徒歩遠征大会で分身の主張
笑い転げる桂木を見て固まる俺に村木が言う。
「気にするな。それより、あれか? 昨日の娘をオカズにしたのか?」
「え? お前が気にしてるとこ。そこ?」
「いいから言えよ。大事なことなんだ」
村木はわざわざ俺のところまで駆け寄ってきた。真剣だった。
なんで、そんなことが大事なのかわからなかったし、わかったとしても本当のことは言う気になれなかった。
「違うよ。エロ本だよ。あの娘のことはもう忘れたかったから」
「そうか。ならいい」
意外とあっさり村木は引き下がると俺の目の前で軽く右手を振った。
「俺の手はそんなに綺麗か?」
俺はしばらく黙って村木の右手を観察した。
正直に言うことにした。
「たしかにキレイだけど…… だから何?って気もする」
「そんなもんだよ。お前さあ。思い込みが激しすぎんだよ。ホラ」
右手が差し出された。
俺はゆっくりとその手に自分の右手を添えた。お互い汗をかいていたからピタッと吸い付く感じがした。
村木の手は暖かかった。
何のことは無い。
村木も俺も同じ人間なんだ。
たかが握手だけど俺の胸とか腰のあたりがムズムズとしてその感じは悪いものじゃなかった。
村木と目が合った。村木は笑っていた。
そして左手を俺の右手の甲に添えた。
思わずツッコんだ。
「お前は政治家か!」
「いずれオヤジの後を継ぐからな。選挙中はオヤジの手はいつも腫れていたよ。握手のし過ぎで」
「そっか、あの握手ってこういう効果もあるんだな」
「ああ。俺と分かり合えた気がするだろ?」
「ちょっとだけだけどな」
「山川。それも思い込みだぜ」
そういう村木は少し寂しそうに見えた。
何か言おうと思ったけど何の言葉も出てこなくて……
ただ俺は村木の気持ちが知りたくて顔を見ていた。
「いい加減、手を放したら。君たち」
桂木が呆れたように言う。
俺と村木は先を急いで手を離した。
「ビショビショじゃねえか。お前の手」
村木はそう言うと、わざとらしく尻の辺りで両手を拭った。
しかも、ニオイまで確かめやがる。
「うるせえな。お前が両手で握るからだろ」
「はいはい。二人ともその辺にしなさいよ。私お腹すいちゃったんだから」
桂木が二人の間に割って入ってくる。
「でもこの辺じゃ飯なんて食えないだろ?」
俺が聞くと桂木は自信満々に言った。
「それくらいわかってるっての。すぐそこにけもの道があるでしょ。そこをちょっといくといい場所があるのよ。景色がいいし、運が良ければ桜もまだ咲いてるかも」
村木が慌てた様子で言った。
「あ、でも俺、これだ」
三人とも村木のキャリーバックを見つめた。
村木と桂木は一瞬見つめ合った。
一斉に俺を見た。
嫌な予感しかしない。
俺は荷物らしいものは水筒しか持ってきていなかった。
財布とスマホとコンビニのおにぎりをにポケットに入れてあるだけ。
別に村木の荷物を持つために荷物を減らしたワケじゃない。他に持って来る物が無かったからだ。
食い物と想像力があれば今日という日を楽しめるはずだった。
「しょうがないって。頂上まで行こうよ。村木が可哀想じゃん」
先手を打って言ってみた。
「バカね。こういう時は頭を使うのよ」
「頭?」
俺の頭の中には頭の上に大きな荷物を載せて運ぶ外国の女の人のイメージが浮かんだ。
それはそれで大変そうだ。
「ジャンケンすればいいじゃない?」
「なんで?」
「あー君がこれ持って行くの。可哀想だと思わないの?」
確かに小柄で華奢な村木にはつらいだろう。
「うん、わかる。だから頂上までいけばいいんじゃね?」
「バカね。ジャンケンすればあー君が持って行く確率は3分の一になるでしょうが。私もあんたも3分の一。ね? 公平でしょ。」
「そうなのか?」
村木に聞いてみると、苦笑いを浮かべて顔を横に振った。
桂木から腹にひざ蹴りを喰らったことを思い出した。
雑誌を仕込んでたから大したことなかったけど、桂木はヘタリ込む俺に追い打ちで蹴りをブッ込むような女だ。
ここは怒らせないように刺激しないほうが良さそうだ。ならばバカのフリしてこいつの誘いに乗ってやる。
俺はジャンケンの必勝法を知っている。ただ試す相手がいなかったから効果はわからないけど今はそれに賭ける。
「よし、ジャンケンだ。ジャンケン。俺はジャンケン強いからな。後悔するなよ」
俺は気合を入れて挑発する。これは布石だ。人間どうしてもジャンケンに勝ちたいと思うと気合が入って筋肉が刺激される。それでグーを出してしまう確率がものすごくあがるらしい。
こいつらにグーを出させて、俺がパー。それが必勝法だ。
