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出会って

     一


 仕事を辞めたのは三カ月前だった。

 五月下旬。わたしはこの先どうなるのだろうかと思う。なぜなら引きこもる状態が続いている。

 三月に仕事を決めようと三社面接したが、未経験と四十三という年令がものをいうのか、どこも雇ってくれなかった。

 過去の経験から大手運送屋、未経験の設備管理、未婚なのに結婚アドバイザーを面接した。運送屋は、持病である腰痛のことを話したのがわるかった。設備管理は資格がひとつもないし、アドバイザーはいうまでもなく未婚だからだ。未婚の者に結婚のよさを伝えられないと面接官はいった。

 四月はギックリ腰になり、自宅で横になることが多かった。今まで立つことなど自然にできたが、このときばかりは顔を引きつりながら痛む腰をかばい立った。そんなときでも自分で飯を作ったり、風呂に入らないとならなかった。

 つらい痛みと独りという不安になり、仕事も決まらず自宅で寝てばかりいると、自然にこの先のことを考え、マイナス面が出て引きこもる原因を作ったと思う。毎日ぼーっとしてテレビを見ていた。

 世間が怖いというわけではないが必要以外、外へ出ない。今まで考えられないことだった。

 三年続いた以前の仕事は、浅草演芸場で場内清掃や呼び込み等だった。

 派手な仕事であったが、正規の社員ではないため定職へ就こうと辞めたのが理由。安易な考えで今は後悔した。せめて職が見つかって辞めればよかった。東京の求人誌は、仕事がたくさん掲載するのですぐ見つかると軽く考えていた。

 昼のチャイムが鳴った。卵掛けご飯でも食べることにする。

 机の求人誌をよけると『戸川憲三』の名札が紙にくっついた。演芸場の名札で捨てたはずだった。それをとりゴミ箱へ投げた。

 ここから演芸場は歩いて二十分ほど。わたしはなぜ浅草に来てしまったのか、なぜ演芸にはまったのか、と仕事を断られるとよく思った。

 田舎の静岡でじっと仕事をしていればよかった。四年前まではドライバーの仕事を転々としていた。そのときの彼女は落語が好きで、

何度か浅草演芸場まで一緒に見に来た。初めはなんとも思わなく、ただ話しを聞いていた。まわりに釣られて笑っては、と。

 それから夢中になった。かつて落語など興味なかったが、話を聞けば聞くほどおもしろい。合間の漫才、曲芸、漫談もおかしく、演芸場自体に魅力を感じ始めた。

 一人で行ったときもあり、呼び込みと顔見知りにもなった。彼女と一カ月に四回通ったこともある。それはおもしろく、演芸場が好きになった。

 呼び込みの八尾とはメールのやりとりもし、芸人の素行なども知った。そんなことで人材募集の知らせを聞いた。わたしは迷わず即答し上京することになった。

 彼女は嫌がると思い説得するつもりで話すと、軽くオッケーだった。彼女より東京をとったので、許す理由を聞かなかった。

 八尾が浅草で四万の格安アパートを手配してくれた。時給九百円はドライバーより安いが、演芸場で働けるならと、胸を躍らせ上京した。

 これが失敗だったのかもしれない。五月というのに東京の風は冷たかった。

 演芸場へ勤めるとけっこうハードだった。開演前のホール、舞台、楽屋の掃除、お茶の用意やチラシ作り。開演すれば、場内整理や呼び込みなどが主だった。夜の部が終われば簡単な掃除だ。

 勤めて一カ月たつころ、パチンコ店に勤める彼女が見に来た。だが彼氏つき。メールや電話がなかったのはそのせいだと納得した。

 掛け声だけのあいさつで彼女は去った。

 三年もやると板につくが、飽きも来た。今まで転職ばかりする性分だろうと感づいてはいる。熱しやすく冷めやすかった。

 わたしが入って一年後に八尾は辞めた。二年勤めたようで、将来性のない職場と感じたらしい。わたしもそのような考えだった。

 今までの人の出入りはそんな循環が続いていたのだろう。自分が呼び込むと、なれなれしく話してくる人や、ここで働きたいという者もいた。

 わたしの過去と同じだった。その四十代も八尾の代わりに入ったがすぐ辞めた。外見と中身は違い、忙しいので嫌なったらしい。

 田舎へ帰ろうかと悩んだ。でも東京で仕事がなければ田舎はさらにない。なんでもいいならタクシーくらいはあるが、時給九百より安いことを知っていた。それなら東京でタクシーがいいと思えば、道がわからないためお客はクレームをいうだろう。

