エピローグは男と男のモノローグ
男の独白 再び
俺が任務を終え帰る途中だった。
もう夜も更けている。
目の前から自転車に乗った男の姿が近づいてくる。髪はボサボサでジャージ姿のむさくるしい男のシルエット。
男が近づいて来る間にバッグからこれ見よがしにスマートホンを取りだす。見た目が女に近づき始めてから痴漢への対処も身に着けていた。
俺の場合、殴ってしまった方が早いが、目立つ行動は避けた。当たり前だ。組織が許さない。
山川に男だとバレたときは肝を冷やした。それ以来、俺はそれまでよりもさらに慎重になっていた。
驚いたことにあのときのことで組織からお咎めはなかった。山川は俺に罵られて誰にも言えないでいるのだろう。
だが、他の奴がそうだとは限らない。ネットにでもあげられたら今まで女として任務をこなしてきた苦労が水の泡だ。
男の出方を伺うために顔が分かる距離に近づくまで待った。
なんてことはない。山川だった。
通り過ぎざま俺に気が付くと、自転車から降り、ゆっくりと近づきながら軽く手をあげ、微笑みながらこちらに近づいてくる。
「覚えてる? 俺のこと。春に倉田駅で会ってるんだけど」
「忘れられないわよ。あんなことされたんだもの。山川君。ところでどうしたの、こんなところで」
「近所に友達の家があってさ。その帰り。まさか、また会えるなんて」
そう言って照れくさそうに笑う山川。
つられて笑う。
コイツが俺に歯向かった日のことを思い出した。こいつはあの時も自転車で現れたな。
確か柔道の絞め技で一人、投げ技で一人やられたんだったな。
結局コイツのスタミナが切れたところを狙って俺がぶちのめした。
土下座するみたいにうずくまった山川を仲間たちが痛めつけた。
二度と逆らう気が起きないように痛めつけたはずだった。
だがそれでも山川が俺を見る目つきが気に入らないから時々呼び出してオモチャにした。
任務のことなど考えずに思い通りに生きていたあの頃が懐かしい。
俺が過去を懐かしんでいるなか、何を期待しているのか、聞いてもいないのに山川はベラベラと喋り続ける。
鬱陶しかった。昔の俺なら瞬殺していただろう。
つけあがりやがって。自分でまいた種とはいえ、怒りは山川に向かう。
あのとき、なぜ、あんなことをしたのか今となってはよくわからない。
自分でも驚くくらい変わった俺に気が付いてほしかったのか?
俺がいくら変わっても山川は支配される人間だと思い知らせたかったのか?
いや、違うな。
いくら痛めつけても学校に通ってくる山川にあのとき偶然再会した。
あのとき俺はコイツに勝った気がしたことがなかったことを認めた。
痛めつけてだめなら仕込まれた色仕掛けで支配する。
そんなことを考えたような気がする。
中学の時は奴を痛めつけているのがバレない様にボディを殴ることが多かった。
くだらない。冷静に思いだせば殴った時に違和感はあった。
ただ一発入れただけでうずくまる山川を見て仲間たちははしゃいだ。
俺も地元最強の呼び名に酔いしれていた。
それだけのことだ。
まさか雑誌を毎日仕込んでいたとまでは思わなかった。
苦笑いが浮かぶ。
結局俺はコイツの芝居に騙され続けていただけだった。
まあ、いまさらどうでもいい。
今の俺は正義のために組織から与えられた任務をこなすだけだ。
これ以上付き合うのも億劫だ。
それに明日の任務は朝が早い。
「私はもうあなたと遊んでる暇はないの。明日早いから。もう行かなきゃ」
「あ、ごめんね。呼び止めて。これで最後にするから悪いんだけど聞かせてよ。高田さんはなんで13(サーティーン)って言うの?」
「なに? サーティーンって。サタンとかそういう話のこと?」
「違うよ。高田さんは13(サーティン)っていう復讐請負人なんでしょ? 俺のおでこにそう書いたじゃん。写真まで撮ってたもんね」
「そうだっけ? 忘れちゃった」
「そっか。まあ、高田さんには13(サーティーン)っておかしいもんね」
「おかしいもなにも、私はそのサーティーンとかとは違うんだけど。あれはただの悪戯よ。ゴメンね」
「うん、そうだよね。だって13(サーティーン)ってトランプで言ったらキングだもん。高田さんならクイーンだけどそれもないだろうしね」
山川はそこで区切ると一歩近づき俺を見つめた。
「意味がわからないんだけど」
「キングやクイーンって、ほら、自分の手を汚さないでしょ。」
「で? 私は汚れてるとでも言いたいの? 結局何しに来たのよ。用が無いなら私もう行くわよ」
「あ、待って。高田さんって強いじゃん。ちょっと稽古してくんないかな。あれからちょっとは鍛えたんだ。俺も高田さんみたいに強くなりたくて。本気で殴ってもいいから」
笑ってしまった。確かに山川の体つきは変わっていた。だが声が震えていた。多少鍛えたぐらいじゃ人は変われない。
