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011

 一人、また一人と殺されていく。逃げ場のない島の中で、静かに。そうして人が、いなくなっていく。こんなのを、なんと言っただろうか。そんなことをふと考える。どこかでこの状況に相応しい言葉を目にしたか、耳にしたかはしているはずなのだけれど、それがどんな言葉だったかを思い出すことができなかった。

――まあ、どうでもいいことか。

 名前なんてどうだっていい。千尋君さえ無事であれば、後のことはどうだっていいのだから。有象無象がどうなろうと、言葉が上手く浮かんではこなくとも、そんなことは些細な問題で、心底どうだっていい話だった。

 白木透が殺されて、須藤統児がいなくなって、佐原愛実が見るも無残に殺された。ここだけの話、それがどうした、というのが私の率直な感想だった。

 さして親しかったわけでもない。佐原愛実に至っては、機会ときっかけとメリットさえあれば、私がいつかそうしてやろうと思っていたくらいだ。根本的に、徹底的に、私はあの女が嫌いだったから。消えて欲しいと思っていたから。どこかの誰かがあの女を殺したことは、私にとって僥倖以外の何物でもありはしなかった。

 それを口に出してしまえば、千尋君はいい顔をしないだろう。眉でも顰めて、大きな声でも出して、私のことを非難することだろう。そうしている千尋君の姿を想像することは、容易かった。

 だからそれを口に出すことはしなかったけれど、私は晴れやかな気持ちに包まれていた。今、この瞬間にも。流れが止まって淀んで腐った水溜まりみたいな空気の中で、私だけがただ一人、心の中に雲一つない青空を広げていた。

 こんな気持ちになるのはいつ以来だろう。ともすれば、今までの人生の中でここまで清々しい気持ちになったことはなかったかもしれなかった。

 それくらいに、今の私は気分がいい。

 だから、多少の無駄は許容する。

 悲しい顔をして、沈んだ振りで、有象無象に合わせてやる。

 本当は今にも笑い出したい気分だったけれど、それは賢い選択であるとは言い難い。千尋君曰く、私は他人とはどこかズレて間違っているそうだけれど、だからといって「こうした結果、どうなるか」というところにまで頭が回らないほどズレて間違っているわけではない。と、自分では思っている。

 こんな空気の中で大声を出して、楽し気に笑う女に向けられる視線には、どんな感情(いろ)が込められるのか。それは考えるまでもない。今は間違いなく、我慢の時だった。

 あとでいくらでも笑えばいい。あんなにも無残になったあの女の姿を思い出して、好き勝手に笑いながら床の上を転げ回ろう。

 幸いにも、思惑通りに千尋君を集団から隔離することには成功している。あとはこのまま、私が誰からも目を離さなければ――千尋君に害が及ばないように立ち回れば、それで終わりだ。小難しく考える必要もない。一生そうしていなければならないわけでもない。少なく見積もって明日の朝まで。長くても、明後日の朝くらいまで。島の外から警察がやって来るまでの間、そうしていればいいだけの話だった。

 笑う時間はいくらでもある。今さえ乗り越えてしまえば、その先の一生笑っていたっていい。もちろんそれも、千尋君には見えないところでということには、なるのだけれど。

「――ゆきのん、大丈夫?」

 込み上げる笑いを必死に噛み殺していると、不意にそんな声が耳朶を打った。いつの間にか伏せてしまっていた顔を上げてみれば、そこには部長の心配そうな顔がある。

 堪えきれず、小刻みに肩が震えてしまっていたのがいけなかったのか。声をかけられたことによって、どこか浮ついていた思考が一気に熱を失った。

「大丈夫、です……」

 不覚にも、情けないことに、短くそれだけ答えるのが精一杯の有り様だった。晴れ晴れとした気分に水を差されたことに対する怒りと、変なところで妙に勘が鋭い部長に対しての警戒心とがごっちゃになって、上手く言葉が出てこない。辛うじて思い詰めたような表情を浮かべることだけは出来たけれど、わずかに引き攣ったものになってしまったことが自分でもわかる。