 卵ご飯を食べれば食器を洗わなくてはならないが、なにもする気にならなかった。

 寝ながら置き鏡をじっと見た。きつね目はたらりと下がり、髪は雑草のようにぼさぼさ。顔色は白く志気がない。 

 静岡にいたとき、この時期は浅黒かった。十七から始めた波乗り歴は二十年以上もありベテランの域だった。が、今はやる気がない。

 わたしはいつまでこの状態か。仲のいい知り合いも東京にはいない。いてもそれは演芸場で知り合った同僚やお客で深くはなかった。

 演芸にあこがれて来たが、今は後悔している。あのまま女と地元にいて、趣味程度で浅草へ見に来ていればよかった。そうすればいずれ結婚し子供を作り幸せになっていたかもしれない。熱くなり冷める自分がここへ来たのがわるかった。

 四年つきあった彼女とパチンコ店で知り合ったわけではなく、当時彼女は食品問屋の事務をしていて、荷物を降ろして検品のとき何度も立ち合った。そのときにわたしが食事へ誘った。話をすると笑顔が絶えないところが気に入った。笑うことが好きで落語など寄席へ通っていた。

 彼女は当時二十八で十も離れたわたしとつきあうことになった。

 波乗りをやっていたのがよかったのかもしれない。彼女もやりたかったようで、夏は何度も海へ行きサーフを教えた。

「美緒は三十三か」

 鏡の中の自分を見ながら彼女の名をつぶやいた。

 浅草に来てから風俗やストリップへ行ったこともある。そんなことで彼女はいない。同僚と飲み会を開いてもらうが、年のせいと仕事柄か、女は寄って来ないことに気がついた。東京の女はかっこよく年収がいい男がもてる。田舎もそれにこしたことはないが、なにかのきっかけで年収や容姿を気にせず知り合えるのだった。

 もしかすると三十三にもなれば結婚をしているのではないか。たぶんあのときあった男と結婚したのだろう。わたしが上京すれば振られることを心の片隅で思った。でもあのときは演芸場で働けることへ胸が弾み美緒のことを考えなかったが、ここで後悔の念も出ていた。

 情けないやつと自分を罵る。わたしはこのままやる気の出ないまま死を迎えるのか。だが飯を食べたので生きる自覚はあるのだ。うつ状態でも自身で死ぬことは意識していない。

 十日前、中国で大きな地震が起きた。死者は三万人以上となり、いまだ行方不明者やがれきの中にいるという。

 わたしはテレビでその様子を見たがすさまじいことだった。

 がれきの下に埋まる男性は妻へ電話する映像を見た。それは最後の言葉を伝えていて心が痛かった。その男性は助け出されると病院で息を引きとったという。

 余震はまだ続き、日がたつにつれ生存率は下がり、ニュースは毎日そのことを報道する。わたしもがれきに潰されればいい。もし生きのびて救助されれば水や食事で揉めることもある。それなら一瞬で死を迎えたほうがまだましと感じた。

 幸い来月から失業保険が出る。十万そこそこだが、それでも望みがあることになる。でもやる気がまったくでない。

 浅草へ来たのがわるいのかもしれないが、初めは意気揚々でやる気満々だった。辞めて仕事を探せば初めて落ち込むのがわかった。

 心療内科は行ったことがないが、これでは前向きに生きれそうもない。やはり行くべきか。

 人生は一度っきりと思い来たが、寄り添うものがいない不安は大きかった。男友だちより、彼女や妻の力は絶大とも実感した。

 今も中国地震の報道が始まった。死者や行方不明者を合わせると数十万といわれている。

 中国大陸は広く十三億人は住んでいる。被害の大きい四川州はそれほど密集しないようだが数十万ということだ。

 日本は狭い島国で約一億三千万の人口だ。ここ東京は八百五十万人ほど住み密集している。もし同じ地震が来れば何百万人の死者が出るのではないか。

 自分もがれきの中にいるのは間違いない。三階建てアパートの一階に住むので当然だった。

 心療内科自体、精神病院だ。今はうつ病が多くいるようだが、わたしがなるとは思わなかった。田舎の知人がうつ病で薬を長く飲んでいた。薬漬けも体にわるいが、治療はそのようだった。自分の場合は職場が見つかれば薬を飲まずに治りそうだが。

