私の守り方
初めにカイルが、次にディーアが私を止めようと手を伸ばす。
フレンが、ルーエが、アンナが、シドが、スライトが、ウィルが。
皆が前へ出て来た私に驚き、安全な場所へと下げようとするのを遮って、私はブレスレットの留め具を押した。
「魔導士様、取引を致しましょう」
手首から紅のブレスレットが落ちて行くけれど、構わず声を張り上げる。
恐怖で震えないように、怯えを悟られないように、いつも凛としているクラヴィスさんのように。
喧噪の中でもはっきりと声が通るよう背筋を伸ばして告げた声は、戦場と化した教会に響き渡る。
誰もがこちらに意識を向け、魔導士も深紅の瞳をこちらに向ける。
大丈夫。気をしっかり持っていれば大丈夫だって、アースさんが言っていたから。
大丈夫。シルバーさんなら断片的な情報でもわかってくれるから。
だから、私を見て狙いを定めるように細められた深紅を真っすぐ見つめ返し、竦んでしまいそうになる足でまた一歩踏み出した。
「オフィーリア様をこちらへ渡してくださいますか。そうしてくだされば、私がそちらに行きます」
「お嬢様!?」
何を言い出すのかと、傍に居たフレンが慌てて駆け寄ろうとするのを視線だけで制し、再び魔導士を見上げる。
私の提案は届いたのだろう。魔導士は手にしていた焔を散らし、少し驚いた様子でこちらを見ている。
今なら私の話を聞いてくれるだろう。持ちかけるには今しかない。
皆のように戦う力の無い私ができる戦い方をすべく、誰かが口を挟む前に言葉を紡ぐ。
「理由までは存じ上げておりませんが、貴女は私を欲しておられたでしょう。
でしたら、今すぐ私を手に入れてしまう方が良いのではありませんか?」
「え、えぇ! そうよ! 貴女の体がどうしても欲しいの!」
喜色満面で私の提案に身を乗り出す魔導士。
隙だらけだからこのまま片付いてくれれば万々歳だけど、今魔導士を狙ったところで周囲を守る死兵に阻まれ誰の剣も届かないだろう。
周囲で金属のぶつかり合う音が響く中、魔導士は口元で両手を合わせてくすくすと笑みを零した。
「貴女からもらった魔力と時間だけど、どんな体にも馴染まなくって困っていたの。
体中が痛いし、ずっと頭痛もするし……馴染ませるために貴女の時間も使ったけど、やっぱり理が違うと駄目なのかしらね。どんどん老いていってしまうの。
でも、元々この魔力を宿していた貴女の体なら、そんな心配しなくて済むでしょう?」
どうやら魔導士に奪われたのは魔力だけでなく時間もだったらしい。
私に見せつけるためか、突如燃えて露わになった腕は枯れ木のように細く、皺だらけで、骨と皮だけの指先にメロリアの花を模った指輪がやけに輝いている。
恐らく私が子供になったのはあの魔導士が原因なのだろう。
そしてその時間を使ったせいで、魔導士の肉体は酷く老いている。
口ぶりからしてあの体は魔導士本来の物ではなく、誰かから奪った物か。
そして今度は私の体を奪おうとしている、と。
自分の欲のために何もかも奪い、何もかも自分の物としている。
その先にある願いが何なのか、疑問に思ったのを感じたのか、単に語りたいだけなのか。魔導士は気分良く語り続けた。
「貴女の体に移って、この魔力を使いこなせるようになれば、わたくしはどんな魔法だって使えるようになるわ。
そうしてクラヴィスと結婚して、わたくしが王妃になれば、この国はずっと安泰で、もっともっと栄えるわ。
ね? とても素晴らしい事でしょう? そう思うわよねぇ?」
それはきっと、ただ一人の女が望み通りの幸せを得るだけの夢だ。
力を持って支配し、死を操って他者を踏みにじる。
他者の命すら自分の物としか見ている者が描く夢に、本人以外の幸せなど存在しない。
「……夢のようですね」
「わかってくれるのね! 嬉しいわ、今まで皆、わかってくれなかったの!」
そりゃあ、そんなお先真っ暗な夢物語、誰も理解を示すわけがないでしょう。
もし仮に魔導士の願いが叶ったとしても、この国の未来に光など無く、暗がりへと転がり落ちて行くだけ。
魔導士が語るのはただの机上の空論だ。絵空事だ。現実も何もかもを無視して見ている甘いだけの夢だ。
鼻で笑ってしまいたいほどお粗末な夢物語だが、今魔導士の機嫌を損ねるわけにはいかない。
だから仕方なく、同意を示すような微笑みで頷いてみせれば、魔導士はより一層喜びを露わにした。
「お利巧な貴女にはご褒美をあげなきゃ!
