表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/23

013

 最初から、誰も死んでなどいなかった。

 最初から、誰も殺されてなどいなかった。

 犯人なんてどこにもいない。

 死体なんてどこにもない。

 だからそれは、至極当然なことで、当たり前と言えば当たり前のことではあった。

「どうしたんだ、神崎。まるで幽霊でも見てしまったような顔をして。本当に私が死んでしまったとは、思っていなかったんだろう? それにしては、随分な驚きようじゃないか」

 扉に背中を預けたまま、そんなことを言って佐原は笑った。

 悪びれた様子など微塵もない。当たり前のように、当然のように、何事もなかったかのように。笑顔を浮かべる佐原に、腹の底でくすぶっていた怒りがざわりと蠢いた。

「……そういうお前は、随分と楽しそうじゃないか。お前たちが本当に死んだと思って、殺されたと思って、怯えて慌てふためいて、震えていた僕たちを陰から眺めるのが……そんなに楽しかったのか?」

 どくん、と心臓が脈を打つ。後頭部が、今までに感じたことのないほどの熱を帯びた。

 自然と滲み出た涙が、ぼんやりと視界を歪ませる。扉に背を預ける佐原の姿が、何重にも見えた。

「いつか、お前は言ったよな。嘘には、他人を傷つけるだけのものと、誰かを幸せにする為のものがあるんだって。私は芝居という嘘で、誰かを幸せにして、誰かを笑顔にしたいんだって。そう、言ってたじゃないか」

 勘違いして、腐って、周りを見下して。自分で自分の首を絞めながら、味気なく色のない毎日を過ごしていた僕に、手を差し伸べたのは佐原だった。

 君の嘘は、誰かを傷付けるだけの嘘だ。

 どうせなら、誰かを幸せにする嘘をついてみないか。

 私と、一緒に。

 夕暮れの教室で差し出された手と言葉。今でもはっきりと、あの時のことは覚えている。

 僕はその言葉に感銘を受けて――その言葉で、佐原に惚れこんで、変わってみようと、そう思った。

 佐原と出会っていなければ、僕は今こうしてこの場に立ってはいないだろう。オサ研の飼育係として、問題児たちに振り回されるような日常を送ってはいなかっただろうし――この歳になるまで、生きていたかどうかだってわからない。

 黒歴史。思い出したくもない、後悔だらけの記憶の中に埋もれていても、その記憶は、光景は、僕にとってかけがえのないものだった。

 佐原愛実という人間と共に歩んだ時間が、今の神崎千尋という人物を作り上げている。

 離れ離れになった後でも。そんな風に、思う程度には。僕の中における、佐原愛実という人間が占める割合は、決して小さくはないものだった。

 だからこそ。

 そうであるからこそ。

 人を傷付けるだけの嘘を――誰も幸せになんてならない嘘をついた佐原を、僕は許せなかった。

「それなのに、どうして……!」

 握りしめた拳。掌に爪が食い込んで、じわじわと痛みが込み上げてくる。それでも僕は、やり場のない怒りを拳に込め続けた。

「……お前にはわからないよ、神崎。私たちの気持ちなんて、お前にはわからない。話したところで、無駄でしかないさ」

 佐原の冷ややかな視線と言葉が、僕に突き刺さる。まるで、僕の方が間違っているとでも言わんばかりの様子だった。

 反省の色も、後悔の色も、彼女の顔には浮かんでいない。

 そこにあるのは、ただ――感情的になった人間を、見下し、蔑み、迷惑がるような、そんな表情だった。

「だから、理解しろとは言わないよ。納得してくれとも、言わない。私から言えるのは、黒羽原さんは悪くないってことくらいのものさ。今の私たちの芝居が、どこまで通用するか試してみたかった……とでも、思っておけばいいんじゃないか」