 目を閉じるとふんわりとした別の世界が浮かんだ。それは無重力の中にいるのか、それかサーフボードの上で寝そべっているような感じで気持ちいい。これが永遠ならばこのままでいたい。


      二


 きょうは台風の波だ。日ごろ波に飢えていたので、久々の緊張感と胸の高まりを抑えつつ海へパドルした。

 焼津の波は荒いが経験でどこに癖があるかはわかっている。

 沖に向かうと地元のローカルが次々に背丈以上の波に乗った。

「フォー!」

 セットが入った。ちょうどいい場所に自分がいた。一本目をゲットと思い腕を全快に回した。波を背にグーフィーを滑った。ボトムへ下りターン、そしてトップで板を返す、なんとも気持ちいい爽快感だ。だが、油断し前方に人の影と思ったときには遅かった。わたしは自滅し、影も一緒に波へ飲まれると目が開いた。

「ふうー、夢か」

 今のような場面は何度もある。沖に出られない経験の浅いサーファーなどが浅瀬でまごまごしている。波へ乗り気分のいいベテランサーファーは気づかず突っ込むということだ。

 これは大事になったと思えば、ボード同士当たるかコードが絡むのみが多い。人にボードが刺さるなど滅多になかった。

 時計を見ると三時で二時間以上寝ていた。

 サーフの夢など久しぶりだった。東京へ来て一度もやってない。

 休日は買い物、図書館、区民プール、自宅でお酒などだ。もう三年はやっていない。東京の海で出来ればやるだろうが、ポイントはないのでむりだった。

 狭い部屋へケースに入ったボードはほこりがかぶっている。ビニールスーツ掛けにはウエットスーツも吊るしてある。やらないだろうと思ったが実家にも置けず持ってきた。実家は借家。いつかは引っ越すかもしれない。

 波乗りで気分が変わるだろうか。今の夢で一割程度火がつくが、ほぼやる気はしなかった。それにもしやるなら千葉か湘南まで電車で行かなければならない。ガソリンの高騰でレンタカーは借りれなかった。

 久々にボードでも手入れするか。ケースから出すとクリア色は新品同様だった。そういえばここへ来る三カ月前にオーダーで作ったばかりだった。それから浅草へ行くのだからとオーダーを後悔した。

 オーダー価格は十二万ほど。高価なボードを使わないとはもったいない。

 売りにでも出すか。

 地元のショップのボードだ。こちらでは一体いくらで売れるのだろうか。

 海外、国産でも名の通るブランドなら売れる。が、焼津のボードではどうだろう。

 携帯で写真を撮り、ネットを開いた。どこも壊れてないため、新古品で登録。実際は五回は使ったはず。

『イーストウェーブサーフボード、新古品、低価十二万、ケースつき、6・5ft……』と必要事項を登録し一万からオークションへ出品。翌日、いくらだろうかが楽しみだ。だがもし売る場合、送料込みでの梱包も大変だ。自分はこのままレンタカーで持ってきた。

 手渡しなら梱包をしなくてすむが、この周辺の者が都合よく買ってくれるわけがない。

 久しぶりに波情報を見ることにした。『波』と入れ検索。以前見たホームページはまだあるのか。

「あった」

『サーフチップ』は昔と変わらず一ページ目にあった。湘南は膝で千葉は腰だった。

 静岡地方もざっと見て、更新により内容が変わり隅々を見ていると、仲間募集という文字。クリックしてみた。

 それはサーフ仲間募集のコーナーだった。出会い系みたいな感じだろうか。男女にわかれているので、もちろん女をクリック。

 ずらっと掲示板のようにハンネで文章がある。

『雨音さん 三十歳  あす休みの人、千葉連れてってー』

『やすらぎさん 二十九歳   都内のかたあす湘南どうですか? ピックします。男女問わず集合。できればベテランの男性』

『ちさとさん 三十五歳  初心者です。あすサーフ教えてください。ついでにピックしてください……』

 こんなに都内から海へ行く女性が多いのかと目をそばだてた。『ピック』とはなんだ?

