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美里

      四


 横浜から高速に乗り用賀で降りて環状線へ入った。

「きょうは気分が晴れたので、お礼をいいたいよ」

 帰りはきょうの反省会のようなことから始まった。それから美緒と別れた話をした。そして仕事を辞めて面接を断られ続け、うつ状態になる話もした。

「お礼はこっちです。教えてもらいためになりました」

 美里はハンドルを握りお辞儀するしぐさをした。

「いえいえ、ほんとにこっちがよかった」

「憲さんはうつ状態だったかもしれないけど、それは不安になっただけで、うつでも軽いのだわ。わたしの知人にいるけど起きられなかったり、ご飯も食べられないといっていたの。サーフして気分が和らいだなら、うつ病まではいかないと思うけど」

「そう? 外へ出たくなくなったし、昨日までなにもやる気はなかった。ミサちゃんのおかげできょう変われそうになった。それにバイトでいいから仕事も探す気にもなったよ」

 とにかく働こうと思った。呼び込みで接客の仕事も覚えたので、そんなサービス業でもいいと。

「わたし、そんないいことしてないけど、ためになったならどういたしまして」

 美里は褒められることに弱いのか、すぐ照れる。サーフも褒めて伸びるタイプかもしれない。

「いえいえ、気持ちを変えてくれたし助かった。三年ぶりのサーフもできたしね。ミサちゃんの波乗りも少し横に滑ったし、きょうはいい日だったよ。ガッツあるから必ず上手になるな」

「そんなに褒めないで。わたしなんてまだまだ、一年もやってないし」

 三年やるとほぼ波乗りは上手になる。美里の今のペースなら二年後には必ず笑って波に乗っている。

「絶対に上手になるから心配しないで。今夜の夕食も奢らせてくれないかな?」

 ガソリン代はいらないというので、夕食も奢りたくなった。きょうは朝飯に七百、ランチに千六百で今のところ二千三百円のみ使い、あと三千円は持っている。

「いいの?」

「いいよ、ミサちゃんには元気という薬をもらったから」

「憲さんありがとう、なら家庭的な食事できるとこ知ってるから、そこにしましょう」

「家庭的って?」

 ウインカーを出すと高速渋谷線の下を左折したので世田谷の方か。

「肉じゃがや魚、味噌汁、野菜などすべて単品でトレーに載せて最後に会計という感じ」

「なんとなくわかった、家庭的の意味が。それいいね、行こう」

 きょうは久しぶりにハンバーグ定食などいいものを食べ、夜も栄養あるのが摂れそうだ。いつも店にひとりで入るのは気が引けるので安上がりに自炊だった。野菜は作るがそれも同じ物のオンパレード。魚も焼かずに缶詰ばかりで、肉じゃがやサンマを食べたい気分だった。

 美里は何時間も海に入っていて疲れないのか。早起きしたのに、行き帰りの運転をしてサーフは二ラウンドもこなした。

「あー、お腹空いたわ、もう少しだから」

 腹が空いただけなら体力ある女性だ。心療内科へ通わず済むため美里にはたくさん食べてもらいたい。

 美里はウインカーを出した。『じゃがまる』という屋号は家庭的だ。隣接の駐車場へ入った。

 店内へ入るとすぐにトレーが重なって置いてある。それを持つようで美里のあとへ続いた。進むと料理が並んであり、気に入ったのをとる仕組み。わたしは車中思ったサンマ、肉じゃが、味噌汁、サラダにご飯をトレーに載せた。会計は七百五十円。美里はコロッケと焼肉を載せたが同料金だったので意外に安い。

 店内は時間的に混んでいるが中央の四人掛けテーブルが空いているのでそこにした。

「ここはいいでしょう、チェーン店なのよ」

 お互い腰掛けると美里がいう。

「いいね、上野にはなかったよ」

 中央にいるため客席が見渡せる。右を見ると見たことのある男性が家族といた。だれだったか、と頭を巡らした。

 とりあえず飯をいただくことにする。

 腹が減っていたので黙々と食べていると美里が聞いてきた。

「憲さん、また行ってくれます?」

 わたしは目を見開いた。

「いいの?」

「また行きましょうよ、憲さんいい人だしサーフも教えてくれる。わたしに内情も話してくれて、実は驚いたわ。知られたくないことを初対面で自ら話す人などそういないので信用したの」