 どこか他人事のように、投げやりにそう言った佐原は大きく息を吐きだした。

 こちらに向けられているその目は、確かに僕に突き刺さってはいるのだけれど、しかし彼女の瞳には僕の姿は映ってはいない様子だった。

 何を思い、何を考え、何を見ているのか。

 今の佐原の表情からは、それを読み取ることはできない。

 ただひとつ、はっきりとしていることは――彼女の中には後悔の念も自責の念も、反省の色さえもなく、僕に対して冷たい言葉を投げつけるだけの距離感と溝がある、ということだけだった。

 取り付く島もないとは、まさにこのことだろう。

 どんな言葉も、今の佐原には届かない。響かない。そう思わせる雰囲気が、今の佐原にはあった。

 その姿は、僕が焦がれ、その眩さに身を焼かれた頃の佐原愛実とは程遠いもので。ああ、彼女は変わってしまったのだな――と、理解した瞬間に、抱えていた怒りの熱は幻のように跡形もなく消え去ってしまった。

 僕が知る佐原愛実は、もうどこにもいない。

 ここにあるのは、過去の幻想に縋りついて、現実(いま)から目を逸らして、ありもしないものに勝手に幻滅し怒りを抱いていた、一人の愚かな少年の姿。

 忘れ去ろうとした記憶に知らず知らず縛り付けられて、前に進むことができていなかった――あの日の中に取り残されたままの、どうしようもない子供の姿。

――まったく、こんな笑い話があるものか。

 怒りも、悲しみも抜け落ちて、言い様のない脱力感に全身が包まれる。先程までの怒りが嘘のように、爆ぜる寸前まで膨れ上がっていた怒りの塊は冷え切って、ただの石ころのようになってどこかへと転がって消えた。

 結局は、そういうことだ。

 無意識に特別視していた佐原愛実という人間も、結局はそこらに転がる有象無象と――例えば今の僕を取り巻く問題児たちのような存在と、何ら変わりはしなかった。と、そういうことになるのだろう。

 僕が勝手に、一人で盛り上がっていただけだった。熱くなっていただけだった。

 冷静になってみれば、つまりはそういうことだった。

「……そうか。よく、わかったよ」

 いつの間にか目を逸らしてしまっていた現実。佐原愛実という人間の変化を――いや、見えていなかっただけの本質を突きつけられ、力の抜けてしまった僕は、それだけの言葉を口にするのがやっとだった。

 これ以上、何も話したくはないし耳にしたくもない。

 出来得ることなら、このまま消え去ってしまいたい。

 自分という人間の愚かさに、打ちひしがれた。

 立ち直れそうにないところまで、折れてしまいかけていた。

 見えいているようで、見えていなかった。

 見ているようで、見ていなかった。

 自分に都合のいい世界を作り上げ、自分に都合のいい解釈だけで物事を判断する。臭いものには蓋をして、見たくないものからは目を逸らす。そんなつもりはなかったのだけれど、結局は僕という人間も、その程度の人間であったのだと、噛み分けてしまったから。そこから何も、言えなくなった。

 もうどうだっていい。

 つくづく、自分という人間の愚かさには呆れ返った。

 変わったつもりでいて、結局は何一つ変わってなどいないじゃないか。

 愚にもつかない。くだらない。

 半笑いになりながら、大きく息を吐いた。

「――ふざけないでくださいよ」

 その、瞬間だった。

 視界の端で、何かが動いたかと思うと、ぱんっと乾いた音が耳に飛び込んで来た。

 いつの間にか伏せてしまっていた顔を上げれば、青葉さんの姿は佐原のすぐ近くにあって。その間近で、目を見開いた佐原が左手で頬を押さえていた。

「人を馬鹿にするのも、いい加減にしろ!!」

 怒号。青葉湊の張り上げた声が、空気を震わせる。

「お前にはわからない? 話したところで、無駄でしかない? 勝手なこと言わないでください。それは、こっちが決めることでしょうが。人様をさんざ振り回した大馬鹿女の分際で、悲劇のヒロインぶってんじゃねぇってんですよ」