中身を変えるには経験と周りの人間に恵まれるかがものをいう。こいつには、そのどちらも欠けている。
「後悔するわよ。」
殴って済むならそれが早い。しかも、本人のお望みだ。少し先に行ったところの駐車場の奥にまで行けば、通りからも見えないだろう。
それに何より、いい加減いらついていた。
結果は俺の圧勝だった。山川は柔道の構えはしたものの動きが固い。しかも、俺を睨みつけていた。
平常心でいられないならその時点で負けだ。
ナックルガードも拳もいらない。指で軽く鼻をはじいて、横っ面を張ってやった。それだけで山川は膝をつき涙目であえいでいた。
ボディは狙わなかった。
どうせこいつは腹に何か仕込んでいる。
あの頃から何も変わっちゃいない。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
独白を繰り返した男の最後の独白
俺は沢田のマンションにほど近いビルの屋上で村木と落ち合った。村木から差し出されたごついレンズのついたカメラの画面をしばらく見つめると、力強く言い切った。
「俺たちの勝ちだな」
「はあ? そんなに顔を腫らして、ナニ言ってんの。ホント心配したんだからね」
「でも、無事に帰ってきたろ? あいつ、逆らわなければ2、3発で飽きちゃうんだよ。変わってなくてよかった。それよりすげえな。お前のカメラ。ばっちり写ってる。あとはこれをあいつの家に送れば俺たちのリベンジは完了だな。正体がバレる恐怖に怯えやがれってんだ」
「そうね。でも、ホントにこれで終わりにしてよね。もう二度と危ないことしないでよ」
「ああ、わかってるよ。一緒に戦ってくれてありがとう」
束の間見つめ合った、俺たちはどちらからともなく顔を寄せた。村木の吐息を口元に感じた。多分村木も俺の吐息を感じている。
見つめ合う。
村木の瞳に映る俺が見えた。
その顔が離れた。
「俺、留学しちゃうけど、これからも友達としてよろしくな。」
その体、握手を求めたその右手、震えていた。
「いや、違うんだ。そうじゃないんだ。俺はただ」
「ただ、なに? いいよ、言って。キモイでしょ。これでもあたし、男だし」
「違うよ、そうじゃないんだ。お、俺だって、どうしたらいいかわかんないんだよ」
俺は片手をポケットに突っ込み、激しく自己主張する分身を押さえつけ、もたつきながらも空いた手でポケットからハンカチを取り出すと村木の手に握らせた。
「あ、ありがと。でも、お化粧付いちゃうから。ティッシュあるし」
「いいから使えよ。汚れたら洗えばいいんだし、落ちない汚れは味が出たって言うんだろ?」
村木は少し、目を見開くと、俯き、ハンカチで瞼を押さえた。
「泣くなよ。またすぐに会えるよ」
「ゴメンね。そうじゃないの。嬉しいの。だって山川がこんな風に変わってくれるなんて」
村木は口元にハンカチを宛がい潤む瞳で上目使いに囁いた。化粧は少し崩れ始めていた。
「ねえ、記念にこのハンカチ貰ってもいい?」
「当たり前だろ。向こうに行っても忘れんなよ。俺のこと」
「っていうかさ。やっぱりそれだけ?」
「それだけって?」
「ううん。なんでもない」
俺は片手で分身をを押さえつけたまま俯いて咳払いを数回。顔をあげると村木をまっすぐに見つめた。
「やっぱり、お前は笑顔が一番似合うよ。泣くとパンダみたいだし」
「ふーん、そんなこと思ってたんだぁ。ま、いいけどさ」
村木はそう言うと山川の股間に人差し指を突き付けた。
「いつまでそこ押さえてんのよ。このケダモノめぇ」
そう言うなり村木は俺の頭を両手で激しくかき回した。俺はされるがままに村木の両手を受け入れた。
村木の両手から解放された頭を上げて俺は抗議する。
だけどその言葉に力は無かった。
「な、何すんだよ。俺の頭セットするの大変なんだぞ」
「別にいいじゃん」
そう言って悪戯っぽく瞳を輝かせて村木は笑った。
「よくねえし」
「髪型くらい関係ないって。その人のことが好きになったら、天パも好きになっちゃうもんだよ。女の子って。あたしが言っても説得力ないかもだけど……」
俺は村木の次の言葉を待った。
「好きな娘ができたら堂々と誘ってみなよ。」
「え、そういうもんなの? 嫌がられるんじゃないの?」
「やってみなきゃわかんないでしょ。男はね、やさしいだけじゃダメなんだよ。
強さがないと」
「そんな男になれたら苦労しねえっての」
「大丈夫。なれるよ。遼太なら」
「どうして?」
村木は誰が見ているわけでもないのに、首を振って辺りを見渡すと、ゆっくりと両手を俺の肩にのせ軽く背伸びをする。
俺の耳元に唇を近づけ耳元で囁いた。
「だって、そうなるって決めてくれたんでしょ? 私のために」
「まあ、そうだけど」
宮本のことを好きだった時もそう思った。
村木が沢田達に絡まれたたときも宮本かもしれないと思ったから飛び込んだ。
最初から宮本じゃないと知っていたらどうしていただろう?
