徒歩遠征大会で自己鍛錬を叫ぶ
「それでは徒歩遠征大会スタート」
前川先生の声がマイクを通して響いた。
俺たちは倉田高校の校門から数人ずつ固まりながらダラダラと歩き始めた。みんな学校指定のジャージを着て背中にデイパックを背負っている。
今日は倉田高校の伝統行事、徒歩遠征大会だった。
大会といってもただ決められたコースを歩き続けるだけというもの。
昨日の先生の話では入学したばかりの一年生の親睦を深めるという目的があるという話だったけど俺は見事にグループからあぶれていた。
だけど俺は寂しくなんかなかった。
俺の脳内には想像力という心強い相棒が住んでいる。
相棒の活躍が待ち遠しい。
前川先生は俺のかなり先を歩いているはずだ。昨日のタイトスカート姿を思い出す。揺れるお尻が脳内に現れた。今日も俺の相棒はいい仕事をしてくれそうだ。
それに今日の前川先生はスポーティな恰好だった。俺はとりあえず、相棒に前川先生の揺れるお尻、ジャージにパンツの線が浮き出ているところを脳内ビジョンに映し出してもらうことにした。
あと一歩のところで上手くできない。脳内ビジョンのピントがなかなか合わない。おい、しっかりしてくれよ。相棒。今日はジャージの女子の後姿という素晴らしい素材を大漁ゲットできる日なんだからな。
そんなことを考えていると後ろから呼び止められた。
「山川、一緒に行こうぜ。あーちゃんも一緒だから。っていうか顔色悪いぞ。大丈夫か?」
村木だった。意外なことに取り巻きはいなかった。
「別になんでもねえよ。それより他の奴らは?」
「みんな同じ中学同士で行くんだろ。30キロも歩くんだから。俺もその方が都合がいい」
「そうか。今日は忙しいから。悪いけど一人で行くよ」
正直邪魔だった。女子の後姿をチェックするという使命が俺にはあるのだ。
悪いがリア充の青春ごっこに付き合っていられない。
「お前、バカか。学校行事で一人ぼっちなことアピールしてどうすんだよ」
「コイツ山の中に女子を連れ込むつもりじゃないの。ヘンタイだもん」
「うるせぇよ」
俺は無視して歩き出した。村木が追いかけてくる。
「いいじゃねぇか、付き合えよ。話があるんだ」
「あー君、こんな奴もういいって。二人で行こうよ」
桂木が言う。不思議だった。桂木だって美人だ。
昔の俺ならこんな扱いされても一緒にいたいと思っていた。だけど、下手に出る気にはなれなかった。
もしかして俺はリア充の階段を上りはじめたのだろうか。
昨日は確かにフラれた。一晩考えてそれは認めた。でも、無理矢理でもなく金が目的でもなく、彼女はあんな事をしてくれたのも事実だ。
最初は同情だったのだと思う。でも同情から始まる恋だってある。
あの瞬間、彼女は俺に恋をした。きっとそれだけなんだ。
そうじゃなきゃ、あんなことするわけがない。
ほんの一瞬の短い恋だけど。
認めよう。あんなに可愛くて俺の大好きな微乳、スタイルもよくて色白の眼鏡っ娘を惑わす魅力が俺にはあるのだ。
ようやく分かった。なるほど、リア充はこうやってさらに多くの女の娘を求めリア充スパイラルを駆け上るのだ。
この世の真理を見た気がした。
村木、お前も結構リア充スパイラルを上ってきたようだな。
だが、悪いな、ここから先は俺の領域だ。
俺はリア充の頂点にたつ男なのだから。
「あら、三人で行くのね。早速、仲良くなってよかったわ」
前川先生だった。スポーティなファッションなのにしっかりメイク。そのギャップが…… たまらないっ。
「はい、仲良くやってます」
俺は笑顔で即答した。あの娘も俺の笑顔と元気の良さに惚れたんだ。これを活かさない手はない。
「な、そうだろ? お前ら」
「バーカ」
桂木は口だけ動かして言った。
「ま、結果オーライだな」
村木は桂木の腰にポンと手を当て、そう言った。当たり前のようにそのことに特に反応しない桂木。
何それ? お前らのスキンシップ。幼馴染みなら何やっても許されると思うなよ。
こっちは昨日こっぴどくフラれたってのに。
爆発しろ。この格下リア充が。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
三人で歩き始めてしばらくすると、周りからチラ見されていることに気が付いた。村木と桂木を従えて歩く俺はリア充に見えるに違いない。
道を開けな。モブキャラども。俺たちリア充様のお通りだぜ。
肩で風を切って歩く。
気持ちよかった。
前を向いて歩くことがこんなに気分がいいなんて。
こんな事すら忘れてたんだな、俺。
後ろでペチャクチャとおしゃべりする村木たちも気にならなかった。
「なあ。そろそろ腹減らないか?」
しばらく歩いていると村木が腕時計を見ながら言う。高そうなごつい時計だ。思わず、俺の安物のデジタルウオッチを見る。
「そうだね。ちょっと早いけど食べちゃおっか」
桂木が答える。
俺たちが歩いているのは学校にほど近い倉田山の頂上へのハイキングコースだ。
舗装されているとはいえ、両脇は高い木々に囲まれた一本道。休憩できそうなところなんて見当たらない。
