生贄が子羊とは限らない
入学式が終わって体育館から教室に移動することになった。
途中で何度も桂木に話しかけようとしたけど男子に囲まれていてきっかけを作れなかった。結局、俺が桂木の鞄を持ち歩くことになってしまった。
移動中に桂木以外にも目立つ奴を見つけた。
女子に囲まれて、キャッキャ、ウフフしている男。
奴は、女子の髪に触れたり、ヤダァとか言っているくせに微笑む女子から胸を軽く叩かれたりしていた。俺は奴が爆発することを願わずにはいられなかった。
教室に戻ってからも奴のハーレムの宴は続いている。ふと周りを見ると、一人ぼっちなのは俺だけだった。スマホを取出し、いじり始めた。周りにサイトを見ているのではなく、メールを打っていると思わせるために指を動かし続けた。
その間ずっとすべてのリア充どもが爆発することを願った。
教室のドアが開き、前川先生が入ってくる。奴らは蜘蛛の子を散らすように席に戻る。爆発じゃないけど、まあ、良しとする。いい仕事しましたね。先生。思わず、前川先生に微笑みかけた。目が合った。
「山川君」
「はい」
「ちょっと荷物を運ぶの手伝ってくれるかな?」
「え?なんで俺なんですか?」
思わず声に出してしまった。
俺には桂木を見守りつつリア充どもの爆発を祈るという任務がある。
悪いが今手が離せない。
「ダメかなぁ? 一人でゲームしてるの山川君だけだったから大丈夫かと思ったんだけどな」
「メールです」
「あ、そうなんだぁ。 ごめんね。あ。っていうか休憩時間以外スマホ使っちゃダメ」
ほがらかに笑って先生は言う。
教室の空気に少しだけ緊張が走った。
こそこそとスマホをしまう奴らが目についた。
クソっ。
ここでも俺が生贄かよ。
「みんなは、黒板に書いてあるクラスの委員を決めておいてね。さっき、自己紹介したからお互いのことはある程度わかったと思うし。それじゃあ、お願いね」
そう言うが早いか、先生は廊下に出て行ってしまった。慌てて後についていく。仕方がない。力を貸すことにしよう。だが、先生さんよ。
代償は払ってもらうぜ。
俺は遠慮なく後ろから先生のお尻を見させてもらうことに決めた。
しばらくそうしていると突然先生は振り返った。
「ここなら誰も来ないから。だから君の遅刻の本当の理由を教えてくれる?」
「腹が痛くて、ずっとトイレにいました」
咄嗟に答えた。
もちろん嘘じゃない。
だってお尻を見ていたことがバレたのかと思って嘘なんかつく余裕なかったし。
「そう? そのおでこの文字はなに? 『B』って書いてあるの? 誰に書かれたの?」
「これは愛の印です」
「え? ごめん。どういうこと?」
俺は先生の前に三本指を突き付けた。
[先生、物事には順番、ステップがあるんです」
「え? ええ、そう…… 思うわよ。私も」
「ABCのスリーステップのうちBを完了しました。そう言う意味です」
「あ、ああ、なるほどね。物事には順番があるもんね。う、うん。先生もそう思う」
ビミョーに伝わってないない感じだったけど細かいところまではさすがに言えない。とりあえずこのおでこのBは俺が愛と誇りをもって残しているということが分かってもらえればそれでよかった。
先生は咳払いをすると意を決したように話し始めた。
「正直に言っちゃうとね。近隣住民の方から学校に連絡があったの。うちの生徒が他校の生徒と喧嘩をしていたみたいだって話なんだけど…… これ聞いてどうかな?」
まっすぐに俺を見つめてくる。俺も見つめ返す。桂木を守ってやりたい。自由な校風とはいえ暴力沙汰が許されるわけはない。それに桂木は妊娠してる可能性もあるわけだし……
