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図書館の魔女と嵐の孤島。 作者:下下下
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 嵐の孤島、緋傍島で迎えた二度目の朝。依然として窓の外では激しい雨風が吹き荒び、横殴りのそれが音を立てて窓を揺らしていた。
 灰色に覆われた空。分厚い雲に阻まれて、陽の光は届かない。見ているだけで気が滅入ってしまいそうになる光景だった。
 白木の死をきっかけにして僕たちの間に漂い始めていた、言葉では形容し難い張り詰めた空気は、その異様とまで言える天候の悪さも相まって、いよいよその重苦しさを増して僕たちを押し潰そうとしていた。
 息苦しい沈黙と、張り詰めた静寂。全員が一堂に会し、食事を取っている間ですらも誰一人として口を開こうとはしない。黙々と、機械的な動きで皿の上に盛られた食事を口に運んでいる。
 しばらくして、食事が終わってもそれは変わらず。時折、思い出したかのように走る稲光に誰かが小さな悲鳴を上げることはあっても、それ以上のことは何もない。誰もかれもが、声の出し方を忘れてしまっているかのような不気味な静寂が部屋の中には漂っていた。
 部長も緋子奈も、由紀乃も巫女人先輩も、悲痛な面持ちを浮かべながら俯いて座っている。その中において、ただ一人異質でであったのはやはりというべきか、青葉湊の存在だった。この沈んだ空気の中、彼女だけが涼しい顔で読書に勤しんでいる。きっと、いつもそうしているように。周りのことなど意に介さない様子で、彼女だけが自分の世界に入り込んでいる。ここまで来ると、怒りを通り越して尊敬の念すら覚えた。鋼の精神力。筋金入りの平常心。さすがは、図書館の魔女だなんて呼ばれるだけのことはあるか。
 とにもかくにも、そんな調子の青葉湊を除いては、誰もかれもが沈んだ表情で口を真一文字に結んでいた。斯く言う僕もそれは例外ではなく、昨晩――正確には、数時間前に佐原と言葉を交わしたのを最後に一度も口を開いていない。
 その様は、まるで生ける屍のよう。うっかりと、生きているのか死んでいるのか分からなくなってしまいそうだった。白木の件がある以上、そんな冗談は口が裂けても言葉にすることは出来ないが。人知れずひっそりと、僕はそんなことを思う。
 旧友の死。姿の見えない殺人鬼。白木の死ですべてが完結しているのか、それともそれは始まりに過ぎないのか。これから先のことは、窓の外に広がる灰色に覆われた空の如く見通しが利かない。そんな状況において、僕はあまりにも無力だった。
 青葉湊のような冷静さを、僕は持ち合わせていない。
 かと言って、誰かの死に対して言葉も心も失ってしまえる佐原愛実のような優しさも持ち合わせていない。
 どちらでもなく、中途半端。白木の死に対して怒りや悲しみを覚えていないというわけではないのだが、だからといって何か行動を起こそうとするわけでもない。
 いつだったか、佐原が僕のことを『人として大切な何かが決定的に欠けてしまっている人間』であると評したことがあったが、今ならその意味が分かるような気がする。
 青葉湊を『欠陥品』と評した僕であるが、いったいどの口がそんなことを言うのかという話であった。人のことなど、言えたものではない。自分のことは棚に上げて、他人の欠点ばかりを(あげつら)うのは愚か者のやることだ。そうして他人を見下していなければ、自分の存在意義を確立出来ない弱者のそれ。数年前の神崎千尋がそうであったように。心のどこかで己が劣っていることを自覚している人間ほど、他者を蔑もうとするものだ。
 それを繰り返してどうする。
 あの頃には戻らないと――いや、戻れないのだから。
 今の僕には立場がある。義務がある。与えられた役割がある。少なくとも今は、誰にとっても()()()()()()などではないのだ。
 しっかりしろ、神崎千尋。
 僕は大きく息を吐いて、伏せていた顔を上げる。
――と、その時だった。