「え、こんな所で? 頂上まで行けば何かあるんじゃないの」
「頂上なんてすげえ混んでて落ち着いて飯喰えないよ。ランチはゆったりしよう」
「ランチって、お前は女子かっ!」
「うるせえな」
やべっ。
マジなトーンだ。
村木の地雷踏んだ。
取りあえず謝っておくことにした。
「ゴメン」
「いいよ。別に」
村木はプイッと顔を反らしてスタスタと歩いて行ってしまう。
「しょうがないなぁ。あー君ちょっと」
村木が足を止めた。
「ほら、あんたから行きなさいよ」
二人並んで村木の前に立つ。俺はこれ以上なんて言ったらいいのかわからなくてただ突っ立っていた。
「しょうがないなあ。仲直りの握手して」
「あーちゃんに言われちゃ、しょうがねえなぁ。ホラ」
村木が照れ笑いを浮かべながら右手を差し出した。
俺は、ただその手を見ていた。
ほっそりとした長い指。
俺の手と違って傷もマメもない。
爪も形が整えられていた。
テレビや雑誌なんかのアンケートとかで『綺麗な手の男っていいよね』などと無邪気に言う若い女の人のイメージが浮かんだ。
「ほら、あんたも手を出しなさいよ」
桂木が焦れたように俺の手を掴もうとした。
思わずその手を振り払った。
「何だよ。お前」
村木が言う。その声は明らかに怒っていた。
「ちょっと待って。あー君」
村木はやれやれ、とでも言うように両手を上げた。
「山川。私の目を見て」
桂木が俺の顔を下から覗き込む。
思わず身構える。
俺は腹にヒザ蹴りを入れられたことを忘れてはいない。
「何か訳があるんでしょ。言ってごらん」
昨日は問答無用で蹴ったくせに、今日はやさしい声を出す。
だけど言いたくない。
桂木から目を逸らすと村木と目が合ってしまった。
「別にもういいよ」
村木は振り返って歩き出すとポケットからハンカチを取り出して、顔に何度か当てがった。俺もつられてジャージの袖で顔の汗を拭った。
そのとき俺がつけている安物のデジタルウオッチが見えた。
ハンカチで顔を拭く村木とジャージで顔を拭う俺。
高級腕時計をさりげなく身に着けスマートでイケメンでいつも女子に囲まれている村木。
俺は隣や上の階の音が筒抜けのアパートに住んでいる。
しかも俺を取り囲むのはヤンキーどもくらいだ。
なんでこうも違うんだろう。
同じ人間なのに。
スタスタと歩く村木の後姿を見ているうちに段々と腹が立ってきた。少しでも俺の気持ちを思い知らせたくなった
「ちょっと待てよ」
思わず叫んでいた。
村木の体が固まった。村木は振り向くことなくそのまま立ちどまっていた。その後ろ姿に語りかけた。
上手く言えるかわからない。
わかってもらえるかなんてどうでもいい。
ただ言うことに決めた。
とにかく言ってみる。
「お前の手が綺麗すぎるんだよ」
「キレイならいいじゃないの」
桂木が横から口をはさんでくる。思わず言ってしまった。
「悪い。少し黙っててくれないか。大事な話なんだ」
「はいはい」
桂木はそう言って俺から少し離れた。
「もっと、離れてくれ。村木と二人で話したい」
「いやよ。めんどくさいもん。これでいいでしょ。」
そう言って桂木は両手で耳をふさいだ。
「絶対に聞くなよ」
俺がそう怒鳴ると桂木は耳から両手を話して大きな声で言った。
「何よ? なんて言ったの?」
「何でもねえよ。耳塞いでくれ」
俺は桂木がもう一度、両手を耳に当てるのを確認すると村木に向き合った。
「別にお前と握手したくないわけじゃないんだ。」
「別にいいよ。俺との握手をいやがったのはお前だけじゃないしな。モテない男の嫉妬には慣れてるよ」
村木はそう言うと桂木の方に顎でしゃくってみせた。
「あーちゃんの顔をたてようとしただけだ。っていうか、たかが、握手くらいどうでもいいだろ?」
どうでもよくなかった。
「村木。あのさ。お前さ」
「何だよ」
「モテるお前にはわかんないかもだけどさ」
村木は冗談めかして言った。
「まあ、確かに女に相手にされない苦しみはわかんねえな」
「ああ、だから、わかんないと思うぜ。俺なんかの気持ち。でも言うわ」
「何だよ」
「お前の手。綺麗でさ。つい思っちまったんだよ。汚い俺の手で触っちゃいけないんだって」
「意味わかんねえよ」
村木は鼻で笑った。
「そりゃそうだ。お前なんかにわかるわけがねえよ」
胸が押しつぶされそうだ。
何かが口から飛び出しそうな感じがして息苦しかった。
もう抑えつけられなかった。
「俺はなあ。毎日オナニーしてんだよっ。1日に2回も3回もっ。だから、俺みたいなのがお前に触る資格なんて無いんだよっ」
村木は目を見開いていた。
付け加えてやった。
「昨日だって徹夜でしたんだぜ。何回も、何回も。あんなフラれ方したってのによっ。俺はどうなってんだよっ? クソっ」
俺は声の限りに叫んだ。村木なんかにわかるはずがない。俺の俺だけの魂の叫びだ。
せき込んだ。両手を膝に付いた。
しばらくそうしていた。
顔を上げられなかった。
「あはははは」
笑い声だ。
声のした方に顔を向ける。
桂木が腹を抱えて笑い転げていた……