 動から静へ。爆ぜるように放出された青葉湊の怒りは静かに、細く鋭く、突き刺すような形に姿を変えていく。

「こっちはトサカに来てるんです。こんな物語未満、幼稚園児のお遊戯会にも満たないような茶番と呼ぶのも烏滸がましいくだらない悪戯に付き合わされて。その上、神崎くんまで馬鹿にされたとあっちゃ、今度こそ貴女を本物の死体にしてしまいそうですよ、私は」

 青葉さんの手が、佐原の胸元を捻り上げる。そのまま押し込むように佐原の体を扉へと叩き付けた青葉さんは、ごつんと鈍い音がする勢いで自らの額を佐原の額に叩き付けた。

「大嫌いなんですよ、私。どんな駄作より、茶番と呼ぶ他にない失笑ものの物語より。貴女みたいな、人様の迷惑も考えない、悲劇のヒロインぶった、頭の中がお花畑かクソ袋かの、どうしようもない人間がね」

 クソ袋とは、また随分と汚らしい言葉を選んだものだ。と、感心する間もなく。青葉さんは矢継ぎ早に言葉を突き刺していく。

 佐原はただ、驚いた顔をして、間近にある青葉さんの顔を凝視していた。

 まさか彼女の方が、そこまで怒りを露わにするとは思ってもみなかったのだろう。

 佐原の意識は、僕の方に向けられていた。青葉さんの存在は、意識の外にあったに違いない。

 佐原にしてみれば、青葉さんはこの島に来て初めて顔を合わせた、よく知りもしないどこかの誰かであることには違いないし、そんな人間に対して特段意識を向けるようなこともないというのが普通ではあるのだろうけれど、その実僕なんかよりも怒りの念を滾らせていたのは、他でもなくあちらの魔女の方だった。

 取るに足らないくだらない物語が嫌いだ。

 物語にも満たない茶番が嫌いだ。

 紙の上に置かれただけの、意味を成さないただの文字列が嫌いだ。

 佐原愛実が芝居を愛しているように――いや、愛していたように、青葉湊も物語というものを深く愛している。

 最初、彼女の怒りは愛するモノを蔑ろにされてしまったことに対して向けられていたものだった。

 こんな茶番をさも立派なものであるかのように、見せ付けた佐原たちが許せない。そう、魔女は僕に語っていた。

 けれど今、魔女の怒りは姿を変えて、佐原愛実その人へと向けられている。

 彼女が抱いていた怒りが、そっくりそのまま全部、佐原愛実へと叩き付けられている。

 僕にはわからなかったけれど、佐原が口にした何かの言葉が、魔女の琴線に触れてしまっていたのだろう。

 このままでは本当に殺してしまいかねない。

 青葉湊の気迫には、そんな危機感すら漂っていた。

「謝ってくださいよ、今すぐに。その空っぽの頭を、クソ袋を床に叩き付けて。すみませんでしたって。そう言ってください。それができないのなら、私が貴女を殺します。何を犠牲にしても、無茶苦茶にします。貴女自身も、その周りも、何もかも。二度と、元には戻らないくらいに」