 仲間募集のピックとは一回のみと思った。それに年も離れているし仕事をしない者など当然今回限りと。

「信用してくれてありがとう。ぼくのほうこそお願いします」

「よかった。帰りに憲さんから話してくれるかなーと思ってたよ。遠慮しているのか、わたしのことよく思わないのかなってね、でも心の落ち込む様子を話してくれたのでわかったの、遠慮ってね」

「こんな自分を誘ってくれて正直にうれしいよ」

 身よりも友人もいない自分を信用してくれてありがたく、涙が出そうだったが、食べながらごまかしていた。

「憲さんって正直で真面目なんだね」

 美里は笑みを浮かべて話す。

「そうかな」

 照れる自分は食べることで表情を消した。

「自分は憲さんにはまだ半分しか話してないのに素で話してくれて、わたしのほうがうれしいです」

 けさもうつ状態で行くのが億劫だったが、今はまた行く気持ちになった。美里は女神か医者だ。

「ありがとう」

 その言葉しか出なかった。美里はまだおかずが残っている。右を見ると男性家族が帰りそうだ。

 お茶を飲みながら考えた。芸人の……。

 ゼータ真野だ。トランプや鳩を出すマジシャンだ。

 わたしは美里にそれとなく話し、彼へあいさつに立った。

「こんにちは」

 小柄の背にオールバックヘヤーの真野は、自分の顔を凝らして見た。

「あーあっ、浅草演芸場の」

「そ、そうです。あっ、今は演芸場にいません」

 あまり考えず、よく自分の顔を覚えていると感動した。

 真野の奥さんへお辞儀をすると返してきた。子供は一人で小学校三年ほどの女の子。

「えっ、辞めたの?」

「はい、アルバイトなもので」

「今はなにを?」

 真野の手は大きく手品にはもってこいの手だった。楽屋でお茶を渡したときに気づいた。

「三カ月ほど遊んでます」

「そんなに、なにかみつけないの?」

「三度ほど仕事断られて、腰痛にもなってしまい休んでました。また職を探します」

 子供が奥さんのスカートを揺さぶった。

「食べていけないもんね、また演芸場帰ってきなよ」

「それはむずかしいかもしれません」

「大丈夫だって、なんなら聞いてやるよ。それにほかの演芸場ならいいかもしれない」

「いえ、真野さんには迷惑掛けたくないので」

「いいの? じゃあ、なにか不都合あればここに電話して」

 真野はサイフから名詞を出した。

「すいません、いただいときます」

「では、元気でね」

 わたしは腰を折った。

『日本奇術協会 常任理事  ゼータ真野』

 名詞を見て引いた。常任理事とは偉い人ではないのか。

 席へ戻り美里へ会話の内容を話した。そして名詞を見せると目を丸めていた。

 夜七時半にじゃがまるを出た。

 待ち合わせのコンビニへ着いたのが八時を過ぎた。

「憲さんボード積んどけばいいじゃない? また一緒に行くなら」

「それでいいかな」

「いいよ、この車で行くのだから。ウエットスーツだけ持てばいいしね」

 自分で行くことはないのでそうした。機転の早い彼女だ。

「また行くとき教えてね。ミサちゃんきょうはありがとう」

 美里へ手を振った。

「また行きましょうね」

 車が出るとハザードランプが三回点滅した。気分がいいわたしはコンビニで缶チューハイを買っていく。


     五


 ネットオークションは四万六千ほどになったが、もう売り切れとした。この先、美里と波乗りに行くだろうから。

 一昨日鵠沼へ行き、昨日は半日以上ハローワークにいて、きょうはアルバイトの面接。それは上野駅近くのゲームセンターだった。

 面接は午前十一時なので、十時半となりそろそろ向かうことにした。

 美里とはメールのやりとりはしている。彼女は三軒茶屋の一軒家に住んでいるらしい。いい場所へ住むためいい暮らしだろう。

 有名女子大を出たらしく、もしかするとお嬢ではないのか。

 ただ彼氏がいなかった。もう二十九歳ならお見合いや異性の出会いは何度もあったはずだ。

 なぜ結婚しなかったとメールで聞くと、お決まりの文で性格が合わなく振られたという。わたしはそんなふうに見えない。とても素直で好感があり、男がよって来るタイプで振らないと思う。わたしが告白したいくらいだが年の差がある。もっと若くて定職を持つ人がいい。

