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005

 そんな気はしていた、と言うと少しばかり格好をつけすぎではあるだろうが、須藤が言う「二人きりでは切り出しにくい話」というのは予想に反さず、僕にとっての黒歴史――思い返せば思い返すほどに焼却処分でもしてしまいたい記憶ばかりで構成されている、忌まわしき中学時代の出来事に関わりのある話だった。

 いや、正確に言えばそれからここまで――その黒歴史から現在に至るまでに辿った経緯ということになるのか。

 それでもその根幹、根元の部分にあるのは中学時代の出来事であるわけで。表現はどうあれ、須藤が語ろうとしているその話は、僕にとって望ましくもなければ好ましくもない話であることだけは確かだった。

 あの日から、今日までの間に何があったのか。気にならないと言えば、それは嘘になる。何があったのかを知りたいという気持ちが、ないわけでもなかった。

 けれど、それと同じかそれ以上には、聞きたくないという気持ちもある。得てして世の中には、知らない方が幸せなこともあるものだ。

 考えてみれば、これから先ずっと彼や彼女たちとの関係を持ち続けていくわけでもない。一度は途切れた糸が、何の因果かこの島で偶然にも再び繋がってしまったというだけで、この合宿が終われば――この島を出れば、その糸は再度途切れることになるのだから。そんな希薄な関係性にある彼らの為に、思い出したくもない話を思い出して気分を害する必要がどこにあるのかという話だった。

 薄情に徹すれば、それで身を守れる。

 何事もなかったかのように、これからも平穏に――今までと何一つ変わらない、問題児たちに振り回されるだけの平和な日常の中で生きていける。

 今以上に、過去の幻影に苦しめられることもない。

 そう考えると、僕は是が非でも、否が応でも、片腕くらいは犠牲にしてでも須藤の話を遮るべきだったのだろうけれど、しかし情けないことに、情けない顔をした須藤統児を見て、僕は何も言えなくなってしまっていた。

 情に流された、と言っていい。

 ここでもまた僕は、過去の出来事に縛られた。

 友人として、共に過ごした記憶。そして、それを取り巻く環境と()()()()の顔。

 今はここにない、過去の幻。

 消し去ってしまいたいと思っているはずなのに、逃れられない。

 非情に徹すれば、薄情になれば、冷血であれば、傷付くこともないと頭ではわかっているのに。言葉一つ、須藤の話を遮ってしまえば、それで終わる話だというのに。どっちつかず、中途半端の半端者である僕は、過去に縛られ板挟みにされ宙ぶらりんに揺れている。

 なんと情けない話であることか。()()()が聞いたら、腹を抱えて笑い転げそうな話だ。もしかすると、腹筋の一つや二つはどこかへ吹っ飛んで行ってしまうかもしれない。それくらい、その程度には、笑われてしまっても仕方がないくらいに、今の僕は情けなく愚かしい。

「神崎にとっては、辛い話になるかもしれない。それでも、聞いてくれるか?」

 結局、あれやこれやと思い悩んではみたものの、愚か者にして半端者である僕は、須藤の念押しの言葉に頷いてしまう。これでいよいよ、引き返すタイミングを失ってしまった。ここから先はもう、坂道を転がり落ちるだけだ。

「……最後に会ったのは、卒業式の前日だったよな。あの日、お前と佐原は別れて、それで……お前は、卒業式には顔を出さなかった」

 訥々(とつとつ)と、須藤が語り始める。

「大喧嘩、したんだってな。あとで佐原から聞いたよ。それでお前、顔を合わせづらくて卒業式に来なかったんだろう?」

 やや事実とは異なるが、概ねその通りだ。

 あの出来事――半ば殺し合いのようだった佐原と僕とのやり取りを、大喧嘩をしていたと評するのであれば、須藤の言うことは正解にして事実であると言えた。実際には、大喧嘩なんて言葉では済まないような一幕があったわけなのだけれども。その出来事、須藤が言うところの『大喧嘩』が原因で卒業式に顔を出さなかったのは確かだ。あの時、何が何でも佐原や須藤たちと顔を合わせたくなかった僕は、仮病を使って家に引きこもっていた。あとでさんざっぱら教師や親には文句を言われたが、それも今となっては懐かしく苦々しい思い出の一つである。

