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一人の女性が老舗デパート志摩丹の屋上にいた。
デパートはとっくの昔に閉店している。屋上には人っ子一人いない。
昼間とは違い夜はしんと静まりかえっていてまるで何かが起きるのを待っている様にも見える。
彼女は辺りを見渡すと空を見た。
そしてフワリと宙に浮いた。
スルスルとエレベーターの様に上がって行くと屋上の上にある塔屋の上に落ち着いた。
彼女の頭上には志摩丹の社旗がはためいている。
全身を黒いスーツで固めた彼女はおもむろに手帳を取り出すと何やら呪文の様なものを唱えた。
すると彼女の足元から一丁の小銃がまるで泉から水が湧き出るように出てきた。
そしてそれが全ての姿を晒すと彼女の目の前で横になり、両手に収まった。
「三八式歩兵銃、これほど怨念に満ちた小銃は他にはあるまい」
彼女はそう呟くと照準眼鏡を取り付けた。
そして遊底を引き、弾丸を装填した。
スコープをとりあえず覗く。向かい側にある今は家電量販店の元六越の屋上を舐めるように見ていく。
「ヤツはまだ現れていないか」
そう呟くとライフルを肩に担ぎ、内ポケットから煙草を取り出し火をつけた。
紫煙が辺りに漂う。
彼女は前に回ってきた持て余し気味の長い髪を後ろに掻き揚げた。
その刹那、元六越の屋上から「チカッ」と光が見えた。
「発砲炎!!」
本能的にそう察知して身体を逸らした。
間一髪、弾丸は彼女の煙草をかすめるとそのまま闇夜に溶けていった。
「ッチ」
舌打ちをすると発砲炎のあった辺りに照準を定める。
そこにはメイド服姿の女性がスコープを覗いている姿があった。
彼女はそのメイドの額に照準をピタリと付けた。
目標はその気配を感じると走り始めた。
M1ガーランドを志摩丹の塔屋に向けて乱射しながら。
虚しく弾丸が空気を割く音がする。
「フン」
メイドのその虚しく見える抵抗をせせら笑うように彼女は引き金を引いた。
闇夜を弾丸が切り裂いていく。スコープにはまだ屋上を走るメイドを捉えている。
しかし、違和感を感じてならない。
不気味な予感は的中した。彼女の放った弾丸は走り去るメイドの足元に着弾して火花を挙げるだけだった。
彼女は次弾を装填する為ボルトを引いた。
ジャキンと言う音のすこし後にチリーンと空薬莢の落ちる音が聞こえた。
その間にもスコープはメイドを追いかける。
彼女は軽業師のように屋上にある塔屋を壁伝いに駆け上がると振り向いた。
そしてニヤリとするとカバーの様なモノを取り払った。
それは月明かりに照らされ鈍く光っていて、保弾板に載っている弾丸が自分を嘲り笑う様にも見えた。
「九二式重機関銃!!」
彼女はスコープを覗いたまま思わず叫んでしまった。
違和感の正体はこれだ!
そう思った次の瞬間には向かい側の塔屋からオレンジ色の火線が束になって彼女に降り注いで来た。
咄嗟に伏せて第一射をかわす。
「くそっ!ヤツにあんな力があったとは!?」
重機関銃の圧倒的な火力の前に釘付けになる彼女。
しかし世界屈指の命中精度を誇る旧日本陸軍の九一式重機関銃といえどもベルト給弾では無い為、長く打ち続ける事はできない。
重機の保弾板は三十連。つまりは30発毎に保弾板を装填しなければならないのだ。
そこに隙が生まれる。彼女はその隙を待った。
突然が銃声が止んだ。彼女はここぞばかりに身を潜めていた塔屋の陰から飛び出し屋上を駆け出した。十分速度が乗ると彼女は屋上のコンクリを蹴り上げ空高く舞い上がった。
そして弧を描き向かいの六越の塔屋へと舞い降りた。
そのままその勢いを利用してメイドを押し倒すと腰に付けてあるホルスターからコルトガバメントを引き抜いた。
「勝負あったな」
彼女は銃口をメイドの額に押し付けると、そうせせら笑った。しかしメイドは腰元に手を回すと口元に怪しい笑みを浮かべ
「そうかしら?」
と言い放つ。
次の瞬間、メイドの腰の辺りからキラリと光るものが飛び出して来た。
その光るものを器用に指先だけで逆手から準手に持ち替えると、スーツ姿の女のこめかみにピタリと銃剣の切っ先を突きつけた。
「ゴボウ剣で勝ったつもりか?」
スーツ姿の女は拳銃というアドバンテージを主張する。
「あら、貴方の拳銃よりこっちの方が新しくてよ」
「ぬかせ!!」
彼女は怒りに任せて引き金を引いたがメイドは首の動きだけで弾丸をかわす。
次の瞬間に彼女の手に握られた銃剣がスーツ姿の女の、こめかみに差し迫ってきたが彼女はそれをコルトガバメントの銃身で弾くと二人共、磁石が反発するかの如く弾けるように離れた。
スーツ姿の女は離れ行くメイドに腰だめで銃弾を放つ。弾丸は空を裂きデタラメな所に次々と着弾していく。
射線が完全に反れている。
だがそれでいい。
メイドの次の手を封じる事ができればそれで十分だ。
その事に気が付いたメイドは思い切り銃剣をスーツ姿の女に投げたが離れゆくその身を闇夜へと溶かして行った。そして銃剣だけが虚しく夜空をかすめて行った。
「全く。逃げ足だけは一流だこと」
そう皮肉混じりに呟くと彼女もその身を闇夜へと溶かして行った。
何事も無かった様に夜は明ける。
勿論。デパート志摩丹にも家電量販店に成り果てた六越新宿店にも一発の弾痕も無く。
スーツ姿の女とメイドの彼女は何者だったのだろうか?
彼女達は何故激しい銃撃戦をしなければならなかったのだろうか?
様々な謎を残して今日も新宿東口は色々な人の思いを吐き出すようにその身を横たえる。