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007

 食堂の隅にひっそりと佇む柱時計が、大きな音を立てる。これで四度目。僕たちが白木透の変わり果てた姿を目の当たりにしてから、既に四時間あまりが過ぎようとしていた。

 状況は変わらず。窓の外は漆黒の闇。激しく窓を揺らす横殴りの雨と風は、一向に弱まる気配を見せない。僕たちの間にはそんな空模様にも似た、どんよりとした空気が漂っていた。

 無理もない。演劇部の人間は、ともかくとしても。部長を始めとするオサ研のメンバーとて、問題児や奇人変人ではあったとしても狂人であるというわけではないのだから。この状況に、簡単に適応できてしまうほど根本の部分から狂っているわけではない。

 彼女たちはただ、他人とは少しだけチャンネルがズレてしまっているだけなのだ。

 同じ世界。同じ場所。同じものを見ていても、その受け取り方が違っている。狂っているわけでも歪んでいるわけでもなく、ただ違っているだけ。

 それ以外は、そこらにいる同世代の女の子たちと何ら変わらない。彼女たちは奇人や変人や問題児である前に一人の人間であり、年相応の未完成な少女たちなのである。

 未完成ゆえの不安定。感受性が豊かで、多感な時期。他人とは少しだけ、感性が違っている。それだけの話。

 僕は彼女たちのことが嫌いではあっても、憎んではいない。

 彼女たちはそういう生き物で、それに対して腹を立てても仕方がないと思っている。

 例えば、今現在この島を襲っている嵐のような。いつどこで起こるかわからない、地震のような。根本からなくすことはできないけれど、対策を取ることができるような存在――言わば、不慮の事故や天災のようなものだ。

 部長たちだけでなく、それは青葉さんだって例外ではない。

 図書館の魔女、青葉湊。他人の神経を逆撫ですることにかけては、右に出る者のいない少女。

 悪気があるわけでもなく、悪意があるわけでもない。ただどういうわけか、彼女の言動は狙いすましたかのように他人の神経を逆撫でしてしまう。

 それは偏に、対人経験不足から来るものなのだろう。

 そこに(おのれ)だけがある世界。己だけで構成され、己だけで完結している。

 そんな世界に生きているからこそ、他者の気持ちを慮ることができない。

 自分の物差しでしか、物事を測れない。

 だから、ズレてしまう。

 違った感性、違った角度から繰り出される言葉で、不必要に相手を抉ってしまう。

 短い付き合いの中で、僕は彼女からそんな印象を受けた。

 最初こそ戸惑いはしたが、そういうものだと思ってしまえば腹も立たない。

 逐一そんなことで腹を立てていては、オサ研の飼育係など到底務まらないのだから。そういうものだと諦めて、流してしまえばいいのだと気が付いた。

 平たく言えば、まともにやりあうだけ時間と体力と寿命の無駄である。

 喉元過ぎればなんとやら。今ではすっかり調子を取り戻して、読書に勤しんでいる青葉さんの横顔を見ながら僕はそんなことを考えた。

「……どうかしましたか? 私の顔に、何か」

 僕の視線に気が付いたのか、青葉さんが本から顔を上げて小首を傾げて見せる。身振りだけで何でもないと伝えた僕は、一つ息を吐いて彼女から視線を逸らした。

 窓の外。暗闇と、稲光。見ているだけで、息が詰まりそうな光景だった。

 昔から、雨は苦手だ。特に何かあったというわけではないのだけれど。雨が降っているというだけで、憂鬱になってしまう。

 まあ、窓の外を吹き荒れているのは雨なんて可愛いモノでもないのだが。僕にしてみれば、似たようなものではある。例えこんな状況でなかったとしても、気分が沈んでいたことに違いはないだろう。