だけどどう誤魔化したらいいのかわからなかった。
「どうしたの? 何も言えない?」
先生が顔を近づけてくる。綺麗な目をしていると思った。
「キレイですね。先生は」
「ダメ。話を逸らさないで。今は大事な話をしてるのよ」
先生は怒ったように言ったが、一度口を開くと、言葉が勝手に出てきた。
「あ、すいません。違うんです。正直に言います。俺が駅のトイレの個室にいたら人がいきなり入ってきて」
「喧嘩になった、というわけなのね?」
「いえ、いきなり蹴られて気を失っちゃいました」
「それが、私がキレイだというのと何か関係あるの?」
先生は冷静に質問を続ける。聞き上手なのかもしれない。話しやすい。
「俺、言われたんですよ。蹴られる前に。キッタネーって。それを思い出したら俺は汚いけど先生はキレイだなって」
先生は口元に人指し指をあて目線を上に向けて少し考えた。
「ねえ? もしかして……」
「はい。ちょうど用を足してる最中でした」
俺がそう言い切ると先生の右手が差し出された。
意味がわからなかった。
差し出された右手と先生の顔を見比べた。
先生は優しく笑って小首を傾げた。
「あーくしゅ」
先生に言われた通りに握手する。
意外とあったかくてちょっと驚いた。
「へえ}
思わず声が出た。
「ね? なんともないでしょ? 君は汚くなんかないんだぞ」
先生は力強く言い切った
「大丈夫です。中学の時もよくあったから」
「多少は聞いているわ。一匹狼だったって聞いたんだけど……」
「ちがいますよ。シカトされてただけです。ただのぼっちですよ。そんなかっこいんもんじゃないです。まあ、あの人も受け持ってるクラスでいじめがあったとしても言えないでしょうけどね」
前川先生は俺から目を逸らさなかった。
「そうね。そうかもしれないわね。でも君もちゃんと学校に来てたんでしょ?」
「行かなきゃ奴らが家まで来るからですよ。親にも心配かけたくなかったし。まあ、とりあえず行ったら放っておかれるだけですからね。確かに今思えば俺の場合はいじめってほどじゃなかったですね」
「そう。わかったわ。でもね。相談したい事があったらいつでも私のところに来てね。とは言っても、男の子ってなかなか相談してくれないのよね。頼りないかな? 私」
「そんなことは……」
言うわけがなかった。
『もう大人に護ってもらおうなんて思ってませんよ』
先生はその瞳から力を抜いて軽く息を吐く。
「じゃあ、職員室に1年A組と書いてある段ボールがあるからそれを教室まで運んでおいてもらっていい? 私は教室に戻るから」
「はい」
そう答えると前川先生は俺の肩を軽く叩いて笑顔で手を振って行ってしまった。
先生が残したミルクと綿あめを混ぜたような甘い香りに包まれながら俺は遠ざかる先生のゆれるお尻を眺めていた。
『どんなケツだってウンコが出ることに代わりはねえよ』
分身の声は俺を元気づけようとしている気がした。
まあ分身自体も元気なんですけどっ!
ハードを通り越してハイパーですわ!
◇◆◇◆◇◆◇◆
荷物を運んでいると、廊下で話し込む先生と桂木に行き会った。
「丁度よかった。桂木さんとも話は終わったしみんなで教室に戻りましょう」
荷物を抱えている俺は自然と二人の後をついて行く事になった。桂木のミニスカートの裾が揺れていた。先生のタイトスカートのお尻が揺れていた。
俺がエロいからじゃない。揺れているから気になっちゃうだけ。
だけどこうして見ると大人の女のお尻は迫力が違う。
いつか、桂木のお尻もあんな風になるのかな?
俺たちが大人になった時、どんな気持ちでそのお尻を眺めているのだろう?
