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001

びっくりするくらいめちゃくちゃなのでそのうち全部書き直します。

 七月某日。僕にとって、高校生活二度目となる夏休み。その初日。私立黒羽原(くろばねはら)学園高等部、オカルトミステリー研究部付属サブカルチャー研究同好会――通称()()()のメンバーである僕と不愉快な仲間たちは、夏季強化合宿という名目のもとに本土の南東に浮かぶ小さな島、緋傍島(ひそうじま)を訪れていた。

 学園創立者にして大手製薬企業会長、黒羽原剛玄(ごうげん)氏の孫娘にして我らがオサ研部長であらせられる黒羽原哀歌(あいか)の思い付きによって急遽開催されることとなったこの合宿。

 その実態は、黒羽原哀歌による壮大な夏休み満喫計画の一部にしてその序章であった。

 そもそも、一見して何を研究し同好しているかも分からないような名前の集団が合宿なんてものに真摯に取り組むはずもなく。そんな名目があったことすらも忘れて、黒羽原哀歌を始めとする我らがオサ研部員たちは、黄色い声を上げながら寄せては返す波と戯れていた。

「このクソ暑いのによくやるよ……」

 砂浜の上に斜めに刺さったパラソルの下、波打ち際の水着姿の少女たちを遠目にしながら僕は呟く。

 青い空。白い砂浜。底が見えるほどに透き通った海。夏の太陽はこれでもかと眩く輝き、パラソルの下にいる僕の肌さえもじりじりと焦がそうとする。吸い込む空気はうんざりするほど熱を帯びていて、肺を内側から削り取られるような感覚に溜息をつくことすら億劫(おっくう)になってしまう。

 夏と、海と、美少女と。

 本来であれば、喜ばしく喜ぶべき状況ではあるのだけれど。

 しかし僕の心中は晴れ渡る空とは裏腹に、ただひたすらにどんよりと曇って憂鬱だった。

 今すぐにでも、家に帰りたい。

 出来得ることなら、家から一歩も外に出たくない。

 誰とも顔を、合わせたくない。

 長期休暇に突入して、しばらくは不愉快な顔を見ないでも済むと喜んでいたところにこの仕打ち。

 僕の立場からして、そんなことが許されるはずもないのだが。それでも万に一つもしかしたらと淡い期待を抱いてしまった分、その落差によるダメージが深刻だった。

 どちらかと言わずとも、僕という人間は根っからのインドア派である。

 前世は多分、吸血鬼か何かだったのだろう。直射日光を浴びると、酷く不愉快な気持ちになる。

 そうでなくとも、身近にオサ研のメンバーがいるというだけで不愉快極まりないというのに。その上、この人をおちょくったかのような好天と眩い太陽。僕を不愉快にさせる為だけに用意されたかのような環境に、不満を抱かないわけがなかった。

――これだから夏は嫌いなんだ。

 声には出さず、胸の内だけで吐き捨てる。

 日差しは強いし暑苦しいし、蝉の声は(うるさ)いし。右を向いても左を向いても、夏の暑さで頭が()だった浮かれ気分の馬鹿ばかり。

 去年は去年で思い出すのも(はばから)れるような散々な振り回され方をしていたし、今年は今年でこの有り様だ。高校に入学してからというもの、僕の夏嫌いは坂道を転がり落ちるように悪化の一途を辿っている。

 もっとも部長の件に関しては、それが今の僕に与えられた立ち位置にして()()であるからして、仕方がないことではあるのだが。それでも、部長の存在が僕の夏嫌いに拍車をかけているという事実に変わりはなかった。

