野良犬からのワンちゃん、あるいはワンチャンス
「昨日までモテなかったからって今日からもモテないとは限らないだろうがっ!」
俺は駅の男子トイレの個室の中で和式の便器を跨ぎながら緊張で腹を下している自分自身に繰り返し言い聞かせていた。
今日は俺が入学する倉田高校の入学式だってのに……
クソっ。
電車の中からヤバかった。
入学式だし。高校デビューだし。自己紹介は絶対にハズせない。
そんなことを思い始めたら緊張して俺の腹は急激に調子が悪くなり始めたのだ。
ちょっと迷った末に駅のトイレで済ませておくことにした。
邪魔くさい鞄をコインロッカーに預けて集中して創造物をひねり出している最中だった。
そんな非常事態中に追い打ちをかける緊急事態。
個室のドアの外から聞こえてきた叫び声。
「てめぇ、なめてんじゃねえぞ。コラァ」
「まあ、そう興奮すんなよ。少年」
場馴れした感じの余裕たっぷりの男前なセリフ。でも、その声はどう聞いても若い女の人の声だ。
気になってどうしても顔が見たくなっってしまった俺はゆっくりと慎重に隙間が出来るくらいだけドアを開けた。
「あれっ。誰かクソしてねえか」
いきなりバレた。急いでドアを閉める。
バタン。
意外と響く。
「オイ、テメエ、出てこいよっ!」
叫び声がする。ドアが激しく叩かれる。
「大丈夫だからそこにいて!」
落ち着いた女の人の声が響いた。
いや、無理。
だって、トイレのドアの上から純度100%のヤンキーがこっちを覗いているんだもの。
そいつは、ニヤニヤしながらあっさりと個室の壁を乗り越え俺の目の前に降りてきた。何も言えないでいる俺にそいつは言った。
「キッタネー。倉高のヘタレがここのトイレ使うなんて生意気なんだよ。野良犬みてえに野グソでもしろっての」
思わず俯く。便器の中身が目に入る。
『たぶん臭いんだろうな』
他人事みたいに思った。
「イテッ」
髪を掴まれた。
頭を下に押し下げられる。
思わず床に膝をついた。
床の冷たさが伝わってくる。
縮こまっている俺の分身が目に入る。
見られたくなかった。
両手で隠す。
「顔をあげろよ。このクソ野郎」
従った。
すぐ目の前に黒い影。咄嗟に両腕で顔を覆った。間に合わない。奴の靴底だ。溢れる鼻血を一舐めしたときに思い至った。
視界がぼやけている。
狭い個室の中で、自分の呼吸と心臓の音だけが聞こえる。
とにかく寒かった。
カシャ。
場違いな音が響いた。顔を上げる。スマホが振られていた。
「この写真、拡散させてもらうわ」
そう言いながらヤンキーはドアを開けて出て行った。ドアが激しく閉められた。思わず身を竦めた。
外から奴らの爆笑。女の人の声は聞こえない。
彼女が逃げる時間が稼げたのは良かったけど……
『野良犬に噛まれたと思って忘れればいい』
そんな言葉が頭に浮かんだ。
舌打ちしか出なかった。
立ち上がる気にもなれずに床に座り込んで壁にもたれて目を閉じた。
入学式なんてもうどうでも良かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
生暖かい空気が頬にあたる。
頬をくすぐるのは何だ?。
何度も繰り返しやがって。
俺は眠いんだ。
学校なんか行く気しない。
俺のせいじゃないからね。
「大丈夫? 自分がどこにいるかわかる?」
女の人の声。薄く眼を開けた。
目のピントが徐々に合う。
俺の目の前には大人っぽい雰囲気の美少女の顔。いい匂いがする。たぶんこの娘のシャンプー。頬をくすぐっていたのは髪の毛だった。
「大丈夫? 自分の名前。言える?」
心配そうに顔を覗き込んでくる。腕のあたりに柔らかい感触。
やばい。
この娘、可愛い上に俺好みの微乳だ。しかもブラウスのボタンがいくつか外れて胸の谷間が丸見えだ。
いや、違う。そんなもんじゃない。
微乳のせいかブラがでかいのか、微かなふくらみとその先端まで……
丸見えじゃないか!