 あす波乗りへ行くことになったので少し突いてみることにした。

 面接へ向かい歩いていると携帯の振動がももに伝わった。

「えっ?」

 表示を見ると目を疑った。

「久しぶり、元気ですか?」

 浅草演芸場の席亭だった。

「はい、なんとか元気です」

 わたしは立ちどまり、電話とはなんだろう、と。

「真野さんから聞いたよ、なにもしてないだってね」

「はい……」

 真野はもう席亭に電話で伝えたのか、浅草演芸場より浅草浪曲場での出演が多かった。演芸場は四カ月に一席程度だった。それでこないだは真野とすぐ思いつかなかった。彼の記憶力には頭が下がる。

「それでさ、戸川君の代わりに入ったのが辞めるというので演芸場戻ってこないかな。前にいた八尾君へ電話すると勤めているというし、戸川君はどう?」

 正直、辞めて後悔したのですぐ返事をしたい。

「自分から辞めたのにいいのですか?」

「経験者のほうが素人よりいいから。ぶらぶらしてるならどうかと思ってな。別に嫌ならいいけど、もったいないじゃん」

 席亭のいうことは正しい。八尾へ先に声を掛け断ったならわたしがチャンスということだ。

「わかりました、またお願いします」

 これから面接というのに、再度演芸場へ戻ることにした。それはまたバイト暮らしということだ。

「そうか、やってくれるか、ありがとう。で、いつごろから来れそう? 辞める人にも調整してもらわないと」

「あすからでもいいくらいです」

「本当かね、シフトの調整では六月に入ってからと思うが。まあ頼むよ、また電話するから」

「わかりました」

 電話を切ると胸が高まった。慣れるバイトなので不安はなくなり面接の必要はない。携帯のメモリーを探った。

「あっ、十一時に面接の戸川ですが」

『はい』

「実は急でわるいのですが、面接をキャンセルしてもらえますか」

『えーと、そうですか。なにかありましたか?』

「いえ、夜勤を考えると続きそうもなくて」

『そうですか、わかりました』

「すいません」

 電話を切ると自宅へ戻ろうとしたが、ハローワークへ紹介状を返さないとならないので駅方向へ進んだ。

 八尾は勤めているというが、どんな仕事だろうか。

『久しぶりです、戸川です』とメールを打ったが電話のほうが早い。

 メモリーを『八尾』にし電話した。が、呼び鈴が続いた。

 出ないということは仕事中か、わたしと話したくないということだ。こないだまでわたしは掛かってきた電話へ出なかった。相手が地元の友人だったので現状を知られたくなかった。八尾もそうだろうか。でも彼は勤めているので電話に出られない状態と踏む。

 まだ彼は三十代と若く職もあったのだ。実家は埼玉と聞いたので、そこで勤めているのかもしれない。

 八尾のことを考えても得はない。今は自身のことを考えないとならない。演芸場が社員なら文句はないが、有限や株式会社ではないので社員はむりだった。

 芸人のギャラは入場料のなんパーセントと出演者で割るようで、芸人もたいしてもらえないことを聞いた。それで従業員は時給制である。オーナーの席亭もそんなに儲かるとは思えない。ただ浅草の伝統を守り寄席を行っている感じだった。



 ハローワークへ紹介状を返すと理由を聞いてきたので、以前のバイトへ戻ることを話すと、バイトの日は失業手当がもらえないといった。それでも出ない日はくれるという。それはよかった。でも当てにするのもよくない。わたしは働かないとうつになることがわかり、働くありがたさを知った。

