「でも、欲張ってしまったのがいけなかったわね。
もっと強い魔力が欲しくって異世界の人間を呼び寄せたのだけど……そのせいでこの体はこんなにも老いてしまったんだもの」
実際、この人の精神は少女の頃のまま変わらずにいたんだろう。
肉体が変わっても、長い年月が経っても、ずっと変わらず公爵家の令嬢で在り続けた。
欲しいもの手に入れるためなら誰かから奪っても良いと思っている、我儘な少女のままでここまで在り続けたんだ。
「本当はこの体で王妃になりたかったけれど、この魔力を使えないのなら捨てるしかないわ。
わたくしの望む高貴な血筋ではないけれど、この魔力を王家に取り入れられるのであれば仕方ないわ。
王妃になる者が望むべきはこの国の発展だもの。そのためには自分だって切り捨てないと、そうでしょう?」
当時、第一王子の婚約者だったのだから、ずっと王妃になるための教育をされていたのだろう。
王妃になる事を望み、王妃になる事を望まれていた。
だから魔導士の中では王妃になる事が当然で、この国の発展に繋がると思えばどんな事でもしていたのか。
狂った執着の原点が垣間見えたけれど、だからといって理解も共感も納得もできるはずが無く、むしろ嫌悪が強まっていく。
縋るように胸元の指輪を握りしめていると、クラヴィスさんの魔力に気付いたのか、輝いていた瞳は一気に淀み、冷たい眼差しが向けられる。
「でも不思議よね……要らなくなったから適当に捨てただけなのだけど、どうして貴女はクラヴィスの元へ流れ着いたのかしら?
あの魔物に呼び寄せられた? それとも別の何かが呼び寄せた? 一体どうしてなのかしらね?」
首を傾げながら問い詰めるように近付き、両手を私の肩へと乗せる魔導士。
今までの言動から察するに、魔導士は仕方なく私の体を求めているだけで、本心では異物だと嫌っている。
それが自身が望む人の横に居座って、なおかつ大切にされていたなんて、気に入らないどころの話ではないはずだ。
羨まし気にチェーンへと指を絡ませている手が、突然首を絞めて来るのでは。
そんな緊張感に襲われ身を固めるが、魔導士は小さく吐息を漏らし、柔らかく微笑んだ。
「まぁ良いわ。屋敷も綺麗になったし、これ以上貴女の望み通り時間稼ぎはさせてあげられないもの。
お喋りはもうおしまい。後はゆっくり、わたくしの中でお話してあげるわね?」
「っ【レガ──!」
これ以上は止められないと、咄嗟に結界を使おうと口を開く。
しかし檻になっていた焔が勢いを増して、たった四音の詠唱すらできないまま私は焔に包み込まれた。