 視線の先。食堂の隅の方で読書に勤しんでいた青葉湊が、不意に本から顔を上げた。たまたま彼女のほうを見やる形になっていた僕の視線は、真っ正面から青葉湊の視線とぶつかる。
 何を考えているのだか分からない、ビー玉のような無機質な目。図書館の魔女、青葉湊の本当の顔。
 人を射抜き、竦め、その心の内を見透かすような、気味の悪い輝きを放つ瞳。
 しかしそれも一瞬のことで、すぐに表情を切り替えた青葉湊はきょろきょろと小動物のような仕草で食堂の中に視線を巡らせ始めた。そこに至ってようやく、彼女の眼光に射竦められていた僕はほっと息を吐く。
 どうにも苦手だった。青葉湊が見せる、あの目が。
 かつて、苦手としていた人間のものとよく似ているからだろうか。
 あの目で見つめられると、どうにも落ち着かない気分になってしまう。別に疚しいことなど、何もないのだが。
「――あの、ええっと。すみません、ちょっといいですか?」
 青葉湊の視線に射られ、いらぬ過去を掘り返しそうになってしまっていた僕はその声に我に返る。声を上げたのは、いつの間にか椅子から立ち上がっていた青葉湊だった。
「何があるか分からないから、集団行動をしようとかなんとかで。私たちはわざわざこうして、お喋りするわけでもないのにこの部屋に集まっているんですよね?」
 忙しなく視線を動かしながら、そんな風に言葉を続ける青葉湊。その言葉に応える者はいなかったが、彼女はそれを意に介した様子もなく「ふむ」と呟いてある一転で視線を止めた。
 青葉湊の視線の先。そこには、演劇部のメンバーの姿がある。
 須藤と、曽我根と、扇田(せんだ)という名前であるらしい少女。
 部長である佐原愛実と共にこの島に訪れ、事件に遭遇してしまった人物たち。
 昨日、白木を殺した犯人が佐原愛実なのではないかと、傷心の彼らを抉り叩き伏せるような言葉を放った青葉湊が、彼らの方に視線を向けていることに僕は一抹の不安を覚える。また良からぬことでも言いだすのではないかと、気が気ではなかった。
――だから、見落とした。
「ならどうして、佐原さんの姿がここにないんでしょう?」
 青葉湊が、次の言葉を発するその瞬間まで。僕は目の前で起きている異変に、気が付くことが出来なかった。
 言われてみれば、確かにそうだ。佐原の姿がない。食事を取った時には彼らと一緒にいたはずなのだが、いつの間にか姿を消してしまっている。
「愛実ちゃんなら、お手洗いに行くって出て行ったわよ」
 青葉湊の言葉に、不機嫌さを隠そうともしない様子の曽我根が答える。青葉さんを睨みつける彼女の瞳には、明確な敵意の色が浮かび上がっていた。どうにも、昨日の出来事――青葉湊が佐原愛実を殺人犯扱いしたあの一件が尾を引いてるらしい。
 完全なる自業自得。誰がどう見たって、青葉湊に非がある。それで曽我根を責めるのはお門違いというものだ。あんなことをされれば誰だって敵意を抱く。こうして言葉を返してもらえただけ、有難いと思うべきだろう。
「それは、何分ほど前の出来事ですか?」
 向けられる敵意に臆することもなく、言葉を返してもらったことに感謝をするわけでもなく、青葉さんは間髪入れずに言葉を投げ返す。詰め寄るようなその口調が人を苛立たせているということには、どうやら気付いていない様子だった。この分だと、曽我根の眉間に刻まれた()()が更に濃くなったことにも気が付いていないのだろう。
「何分って……そんなの、分かるわけないじゃない。私に訊かないでよ」
 突っぱねるような口調。苛立ちがより濃く口調に滲み出る。
「そもそも、それがなんだって言うの? 犯人扱いしてる人間が、トイレに行くのも気に入らないわけ?」
 半歩、曽我根が足を踏み出す。
「やめろ、曽我根。あの人はそういう人だ。悪気があってああいう態度なわけじゃない。どうにもならないんだよ、アレは」
 その肩を、曽我根の後ろにいた須藤が掴んだ。
「そういう生き物なんだ、まともにやり合うだけ無駄さ」
 冷めた瞳。須藤が青葉さんに向けた目の色は、僕が今まで一度も見たことのないものだった。彼も青葉湊に対して、それだけの苛立ちを覚えているということなのだろう。