 彼女の存在がなければ、僕の夏嫌いがここまで加速することはなかっただろう。

――まあ、それはそれで。何も部長()()に責任があるわけでもないのだが。

「――ぶっ!?」

 恨み辛み。決して口には出せない怨嗟の念を胸の内で(たぎ)らせていたその時。

 意識の外。視界の外から飛来した何かが強かに僕の鼻を打ち付けた。

 つんと鼻を突く磯の香り。濡れた感触。どこからか飛来したそれは僕の顔を打ち据えたことで勢いを失い、てんてんと白い砂浜の上を転がる。

 ビーチボール。

 スイカ柄の、ビニール製のボール。

 鼻の頭を押さえる僕をあざ笑うかのように、偽スイカは風に吹かれて右に左にゆらゆら揺れる。

 それはつい今しがたまで、波打ち際の少女たちに殴る蹴る挟まれるなどの集団暴行を受けていた被害者だった。

 想像を絶する暴力。その痛みに耐えかねて、唯一の常識人である僕のところへ逃げ出してきたのだろうか。

「……いや、そんなわけないだろ」

 常識的に考えて。

 自然と増える独り言。くだらないにも程がある自分自身に呆れながら、僕は波打ち際の少女たちを睨み付ける。

「ちーくん、ごめんよー。それ取ってくれるー?」

 アホ面下げて、砂浜の上に横並びになる四人組。

 一番左に立っている、どこからどう見たって中学校に入学したばかりの小学生にしか見えない貧相な体つきの少女――黒羽原哀歌が大きく手を振っていた。

 それ、というのは言うまでもなく僕の鼻っ柱を打ち据えた偽スイカのことだろう。

「……いきますよー」

 溜息。舌打ち。僕は砂浜の上に転がるボールに近付くと、砂と一緒に力いっぱいそれを蹴り上げた。

「――ナイスシュート! さすが先輩っす」

 特に狙ったわけでもないのだが、放物線を描いて飛んだボールは寸分の狂いなく右から二番目に立つ少女――クソ生意気な後輩こと小見波(こみなみ)緋子奈(ひこな)の腕の中にすっぽりと収まった。

 その顔に腹立たしいにやけ面が浮かんでいるのを見るに、僕にボールをぶつけた下手人はアイツなのだろう。取り立てて理由もなく、そんな子供じみたことをするのがあの後輩だ。

「次やったら、お前の頭でサッカーしてやるからな」

 中指を立てる。と、それに応えるように緋子奈は小さく舌を出して見せた。

「まったく……」

 アホ面四人衆が何事もなかったかのように再びビーチバレーに興じ始めたのを見届けて、僕はその場で踵を返す。

「…………」

 そこではたと、パラソルの下に座す少女と目が合った。

 夜を思わせる長い黒髪がやけに目を引く、作り物みたいに白い肌をした少女。

 彼女は鼻の頭に乗せた冗談みたいに分厚い牛乳瓶の底みたいな眼鏡越しに、砂浜の上に立つ僕を見ていた。

「南の島に来てまで子守りとは、大変ですね神崎くん。心中お察しいたします」

 労うような言葉とは裏腹に、平坦で抑揚のない声色。用意されていた台詞を読み上げただけとでも言わんばかりの調子でそう言った彼女は、人差し指の腹で小さく眼鏡を押し上げた。

 存在感が希薄過ぎるあまり、一番の問題児がそこにいることを忘れてしまっていた。

 青葉(あおば)(みなと)

 またの名を、図書館の魔女。

 それが授業中であれ、放課後であれ、いつも旧校舎二階にある図書室の片隅に座って本を読んでいるその姿から、いつしかそう呼ばれるようになった少女。

 眉唾物の与太話から妙に真実味を帯びた下世話な話まで、生徒たちの間で(まこと)しやかに囁かれる噂話は数知れず。まるで思春期の中学生がノートの端にでも書き殴ったかのようなその名前を耳にしない日はないというくらいに、彼女に(まつ)わる噂話とその馬鹿げた名前は独り歩きを続けていた。

 決して噂話には明るいとは言えない僕の耳にまで届く彼女に関するエトセトラ。その何割が虚構であり真実なのかを知る術を僕は持たないが、一つだけ確かに言えることがある。

 いつ如何なる時であれ彼女の姿が教室にはないという、いくつかの噂話に散見される共通点。

 ただその一点に限れば、それは紛れもない事実である。

 直接この目で見たわけでもないので、彼女が本当に旧校舎二階にある図書室で読書に勤しんでいるのかどうかは定かではない。しかしながら、時と場合を問わずして彼女の姿が教室にはないというのは根も葉もあれば根拠だってある確かな事実だった。

 この学園に入学してから今日までの二年間、僕と彼女は同じクラスに在籍し続けているのだが、僕は一度たりとも教室の中で彼女の姿を見たことがない。

 教室にある彼女に宛がわれた席はいつだって空席で、それに対して誰一人として疑問を差し挟んだりしないのが僕たちの日常だった。

 だからして僕は、この島へと向かう船の上で彼女と顔を合わせるまで、彼女がどんな顔をしているのかを知らなかった。青葉さんと直接言葉を交わしたのも今日が初めてだ。

 そんな状態でいったいどのようにして進級を果たしたのか気にならないでもないのだが、触らぬ神になんとやらにして何もなければ世は事もなし。藪を突いて蛇を出すこともなかろうと見て見ぬ振りの毎日だけれど、そんなことはさて置いて。