 油断した。私としたことが、浮つき過ぎていた。

 あの女の血で汚れてしまって使い物にならなくなった食堂から場所を移して、ぞろぞろ亡者の行進みたいに移動した遊戯室の中。佐原愛実が死に、無事に千尋君を隔離できたことに安堵しきってしまっていた私は、すっかり警戒を怠ってしまっていた。

 普段なら、こんなミスは犯さない。浮かれ気分で他事に頭の容量を裂き過ぎてしまったせいだった。

 私の馬鹿。と、心の中で吐き捨てる。

「とてもそうは見えないけれど……本当に、大丈夫なの? 何か、部長さんにできることはない?」

 お前のような世間知らずの大馬鹿女に何が出来るんだ。喉元にまで出かかった言葉を呑み込んで、今度は笑顔を浮かべて見せる。適度に力を抜いて、心ここに在らずな調子を演出するのも当然忘れない。身構えてさえいれば、それくらいのことは造作もないことだった。

「少し、千尋君のことが気になって。本当に、千尋君が犯人だったら、嫌だな……なんて……」

 万に一つもあり得ない可能性であると、そう思っているからこそ口にできる言葉。私自身、千尋君が佐原愛実を殺したなんて小指の先ほども思っちゃいない。

 そんなことが、千尋君にできるはずがないからだ。

 彼は優しく、繊細だ。あんな風でいて、人一倍に傷付きやすい。だからこそ、自分が傷付くことを何よりも恐れている節がある。

 そんな千尋君が、自らの手で、自らの身体に消えない傷を刻み込んだりなんてするものか。

 私と同じだ。失うものと得るものと、天秤にかけてそのどちらが傾くか――。自分が傷付かず、綺麗なままでいられる方法はどれか。常にそんなことを考えている可愛らしい生き物である千尋君に、人が殺せるはずがない。ましてや、相手はあの元恋人の佐原愛実だ。やろうと思ったところで、思ったところで満足するのが関の山だろう。言い換えれば、千尋君にそんな度胸はないと私は思っている。

 だから、私が守らなければならないのだ。

 幼馴染として。愛される者として。そう遠くはない未来で、結ばれる者の務めとして。

 私は千尋君の盾となり、剣となり、支えとなる宿命にある。そんな風に、運命は決まっている。

 例えブラフでも、千尋君を殺人犯みたいに扱うことは心苦しくはあったけれど、それも千尋君自身の為だ。

 私が信じ続けていれば、千尋君は立っていられる。私が隣にいれば、千尋君は歩いて行ける。他の人間が千尋君をどう思おうと、私には関係のないことだった。

 むしろ、嫌ってくれた方が都合がいいくらいだった。余計な手間が、省けるから。

 好きなように好きなだけ、勝手に不信感を募らせて、千尋君から離れればいい。心を鬼にして、千尋君を悪者に仕立て上げた私は、そうして部長さんの口から彼を否定する言葉が飛び出すのを待った。

「――違うよ、ゆきのん。ちーくんは、絶対にそんなことしてないよ」

 しかし。次の瞬間に部長さんの口から飛び出したのは、予想外の言葉だった。

「え……?」

「ちーくんは、やってない。私はそう信じてる。だって、仲間だから」

 真っすぐな目で、部長さんは私を見つめる。よくもそんな顔で、そんなことを言えたものだなと、私は思わず吹き出してしまいそうになった。

 私は千尋君が孤立するきっかけを作っただけ。直接、手を下したわけではない。

 我が身可愛さに救いの手を差し伸べなかったのは、彼を孤立させたのは、誰だと思っているのだろう。

 否定の言葉を口にする千尋君から目を逸らしたのは誰?

 彼の言葉を受け入れようともしなかったのは誰?