しかも、メガネっ娘。
ブラは白とピンクのギンガムチェック。
真面目な眼鏡とキュートな下着の組み合わせ。
そしてちょこんと顔を覗かす、かわいい桜色ビーズ。
ポチッとしたいぜ、そのポッチ。
あれ? もしかして、俺、ヤンキーに蹴り殺された?
すでに転生直前イベント発生中?
だってこの娘。
天使だろ?
オッケー。わかった。
もう今までの最低だった人生なんてどうでもいい!
この出会いにすべてをかけるんだ!
「山川遼太です! 本当は倉田高校に入学する予定でしたが、急きょ、お腹の都合で転生することになりました。初めての転生でわからないことも多いですがよろしくお願いします!」
「大丈夫…… なのかな?」
嫌な予感がした。彼女の目線を追う。そこには、剥き出しの俺の分身。力強く主張していた。
『山川遼太は、今日もこんなに大丈夫!』
って、勃ってる場合じゃないだろ、俺。
恐る恐る彼女の顔を見た。彼女と目が合う。勇気を振り絞った。
「大丈夫です。俺は死んでないっぽいです。多分……」
俺たちの間に一瞬の沈黙。
そして彼女は手を叩いて無邪気に笑った。
腹を抱えながら彼女は言う。
「それだけ元気があるなら大丈夫だね。奴らは追い払ったから君も安心して学校に行きなよ」
「え? 一人で? 武器も持たずに?」
「まあね」
彼女はウィンクして不敵に笑うとポケットからマジックを取り出して軽く振った。
「さてと。じゃあ、お仕事。始めさせてもらうね」
そう言って俺のおでこになにやら書き付けた。そしてデジカメのレンズを俺に向ける。
「ハイ、ポーズ」
カシャっとシャッターを切る音がトイレに響く。
思わず固まってしまった。
「なんですか? コレ」
彼女はにっこりと笑っていった。
「君、女の子から恨まれるようなことでもしたんじゃない?」
俺は全力で首を横に振る。
「そうなんだぁ。でもゴメンね。お姉さんもお仕事だから。簡単に済むならそれでいいの」
そう言うと彼女はすっくと立ち上がり行ってしまった。その後ろ姿に見とれてしまう。
俺と同じ倉田高校の制服だ。紺色のハイソックスに包まれるまっすぐ伸びた足がキレイでミニスカートがよく似合っていた。
なぜか指出しグローブをつけていたけどそんなことは些細な問題だ。
俺が見惚れていると彼女の声が俺の脳天に響いた。
「ちょっと可哀想になっちゃった。いいことしてあげるからズボンもパンツも脱いじゃって」
「え! なんて?」
言葉の意味は分かった。
でも現実味がなかった。
「イヤ?」
小首を傾げて俺に聞く天使ちゃん。
俺はズボンごとパンツを足首まで一気におろす。片足をパンツから抜く。もう片方の足でズボンとパンツを蹴りあげる。
ズボンもパンツも理性と一緒にどこかに消えた。
彼女は微笑みながら慣れた手つきで指出しグローブを外すと分身を抑える俺の両手を軽く撫でた。
俺は視線を下げる彼女の長いまつげに目を奪われた。
彼女の髪から漂う香りが俺の鼻から脳味噌を直撃。
なぜか母親のシャンプーのボトルが頭に浮かんだ。
「やっぱりやめとく?」
彼女が俺を見上げていた。
目が合った。
俺は左右に首を振った。
彼女は手で口元を抑え横を向いた。
目が笑っていた。
「ゴメンね。なんか、水遊びしたワンちゃんみたい」
彼女はわざとらしく深呼吸をしてから言った。
「それじゃワンちゃん。気をつけ。できるでしょ?」
俺は首を縦に何度か振るとゆっくりと両手を分身から離した。
『気をつけする時、ズボンの縫い目に添えるのは中指だっけ? 人差し指だっけ?』
俺は太ももあたりにズボンの縫い目がないことを不思議に感じながら俺のやたらと大きい鼻息を聞いていた。
さっきまで冷たい空気に包まれていた分身。
温もり。
湿り気。
気づいたときには握られていた。もちろん俺はされるがままに受け入れた。
彼女のピンク色に染まる頬。揺れる髪。漂う香り。ピタッとさらっと繰り返される彼女の温もり。
我慢の限界。
うめき声。
突き上げる。
繰り返す。
直後の気怠さ。
俯く。
彼女の右手が目に入る。
白く汚れていた。
賢者モード突入。
「ははは」
乾いた笑いが聞こえた。顔を上げた。彼女は眼帯をつけていた。
違う!