考えてみれば勝負の方法がジャンケンでラッキーなのかもしれない。他のことで二人に勝てそうなものは俺には無かった。
「よし、ジャンケンだね。負けた人が全員の荷物を持つ。これでいいね。」
桂木がルールを確認する。
俺と村木は頷いた。
「はい、グー出す人」
桂木はそう言いながら手を上げる。
「はーい」
村木も子供みたいな返事をして手を上げる。
「よし。私たちグーね。当然、山川は」
二人揃って俺を見る。
成程ね。そう来たか。だが、こんな子供だましの心理戦に引っかかるか。
「パーだ」
「えー」
二人揃って言いやがる。
「ここはチョキでしょ」
「空気読めよ」
「ふざけんなっての。俺は真剣勝負がしたいんだ。そんな卑怯な真似を許すかよ」
「もちろんよ。勝負は真剣じゃないと」
よし、桂木が乗ってきた。いいぞ、そうやって力め。力んでグーを出せ。
ダメ押しだ。
「目の前で裏工作されてたんですけど」
「さっきのは冗談に決まってるだろ。そう熱くなるなって」
いかん。村木は冷静だ。勢いで巻き込め。
「よし。いくぞ。ほら、お前らも早く準備しろ」
俺のジャンケン必勝法は、最初はグー、ってやっちゃいけない。考える余裕を与えちゃダメなんだ。リズムを狂わせるのがコツ。
「私はパー出すね」
「あ、俺も」
「ちょっと、なんだよ。それ。さっきと同じじゃねえか」
「違うって。山川は好きなの出せよ」
「そうそう。うちらも好きなのだすだけ」
「よし。いいんだな。好きなのだすぞ。あ、あと二人が負けても二人で持つってナシだかんな。最後まで負けた奴が全員の荷物一人で持てよ。あ、それとな。帰りもだぞ。このジャンケンで帰りの荷物持ちも決定だかんな」
二人は顔を見合わせた。
「お前、必死すぎ」
「ちょっと引くわ」
「うるせえ。お前らは知らねえだろうが、世の中厳しいんだよ。ホラ、やるそ。ほら、早く、さあ、やるぞ。絶対俺が勝ってやる。ジャンケンポン」
一発で結果が出た。
二人とも宣言通りのパーだった。
気が付いた。俺は気合の入った拳を突き出していた。
人はそれをグーと呼ぶ。
ゆっくりと、すごくゆっくりと顔をあげて二人の顔を見た。
ニヤニヤ笑っていやがった。
「うわあ、ほんとに気持ちがいいね。歩いた甲斐があるよ。あーちゃん。」
「そうでしょ。頂上もいいけど。私はここの方が好き。」
「学校も見えるね。満開の桜の下で食べる弁当ってのもいいね。」
「あー君、わたしね、嫌なことあるとここにきて下界を見下ろすの。悩みがちっぽけに感じるよ。」
「ああ、つまんないことなんかどうでもよくなるな。」
村木と桂木のはしゃぐ声が聞こえてきた。
俺だけ遅れていた。当たり前だ。3人分の荷物を持っているんだ。
しかも人が一人通れるかどうかというほどの狭い道を両脇の草をかき分けながら進まなきゃならなかったし、村木のキャリーバッグは背負うこともできないで左右の手で交互に持ち替えながらなんとか持ってきた。
もう腕がちぎれそうだ。
何をこんなに持って来てるんだよ、あいつ。
ようやくけもの道を登りきると俺にもそこがどんなところかやっと見渡せた。
小さな児童公園くらいのスペース。周りは木々に囲われていた。けもの道から正面の方向の景色は開けていて俺の位置からでも遠くの小さな街並みが見えた。
そのスペースの真ん中あたりに一本の立派な桜の木。
満開だった。
「すげえ」
俺は思わず声に出すと両脇に村木と桂木の荷物を置いて目を閉じた。そして両手を広げてみると脇の下を風が撫でた。気持ち良かった。しばらくそうしていた。
「おい、俺のバッグ返せよ」
村木の一言でいい気分が台無しだ。
「お、お前らが持たせたんだろ。おかげでこっちは汗だくだよ」
「違いますぅ。あんたが、勝手に自滅したんですう。ちゃんとうちらを信じればよかったのに」
「そうだけど」
納得できない。
「じゃあ、帰りはそうしてくれよ」
「いやよ。帰りもさっきのジャンケンで負けた人が持っていくんでしょ。あんたが言ったことなんですけど」
「そうだけど」
全然納得できない。
「まあ、そう怒んなよ。汗、すごいぞ。お前」
村木が俺にタオルを差し出した。黙って受け取り顔を拭く。ふんわりしていていい匂いがした。
うちの薄っぺらい、黒い点々のカビが生えた使い古しのタオルとは大違いだ。惨めな気がした。
そんな気持ちを打ち消すために明るく言った。
「サンキュー。お前いいところもあるんだな」
「気にすんなよ。汚れても洗えばいいし」
村木がニヤケて言う。
「そうそう落ちない汚れは味が出たって言うしね」
「言わねえよ」
俺と桂木が言いあっていると村木が俺の足元にしゃがみこんだ。バッグから何かを取り出そうとゴソゴソやっている。何だか黒くてごついもの。