 とにもかくにも、どういう風の吹き回しなのか僕に言葉を投げかけて来たのは、そんな調子の問題児だった。

「ああ、すみませんね。読書の邪魔しちゃったみたいで。気にせず続けてください」

 身構えつつ、彼女から少し離れた場所に腰を下ろす。

 島へ到着するなり、水着に着替えることもなくパラソルの下で読書を始めた青葉さん。

 今の騒動でそれを邪魔されて気分でも害したのだろうと謝ってみたのだが。

「…………」

 どうやらそういうわけでもないようで。読書に戻るような素振りも見せず、彼女は何を考えているんだか分からないような顔で僕を見つめ続けていた。

「ええと、青葉さん。何かご用事で?」

 見つめられ続けていることに耐えられず、僕は体ごと彼女に向き直る。

 彼女が立てた膝の上。器用にも開かれたまま置かれている本のページが、風に吹かれてぱらぱらと捲れた。

「いえ、なにか取り立てて用事があるというわけではないのですが。神崎くんは大変だなぁと、他人事のように思った次第でして」

 ぱたんと音を立てて、彼女は膝の上に乗せていた本を閉じる。

 露わになる表紙。黒い背景に銀色で躍る『灰と愛憎のエチュード』という文字が、やけに僕の目を惹いた。

「……気になります?」

 僕の視線に気が付いたらしい青葉さんが、指先で表紙をなぞりながら薄っすらと微笑む。

 それまで人形のように怖いくらい無表情だった彼女が初めて見せたその()()に、僕は戸惑いと驚きを隠せなかった。

 勝手なイメージ。先入観。笑顔が想像できないような雰囲気と顔付きであるというだけのことで、全く以て感情の起伏がない人間というわけではないらしい。

 愛でるように本に指を這わせる彼女の顔は、とても満ち足りたもので。慈しむような指先の動きは、彼女が本当に本を愛しているのだということを感じさせた。

「これね、私のお気に入りの本なんです」

 灰と愛憎のエチュード。普段からして読書という行為には馴染みも親しみもない僕には、そのタイトルから内容を想像することは出来そうもない。愛憎という言葉が含まれているところからして、あまり明るい話ではないのは確かなのだろうが。

 いい意味でも悪い意味でも本の虫だと伝え聞く図書館の魔女が()()()()()だという本。本その物には興味がなくとも、図書館の魔女とまで呼ばれる人間を惹きつけるだけの魅力を持った物語の内容には興味があった。

「どんな話なんですか、それ」

 そんな風に訊ねてみる。すると彼女は、意味深な笑顔を浮かべて僕に本を差し出した。

「え? あ、どうも……」

 戸惑いながらも本を受け取り、ぱらぱらと捲ってみる。

 年季が入って、少し黄ばんでいる紙の上。米粒みたいなサイズの小さな文字が、びっしりと隙間なく並んでいた。

 見ているだけで頭が痛くなりそうだ。こんなにも隙間なく文字が詰め込まれている本など読んだことがない。

 最近は漫画を読むことすらも億劫になって、本屋に並んでいた姿そのままに部屋の隅で埃を被ってしまっているくらいだというのに。

 牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけているのは、こんな本ばかりを読んでいるからなのだろうか。と、失礼ながらにそんなことを僕は思った。