 指先が白むくらいに強い力で捻り上げられた佐原の胸元が、彼女の首に食い込んでいた。

 佐原の表情は、いつしか驚きから苦悶の表情へと姿を変えている。このままでは遅かれ早かれ、魔女は本当に人殺しになり、佐原は本当に死体となってしまうだろう。

 魔女のことも、佐原のことも、僕にしてみればどうだっていいことだ。

 勝手に殺せばいいし、殺されればいい。

 けれどその結果、巡り巡って火の粉が降りかかる先は、その尻拭いをさせられるのは、誰であろう他ならぬこの僕だ。

 これ以上、頭痛の種を増やされてなどなるものか。

 ただでさえ、何もかもがどうだっていい程度には、疲弊しきっているというのに。

「青葉さん、それくらいにしといてください」

 歩み寄り、青葉さんを佐原から引き剥がす。

 意外なことに抵抗なくすんなりと動いた青葉さんの体は、若干の勢いをもって僕の体にもたれかかった。

 柔らかい体が、腕の中に飛び込んでくる。

 咄嗟に抱きしめるような形になってしまったが、それは不可抗力というやつであって、決して疚しい気持ちがあったわけではない。

 偶然、そういう形になってしまったというだけだ。本当に、他意も下心もあったわけではないことは強く念入りに言い添えておく。

「こんな女に手をかけて、青葉さんが人殺しになる必要なんて、ありませんから」

 青葉さんを抱きしめたまま、膝を付き肩で息をする佐原を見下ろして、自然とそんな言葉が飛び出してくる。

 オブラートに包み損ねた言葉は、掴んで引き戻す余裕もなく、静まり返った部屋に響いた。

「……まあ、納得はできませんが、神崎くんがそういうならここまでにしておきましょう」

 険しい表情のまま、佐原に視線を突き刺して、青葉さんはそう答える。

「暴力は私としても本意ではありませんしね。ついカッとなって、手が出てしまいましたが……。言うまでもなく、それはとてもいけないことです。その点については、深く謝罪しますよ、佐原さん」

 本当に謝罪する気があるのかないのか、平坦に用意された台詞でも読むかの如く、そう言葉を続けた青葉さんは、深く長く息を吐いた。

「皆さんも、すみませんでした。柄にもなく熱くなってしまって、不快な思いをさせてしまいました。反省します」

 そっと僕の腕の中から抜け出た彼女は、そう言って小さく頭を下げる。

 その顔に浮かんでいるのは、いつもと変わらない、何を考えているんだかよくわからない表情だった。

 ひとまず、怒りは鳴りを潜めたのだろう。その表情からは、すっかりと角が取れている。

 その変わり身の早さには驚かされるばかりだが、いつまでも引き摺っていられるよりは何倍もマシなので、何も言わないことにした。

「何はともあれ、これで一件落着ですかね。部長と佐原にはあとで詳しく話を伺うとして……。とりあえず、死体役の二人を迎えに行きましょうか。あの二人にも、言わなきゃならないことがありますし」

 わざとらしく音を立て、掌を打ち合わせて。努めて明るい声で、僕は言う。

 誰も死んでなどいなかった。殺されてなどいなかった。だったらそれでいいじゃないか。と、自分を騙しながら。

 くだらない茶番劇に終止符を打つべく、事態を先に進めようとする。

「……そうだね。あとで詳しく、話すとして。先に二人を迎えに行こうか。待ちくたびれて、本当に死体になっちゃう前にさ」

 冗談には聞こえない冗談を口にしつつ、部長が立ち上がったところで、張り詰めていた空気がいくらか弛緩したのがわかった。

 後腐れがないわけでもないのだが、この場はひとまず丸く収まったようだ。

 仏頂面で、座り込んだままの佐原に目を向けなければ、ではあるけれど。

「と、いうわけだから。二人のところまで、案内してくれよ。何も言えなくても、それくらいのことはできるだろう?」

 またもやオブラートに包み忘れた言葉を吐き出して、僕は体ごと佐原の方へと振り向いた。

「……ああ、わかったよ。案内する。白木と、須藤のところに、な」



 ◆  ◆  ◆



「そういえばよ、少年。さっきは悪かったな。腕、大丈夫か?」

 全員でぞろぞろと迎えに行っても仕方がない、ということで。僕と青葉さん、それから佐原と犬養さん、ついでに咎芽さんというメンバーで、見事に死体役を演じきった白木透のもとへと向かっている最中のことだった。

 ふと思い出したように、そんなことを言った咎芽さんが僕を見る。

「お嬢のこととなると、つい熱くなっちまってさ。悪気はなかったんだよ。だからまあ……許してくれや」

 僕が何かを言う前に、そんな風に言葉を続けた咎芽さんは、屈託のない笑顔を浮かべる。先程までの、殺意剥き出しの張り詰めた表情とは大きく異なる、どこか親しみのある笑顔だった。

 目線が僕よりやや下にあることもあって、そうしているとやはり僕たちとさして年齢は変わらないのではないだろうかという気がしてくる。違っていたとしても、ひとつやふたつといったところだろうか。高校生役を演じることに、違和感のない年齢ではあるのだろう、とは思った。