小動物でも抱くようにそっと持ち上げた。
「何それ?」
「写真撮ろうぜ。このカメラ、すごくきれいに撮れるんだぜ」
村木が目の前でカメラを構えてシャッターをきった。
ごついカメラにごついレンズ。道理で重いはずだ。
「あれ。でもコレ、三人一緒に撮れるの?」
桂木がチラチラと俺を見ながら村木に尋ねた。
「大丈夫。ホラ」
そう言って村木がバッグから取り出したのは記念写真を撮るときにカメラを支える三本足の台だった。
そりゃ重いっての。
三人で桜の木を背景に写真を撮ることにした。村木がセッティングをする。
桜の咲き方がどうのとか光の加減がどうだとか、まるで恐ろしい子が芝居の台本を暗記するときのような集中具合でブツブツ言っていた。
そしてあちこち動きまわってカメラを構えてはまた移動するってことを繰り返していた。
俺と桂木はそれを黙って見ていた。気の短い桂木がなにか言うかと待っていたけど何も言いそうになかった。いい加減待ちくたびれてきた俺は村木の後ろから声をかけた。
「いいから早く撮って飯にしようぜ」
「うるさい。カメラを持っているときの俺の後ろに立つな」
真顔で言われてしまった。その迫力に思わず後ずさりする。
お前はどこかの一流スナイパーか。なんてツッコめる雰囲気じゃなかった。桂木に耳元で囁かれた。
「カメラ持ってる時のあー君は別人だから。黙って言うこと聞いておいた方がいいわよ」
「先に言えっての」
しばらく黙って見ているとやっと納得したのか俺たちにいろいろ注文をつけながら撮影し始めた。俺もカメラを借りて村木と桂木のツーショットを撮ってやる。
三本足の台にカメラをセットして三人並んだ写真を何枚か撮り終えると村木が言った。
「最後はみんなで同じポーズ決めようぜ」
正直、反対。
さっきから慣れた感じでポーズを決めている村木と桂木。
なんとなく少し離れて俺はうつむき加減で片手でピース。不細工な俺がカッコつけるなんて気恥ずかしかった。
だけどみんなが笑っている素敵な記念写真も欲しかった。
聞いてみた。
「どんなポーズだよ?」
「口元で裏ピース」
「やだよ俺。女子じゃないんだから」
村木は真顔で言った。
「だからやれ」
村木はそこで区切って先を続けた。
「お前さっき俺のこと女子かとか言って笑っただろ。お前も女子っぽいことやって俺に笑われろ」
マジかよ。
村木ってしつこいんだな。
救いを求めて桂木を見てみた。
桂木は声を出さずにファイティングポーズ。
これはもはや命令です。
俺は渋々、口元で裏ピース。村木がカメラに向けてリモコンのスイッチを押す。その直後、村木と桂木が俺を挟むように移動した。
「最後くらいお前を真ん中にしてやる」
二人が俺に顔を寄せてくる。
二人のシャンプーのにおいが俺の鼻に入ってくる。
なんでこいつら汗臭くなんないの?
俺と同じ人間なの?
俺は絶対汗臭い!
こいつらは俺の汗のにおいが鼻から入ってきてどう感じているんだろう?
気になって二人の横顔をチラ見する。二人とも整った綺麗な笑顔だった。そして体を俺に押し付けてきている。
二人の体温が俺の体に伝わってきているのに気が付いた。
こいつらにも俺の体温が伝わっちゃってるぞ。
って、おい。
あ、やべっ。
カシャ、という音がした。
村木と桂木がカメラに駆け寄って、撮った画像の確認を始める。俺はあとから、
ゆっくりと近づいて後ろからその様子を眺めていた。
「うまいね。あー君。すごくキレイに撮れてる」
「そんなことないよ。あーちゃんがキレイなんだよ」
村木がカメラをいじりながら言った。
「あれ、山川、お前、全然笑ってないな。そんなに固くなるほどのことじゃないだろ」
「そんなことねえよ」
本当はそんなことあった。
写真だからってうまく笑えるほど器用じゃない。
画像をチラっとだけ見て言った。
「小さく写っているからそう見えるだけだっての」
「これでもか」
村木は俺の顔をアップにしていた。そこに写る俺の顔は指名手配されているみたいだった。
口元の裏ピースだけが浮いている。
平静を装って言う。
「まあそうかもな。こういう写真は慣れてないから。緊張したんだよ」
「お前は緊張すると勃起するのか」
「してねえし」
村木は俺の顔を一瞬見たあとわざわざ台からカメラを取り外していじりだした。
カメラのモニターを俺の目の前に突き付ける。カメラのモニターに俺の股間のアップ。
ジャージのズボンのなかで俺の分身は声高らかに主張していた。
『自分はマックスで緊張しているのでありまぁすっ!』
敬礼する勢いだった……