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献身

 深紅の焔の檻に囚われ遠ざかっていく小さな姿。

 伸ばした手は届かず空を切るだけで、動かない足では駆ける事もできない。

 見失ってはいけない。一人にしてはならない。だから託すしかできない。

 トウカの姿が完全に消え去ってしまう前に、激痛が走ろうと構わず叫んだ。



「──ディーア!!」



 叫ぶとほぼ同時、背後から飛び出したディーアが駆けて行く。

 一瞬目が合ったけれど、ディーアは私の願いを知る者。

 瞬時に前を向き、妨げる死兵を飛び越え、遠ざかっていく主の後を追いかけて行った。



 呪いの根源である魔導士が離れ、力が弱まったか。

 少しだけ動かせるようになった体で無理矢理立ち上がる。

 未だ魔力の暴走は治まっていないが、この程度であれば耐えられる。知っている。


 トウカを助けに行かなければ。一刻も早く、彼女の元に行かなければ。

 ただそれだけを想い、シドの支えを頼りに彼女が連れ去られた教会の外へと向かおうとするが、吹き飛んできた死兵によってそれは叶わなかった。



 私を阻もうと他の死兵によって投げられたのだろう。

 半身だけで飛んできた死兵が虚ろな目で私へ手を伸ばす。

 それだけであれば大した事は無いのだが、狙いは呪いの強化だったようだ。

 死兵に宿った魔導士の魔力が近付き、呪いが強まったせいで心臓が嫌な音を立てる。


 私の様子にあちらの目的を察したシドがすぐさま死兵を魔法で弾き返し、距離ができた分呪いも弱まったがこれでは先に進む事もままならない。

 まずはこの場から離れなければと周りを見れば、青白い顔をした兄上と目が合った。



 あぁそうだ。私は耐えられるとしても、兄上は耐えられない。

 近衛騎士達が魔力を減らし、辛うじて息はできているとはいえ、このままではいずれ変異の兆しが現れてしまう。

 トウカを失いたくない。だが兄上も失うわけにはいかない。

 どれほど駆け出したくとも、一国の主として、王に仕える者として、あの人をこのまま放っておくわけにはいかない。



 深く息を吐き、意識して思考を切り替える。

 酷使された肺が痛むが、その痛みが無ければ私は自分を押さえつけられなかっただろう。


 軽く状況を見る限り、兄上よりも母上の方が深刻か。

 魔導士から解放されたは良いが、同時に施されていた回復魔法も無くなっている。

 駆け寄った近衛騎士が回復魔法を使っているようだが、呪いに阻まれまともに効いていないらしい。

 体中に刻まれた傷が一向に塞がらず、大量の血が溢れている。



 あの出血量だ。遅かれ早かれあの人は死ぬだろう。

 しかし母上が死のうとどうなろうとどうでも良い。

 死んだところで母上が犯した罪は消えず、呪いも弱まる程度。

 むしろ死によって呪いが更に根深く刻み込まれ、解呪が難しくなってしまう。


 そうなる前にカイルが解呪を試みているが、この場では死兵から漂う魔導士の魔力の干渉を受けている。

 時間さえ許されるのであれば解呪も可能だろうが、それでは兄上が持たない。



 魔導士が兄上の始末を命じたのか、先ほどまでこちらの行く手を阻むのを優先していた死兵達が、今はその身が砕けようと兄上へと迫っている。

 この教会も、再び大きな地震が起きれば崩壊もあり得るだろう。

 この場に留まるのは危険でしかない。まずは二人を安全な場所へ避難させなければならない。だが、そうするには誰かを選ぶ必要がある。

 誰を選ぶか、誰に託すか。脈打つように襲い掛かる苦痛で歪む視界に銀が差し込んだ。



「主、道は切り開く。だから行ってくれ」



 私と同じ考えに至ったのだろう。

 剣を振り払い、飛び掛かって来た死兵を弾き飛ばしたスライトが告げる。

 その視線が周囲の者達へと向けられて、その意図を察した皆が動き出す。


 場が整うまで時間を稼ぐ者、母上を担ぐ者、兄上に肩を貸す者、そしてこの場で殿を務める者。

 ノゲイラの者達だけでなく近衛騎士達も、誰一人言葉など交わさずとも迷わずそれぞれが自身の役割を定める中、スライトは自身と同じ銀を持つ死兵を見つめていた。



 目元は布で隠され、見えるのは口元だけ。

 特徴と言えば銀の髪をしていて、腕に傷があるというだけの死兵。

 他の死兵とは一線を画した動きをしていたその死兵は、スライトと全く同じ構えをしている。



「……まさか」


「……間違いない。何もかも、そういう事なんだろう」