 目の前で友人が殺されたばかりだというのに、たかが雨ごときでここまで憂鬱になれる自分はなんと薄情な人間なのだろう。と、自嘲の笑みを浮かべかけたその時。

「――お待たせいたしました」

 食堂の扉が開いて、犬養さんが入って来た。

 頭の先からつま先まで、全身くまなくずぶ濡れになってしまっていた。ここからでも、ぽたぽたと白髪交じりの髪を伝って雫が床に落ちているのが見える。

 断線してしまった電話線を何とかしてみると部屋を出て行ったのが一時間ほど前。それからずっと、この嵐の中で作業をしていたのだろう。まったく、頭の下がる思いだった。

「お疲れ様、犬養さん。無理させちゃってごめんね。それで……どうだった?」

 彼に駆け寄り、どこからか取り出したタオルを手渡しながら部長が問う。

「……申し訳ござません。私の力では、どうすることも」

 まさに苦虫を噛み潰したかのような表情。犬養さんは悔しさの滲む声でそう言って、深々と頭を下げた。

「犬養さんが謝ることじゃないよ。本当にごめんね、無理させちゃって」

 そんな犬養さんに対し、優しい言葉をかける部長。彼が受け取ろうとしなかったタオルで雫の伝う髪を拭く部長の顔には、慈しむような色が浮かんでいた。

 それは、僕が初めて目にする黒羽原哀歌の表情だった。

 唯我独尊。世界は自分を中心に回っているのだと、悪びれもなく思い込んでいる少女。いつだって自分が一番で、他人のことなど二の次、三の次。そんな少女が浮かべた誰かを思いやるかのような表情に、僕は内心戸惑いを隠せなかった。

 少なくとも、あんな表情が僕に向けられたことは過去に一度だってない。

 振り回されるのが当たり前。そこにいるのが当たり前。彼女にとって、僕はそういう存在でしかなかった。

 別に感謝をして欲しいだとか、そういうことを言っているわけではないのだけれど。そんな顔が出来るのなら、少しは僕に向けてくれたって罰は当たらないんじゃないかと思いはする。夢のまた夢。天地がひっくり返る確率よりも、低い可能性での話だけれど。

「お嬢様、お召し物が汚れてしまいます。私めの為に、そのようなことは――」

「いいから、黙って拭かれてなさい。お嬢様命令、だよ」

 我が子を慈しむ母親のように。あるいは、恋人に向ける愛情のように。柔らかい表情を浮かべた部長は、たどたどしい手つきで犬養さんの髪を拭い続ける。

 彼女が生まれた時、既にそこには犬養さんの姿があって。そうして家族同然のように生きてきたのだと、部長は言っていたか。

 年齢差で言えば、親と子ではなく祖父と孫。こんな時でなければ、それは大変微笑ましい光景に思えただろう。部長の意外な一面を見ることができたと、僅かながらに喜びを感じることもできただろう。

 しかし。場合が場合で、状況が状況だ。

 頬を緩めることもなく、僕は部長が一連の行動を終えるのをただ眺めていた。

 無感情に。無表情に。その光景から離れた何処か遠くを、見やるように。部長が犬養さんの体を拭き終わるのを、待つ。

「ん、こんなものかな。これで多少はマシになったでしょ」

 そうしてどれほどの時間が流れたか。部長が手を止め、犬養さんが()の字に折り曲げていた体を起こす。

 具合が具合だっただけに劇的な変化とまではいかないが、それでもないよりはマシといったところだろうか。見た目こそさして変わらなかったが、髪の毛を伝って雫が落ちることはなくなっていた。

「お心遣い、痛み入りますお嬢様」

「いいっていいって、私と犬養さんの仲だもんね。そういうのは言いっこなしだよ」

 何度か小さく頷き、部長はこちらを振り返る。その顔には既に、僕のよく見知った表情が浮かんでいた。

「それにしても、困ったね。これでいよいよ本格的に打つ手なし、だ」

 どこか他人事のように、部長はそんなことを言う。

「犬養さんでも駄目となると、咎芽ちゃんは当てになりそうもないし……。文字通り、嵐が過ぎ去るのを待つしかないか」

 顎に手を当て、小さく唸る部長。その口から飛び出した聞き慣れない名前に、僕は眉をひそめた。

「咎芽さん……?」

「もう一人の管理人の方、ですよね。まだ姿はお見掛けしていませんが」

 間髪入れず、青葉さんのフォローが飛ぶ。

 そういえば、そんな名前の人もいたっけ。今に至るまで一度も姿を見ていなかったから、すっかり忘却の彼方だったけれど。

「そそ、その咎芽ちゃん。どちらかと言えばアウトドア派で武闘派だからねぇ、彼女は。細かい作業は任せられないというか、任せても無駄というか……」

 刹那、部長の目が何処か遠くを見つめる。何か、思い出したくないことでも思い出してしまったかのように。

 過去に何かあったのだろうか?