「それから、お前だけが違う高校に進学したって聞いてさ。それから一度も、顔を合わせることがなくて。俺と佐原と白木は、お前と一緒に通うはずだった高校に入学して。廃部寸前だった演劇部を立て直したところまでは、良かったんだよ。お前がいなくなっちまったことで、みんなどっか腑抜けちまって……俺も含めて、なんだか物足りない気持ち抱えたままだったけど、それでも上手くやれてたんだ」

 懐かしむように、思い出すように、須藤は語る。

 彼が言うように、元々僕は佐原や須藤たちと一緒の高校に通うつもりでいた。金魚の糞こと由紀乃もそのつもりだったようで、気付いた時には現在佐原たちが通っている高校に願書を出していたような記憶がある。

 けれど、佐原との問題があったおかげで、僕は土壇場で急遽進路を変更することになった。

 須藤たちと同じタイミングで高校に通いだしていれば、今現在僕は高校三年生になっているはずだった。浪人、という表現が適切かどうかは定かではないが、ともかく僕はかつての同級生たちから一年遅れて高校に入学を果たしている。それなのに、どういうわけだか由紀乃が僕と同じ学年にいるのは、あの女が僕に合わせて進学を遅らせたからだ。

 と、由紀乃のことなんかはどうだっていいとして。そんな風にして、僕が何者でもない――何者にもなれない時間を過ごしている間に、無事に高校生となった須藤たちはそんな青春ドラマを演じていたらしい。

 廃部寸前の部活動を立て直す。なるほど、アニメや漫画のような話だった。

「それが狂っちまったのは、二年の春だよ。あの時から、俺たちは……いや、()()()おかしくなっちまったんだ」

「佐原、()……?」

「ああ、そうだ。お前との間に何があったのかは知らないけどさ、あれ以来アイツはずっと……切羽詰まった様子だったんだ。鬼気迫るっていうか、毎日鬼みたいな形相で。元から芝居に関しては妥協しない女だったけど、それに輪をかけたように厳しくなってさ。二年の春に、あんなことがあるまでは、ずっとそんな調子だったんだよ」

 須藤の言葉に、僕は当時の佐原の言葉を思い返す。

 あの時――最後の瞬間、佐原愛実は僕の首に手をかけながら、こう言った。

 私は芝居の為なら死ねる、殺せる。お前の愛は、私を殺せるか――と。

 当時、佐原は相当に追い詰められていた。それまで芝居の為だけに生き、芝居の為だけに死のうとした女が、僕と関わりを持ったことでそれほどまでに愛していた芝居以外に対する愛を――つまりは、僕に対する愛を抱いてしまった。

 芝居に対する情熱以上の感情を、僕に向けて注いでしまった。

 それ以来、佐原の芝居は見るも無残に腑抜けたものになり、芝居の鬼とまで揶揄された佐原愛実はただの女に成り下がってしまった。

 ゆえに、佐原愛実は苦悩した。

 芝居か、神崎千尋か。

 自分はどちらを愛するべきなのか、と。

 彼女にしてみれば、それは苦渋の決断だったのだろう。現実(リアル)を取るか、非現実(イデアル)を取るか。その二つを同時に愛することができるほど器用ではなかった彼女は、悩み抜いた末に片方を捨て去るという結論に辿り着いた。

 早い話、僕は生存競争に負けたのだった。

 佐原愛実は神崎千尋ではなく、芝居を愛することを選んだ。

 どちらの為なら死ねるのか。どちらの為なら殺せるのか。考えて、悩んで、思い詰めた先で、彼女は僕を切り捨てることを選んだ。

 と、つまりはそういう話だった。

 僕を切り捨て、芝居()()に心血を注ぐことを決めた佐原愛実は、再び芝居の為だけに生きる鬼となった。これまでよりも、さらに強く、芝居に全力を注ぐようになった。と、そういうことなのだろうと思う。