「程度はあれど、部長に危害を加えようとしたことは事実ですし、腕もなんとか無事でしたから、僕は構いませんけど……」

 ちらり、咎芽さんとは僕を挟んで反対側を歩いている魔女を見る。

「ああ、そっちの嬢ちゃんもな。悪かったよ、許してくれるか?」

 僕の視線の動きを読み取ったのか、ついでのようにそう付け足した咎芽さんは、ぐっと前かがみになって青葉さんの顔を覗き込むようにした。

「許しませんよ、とでも言いたいところではありますが、終わってしまったことですしね。神崎くんがそれでいいなら、私も右に倣えです。こちらこそ、生意気なことを言ってしまってすみませんでした」

 内心ひやりとした僕の心配を他所に、意外にもすんなりと謝罪の言葉を受け入れた青葉さんは、そこで小さく頭を下げる。

 その態度に驚いたのか、咎芽さんの目がこれでもかと大きく見開かれた。

「おい、少年。この少女は、二重人格か何かなのか。あっさり許してくれるような少女には、見えなかったぞ」

「まあ、ある意味では。二重人格と言えるのかもしれませんね。なにせ彼女は、魔女ですから」

 咎芽さんの「はあ?」という声を耳にしながら、僕はまたもや青葉さんを横目で見やる。

 仏頂面。無表情。作り物のような顔で、すたすたと足を進める青葉湊の表情からは、彼女が今何を考えているのか読み取ることはできない。

 表情豊かであるかと思えば、すっとその顔から人間味が消えることもある。

 言動にも一貫性がなくて、あちらこちらをふわふわと漂っているような気さえする。

 二重人格とは、なるほど確かに言い得て妙だ。そうであってもおかしくはない程度には、青葉湊の()()()()は激しくも荒々しい。

 僕自身も、青葉湊という人間がどのような人間であるのかを未だに掴みかねている節がある。

 ほぼ初対面、ということもあるにはあるのだろうが。それにしたって、掴みどころがなさ過ぎるのもまた事実だった。

「……それにしてもよく気が付いたよな、本当は誰も死んじゃいないって。特別、何か失敗したってわけじゃあないと思うんだが……。いったい、いつ気が付いたんだ?」

 こういう手合いが、いざ敵に回ると一番面倒なんだけどな。と、そんなことを考えていたところで。不思議そうな顔で、咎芽さんが小さく首を傾げてみせる。

「さあ、どうなんでしょう。僕は青葉さんに言わるまで、本当に人が死んでしまったと思っていたので。詳しいことは、なにも」

「するってぇと、なにか。それに気が付いたのは少年じゃなくて、そっちの魔女ちゃんの方だったってことか」

「ええ、まあ。そういうことに、なりますかね」

 そもそもの事の起こり。こうして僕たちが、この島に集められたこと。その発起人にして元凶が、黒羽原哀歌である。ということもあって、何か良からぬことを企んでいるか、問題の一つや二つは起こしてくれるのだろうなとは最初から思っていたけれど。まさかここまで大掛かりで手の込んだ、タチの悪い悪戯を仕掛けてくるとは思ってもみなかった。

 その言葉に嘘偽りなく、青葉さんに指摘されるまで、僕は本当に人が死んでしまったし殺されてしまったのだと思い込んでいたのだから。

 まったく、青葉さんがいなかったらどうなっていたのかと今更になってぞっとする。

 これが悪戯である以上、必ずどこかでネタ晴らしをするつもりではあったのだろうけれど。それまでまともでいられたかといえば、正直なところ自信がない。頭の一つや二つくらいは、おかしくなってしまっていたかもしれなかった。

「存外、そういうものですよ。物事というものは。自分は完璧にこなしたつもりでいても、傍から見ればどこかに小さな綻びがあるものです。絶対なんてものが、この世の中に存在しないのと同じで」