 それでよく、仲間だなんて言えたものだと、怒り半分呆れ半分、笑ってしまいそうになる。

「……そうね。哀歌ちゃんの言う通りだわ。私たちが、信じてあげないと」

「ちーくん先輩、他に友達いないですしね。アタシたちが突き放しちまったら、それこそ本当にぼっちになっちゃいますし、ね」

 巫女人先輩も、緋子奈ちゃんも、随分と身勝手なことを言っていた。どうせ本心では、千尋君がやったんだろうと思っているくせに。心の底から信用なんてしていないくせに。わかったような顔で、わかったようなことを言っている。

 滑稽だった。これ以上の笑い話はないだろう、と私は思った。こんな状況でさえなければ、喉も張り裂けんばかりに笑い声を張り上げていたことだろう。

――本当に、底が浅い人たちだな。

 友情ごっこで他人を笑い殺そうとするだなんて、息をするように自分の気持ちに嘘をつけるなんて。私には信じられないし理解もできない。こんな人間ばかりが千尋君を取り囲んでいるのかと思うと、ゾッとした。

 このままでは、いつか千尋君は壊されてしまう。取り返しのつかないところまで、駄目にされてしまう。

 そんなの絶対に許せない。とても受け入れられるものではない。私が、この人たちから千尋君を守らないと。

「……そう、ですね。私たちが、千尋君を信じてあげないと。守ってあげないと、ですね」

 けれどまだ、残念ながらその時ではない。今はまだ、彼女たちを排除すべき時ではなかった。私も、千尋君も、まだ真の意味で孤立すべき時ではない。

 こんな生き物たちでも、弾除けくらいにならなるだろう。まだ利用価値のあるモノを、おいそれと捨ててしまうつもりはなかった。

 使い物にならなくなってしまってから、それから捨ててやればいい。それまでは、友情ごっこを続けていく必要があった。

「そうだよ、ゆきのん。私たちが、信じてあげないとね。湊っちもそう思うでしょ――って、あれ?」

 一つ頷いて、振り返った部長さんが動きを止める。

「ああ、あの子ならちょっと前に部屋を出て行ったわよ」

 小動物のように忙しなく部屋の中に視線を巡らせる部長さんに向けて、少し離れた所に座っていた演劇部の女、曽我根がそんなことを言った。

「出て行ったって……またどうしてさ。こんな時に、一人で出歩いちゃ危ないじゃないか」

「私に訊かないでよ、知るわけないでしょそんなこと。お手洗いにでも行ったんじゃないの?」

 不機嫌な顔で、曽我根が答える。その横で、扇田とかいう女が困ったような表情を浮かべていた。

「何かあったら大変だよ。すぐにでも探しに行かないと――」

 慌てた様子で部長さんが何事かを口にしようとした、まさにその時だった。

 遊戯室の扉が、弾かれたように勢いよく開かれる。その向こう側、入り口に立っていたのは、件の魔女――青葉湊だった。

 探す手間が省けて良かったじゃないか、と入り口に目を向けた私は、そこでおかしなことに気付く。

 そこに立つ青葉湊の様子が、尋常ではなかった。

 息苦しいのか、肩は激しく上下していて、幽霊みたいに白い顔には、べっとりと赤い液体が付着している。よく見てみれば、彼女が身に着けている衣服にも点々と同じ液体が付着しているのが見て取れた。

 血だ。

 人の体の中を流れる、血液。

 青葉湊を汚しているその液体は、佐原愛実が食堂でぶちまけていたそれと、同じモノだった。

「逃げ、て……神崎、くんが……」

 途切れ途切れ、言葉を吐き出した青葉湊が膝から崩れ落ちる。部長さんや巫女人先輩の口から、小さな悲鳴が上がった。

 犬養さんが私たちを庇うようにして立ち、離れたところにいた演劇部の女たちも、倒れた青葉湊から距離を取るようにこちらへと駆け寄ってくる。

 部屋の隅に追い詰められた形になった私たちは、何が起こったのかと倒れ込んだ青葉湊を凝視していた。

 いったい、何があった?

 倒れる直前、青葉湊は「神崎くん」と言ったか?