「それで、青葉さんだっけ? うちの部長がちょっとお手洗いに立つことに、何の問題があるのかな。まさか、まだ彼女が犯人なんじゃないかって疑ってるわけじゃないだろうね」
 須藤の目が静かに細められる。その瞳に込められているのは、敵意を越えた何か。返答いかんによっては、その喉笛を食いちぎるとでも言わんばかりの表情だった。
「いえ、まさか。そんなつもりは毛頭ありませんよ。そこにいる神崎君にも、くだらないことは口走るものじゃないってこっぴどく怒られてしまいましたから。仮にそう思っていたのだとしても、()()口にしません」
 満面の笑み。何がそんなに楽しいのか、青葉さんはニコニコと笑顔を浮かべて僕を見た。その表情のあまりの明るさに、僕は思わず面食らってしまう。
「むしろ、その逆ですよ須藤君」
「……逆?」
「疑っているのではなく、心配しているんです」
 僕に向けた笑顔をそのままに、青葉さんは体を軽く折り曲げて須藤の顔を覗き込むようにしながら言葉を続ける。
「彼女が部屋を出て行ったのが、食事を終えてすぐ。私がこの本を読み始めた時のことでしたから……そうですね、ざっと三十分くらい前になるのでしょうか。この程度の本なら、それくらいで読み終わりますからね。多分、それくらいだと思います。そう考えると、ちょっとばかしおかしくはないですか。食堂の目と鼻の先にあるお手洗いに行って帰って来るのに、三十分もかかるものでしょうか?」
 青葉さんの言葉通り、食堂とトイレは目と鼻の先だ。歩数にしても十歩とかからない。そんな位置関係にあるはずのトイレに向かった佐原が三十分も帰って来ないというのは、おかしな話だった。
「それに、白木君を殺した犯人がこの中にいないというのなら、ここにいる私たち以外の誰かが白木君を殺したということになるわけで。その誰かがまだこの島に潜んでいるかもしれないこの状況で、()()()お手洗いに行った佐原さんが()()()()()()わけですから、気になって当然でしょう?」
 その言葉に、後頭部を殴られたかのような衝撃が走った。途端に嫌な汗が噴き出して、心臓が大きく跳ねる。
 脳裏の過るのは、この目で見た白木の()()()姿()
 考え得る限りの最悪の可能性。姿を消した佐原愛実が人知れぬ場所で迎えているかもしれない()()。否が応でも、青葉湊の言葉によってその『最悪の可能性』を連想してしまう。
 そうであるという確証はどこにもないが、そうでないという確証もどこにもないのだ。どちらかといえば現状では、佐原愛実は最悪の可能性によって最悪の結末を迎えている可能性の方が高い。考えたくはないが、しかし。状況が、そうであってもおかしくはないと告げている。
 こうしてはいられない。一刻も早く、佐原を探さなければ。この島でまた、僕はかつての友人を失うことになってしまう。
 私が死んだら悲しんで欲しい。別れ際の佐原の言葉が頭の中に反響する。
「誰が悲しんでやるかよ……っ!」
 噛み締めた奥歯。それがぎちりと不快な音を立てた。その音に乗っかって、小さな呟きが漏れる。
 気が変わった。悲しんでなどやるものか。
 そんな結末を、僕は望んではいない。
――いや。そんな展開は、()()()()()()()()()()()()()
「……探しましょう」
 青葉湊の言葉によって凍り付いてしまっていた部屋の空気が、ようやく動き出す。最悪の可能性に向かってひた走っていた思考が、取り返しがつかなくなってしまうその寸んでのところで、踵を返して本来向かうべき方向へと動き始めた。
 僕らしくもない。()()()()のことで何を雰囲気に呑まれそうになっているのだか。
 望まれた役割。与えられた立場。科せられた義務。問題児たちという歯車を噛み合わせ円滑に回す為だけに存在する潤滑油。ただの部品。その程度の存在でしかないこの僕が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 ここで雰囲気に呑まれてしまうことはそれ即ち、与えられた役割と科せられた義務を放棄することと同義だ。もしもそんな風にして『責任』を放り投げてしまえば、その先に待っているのは――ぺんぺん草一本残らない、正真正銘言葉通りの焼け野原だ。神崎千尋という存在が、()()()()()()()()()()()()()()()()()