 細かいことも大きなことも気にしないことに定評のある部長が、呆れたような表情を浮かべるのは大変に珍しいことだった。

 まだ見ぬもう一人の管理人、咎芽さん。

 ()()という表現からして女性であることだけはわかるのだが……。さっぱり人物像が見えてこない。極めて何か、我らがオサ研問題児一行に近しい雰囲気があるような気がしてならないが。いったいどんな人なのだろうか。

 アウトドア派で、武闘派。話を聞く限りでは、あまりいい印象は受けない。もしかすると、僕が苦手とするタイプの女性なのかもしれなかった。

「まあ、ともかくさ。ダメなもんはダメでどうしようもないんだし、他の方法を考えよっか。例えば、どうやって自分たちの身を守るかとかさ」

 この島の何処にいるのであろう女性に想いを馳せている間に話は進み、真剣な表情を作った部長がそんなことを言いながら僕たちの顔を順繰りに見る。

 あらぬ方向へと飛びかけていた思考が、その言葉で現実へと帰ってきた。

 そうだった。今はそんなことを考えている場合ではない。

 外部との連絡が取れず、この島から出れない現状、僕たちに出来ることは自分の身を守ることくらいのモノである。

 呆けている場合でもなければ、悲しんでばかりいる場合でもない。

 何せ、これで終わりだとは限らないのだ。

 白木の死を以て物語が完結したという保証はどこにもない。もしかしなくとも、()があるかもしれないのが現状だ。いつ、どこで、誰がどんな風になってしまってもおかしくはないのだから。

 次は自分かもしれない。

 この場にいる誰もが、言葉にはしなくてもそんな不安を抱えていることだろう。

 その不安を解消するには、犯人を見つけ出してふん縛るかこの島から脱出するしかないのだが……。後者は残念ながら不可能な話であるし、前者に関しても僕たちには少々荷が重い。こういう場面において、僕たちはあまりにも無力だ。一介の高校生にできることなど高が知れている。ファンタジーやメルヘンじゃあるまいし、華麗に犯人を見つけ出して事件解決とはいかないのが現実だった。

 部長が言うように、今の僕たちにできることはこの嵐が過ぎ去るのを待つことだけだ。

 三日後の朝には、本土から迎えの船が来ることになっている。

 それまでは泣こうが喚こうが、この環境の中に身を置くしかない。例外なく。平等に。いつ狙われるかわからない恐怖と不安の中で、過ごさなければならなかった。

 だからして、言うまでもないことではあるが内輪で揉めている場合ではない。僕たちがすべきことは争うことでもいがみ合うことでもなく、手を取り合って共にこの危機を乗り越えることだ。

 その為には、いくつも障害があるのだけれど。

 それを乗り越えられなければ、平穏無事に明日を迎えることさえままならないだろう。

 こんなところで人生を終えたくはない。

 ()()()の友人、白木透の最期の姿が脳裏を過る。

 そうはならない為にも。オサ研、飼育係。神崎千尋の頑張りどころだった。

「とは言え、僕たちにできることなんて集団行動を心掛けることくらいのものですが……」

 言いながら、僕は黙って犬養さんに目を向けている佐原に目を向ける。

 須藤と青葉さんが起こした揉め事。あの一件以来、僕たちと演劇部のメンバーたちとの間に会話はない。目には見えない溝が、そこにあるような気がしていた。

 その原因が青葉湊であることははっきりとしているのだが、当の本人に謝罪をする気が毛ほどもないことが問題で。それだけでなく、須藤は須藤で未だに食堂に現れないこともあって、溝は埋まらないままでいた。

 僕自身、別段取り立てて演劇部の人間たち――特に、佐原とは仲良くしたいとは思っていない。

 ぶっちゃけて言えば、むしろ関わらないでいただきたいくらいなのだが。この状況で、そんなことも言っていられない。

 敵対するのではなく、協力をしなければならない現状、僕たちと彼女たちとの間にある溝はそれを妨げる障害の一つだった。

 自衛手段として僕が提案した集団行動。溝の向こう側にいる彼女たちがそれを否定してしまえば、話は破綻してしまうが……。

 さて、演劇部の部長様は僕の提案にどう出るだろうか。

「それでいいんじゃないか? 他に方法もないんだから、そうするしかないだろうし」

 犬養さんから僕へ。視線をスライドさせながら、佐原が言う。

 どこか投げやりな雰囲気ではあったが、恋人が何者かによって殺されてしまった直後であることを考えるとそれもやむなしか。こうして言葉を返してこれるだけ、まだ気丈に振舞っている方だと言えるだろう。