「――恋に焦がれ、愛に狂った殺人鬼。バラ色の想いはいつしか灰の色へ。その手と心を血に染めながら、それでも少女は愛を求める」

 洪水の如く視覚に押し寄せる暴力的なまでの量の文字に眩暈を覚え始めた頃、いつの間にか体ごとこちらに向き直っていた青葉さんがぽつりと歌うように呟く。

「へ?」

「七十二ページ、六行目。この作品を象徴する、印象深い一節ですね」

 そのページを開いてみると、確かにそこには彼女が(そら)んじた一節があった。

「それから、ここ。そのあとには、こう続きます」

 笑顔を浮かべた彼女の指が、その先に続く文章をなぞる。

「愛は人を狂わせる。恋は人を惑わせる。少女が踊るは筋書などない灰と愛憎の即興劇(エチュード)、と。つまりはね、神崎くん。これって、そういうお話なんですよ」

 気が付けば、鼻先が触れ合う距離に彼女の顔があった。

 間近で僕を見つめる彼女の瞳には、無邪気な子供のような感情(いろ)が浮かんでいて――。

「殺したいほど愛したい、殺されるほど愛されたい。この本を読むたびに、私はそう思うんです。それってとっても、素敵なことじゃありませんか?」

 邪気のない表情で物騒な言葉を口走る青葉さんに、僕は内心ぞっとする。

 それが口先だけの言葉ではないことが、わかってしまったから。

 驚いて、戸惑った。

 これでも、人の感情や内心を読み取ることには長けていると自負している。

 そうでなければ、オサ研の()()()など到底務まらない。

 そんな僕の目には、それこそが真実の愛の形であると彼女が信じ込んでいるように見えた。

 夢見る乙女の表情で、殺したいだの殺されたいだの。当たり前のように、よくもそんなことが言えたものだ。

 まともじゃない。

 見てくれだけは普通でも、一皮剥けばこの有り様。

 どこまでいっても、問題児は問題児だということか。

「……さあ、どうなんでしょうね。それほどまでに愛したことも、愛されたことも、僕にはないので分かりかねますが。そういう愛の形があったとしても、別におかしくはないんじゃないですか。それこそ、個人の自由ってやつなんでしょうし」

 僕には到底、土台からして無理な考え方ではあるけれど。彼女がそれでいいというのなら、それでいいのだろう。他人がとやかく言うようなことでもない。

 恋愛観なんてものは人それぞれではあるし、十人の人間がいれば十通りの愛の形があるのもまた事実だ。

 少なくとも、僕はそう思わない。

 ただそれだけの話である。

(たで)食う虫も好き好きっていうくらいですし、趣味嗜好の違いはあって(しか)るべきでしょうね。どいつもこいつも横並び、同じ顔して同じ服ってわけでもありませんから」

 一つ息を吐いて、件の本を突き返す。

 当たり障りのない言葉を意識したつもりではあったのだが、実際に口から音になって出た言葉には少なからず棘が含まれてしまっていた。

 理性より、嫌悪感が勝った。

 恋だの愛だの、そんなものは馬鹿げている。

 殺したいだの、殺されたいだの。そうなればより尚更に。

 どれだけ綺麗事を並べようとも、その先にあるものは結局、究極的に突き詰めてしまえば身も蓋も華やかさも優しさもない生殖行動に他ならないわけで。その過程がどれほど飾り立てられていたとしても、行き着く先は剥き出しの本能だ。

 恋愛とは一種の精神病であるとは誰の言葉だったか。

 幻か、病か。その延長線上か。とにかく、馬鹿げたものであることは確かだ。

――もっとも、斯く言う僕もそんな病に侵されていた時期がないわけでもないのだが。

 むしろそんな経験があったからこそ、永遠不変の愛などこの世にはないのだと気付くことができた。変わらないものなどないのだと――移ろわないものなどないのだと。そんな風にして、現実に目を向けることができた。

 現実に目を向けることになったきっかけ。浮かされていた熱病の終わり。

 あの出来事がなければ、ともすれば。

 僕も青葉さんと同じ考えに至っていたかもしれないことを考えると、何だか昔の自分を見ているようで気分が悪くなった。

「――なるほど。恋愛観は人それぞれ、ですか。確かにその通りなのかもしれませんね」

 突き放すような物言いに気分を害した様子もなく、青葉さんは人差し指を唇に当てながら何事かを考える素振りを見せる。

「そういう人もいれば、そうでない人もいる。考えてみれば、そうですよね。自分の当たり前が誰かの当たり前であるとは限らないわけですし。何でも自分の感覚を基準にして物を言ってしまうところは、改めなければならないかもしれません」

 そう言った青葉さんは、納得したように頷く。

 彼女の中で僕の言葉がどのような経路を辿りどのような結論へと結びついたのかまでは分からないが、納得した様子を見せている以上、何かしらの答えには辿り着いたのだろう。

「――まあ、それでも。あえて、もしもの話をするのであれば」

 鼻先をくすぐる吐息。間近で聞こえる彼女の声が、鼓膜を震わせる。

「それほどまでに愛した人がいて、それほどまでに愛された人がいたのなら。私は、きっと殺されたい方なんだと思います。これでも、白馬の王子様を夢見る年頃の女の子ですからね」

 そう言って、何が楽しいのか青葉さんは小さく笑った。

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