 掲示板を少し読んでいると理解した。車へ乗せてくれということだ。女性が車を出してくれるなら、このコーナーはいいものだ。でもガソリン代を少しは出さないとならない。しかし電車へ乗らず海へは行ける。この仲間探しの真偽がわからないため、まずメールを登録し遊び半分で送ってみることにした。

 わたしのハンネに年令、携帯アドレス、相手へのメッセージを送ってみた。

 すでに五時を回った。平日でサーフチップのサイトなど逐一見ているのだろうか。

 待っている間、オークションの値を見ると二万三千三百だった。

 まだまだだ。

 一時間ほど寝ているとマナーモードが鳴った。開くと初めて見るアドレスだった。『サーフチップの仲間サイトからです。開く場合はこちらから……』

 クリックすると、やすらぎさんからだった。ピックするというたしかめと、出会い系ではないかの真偽を調べたかった。

『けんちゃんさん、仲間募集のメールさいとからありがとうございます。わたしは世田谷に住んでいます。ピックしますのでけんちゃんはどこに住んでいらっしゃいますか? あすですが鵠沼辺りに行こうと思います。ではメール待っています』

 相手のアドレスがないため、一度サーフチップのサイトへ置きやりとりするようだ。面倒だがこれで偽ではなかった。

 どうするかを考えた。ただ遊び半分で送ったわけで、波乗りをする気にはならない。三年のブランクはもうベテランでもなく、車中女性となにを話せばいいか自信もなかった。でもどんな展開になるかは興味があるので送ってみた。

『浅草です。住所とアドレスはここ……』

 メールはすぐ来た。随分やる気満々の女性だ。たしか二十九歳だったはず。できればベテランの男性と書いてあることから彼氏はいないのか。いないのならわたしはチャンスであるが。

『では、けんちゃん行ってくれますね。いろいろ教えてください』

 どうすればいい、せっかくの誘いだが憂うつでもある。久々のサーフは気分が変わり少し立ち直る可能性はあるが、暗くて変な男にも思われそうだ。今のテンションではあすも同じだが、どうにでもなれとメールを打った。