「悪いけど、私は反対。そんな失礼な女と集団行動なんて、殺される前に胃がどうにかなっちゃうもの。それなら一人で部屋にでも閉じこもってた方がマシよ」

 意外なことに、佐原が僕の提案をすんなりと受け入れたと思ったところで。その隣に控えていた演劇部員、曽我根が攻撃的に異論を唱える。

 彼女の目は青葉さんへと向けられていて、今にも噛み付かんばかりに殺気立っていた。

 どうにも彼女は、青葉さんのことが気に入らないらしい。

「ちょっと小恋ちゃん、失礼だよ……」

 今度は佐原の左隣。同じく演劇部部員、扇田さんが曽我根を諫める。

「失礼なのはどっちよ。アンタ、この女に滅茶苦茶言われて悔しくないわけ!?」

 曽我根のヒステリックな叫び。間に挟まれている佐原が顔を顰めた。

「そういうわけじゃないけど、でも……」

「でも、なに? それ以上の何があるって言うのよ!?」

 青葉さんに向けられていたはずの怒りの矛先が、今度は扇田さんに向けられる。誰から構わず噛み付こうとする曽我根のその姿は、出会った頃の緋子奈の姿を思い起こさせた。

 情緒不安定。感情が迷子。追い込まれた状況の中で、己を見失っている人間のそれだ。

 手負いの虎。猫を噛もうとする窮鼠。触れる者みな傷つける抜身の刃のようなもの。曽我根は見るからに、冷静さを欠いている。

 彼女の胸中にあるのは、おそらく青葉さんに対する怒りだけではない。

 この状況への不安、不満。胸の内に渦巻いている複雑な感情が、青葉さんという起爆剤を以て爆発してしまったのだろう。

 その気持ちもわからないではない。誰だってこんな状況に追い込まれれば、ストレスを感じることだろう。

 けれど、だからといってその不満を誰かにぶつけていいというわけでもない。特に、こんな風に閉ざされた空間であるのなら尚更に。

 ヒステリーがヒステリーを呼び、そこに争いが生まれる。加熱した争いは手が付けられないところにまで成長して――最後には誰もいなくなる。そんな可能性がないわけでもない。

 おおよそ冷静でいられるような状況でないことは確かだが、それでも冷静さを欠いてしまえばそこで終わりだ。有事の際、パニックを起こした者から死んでいくのはある種のお約束であるとも言える。

 ヒステリーに巻き込まれて共倒れになるなんて御免だ。

 どうにかならないものだろうか、と思案していると。

「――いい加減にしろっ!」

 僕が行動を起こすよりも早く、佐原が動いた。

 怒声。次いで、乾いた音。

 頬を押さえて目を見開く曽我根と、右手を振りぬいた体勢で止まっている佐原の姿。

 一瞬何が起こったのか理解できなかったが、一拍遅れて思考が追い付いてくる。

 佐原が、曽我根の頬を平手で打った。

 それも、激しい雨音に掻き消されないほどの音が出るくらいに強く。

「おい、佐原――」

「悪いが、神崎は黙っていてくれ。これはこちらの問題だ」

 何も手まで上げることはないだろう。と、佐原に詰め寄る僕。

 こちらに目を向けることもなくそれを制しながら、佐原は鋭い目で曽我根を睨み付けた。

「いつまで悲劇のヒロイン面をしているんだ、お前は。さっきの話を聞いていなかったのか? それとも、お前には言葉が理解できないのか? ここにいる皆が、同じように不安を抱えていると、お前だけが辛いわけでも、不幸なわけでもないのだと、そう言われたばかりだろうに。それなのに、何だお前は。まるで自分だけが不幸であるかのような顔をして。誰彼構わず噛み付いて、当たり散らして。それだけでなく、輪を乱して。社会人に片足を突っ込んでいる年齢であるにも関わらず、いつまで子供気分でいるんだ。弁えろ。理解しろ。それができない年齢じゃあないだろう」