 まさか、千尋君の身に何かが――。

「おや、みなさんお揃いで。これは手間が省けて助かりました」

 半開きになったドアの隙間から、間の抜けた声を上げながら、誰かが部屋の中に滑り込んでくる。

 ぬめりと光る赤い液体で汚れた武骨なナイフを握りしめたその人物は、私がよく知る人物と同じ顔をしていた。

「千尋……く、ん……?」

 嘘だ。何かの冗談だ。千尋君が、そんなことをするはずがない。ナイフを握りしめているのも、その顔が青葉湊の身体を汚す液体と同じもので赤く染まっているのも、きっと何かの間違いだ。そうに違いない。

 だって千尋君は、そんなことをするような人ではないのだから。

「神崎様、何を――」

「おっと、動かないでくださいね。青葉さんがどうなってもしりませんよ」

 一歩前に進み出た犬養さんを牽制するように、千尋君の足が倒れた青葉湊の頭を踏みつける。小さく、青葉湊が唸る声が耳に届いた。

「まだ、殺してません。急所は外してあります。こんな風に、痛めつける為に、ねっ!」

 ぐりぐりと、執拗に、千尋君は足を動かして青葉湊の頭を踏み(にじ)る。

 その顔に浮かんでいるのは、私が見たことのない表情だった。

 冷たくて鋭い、恐ろしい目。普段の表情から想像も出来ないような険しさが、その表情にはあった。

「……あれ、おかしいな。死んじゃったかな」

 そうして、どれくらいの時間が経っただろう。ふと動きを止めた千尋君が、小さく首を傾げた。

「おーい、青葉さーん。生きてますかー。まだ死んでもらっちゃ困りますよー」

 千尋君の爪先が、青葉湊の脇腹を小突く。動かない。呻き声も聞こえない。青葉湊の体は、倒れ伏したままぴくりともしなかった。

「もーしもーし。起きてくださーい。起きてくださいってばー」

「――もうやめてっ!」

 千尋君の爪先が、脇腹を三度抉ったところで。部長さんが叫び声を上げた。

「ちーくん、どうして……? どうして、こんな酷いことをするの……?」

「無実の人間を、あんなところに閉じ込めた部長が、よくもそんなことを言えますね。酷いのはどっちだって話ですよ」

 千尋君に睨まれた部長さんが、口ごもる。後ろめたいところを突かれてしまったからか、上手く言葉が出てこない様子だった。

「僕はね、部長。もうどうだってよくなったんですよ。次から次へと人が死んでいく。貴女たちにも裏切られた。逃げ場なんて何処にもない。そんなのが、もう嫌になったんです。だから、終わりにしましょう」

 薄ら笑いを浮かべながら、千尋君は一歩こちらに近付いてくる。

「どうせ、皆殺されるんですよ。誰も、助かりはしないんです。誰もこの島から生きて出られないんですよ。部長が僕たちを、こんな島に連れてきてしまったから、僕たちはもう死ぬしかないんです。だから、部長。責任取って死んでくださいよ。僕に、殺されてくださいよ。みんなを殺して、すぐに僕も追いかけますから」

 一歩、また一歩。血濡れのナイフを握りしめた千尋君が近付いてくる。

 私は、言葉を発することができなかった。目の前の光景が、信じられなかった。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。何が、千尋君を壊してしまったのだろう。私はただ、千尋君を守りたかっただけなのに。

「……わかった。いいよ。それで、ちーくんの気が済むのなら。好きにするといい」

 部長さんが言う。その声は、小さく震えていた。

「ちょっと哀歌ちゃん、何を――」

「いいんだよ、巫女人。全部、ちーくんの言う通りなんだから。悪いのは私。だから……ごめんね」

 ゆっくりと千尋君に向かって歩み寄っていく部長さんの肩は、小刻みに震えていた。

「……さあ、どうぞ。神崎千尋君。お望み通り、私を殺すがいいよ」

 あと数歩。千尋君が踏み出せば詰まってしまう距離で、部長さんが立ち止まる。部長さんが足を止めるのと同時に、千尋君もぱたりと足を止めた。

 緊迫した空気の中、二人は見つめ合う。そして――

「そうですか。では……遠慮なくっ!」

 千尋君が、勢いよく絨毯を蹴った。

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