 けさは五時に起きて顔を洗った。

 コンビニへ六時に待ち合わせだったが予定より十分がたつ。電話が鳴った。

『ごめんなさい、寝坊しました』

「そうなんだ、ハハハハ」

『半ごろに着くと思うけど……』

「わかったよ、急がないでゆっくり来てよ。焦って事故では損だからね」

『はーい、待っててください』

 寝坊と予想していたので当たった。早朝は年寄り意外だれもが苦手だろうし、美里のガッツにも疲れはある。

 コンビニで雑誌を読んでいると赤い車が視界に入った。窓を見ると美里が車中から手を振っている。わたしはコーヒーを二本買い車へ向かった。

「ごめんなさい」

 美里は手を合わせている。

「いいって、寝坊などだれでもあることだよ」

 表情を緩めて助手席へ乗った。後部にはわたしと美里のボードが数日前と同じように積んである。彼女はUターンしアクセルを踏んだ。

「怒られるかなーと」

「そんなこと怒る理由ではないよ。仕事ではないしね」

「そっかー、あっ、ありがとう」

 コーヒーを開けてやり、缶ジュース置きに入れた。

「きょうは波ありそうだよ。台風が来てるから」

 テレビで天気図を見ると台風があった。八丈島の南だったが弱いうねりがありそうだ。

「えーっ、わたしはむりかも。大きい波は沖に出られなかったし」

 美里は怪訝な表情をする。

「そんな大きくないよ、腰胸くらいと思う。沖へ出れなくてもむりやり連れてくから」

 というと、彼女は目を丸めた。

「大きければ岸で立つ練習でいいわ」

 沖へ出られない初心者はよく岸でやっている。台風のときなどよく見る光景だった。

「ぼくも出れるかな、何年も大波乗ってないから」

「絶対出るよ、この前の技でわかった。ただ腰が痛ければわたしと岸で練習になるわよ」

 美里とのメールでだいぶ距離が縮まった。

 この前と同じ道順で行くようだ。

「そうだなー。ねえ、聞きたいことがあるんだけど」

「なあに」

「プライベートだけど」

「えっ……」

 横顔から気まずい雰囲気になりそうだった。

「やっぱやめとくよ」

「いいわよ、ちょっと考えていたから。きょうはわたしも憲さんへ正直に話そうとして来たのよ」

 美里は襟元の髪を手で撫でるとダッシュボードへ手を伸ばしコーヒーを持った。動揺している感じだ。

 正直に話すとはなんだろうか。美里と食事のとき、自身のことを半分しか話してないといった。

 FMラジオを掛けているので静けさはない。すでに美里と五分は黙っていた。まだ一日の始まりで気まずくならないうちに会話をする。

「ねえ、ミサちゃんは結婚しないの?」

 横をチラッと見て聞いた。襟元の髪を撫でているのが視界に入る。

 メールで聞いたが、言葉でしっかり聞きたかった。

「うん……」

 美里の言葉は少なく暗くしてしまった。車中がつまらなくなり話をやめようかと考えたが、とても聞きたいことで続けることにした。

 それに正直に話すといったので、この話題にも近いと思う。

「ぼくと過ごしていていいのかな、と思うけど」

「なんで、憲さんとサーフ行ってはいけないの?」

 美里の笑みは失せた。

「違うんだ。ミサちゃんはもうすぐ三十になるからね、もっと年の近い人とつきあえば、結婚も早まると思って。ぼくは君といてうれしいがあとで後悔しないかなと。そんなこと考えてしまったんだ」

 東京には定職を持った若い男性はたくさんいる。美里なりの人生があるので、わたしがじゃまをしているのではないかと感じた。

「わたし憲さんといて後悔はないよ。年の近い人のほうがそれはいいけど、心というか気持ちが違うの。それに憲さんとは趣味が合うし……」

 信号で停まると美里はコーヒーを飲み干した。

「ぼくと一緒にいてむだではないということ?」

 信号が青になったが前の二トントラックが進まない。わたしは手を伸ばしクラクションを鳴らした。動いたトラックのナンバーは群馬だ。早朝から来て眠いのか。自分も経験あり、信号待ちでも寝ていたかった。

「ぜんぜんむだではないよ。むしろ楽しいしプラスになるわ」

「そう、それならぼくも安心だな」

 美里の表情がようやく緩んだ。プラスは波乗りと思うが、定職のないわたしをむだではないとはなぜだろうか。心や気持ちともいったが、わたしは本音をさらけ出すほうがいいので、そうしているだけだった。