立派な王妃はきちんと褒美をあげるのよ。だから、そうね、そうね……貴女もクラヴィスが大切なのよね? もうすっかり家族だものね?
それなら、そう、そうね。貴女の魂を少しだけ残してあげましょう!」
「……私の魂とはどういう事でしょうか」
「余計な物があったら邪魔でしょう? だから誰かの体をもらう時はまず魂を綺麗に消しているの。
でも貴女は特別よ。そうね、私の中に溶けさせてあげましょう。
いつもみたいにうっかり全部消してしまってはいけないものね」
当然のように語るけれど、その軽い口調とは裏腹にその言葉は酷く重い。
きっと何度も何度も体を変えているんだろう。何度も何度も、誰かから体を奪って、自分の物にして。
そうしてあの魔導士はここに居る。ここまで来てしまった。
「私の中でクラヴィスと一緒に居られるんだもの、貴女も幸せよね。
それに王妃の体にいられる人なんて、他に誰も居ないわ。貴女だけの特権ね」
何もかも全て自分のためにあると思っているのか。
心の底から幸せだろうと、貴女は特別だと語る魔導士。
自分の何もかもを奪われ、その代わりに得るのがそんな特権だなんて、誰が喜ぶというのか。
自分に都合の良い未来だけを見ている深紅がこちらを見下し、くすくすと笑う。
「でも、上手くできなかったらごめんなさいね?」
そう、こてんと首を傾ける魔導士には、他人の命どころか存在が掛かっている自覚なんて無いんだろう。
魂が取り込まれてしまったら、消されてしまったら私はどうなるのか。
きっと死ぬんだろう。いや、死よりも惨い状態に陥るのかもしれない。
それでも、ここであの手を取らなければ、もうこんな機会は訪れない。
「では、オフィーリア様をこちらに降ろしていただけますか?」
「あら駄目よ。貴女が先にこちらへ来ないと。
でもそうね、ちゃんと約束を守ってくれるかわからないと心配よね。
安心して? 私はちゃんと約束を守るわ。だって未来の王妃ですもの。ね?」
「……わかりました」
どこまでも自分本位な相手だ。約束が守られるなんて一欠片も思えない。
でも躊躇っている時間なんて無いから、私は頷き前へと進み出る。
それを遮ろうと、後ろから声が響いた。
「トウカ……駄目だ、行くな……!」
振り返ればクラヴィスさんと目が合って、絞り出した声で引き留める。
無理矢理立ち上がろうとして、力が入らなくて倒れてしまって、それでも手を伸ばしてくれている。
凄く苦しそうなのに、それでも私を守ろうとしてくれている。
だから私も、そんな貴方の助けになりたいんだ。
「行ってきます」
呪いさえどうにかすれば、クラヴィスさんが助けてくれる。皆が助けてくれる。
そう信じているから、伸ばされた手へ緩く手を振って前を向けば、焔が降り注いだ。
咄嗟に目を閉じたけれど、魔法の焔だからか。
痛みも熱も無く、体がふわりと引き寄せられていく。
気付けば私は魔導士の目の前にいて、焔の鳥籠に囚われていて。代わりに私がいた場所へ王太后が横たわっていた。
「あぁやっと、やっとこの痛みから解放されるのね!
嬉しいわ! 嬉しいわ! 早く一つにならないと!
そうよね、先に貴女をもらってからでも良いわよね? だってもう、痛いのは嫌だもの……!」
そうしましょう、そうしましょうと一人で頷く魔導士は、場所を変えて私の体を奪うつもりらしい。
手を振って死兵に道を開けさせたかと思えば、私を連れて教会の外へと飛んでいく。
死兵に阻まれながらも私の名前を叫ぶ皆の姿を最後に、私は魔導士に連れられ悲鳴に満ちる王都の空を焔と共に飛んでいった。