 しかし。

「二年の春に、何があったんだ?」

 そんな佐原に、ある変化――もとい、異変が現れた。

 それが、彼女たちが二年生になったばかりの春。僕が、黒羽原学園に入学を果たした春のことであると須藤は言う。

「それは……」

 僕の問いかけに対し、須藤が言い淀む。どうしたのだろう、と思っていると。

「――男、ですか」

 それまで黙って話を聞いていた青葉さんが、口を開いた。

「男?」

「推測でしかありませんが、そのタイミングで何かがあって、神崎くんと並び立つような存在……平たく言えば、芝居と同程度かそれ以上に心血を注ごうと思えてしまうような、そんな存在が現れてしまった。それで彼女は、()()()()腑抜けてしまった……と、そんなところでしょうか?」

 僕の方を見ようともせず、須藤に顔を向けたままで青葉さんはそんな風に言葉を続けた。

「それってつまり……彼氏ができたってことですか?」

 僕の言葉に、青葉湊は答えない。代わりに、苦虫を噛み潰したような顔で、ゆっくりと須藤が頷いた。

「よくわかったね。つまりは、そうなんだよ。彼氏ができて、佐原は前みたいに芝居に対して前向きでなくなった。いや、前よりもだ。元通りにならないレベルで、ダメになっちまったんだよ」

 青葉さんが立てた仮説を須藤が肯定したことによって、僕は後頭部を鈍器のようなもので殴られたかのような感覚に襲われる。否、こんな気分になるくらいなら実際に鈍器で後頭部を殴られた方がまだマシだったと言えるだろう。

 あそこまでして――僕を半殺しどころか三分の二殺しにしてまで愛だの恋だのを切り捨てた佐原が、その舌の根も乾かぬうちに再び色恋沙汰に熱意を向けた。それだけで僕にとっては、十二分な衝撃だった。

 別に、それが悪いとは言わない。彼女の人生は彼女自身のもので、どうしようと彼女の勝手だし、何をしようと彼女の自由だ。そこに他人の僕が口を挟む余地はない。

 けれど、それはそれで、理性と感情とはまた別問題だった。

 頭では理解している。彼女の人生は彼女のもので、他の誰のものでもない。だから、何をどうしようと僕には関係のない話なのだと、そう理解はしていても。感情の部分が――醜い嫉妬心が、それを否定しようとする。

 僕を捨てた佐原愛実は、僕を捨てたその手で誰かの手を取った。

 僕ではない、他の誰かを選んだ。

 その事実だけが重くのしかかり、突き刺さる。

 あんな()()があったくらいなのだから、僕はてっきりあれ以来佐原は独り身だと思い込んでいたのだが。早々に、次のお相手が見つかっていたらしい。

 誰が言ったか知らないが、『男は名前を付けて保存、女は上書き保存』とはよく言ったものだ。確かに、その通りである。

 変に意識してしまっていたのは、僕の方だけだったというわけだ。

 こんなにも馬鹿らしい話があるだろうか。

「そこからはもう、坂道を転げ落ちるが如し、さ。佐原が駄目になって、俺たちの気持ちはバラバラになっちまった。二桁はいた部員も、今じゃ俺たちだけだ。恋にかまけて部活を疎かにするような部長にはついていけないって、みんないなくなっちまったよ」

 深い溜息。この世の絶望を束ねて一本に集約させたかのような、色濃い響きのそれに場の空気が沈む。僕の目には、須藤がどんよりとしたオーラを纏っているようにも見えた。

「やっとの思いで立て直した演劇部も、俺たちが卒業しちまえばそれで終わりさ。今年の学園祭を最後に、廃部することになってるんだ。それなのにこの有り様で、もうどうしたらいいのかわからなくってさ……」

 そう言って、須藤は頭を抱えた。その口からは再び、深い溜息が漏れる。

 旧友として、かつての友人として、どんな言葉をかければいいのだろう。気休めや、月並みな慰めは逆効果でしかないだろうし、本気で悩んでいる人間に、簡単に頑張れと言えてしまうほど僕は無責任な人間ではないつもりだ。