 もしも、図書館の魔女が存在していなかったら。幸いなことに、そうはならなかった可能性に想いを馳せて肝を冷やしていると、咎芽さんの疑問に淡々と青葉さんが言葉を返した。

「私はただ、その綻びを繋ぎ合わせただけです。そうしたらたまたま、そんな答えに行き着いた。と、そういうことになりますかね」

 誇るわけでもなく、悦に入るわけでもなく、かと言って謙遜している様子もなく。まるでその話題に興味がないとでも言わんばかりの態度で、魔女はそんな風に言葉を続けた。

 事実、彼女は既にこの話題から興味を失ってしまっているのだろう。

 これが殺人事件などではなく、ただの茶番だったと理解したその瞬間から。玩具に飽いた子供のように、魔女はすっかり冷めきってしまっていた。

 僕を殺人犯に仕立て上げ、自らが死体役を買って出る。そんな意趣返し。既に興味も関心も失ってしまっていたというのに、それでも彼女がそんな子供じみたことをしでかしたのは、ふつふつと湧き上がった怒りの念があってのことだろうと僕は推理している。

 そこに崇高な理由があったわけではない。

 物語と呼ぶのも烏滸がましい、出来の悪い茶番を見せつけられてしまったから。

 愛してやまないものを、汚されたような気分になってしまったから。

 だから彼女は、激怒した。

 僕を巻き込んで、怒りのままにちょっとした意趣返しを行った。

 つまりは、そういうことだった。

 なんとも気の抜けるような話ではあるが、その気持ちがわからないわけでもない。ムカついたからやり返す。気に入らないから否定する。よくある話であるといえば、よくある話だ。

 問題児であり、魔女であるその前に、彼女も人の子ということか。と、その俗っぽさに少しだけ僕は安心する。

 彼女は掴みどころのない人間ではあるようだが、どうやら人間味まで失ってしまったわけでないことがわかったのだから。これ以上の収穫はないだろう。

「ふーん、なるほど。そういうもんなのかねぇ……」

 そんな青葉さんの言葉を、どう受け取ったのか。咎芽さんはそれだけ言うと、前を向いて口を閉ざしてしまう。どうやら、これ以上この話を掘り下げるつもりはないらしかった。

 元より、そこまで興味があったというわけでもないのだろう。間を持たせる為の、場繋ぎであったようにも思える。部長や緋子奈と同じように、咎芽さんもまた沈黙が苦手な人種であるのかもしれなかった。

「――白木様、いらっしゃいますか?」

 咎芽さんが口を噤んでからほどなくして、数歩先を歩いていた犬養さんが白木の部屋の扉を叩く。

「予定より少し早くなりましたが、お迎えに上がりました」

 死んだ魚のような目をして佇む佐原と、扉を叩く犬養さん。そこから数歩分離れて立つ僕たちは、扉の向こうにいるであろう白木の返答を待つ。

 しかし待てど暮らせど、扉の向こうから白木の声は返っては来なかった。

「……お留守、でしょうか?」

「いや、それはねぇだろ。あの坊主には、部屋から出るなって指示があったはずだしよ。余裕ぶっこいて居眠りでもしてんじゃねぇのか?」

 首を傾げた青葉さんに、咎芽さんが言葉を返し、今度は彼女が部屋の扉を叩く。

「おーい、少年。もうバレちまったから、黙ってなくていいんだぞー」

 犬養さんよりも数段強く。例え眠っていたとしても、目を覚ますであろう強さで叩かれた扉。されど扉の向こうから返って来たのは、白木の声ではなく沈黙だった。

――ざわり、と。

 なにかざらついたものが、胸を撫でて過ぎ去っていく。

「――すみません、どいてください!」

 扉の前に立つ咎芽さんを押し退けて、ドアノブに手をかける。

 嫌な予感がした。

 第六感がこれでもかと、喧しいくらいに警鐘を鳴らしている。

「白木っ――」」

 抵抗なく、すんなりと開いた扉の向こう。

 そこに広がっていたのは、茶番の始まり――白木透の死体を目撃した時と、まったく同じ光景だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