 淡々と、流れるように。矢継ぎ早に吐き出していく佐原。その言葉の端々には、曽我根に対する怒りが滲んでいた。

「……ごめん、なさい」

 それは怒りなのか、それとも別の感情なのか。曽我根が小さく肩を震わせながら、辛うじて聞き取れる音量で呟く。

「謝れば済むという問題でもないだろう。それに、謝るのなら私にではなく青葉さんにだ。確かに彼女は、須藤と揉め事を起こした。正直言えば、私も彼女に対していい感情を抱いているわけじゃない。けれど、それでもだ。胸の内に秘めているのと、言葉に出すのとは違う。それが許されるのは、子供のうちだけだ。わかるな?」

「……うん」

 左の頬を赤く腫らした曽我根は、すっかりと毒気を抜かれてしまった様子だった。ぼんやりとしたその表情からは、何を考えているのかを読み取ることができない。

 怒っているのか、悲しんでいるのか、あるいはその両方なのか。小さく、細い肩だけが、呼吸に合わせて上下していた。

「私としては、別にそこまで怒っていただかなくても結構ですけどね。私が気に入らないというのであれば、是非とも単独行動でも取っていただければと。こういう場合、勝手な行動を取った者から死んでいくというのが定石ではありますが」

 火に油を注ぐとはまさにこのことで。曽我根の言葉にカチンときたのか、やけに棘のある口調で青葉さんが言う。

 器用なもので、その顔には笑顔こそ浮かんでいたが……目だけは笑っていなかった。

「青葉さん、君も君だ。そもそもの原因は、貴女にあるということを忘れないでもらいたい」

 ぴしゃり。これもまた、切り捨てるようにそう言い切って。佐原は深々と、大きく息を吐いた。

「もう、犬も食わないくだらない喧嘩は沢山だ。仲良くしてくれとは言わないが、揉め事は起こさないでくれ」

 返事こそしなかったが、呆れた表情を浮かべる佐原の横で曽我根が曖昧に頷く。

「まったく、須藤といいお前といい……。どうしてこう血の気の多い連中が多いんだか」

 大きな溜息を一つ。佐原が呟いた言葉。

「……そういえば、須藤様はどちらへ?」

 その言葉に、犬養さんが不思議そうな顔をして部屋の中を見渡した。

「須藤ですか?」

 須藤なら、青葉さんとの一件以来部屋に閉じこもっているはずだが。

「電話線の復旧に向かう前になりますか。お部屋の扉が開いておりましたので、中を確認させていただいたのですが……。お留守の様子でしたので、てっきり皆様と合流なさったものだとばかり」

 犬養さんの言葉に、僕たちは顔を見合わせる。

 あれから四時間。須藤は一度も、食堂に現れていない。僕たちが最後に見たのは、部屋へと帰っていく後ろ姿だ。

 今に至るまで、食堂からは誰も外に出ていない。須藤以外は、全員がずっとこの場にいた。

 僕だけでなく、この場にいる全員が、最後に見たのは須藤の後ろ姿のはずである。

 それなのに。

「部屋にいないし、ここにもいないって……。それじゃあ、アイツはどこに行ったってのよ」

 曽我根の言葉に、最悪の可能性が脳裏を過る。

「自らの意思で何処かへと向かったのか、それとも――」

 あるいは、誰かに連れ去られてしまったか。

 ()としてなのか、それとも()としてなのかは、わからないけれど。

 そのどちらにせよ、僕たちは一刻も早く須藤を見つけ出す必要があった。

 もう手遅れであったとしても。そうでなかったとしても。

 まだ間に合うかもしれない。そんな、一縷の望みにかけて。

「……手分けして探しましょう。私は別館を見てまいりますので、皆様はこちらをお願い致します」

 ある者は、既に諦めたような表情を浮かべ。またある者は、険しい顔で口を真一文字に結んで。様々な表情を浮かべながらも、その場にいた全員が犬養さんの言葉に頷いた。

 嫌な予感がする。

 最悪の可能性。白木の最期の姿に、須藤の姿が重なる。

 胸やけにも似た不快感。浮かび上がってしまった最悪のイメージを頭を振って振り払い、僕たちは犬養さんの背中に続いて食堂を後にした。

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