うん。俺が大人になってもお尻を眺めているって事は決定事項。
そんなことを考えていると教室についてしまった。
教室に入るとクラスメイトが一斉に俺を見る。このモブキャラども、お前らは知らないだろうが、俺はこのS級ランクの美女二人と愉しいスキンシップをした男だ。
二人ともだ。
憧れるのもわかるがあんまり見るな。リアクションに困る。
声に出して言いたかった。
段ボールを教卓の上に置いて、モブキャラどもを見渡してみると、さっきのリア充野郎が人差し指で黒板を指さしていた。振り返った。
級長 桂木綾乃
副級長 村木歩
その下僕 山川遼太
「なんだよ、これ」
思わず口をついて出た。
先生が黒板消しを手に取るのが目に入る。ほら、モブキャラども、先生は俺の味方なんだぜ。
俺は、あとの始末は先生に任せることにして、自分の席に戻ろうとした。
爆笑が起きた。
黒板に書かれた文字が目に飛び込んできた。
その仲間 山川遼太
書き換えられていた。
その仲間って、俺はモブキャラなんかじゃないっての。
「冗談きついっすよ」
思わず抗議する。
「そんなことないって。いいじゃない。仲間って大切よ」
先生はクラスメイトが自分に注目しているのを確認すると話し出した。
「みんなは、アポロ13って知ってるでしょ?」
なんとなく頷くモブキャラども。
「月から帰る途中、アクシデントが起きたの。宇宙飛行士たちは死ぬかもしれない状況だったのね。でも彼らは無事に生還した。それは宇宙飛行士たちだけでなく名も知れぬ管制室の人たちも一致団結して不眠不休で作業を行ったからなのね。彼らがいなければ宇宙飛行士たちは無事に帰って来れなかったわけ」
「でも、なんでそれが俺なんですか」
どうせなら英雄として扱われる宇宙飛行士になりたい。
「自分の気持ちに流されないで、大きな視野を持ってやるべきことを優先できるでしょ」
「俺には無理ですよ。買い被りです」
「そうかしら。まあ、級長や副級長って意外と忙しいから二人を助けてあげて。折角知り合った仲間なんだし」
村木なんて知らないし。それに桂木よ、まさか、今朝のトイレでのこと言ってないだろうな。
焦って、桂木を見ると目があった。桂木はわからないと言うように首を横に振った。
まあ後で聞いてみれば済むことだ。それに、他の奴に邪魔されないで桂木と一緒に行動するチャンスだし。
「わかりました。よろしく」
桂木と先生に笑顔を向けた。
さっきのハーレムを作っていたリア充野郎が何か言いっていた。耳に入らなかった。もっと気にしなきゃいけない事がある。
桂木と先生、どちらを先に攻略するか。それが問題だ。ゲームなら簡単に決められるのに。
決めかねているうちにホームルームは終わり先生は教室から出て行ってしまった。
仕方がない。当面は狙いを桂木に絞る。できれば一緒に帰りたい。なぜなら恋愛シムレーションゲームでは一緒に帰ることからすべてが始まる。
まあ、俺たちはすでに始まっているのだが。
『俺達って付き合ってる、ってことでいいんだよね』
いや違う。
『さっき言ってたアレがないってやっぱりアレのことだよね。コレのことじゃないよね』
俺は駅のトイレの前で拾った鞄を開いてみた。手を突っ込んでキャラクターが描かれたポーチを触ってみる。
これはコレ、だよなあ。
悪気がなかったとはいえ俺が勝手に鞄をあけて、しかもエロい気持ちなんてなかったとはいえ結果として脅威の吸収力を体験してしまった。
この説明、どうしよう?
どう説明するか悩みながら俺は話しかけるチャンスを待った。ずっと女子たちと楽しそうに喋っていた。そこに割り込む勇気が持てるわけもなかった。
俺は結局桂木の分の鞄も持って一人で帰ることにした。
何かしなくちゃならないことがあるような気がしたけどいつまでも一人で教室に残ってぼっち認定されるのも怖かった俺は誰とも話さず、目を合わさず急いで駅に向かった。