 ──騎士であり、弟であった彼が何年にも渡って捜索を続けていたのは資料で知っている。

 それでも手がかり一つ見つからず、遺されたのは浄化の力でもある封印の力が籠った指輪だけ。

 当時行われた魔物の解剖記録も目を通したが、直前に人を喰った形跡は無く、特筆されていたのは魔物の内臓が人と同じだった事。


 本来現れるはずの無い異質な魔物。唯一その近くに居た元騎士。見つからない遺体。

 彼に託され、あの一家に関する一連の事件を調べた際に感じた違和感。

 そして口元しか見えずともわかってしまうその面影。



 あの死兵は、スライトの父親か。

 この場の誰よりもその姿を知る騎士は、憧れた父の変わり果てた姿から目を逸らさず静かに見据えていた。



「あの人だけは俺が終わらせたい。だから、傍を離れる事を許して欲しい」



 誰かがこの場に残らなければならないのは誰もがわかっていた。

 形すら残さず消し去れば死兵とて二度と立ち上がれないが、人一人を消し炭にする魔法など普通の者はそう簡単に連発できないもの。

 それでもこの場に残るという事は、尽きることの無い相手と延々戦い続けるという事だ。


 いくらここが王都とはいえ、この騒動の中では支援も援軍も望めない。

 どちらかが動けなくなるまで戦い続けなければならない。

 それでも、スライトは自らの願いのためだと言って傍を離れる許可を求めた。



「……わかった」



 何があっても自分が望んだ事だとでも言いたいのだろう。この判断を悔やむなと言いたいのだろう。

 主から離れる許可を得たスライトに続くように近衛騎士達が周囲を囲い、突破するための陣形を整える。

 真っ先に切り捨てられるだろう後方には、ノゲイラという遠い地にまで付いて来てくれた騎士や兵士の姿もあり、魔力の暴走とは違う胸の痛みが走る。

 自ら先んじて殿を務める彼等のできる事など、ただ一つだけだ。



「だが、必ず生きろ。誰も死なず我らの元へ帰ってこい」


「……御意」



 ノゲイラも近衛も関係無く、残る者達全員へと命令を下す。

 もしもの時に繋ぎとめる縁となれば良い。死を躊躇う理由になれば良い。

 そんな想いから下した命令に、スライトが数秒間をおいて頷く。


 近衛騎士達にとって私は既に王位継承権を返上し、公爵として王家からも離れた者。

 王家に仕える彼等が私の命令に従う義理も義務も無いけれど、彼等も同じく私の命に頷く。

 皆、この命令が叶えられるかはわからないとわかっている。

 それでも、私は私の騎士を信じるしかない。私達に忠節を捧げる彼等を信じるしかないのだ。



「行くぞ」



 スライトがもう一振りの剣を抜き、姿勢を低くして構える。

 次の瞬間、視界を切り裂くように放たれた銀の光によって作られた道を一斉に駆け出した。



 封印の魔力が宿った斬撃は死兵の動きを鈍らせるが、その中で唯一銀の死兵が前に現れ剣を振るう。

 放たれた黒い光をスライトは真っ向から受け止め、そのまま銀の死兵へと飛び込んでいく。

 そうして次々と死兵達が襲い掛かるが、周囲を固める者が一人、また一人と死兵を相手取り残されていって、私達は教会の外へと脱した。



「このまま走れ……! なるべく遠くへ!」



 残った者達を気にして立ち止まりかけた兵へと命令を飛ばす。

 彼等が死兵を教会へと押しとどめてくれている間に、我々は進まねばならない。

 後ろを振り返らず走り続けてしばらく、王の元へと駆け付けた騎士達と合流したところで一度足を止めた。



「陛下!? 一体何が……!」


「説明は後だ! 急いで医者を! 王太后様が死んでしまう!!」


「陛下、私の声が聞こえますか! 陛下……!」



 国王と王太后の重症を知り、駆け付けた騎士達が騒然とし始めるが、こちらも構っている余裕は無い。

 説明や対処は他の者に任せ、呪いが弱まったのを機に魔力の暴走を無理矢理抑え込む。

 それと同時、残りの兵力と周囲の状況を把握するべく視線を巡らせた。



 あの場に残ったのは十五人と言ったところか。

 ノゲイラだけで言えばスライトを含めたノゲイラの騎士が三名、兵士は二名、姿が見えない。

 こちらに気遣ったか、近衛騎士の方が優先して残ってくれたのだろう。

 おかげでノゲイラの者だけでも、魔導士の元へ乗り込むには十分な数が残っている。


 地震の影響であちこちが崩れているが、アースによって魔流は沈静化し始めているのだろう。あれ以来大きな地震は起きていない。

 これを予見していたシルバーは今どこで何をしているのか。