 きょうはお互いおとなしい。わたしがわるかったが、本音を聞きたかった。しばらく黙ってラジオを聴いていると眠くなってしまった。窓に頭が当たるたびに起きた。

「憲さん寝ていいからね」

 美里にばれていた。彼女が運転するので起きていなければという気持ちだった。

「ごめん、寝るかもしれない。ミサちゃんこのトラック抜いたほうがいい」

 前方はまだ群馬のトラックだった。半分はあるコーヒーを美里の空き缶と入れかえた。微笑む彼女はそれを手にとり飲んだ。

「ありがとう。そんなとこが憲さんなのよ」

 その言葉を聞くと安堵感が出て目を閉じた。



 ガーン。

「いってー」

 突然停まり頭が窓に当たった。わたしは左頭部へ手をあてる。

「ごめんなさい、バイクがいたとは」

 左折の際、バイクがいたことを気づかなかったらしい。斜め後方バイクの男も停まった。にらんでいるのか、フルフェイスでわからないがたぶんそうだ。

 バイクは外側へ回り猛スピードで走って行くと、美里も発進する。

「運転うまいのにどうしたの?」

「ちょっと考えごとしていて、注意不足になってしまったわ」

 時計は八時を回った。一時間近く寝たようだ。

「ここは藤沢へ行く道?」

 時間的にそう感じた。

「そうよ。起こしてごめんね」

「いいって。そうだ、この話してなかった」

 手をダッシュボードへ伸ばし缶を持つと入ってない。美里はにやけた。

「どうしたの?」

「元の仕事へ戻りそうだよ」

 美里を見ると目を丸めていた。

「よかったね、おめでとう!」

「食事のとき真野さんに会ったでしょう、それでだよ」

「随分と早く動いてくれたんだね」

 前方を見るとこないだのコンビニへ近づいた。

「ぼくもビックリした。自分のあと釜が辞めるらしく、ちょうどよかった」

 美里はコンビニへ入った。

「あのときじゃがまる入って正解だったわね。運命なのかも」

「本当だよ。ミサちゃんに感謝だな」

 わたしは空き缶を持つと車から出た。

「それは偶然よ。ねえ昼の分も買ってこうよ。また着がえるのに時間掛かるしね」

 わたしはうなずいた。昼食のために着がえ、またウエットを着るのは面倒だ。

 朝食も入りおにぎり十個とパン二つ、二リットル入りのお茶と水を買った。これだけあれば困らないし安く済んだ。

 そして信号を右折し海へ出た。波は予想通り腰から胸だ。

「やっぱし波高いね」

 セット間隔は長いので、沖へ出るのに大変ではなさそうだ。

「大丈夫だって、経験だよ」

 美里は不安な表情で運転しながら海を見ている。

 この前と同じ有料駐車場へ入ると満車に近い。海から離れたところが空いていた。

 久々に波のあるサーフで心弾ませるが美里は曇り気味だった。

 着がえ終わると美里と自分のボードへワックスを塗った。

「よし、行くよ」

 波の高いせいでわたしはハイだが美里はローだ。

「わたし早く上がるかも」

 海岸を歩くと、彼女は崩れる波を見ていった。

「大丈夫だよ、ぼくが指導するから。こないだのとこは波が高いので人が多いな。逆側なら空いている」

 そこの波はセットで腹くらいなので、そこへ入ることにした。

 波に慣れさせないとならない。そうしないと波乗りの魅力に欠けるのだ。

 海に入るとそれほど大きくなかった。

「今のうちパドルして」

「わかった」

 というと、セットが入ってきた。わたしはドルフィンスルーで潜るが美里はダメで岸に戻された。

 一本目を乗り岸へ向かった。

「もう一度沖へ行こう」

「うん」

 ここであきらめる美里ではないことを知っている。

 波の間隔を読んで沖へ向かうことにした。わたしの場合は波が頭以上あると間隔を読んで入いるが、美里はまだ初心者だ。板とともに波の下へ潜ることができない。自分もドルフィンスルーがまともにできるまで二年を要した。七カ月ではまだまだである。

 腹サイズでも台風のうねりの波で、普段の腹サイズとはわけが違い波にパワーがあった。

 そして二人で沖へ出た。

「この辺だ、やったな」

 十メートルほど離れる横のサーファーがこの辺にいた。

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 美里は疲れた表情で息切れしていた。

「しばらくここで休んでて」

 セットがきたので美里の横でテイクオフ。波の崩れが早く、小さなチューブになると身を低くして入る。だがそのまま波へ飲まれた。

「憲さんすぐ戻れるんだね」

「このくらいなら楽だよ。接近するともっと大きいんだなこれが。ミサちゃんも乗ってよ」

 美里の息切れは落ち着いた。

「やってみるよ」

 という美里はパドルした。でもそのまま波へ飲まれた。波の崩れが早く、パドリングのタイミングが合ってない。慣れるには何度もテイクオフの練習をしないとならない。

 沖から見る美里は、必死にこちらへ向かっている。幾度も波を食らえば慣れそうだが体力が持つかだ。

 彼女は何度も岸で休んでは挑戦したが、沖へ出たのは三度ほどだった。波も胸クラスに上がったのも沖へ出られない理由だ。

 それからは岸辺で練習した。わたしもそれにつき合い、昼のチャイムで海から上がった。わたしと美里はへとへとになり、海岸で仰向けになった。うす曇で日差しは弱く気持ちいい。美里のほうから流れるそよ風はいい香りがする。車中と同じ彼女の香りだった。