彼女の眼鏡の半分は俺の白い弾丸に染まっていた。
「すいません」
とにかく謝る。
彼女は呟くように言った。
「なにやってんだかなぁ。私は」
思わず俯く彼女の顔を覗き込む。彼女は上目づかいに俺の瞳を覗き込む。彼女の瞳は汚れた眼鏡のせいでよく見えなかった。
俺がただ身を固めていると予想外の質問を聞いてきた。
「ねえ、山川君。神様に今日から女になれって言われて女に変えられちゃったらどうする?」
「まずは鏡を見ます。かねぇ?」
裸になって、とは言わない。
「なるほどね」
そう言って彼女は洗面台の前に立つ。
俺も隣に並んだ。
おでこになんて書かれたのか読むことができた。
アルファベットのBだ。
なるほど。
この娘はきちんと記録を取っておくタイプなんだな。
俺が小学生の頃、中学生だった近所のお兄さんがに教えてくれたんだ。
『いいか。遼太。女の子と仲良くなるには三つのステップがあるんだ。キスがA、お互いに体を撫でるのがB、そしてC。拾ったエロ本に書いてあったんだから間違いないぞ』
彼女のことをほんの少しだけど知ることができてうれしかった。
思い出をきちんと記録しておきたいタイプなんだな。
俺はこのことに気が付いたときにこの文字は自然に消えるまで残しておくことに決めた。
鏡に映る俺の顔は我ながら誇らしげだった。
「君には私がどう見えているのかな」
そう尋ねる彼女の顔は汚れた眼鏡のせいで良く見えなくなっていた。
でも俺はわかってる。
だからこう答えた。
「可愛いです。すごく。足も長くてスタイルもいいですし」
彼女は無反応だった。
「あ、あとやさしい、俺のこと助けてくれたし。あんなことまで」
慌てて付け加えた。
「気にしないで。さっきのも仕事のうちよ」
彼女はふと思いついたように、ポケットからデジカメを取り出した。
「ちょっと、鏡に写っている私たちを撮影してくれるかな。まずは、二人並んでいるところ」
言われたままにそうする。
「次は、私の顔と全身。あと、君のことも撮らせてくれる?」
画像を確認する彼女の横顔を見て思う。眼鏡を洗ってからにすればって、言ってあげればよかった。
「ごめん。先に言ってあげればよかったね」
彼女が言った。
「え、何を?」
「早くそれをしまうように」
彼女の人差指は俺の股間を指していた。
「あっ!」
今さらながら分身を両手で隠す俺を置いて彼女はフラフラした足取りでトイレから出て行ってしまった。
「あ! デジカメ!」
鏡の前に置きっぱなしだった。追いかけたけどトイレの外に出てみるともう姿は見えなかった。その代わりに真新しい学生鞄が入口の脇に置いてあるのに気が付いた。
学校に持って行ってあげることにした。
彼女の名前もクラスも聞き忘れたことに気が付いた俺は名前がわかる物を探して鞄を開けてみた。
中にはあったのは豪華な封筒とお菓子といくつかのプリント、人気キャラクターが描かれたポーチ。
とりあえずポーチを開けてみる。
中身を取り出してみた。
なんとなく予感はあった。
生理用品だった。
ふと、人の気配を感じた。やばい。誤解される。慌てて振り向いた。
トイレに入ってきたのは背広を着たサラリーマン風のおじさんだ。チラチラと俺を見ている。成程、俺の顔は鼻血で汚れたままだった。
「あいつは、やさしいなぁ。血を止めるのに使えるからって、こんなものくれるなんて」
俺はおじさんに聞こえるように大きな独り言を言ってからナプキンのパッケージを破って鼻にあてがった。
血で薄汚れたナプキンを顔に押し付ける鏡に映る俺。
どんな転生先でもヘンタイと呼ばれるのは間違いない。
だって俺の分身が主張してるんだもの。
『リローデッド完了!』
しかもまだパンツ履いてなかったし!
パンツを履く前にキレイに拭かなきゃならないし!