 トウカが残していった紅が頭を過るが、今ここに居ない者は頼れない。


 一刻も早くトウカの元へ向かわなければ。

 僅かに魔力が落ち着きを見せたところで、母上の傍で呪いの解呪を試みるカイルへと問いかけた。



「カイル……呪いはどうだ……」


「……長い時間を掛けて施したのか、幾重にも重ねられている上に、深く刻み込まれています。

 弱める事はできますが、完全に解呪するには数日を要するかと」


「……なら、兄上と母上はお前に任せる」



 その家系故に私よりも呪いに関する知識を持つカイルですらすぐには解けないとなると、相当深くまで刻み付けられているのだろう

 ならばできうる限り呪いを弱めつつ、母上の命を繋ぎ留めるのを優先するしかない。

 しかし、解呪できるまで数日も待っていられるわけがない。



「ま、待ってください! 既に主にも呪いは及んでいます! それを解かなければ……!」


「直接掛けられた物ではない。

 要である母上から離れてさえいれば、魔導士に近付いてもある程度は抑えられる」


「それでも魔力の暴走は治まりません!

 その状態で戦うなど……自ら死にに行くようなものです!」


「構わん。時間が無いんだ」



 トウカの魂が取り込まれるまでどれほどの猶予があるのか。そもそも猶予などあるのか。

 それすら定かではないというのに、ここで立ち止まっているわけにはいかない。


 何より、この程度であれば慣れている。

 幾度も経験した。幾度も抑え込んだ。幾度も苛まれた。

 それでも私は抗い、生き残り、救われたのだ。



 だから一刻も早く彼女の元へ行かなければ。

 守りたいのに、守らせてしまった彼女を今度こそ守らなければ。


 ただそれだけを想い、シドから離れて自分の足で立ち、カイルに背を向ける。

 ディーアであればきっとトウカの元へと追い付いている。

 私達が結んでいる契約の繋がりを追えばトウカの元に辿り着くはずだ。

 少しでも気を抜けば暴走し始める魔力を無理矢理従わせ、契約を頼りに進み出した私にカイルが告げた。



「……では、私もその苦痛を背負わせていただきます」



 カイルが何を言ったのか、痛みで鈍る思考では一瞬理解が追い付かなかった。その一瞬が全てだった。



「っ、シド! カイルを止めろ!」



 何をするか察した時には遅く、既に魔法陣を展開し終えていたカイルを止めるようシドへ叫ぶ。

 しかし、既に発動し始めた魔法を止める事はできず、魔法陣を通して母上から黒い魔力が浮かび上がる。

 汚泥のように淀んだ魔力を躊躇う事なく、カイルはその身に受け入れていく。



「ぐ、ぅ……! これは……っきつ、い……なぁ……!?」



 ──それはカイルの家系、王家の盾として続くクラッド家に伝わる魔法の一つ。

 その身を盾に王家を守ると誓い、長い年月をかけて作り上げた唯一の特性を持つ魔法。

 対象者の魔力に溶け込み同調する事で、一時的に同一の存在になり、魔法や呪いに干渉する事を可能にする魔法。

 普段は私しか使えない魔法を使う時に行使していたその魔法を、今カイルは母上から自分に呪いを移すために使っている。



「カイル!」


「離れ、てください……! 貴方まで巻き込んだら、誰が主を支えるんです……!?」


「ですが、このままでは貴方が……!」


「なに……兄上には、劣りますが……私だって耐性はあるんですよ……!!」



 私達と同じく魔力の暴走が始まっているだろうに、軽口を叩くカイルの指先から黒い文様が広がっていく。

 それと同時、徐々に呪いが薄まっていくのを感じるが、深く刻み込まれた呪いはそう簡単に移しきれないのだろう。

 カイルの顔まで黒い文様が浮かび上がり、魔法陣が消えた途端カイルは地面に倒れて行った。



「カイル……!」


「構うな! っ……主は、トウカ様の元へ……!」



 近寄ろうとした私に怒鳴りつけるカイル。

 その瞳は苦痛に歪んでいるが、同時に強い信頼を向けている。


 あぁ、そうだ。カイルは自分より私を優先したのだ。

 呪いの解呪よりも、他の誰かを向かわせるよりも、自分の命よりも。

 私がトウカの元へ向かう方が良いと、そう判断して呪いの一端を背負ってくれたのだ。

 その信頼を、覚悟を無碍にはできない。



「……カイルを頼む」



 だから私は、その場を近衛騎士達に任せ、シド達と共にトウカの元へ向かったのだった。

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