 かける言葉が見付からない。今ばかりは、自分の貧相な語彙と薄っぺらさを恨んだ。

「廃部、ですか。それは残念です。永らく続いてたきた由緒正しき演劇部も、今年で終わりを迎えるんですね」

「え? ああ、うん。……そうだね。先代部長にも申し訳ない気持ちで一杯だよ。俺たちのせいで、完全に部を終わらせちまうことになるなんてさ」

 青葉さんの言葉に、須藤はがくりと肩を落とす。

「……なるほど」

 そんな須藤を見て、青葉さんは小さく――僕にだけ聞こえるような、本当に小さな声で、そう呟いた。

 おそらく、今のは須藤の耳には届いていないだろう。それほどまでに、小さな声だった。

「つまりは、先程の目も当てられないような三文芝居の背景には、そんな背景があったと。そういうことだったんですね。失礼ながら、見るに堪えないお芝居でしたから、どうしたことかと思いましたが」

 今度はそれなりの音量で放たれた、情け容赦ない無遠慮にも程がある青葉湊の言葉に、須藤が再び苦笑を浮かべる。

「そういうことになるね。佐原と白木が腑抜けていなければ、もっとマシなものをお見せできたとは思うよ」

 失礼極まりない青葉さんの言葉にも気分を害した様子もなく、苦笑を浮かべたままではあったが須藤はそんな風に言葉を返す。さすがは須藤、大人の対応だった。当時から僕たちのストッパー役を務めていたことだけはある。

「これでも、一生懸命頑張っているつもりなんだけどね。上手くいかないものさ、本当に」

 何度目かになる溜息。須藤は天井を仰ぐ。

「今年で最後だってのにさ。やりきれねぇよ」

 短い呟き。けれどそこには、須藤が抱える苦悩がこれでもかと詰め込まれているように感じた。聞いているこちらの気分まで沈んでしまいそうな、そんな声色だった。

「せめて、()()()()が上手くやってくれてればな……」

 ぽつり。誰に向けたわけでもなく、須藤の口から放たれた呟き。あの二人とは誰のことを指しているのか、と口を開こうとしたところで。

「きゃああああああっ!!」

 雷鳴と雨音の間を縫って、耳をつんざく悲鳴がこだました。

 僕たちは弾かれたように立ち上がり、互いに顔を見合わせる。どうやら、僕の耳がおかしくなってしまったというわけではないらしい。この場にいる全員にしっかり、今の悲鳴が聞こえていたようだった。

「今のって……佐原の声じゃねぇのか!?」

 須藤の言葉に緊張が走る。言われてみれば、そんな気もした。僕には誰の声だか判別はできなかったけれど、それでも女性の声だったことだけは確かだった。佐原の悲鳴である可能性は、大いにある。

「行ってみよう」

 頷き合い、足早に部屋を後にする。そのままの勢いで階段を駆け下り、僕たちは悲鳴が聞こえたと思しき一階へと駆け付けた。

 既に、食堂の隣――演劇部に客室として貸し与えられている部分に、人が集まっている。おそらくは、食堂で夕食を取っていたメンバーが今の悲鳴に駆け付けたのだろう。部長や佐原たちの姿がそこにはあった。

「ひっ……あ……」

 僕が見ている目の前で、へなへなと力なく、部長が情けない声を上げながらその場にへたり込む。扉が開け放たれた部屋の中を覗き込んで、そこに何かを見た様子だった。その顔は青ざめていて、口元はわなわなと小刻みに震えている。

 部長だけではない。その部屋の中を覗き込んだと思しき全員が、青ざめた顔で目を逸らしたり俯いたりしている。険しい表情で部屋の中を睨み付けるようにしているのは、ただ一人、燕尾服に身を包んだ初老の男性――犬養さんだけだった。

 嫌な予感がする。

 心臓が、どくんと大きく跳ねた。

 違和感。人だかりの中に見当たらない人物の姿。二階の部屋で話し込んでいた僕たち以外の全員がいるはずのその場所に、僕の旧友にして演劇部の脚本担当――白木透の姿だけがなかった。

 まさか、と脳裏に浮かんだ最悪の可能性を、わずかに頭に残った冷静な部分が否定する。そんなことが起こり得るはずがないと、冷静なはずのその部分が喚き散らしていた。

 けれど、しかし、この状況、この様子は、まさか――

「嘘、だろ……」

 駆け寄って、覗き込んだ部屋の中。

 そこに()()()のは、脳裏に浮かんだ最悪の可能性そのままの光景――大きな血だまりの中に伏した旧友、白木透の姿だった。

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