 そんな人間など、初めからこの世には存在しなかった。
 僕が相手にしているのは――背負わされているのは、指先一つで簡単にそんなことが出来てしまうような存在だ。
 勝てない戦いはしない。それが僕の信条にして信念。いつだって、勝者の側に立つことこそが唯一無二の正解。『勇気』と『蛮勇』とを軽々と穿()き違えてしまえるほど、僕は世間を知らないわけでもない。天秤はいつだって、重い方に傾くことだって知っている。それがこの世の常で、揺るぎようのない()()だ。
 ()()を間違えてはならない。
 ()を見誤ってはならない。
 神崎千尋の成すべきことは、()()()()()()()()()()()()
 思い出せ。見つめ直せ。僕が向き合うべき()()は、なんだ。
「――手遅れになってしまう前に、佐原を見付けましょう」
 思考のリセット。()の存在を認識し直すことで、僕は失いかけていた理性を取り戻す。傍から見ればその様は、青ざめた顔で俯いていた人間が、突如として満面の笑みを浮かべながら飛び跳ね始めたようにも見えただろう。そのスイッチの切り替え方が、他人の目には異様で不気味なものに映ったであろうことは想像に難くない。
 だが、それでいい。
 そうでなくてはならない。
 神崎千尋とは、そういう人間であるのだから。
「……うん、そうだね。落ち込んでたって仕方がないんだし。今は出来ることやらねきゃ、だもんね。これ以上、悲しくならないように」
 それまで黙って事の成り行きを見守っていた部長が、そこで椅子から立ち上がる。
「この天気だし、外に出てるってことはないだろうから、探すなら屋敷の中だよね。それなら一階を探す組と二階を探す組に分かれて探そうよ。そこまで広い屋敷でもないけどさ、その方が効率的だと思うんだ」
 怯えて震えていた小さな姿は何処へやら、いつもの調子を取り戻したらしい部長が言う。
「何かあった時の為に男手は分けておいた方がいいだろうから……うん、オサ研と演劇部に分かれるっていうのはどうかな? 犬養さんには、演劇部の方に付いて行ってもらうことにして。一階と、二階で、分かれて佐原さんを探そうよ」
 部長の言葉に、その場にいた全員が頷く。
 こういう場合において、黒羽原哀歌の言葉が持つ『強制力』は非常に強力な武器になる。彼女の言葉には、普段からして従わざるを得なくなってしまうような不思議な()()があった。
 そうでなくては、オサ研の存在など成り立たない。黒羽原哀歌の言葉が不思議な力を持っているからこそ、学内の問題児が一堂に会しているまるで爆発物そのものであるかのようなこの集まりが集まりとして成立している。すべては黒羽原哀歌の存在と、その言葉があってこそだ。
 僕では成し得ない。彼女だからこそ、出来たこと。
 それが黒羽原哀歌の言葉であったからこそ、死人のような顔で俯いていただけの面々が顔を上げるに至った。それが彼女の言葉であったからこそ、誰も異論を差し挟まなかった。つまりは、そういうことだ。
「じゃあ、それで決まりだね。私たちは二階を探すから、犬養たちは一階をお願い」
「畏まりました、お嬢様」
 演劇部は、犬養さんを中心にして。オサ研のメンバーは、黒羽原哀歌を中心にして。散らばって、それぞれが別々の方向を向いてしまっていた僕たちはようやく同じ方向へと向き直る。
 ぐずぐずしていられない。一刻も早く、佐原を探さなければ。
「十分後にここに集合しよう。佐原さんが見付かっても、見付からなくても、必ず。みんなが無事であることを確かめる為に。いいね?」
 再び、部長の言葉に全員が頷く。
「うん、よろしくね。それじゃあ、頑張って佐原さんを探そう。取り返しがつかなくなっちゃう、その前に」
 もう一度、僕たちはその言葉に頷き合って。それから僕たちは、佐原を探すべく二手に分かれて食堂を後にした。

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