それに、村木は男だ。
自分の気持ちに自信が持てなかった。
俺はそんな思いを振り切るように村木の右手を握ってみた。
「痛いよ」
「あ、ゴメン」
慌てて手を離そうとする俺の右手を村木は軽く握った。
いつか村木と握手したときのような分かり合えた錯覚は起きなかった。
それでも言った。
「俺はただお前がお前らしく生きて行ってほしいだけなんだ。できれば、その力になりたいと思っている。でも、恋愛かどうかは正直よくわからないんだ」
「私もよ。それでもいいんじゃない? 少なくてもお互いに相手の幸せを望んでる」
俺たちは見つめ合っていた。
村木が重たい空気を振りはらうように明るく言った。
「お腹すいた。ゴハン食べに行こうよ。牛丼屋さんならまだやってるんじゃない?」
「いや。もう遅いしさ。危ないから帰ろうぜ」
「うん。そうだね。あ、そうだ。今度、牛丼食べに連れて行って。留学したら多分なかなか食べられないから」
「ああ。いいぜ」
俺は微笑んで村木の顔を見つめた。
「あ、よかった。お肉食べられるんだね?」
「え? フツ―に食べるけど? 」
「よかった。いつもファストフードでもポテトかドリンクだし。遠足の時もサラダしか手をつけてくれなかったし、ラーメンのチャーシューだって…… 勝手にお肉苦手なのかと思っちゃった。よかった聞けて」
「ああ、別に平気だよ。それより早く帰ろうぜ。眠くなってきちゃった」
「そうね。ゴハンはまた今度ね」
俺は村木を後ろに乗せて自転車で二人乗りをして駅で村木を降ろした。
村木は駅からタクシーを拾って帰ることになっていた。
見えなくまでタクシーの中かから手を振り続けていた。
俺は駅のコインロッカーからリュックを取出してトイレに入った。
個室の中で着替えた。
自転車に乗ってペダルを漕ぐ。
月が付かず離れずの距離でついてくる。
近づけない。
離れられない。
ただずっとそこにある。
太陽の光を受けて反射して光る月。
大昔は地球の一部だった月。
なんとなく村木が太陽で俺が月。
そんなイメージが浮かぶ。
村木は俺をよく見ている。
たんに緊張すると肉を食えないだけなのに。
自転車を漕ぎながら月に手を伸ばす。
掴めるわけがない。
汗が出てきた。
顔を掌で撫でた。
掌とは思えないほど固くなってしまった感触に苦笑いが浮かんだ。
二度手間だ。
まあいい。これからは村木のためじゃない。俺のためだ。
任務をこなして金をもらって村木の留学先に遊びに行くんだ。
村木も大人しく帰ってくれてよかったな。
任務がある日は緊張して肉を食べると腹を壊すからな。
さて。
なあ沢田。
よかったぜ。
お前を恨んでるクライアントがいてくれて。
ただ働きできるほど俺は余裕がないからな。
なあ沢田
明日の朝は早いんだろ?
同業者だ。
苦労はわかるぜ。
ゆっくり寝ろよ。
朝まで待ってやるからさ。
明日の勝利を確信するとお気に入りの唄が口から漏れてきた。
マスクを通して聞こえる歌は俺のオリジナル。
ライオンライオン俺はライオン
生きてくために食べるんだ
ライオンライオン俺はライオン
君のためなら獲物を狩るさ
なあ沢田。
お前もそうしてきたんだろう?
俺だけはわかってやれるぜ。
お前も俺をわかってくれるだろう?
最後までお付き合いいただきまして本当にありがとうございました。