 十分ほど寝ると、のどの渇きと空腹感が生じた。

 美里を見ると、まだ仰向けで寝ている。

「ミサちゃん、腹減ったよ」

 返事がないので寝てしまったようだ。車へ行き食料をとってくることにする。キーは前輪タイヤへ隠してあり、自分もよくそうした。

 波のある日にサーファーがじっとしているわけがなかった。駐車場は満車になった。わたしも翌日に波があることを知れば、胸が高ぶり眠れないことがよくあった。そこで酒を飲むと翌日に響くが飲んでしまい、体調わるく波に乗っていた。

 内側のタイヤへ手を入れるとキーはすぐあった。国道沿いの横断歩道を見ると美里が手を振っている。わたしがいなかったので驚いたのではないか。

「海に入っていると思ったので、おにぎり持ってこようとしたの」

 美里はわたしの背中の砂を落としてくれた。

「寝ていたので、ぼくもおにぎり持って行こうとした」

「なら同じだったね」

 美里はボードを置きながらいった。

 お互いのどを潤わし、おにぎりを食べた。

「ミサちゃん、午後どうする?」

 この波では美里が楽しめない。岸での練習も波と何度もぶつかるので疲れるのだ。

「大きくなったからどうするかなー」

「サーフやめてどこか遊びに行かない?」

 わたしは最後のおにぎりを食べるが美里はまだ一個目。

「そうだね。あっ、プリクラを撮りたいんだった」

 美里はふとそういった。

「ぼくと?」

「そうだよ」

 なぜだろう、こんな中年と撮っても自慢にはならない。

「ぼくでいい?」

「なにいってるの憲さん、いいに決まってるじゃん。サーフィン師匠だから一緒に撮りたいの」

 なにくわぬ表情で話すので、ただの記念として撮りたいのか。

「わかった、撮ろう。ところでプリクラはどこにあった?」

「来るとき藤沢に大きなゲームセンターがあったから、そこで撮りましょう」

「あれパチンコ屋じゃなかったかな。まあいいや、じゃあ着がえて行こう」

 美里の食べ終わるのを待つ間、先にポリタンクの水を浴びた。

 食べ終えた彼女がしゃがむので水をかけた。背中に土がついていたがきれいにとれた。

 着がえて車へ乗ると美里は思いもよらぬことをいった。

「わたし憲さんのこと好きかも」

 聞き違いではない。真横でいった。

 美里はエンジンを掛けると駐車場を出た。

「冗談でしょう、ミサちゃんがぼくをなんて信じないよ。もっとかっこいい人がいるんじゃないの」

 そういうしかなにかった。

「冗談ではないわ、でもわたしは振られるのよ。今から憲さんは驚くことを聞くの」

 美里の表情に笑みはなく真顔だった。

「どんなこと?」

 わたしの気が浮いた。なぜなら好きといわれてとてもうれしかったからだ。でも振られるとはなんだ。

「朝話してた、なぜ結婚しないという質問に答えるわ。実はわたしはバツが一つあるの、それだけではないわ。四歳の女の子がいるの……」

 子供がいることに耳を疑ったが、黙って聞いていた。リアクションをどうするかだ。

「そっか、それで結婚をしなかったの」

 普通を装うしかなかった。

「あれ、驚かないの?」

「ぜんぜんだよ、今はバツ一、バツ二などざらだからね。子供はどうしてるの?」

 美里は気を張り話したようだが今の顔は緩んでいる。

「母がいつも面倒見てくれる。父も帰宅が楽しみになったといい、まるで子供は家庭内のペットよ」

 娘の子で孫となり、家庭内が明るくなるのはわかる気がする。

 四歳ということは二十五で生んだ。それを考えると結婚は大学を出てからで早いほうだった。

「名前は?」

「ゆうみっていう。漢字では優しく実るって書くの」

「ゆうみちゃんか、いい名前だね」

 信号で停まり、美里と目が合った。

「憲さん、わたしのことどう思う? やっぱ子供がいるなどダメだよね」

 告白など何年ぶりか、美緒にした以来だった。

「ダメではない。ミサちゃんはかわいくてガッツがある優しい人だから好きだよ。ぼくでいいならこちらこそつきあってもらいたい」

 自分などに好意を持ってくれるならと、気持ちを話してしまった。

 子供がいても美里の実家で育ててくれそうだ。一緒にサーフできるなら、いいパートナーと思う。

「憲さん」

 美里の手を握り、目を見つめうなずいた。

 信号が青になり手を離すと美里の輝く歯が見えた。それはなにか希望の輝きにも感じた。


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