『行きましょう。時間は何時ですか?』

 気分は落ちているが行くことにしてみた。行動を起こすなど一カ月振りかもしれない。今の状態が変わることを期待してみる。

 その後メールは続き、アパートへ朝六時に来てくれるようだ。

 実家が世田谷で都内の道には詳しいらしく、サーフ歴七カ月の女性だった。五月の海はまだ冷たく、スーツ掛けからフルウエットスーツを出し、ほこりをとることにした。

 わたしは少し前向きになり、あすのテンションを上げようと、缶チューハイでも飲みたくなった。


      三


 目を開けると薄明るくなっている。時計を見ると五時前だ。

 腰は痛むが、ぎっくりのような痛みはもうない。この体で波に乗れることができるのか。三カ月前と今では精神状態が違い、大波に乗るガッツさはなかった。

 六時に来るというので、身支度をしなければならない。その段階で嫌気が出た。わたしはしどろもどろの状態で起き上がった。

 顔を洗い終わると、ネットのオークションはどうなったのか調べてみる。

 四万一千円だったのでたいしたことはない。これ以上値が上がるのだろうか。デジカメはなく、携帯での撮影が画像をわるくし光らないのか。

 ぼさぼさに伸びた髪へ櫛を通すがはねて直らない。洗面所のシャワーで水をかけるとまっすぐに伸びた。

 ジーンズに白の長袖Tシャツを着るともう一度洗面所へ行き、表情を確認した。不精髭が伸びているが、サーファーなら当たり前だ。

 こんなに神経使うのも何カ月振りだろう。

 時計を見ると五時五十分になる。ボードとウエット、タオルなど入ったバックを持ち玄関を出た。

 ナビがあるからわかるとメールに書いてあった。近くにローソンがあるのでそこにいると伝えた。

 五分ほど待つと、こちらへ来る赤い軽のワンボックスがパッシングした。これだろう。わたしがボードを持つのでわかったのだ。

 ハザードを出し車道に停車すると、助手席のウインドーが下りた。

「けんちゃんですか?」

 茶髪のショート、切れ長の目、小鼻は高く口元は少し大きい細い輪郭の女が聞いてきた。

「そうです、おはようです」

「まにあいました。じゃあ、どうぞ」

 軽自動車とは思わなかったので少し困惑した。

 彼女が車から降りバックドアを開けた。ジーンズに黄色のTシャツとサンダルを履き、背は女性なのでわたしより低い。

 彼女は慣れた手つきで斜めにボードを二枚重ねると簡単に積めた。

「うまいですね」

「狭さに慣れてるし、何度も行ってますから」

 彼女は笑みを浮かべていう。

 わたしは助手席に乗ると桃なのか甘い香りが漂う。そして出発した。ナビゲーションもついていて、このごろの軽自動車は高価だろう。彼女はUターンし道を戻るようだった。

「わたし、『やすらぎ』改め内藤美里といいます」

 ここで自己紹介になった。

「内藤さんですか。ぼくはけんちゃんこと、戸川憲三です」

 というと、彼女は笑った。

「内藤さんではおかしいからミサでいいです」

「ではミサちゃんでいいですか?」

 美里はうなずいた。

「憲三さんっていうの、じゃあ憲さん?」

 わたしもうなずく。

 彼女はスムーズにウインカーを出してはハンドルをさばいている。

 都内をこれほど走るなど自分にはできない。昔は何度もトラックで来たが、高速道路が基本だった。一般道など地図とにらめっこしながら走っていた。

 変な緊張感があるが、なにか話さないとつまらない思いをさせてしまう。本音はそんな気分ではないが、うつ状態を見せたくなかった。初対面でわたしをどう思うのか。

「ミサちゃんは仲間募集サイトってよく使うの?」

「二回目ですよ。憲さんは?」

 世田谷から上野に来て湘南へ行くため逆方向だった。千葉へ行くならわかる。

「ぼくは初めてです。東京に来てからやってなくて。サーフ歴は長いけど三年以上ブランクがあります」

 本音はそれプラスうつ状態が入る。

「でも二十年以上やったのだから、すぐ感が戻ると思いますわ。わたしはやっと最近立てたの、真冬はやらなくてね」

 美里はすいすい走っている。トラックなど余裕で追い越していた。

「じゃあ、昨年の夏くらいから?」

「そう、冬はさすがにやらなくて。三週前は女性をピックしたの。目黒の人を」

「二回目が男でもよかったの?」

「うん、こないだの女性は初心者だったし、やっぱ指導してもらいたくて、それでベテランの人がよかったの。ベテランの人は海の近くに住むし、都内にいても平日はなかなか行けないし、初心者ではお荷物と思うんじゃないかな」

「それにベテランがピックするほうだよね」

 ちょうど信号にとまり、美里と目が合い笑った。話してみると気分がよくなっている。そういえば仕事のときは呼び込みで常に声を出していたので嫌なことなど忘れていた。このところだれかと会話などなく、電話で話すのも問い合わせのようなものだった。よく聞く話では、人は人によって生かされる、というのがわかる。

 世田谷を過ぎ環状八号に出ると東名高速へ乗った。

 車中では東京に来た理由や仕事、腰痛など、今までのことを美里へ話した。でもうつ状態は隠した。

 美里の仕事は手ぬぐい屋の店員。意外に古風だった。でも手ぬぐいは若い女性に流行っているらしい。額縁に入れればインテリアにもなるし、四季を通し柄も変わると聞いた。

 わたしの仕事を無職というと別に変な顔しなかった。本日のみなので、気兼ねせず行こうということか。

 横浜インターで下りると、わたしはサイフから二千円出した。

「これを足しにして」

「いいですわ、わたしが誘ったようなものだし」

 照れるように話すので遠慮しているのか。

「でも車も出してもらい、ガソリンは高いし」

「いいの、ならこうして、ご飯のとき出してくれればいいわ」

 わたしはうなずいた。車中はサーフの話題にした。

 しかし美里は道をよく知っている。難なく車を走らせているのでドライバーでもやっていたのかと。

「焼津ってマグロやかつおが有名な漁港だね」

「そうだよ、漁港の近くに川の河口があってそこでやっていた。生臭いけど」

「へえー、なんか自然って感じ。わたしなんかわざわざ神奈川県まで来ないとならないの。近くに海があるのっていいわね」

 サーフをやる人みんなが思うことだろう。美里との会話はいつしか敬語が解けていた。

「自転車で行けるし夏など朝、夕と入ったよ」

「それってうらやましかったんだ。仕事前に入るのって」

 藤沢に入った。右を見渡すと江ノ電が走っているので海岸はもうすぐだ。

「波がある日など海を出たくないよ、何度遅刻したか」

 遅刻というか、トラックで来ているので配送時間に遅れ、相手先には事故渋滞があったとごまかした。

「やりすぎるのはわかる気がするけど仕事はサボらないほうがいいね」

「そうだね、理由を考えるのがつらい。ところで波乗り始めた切っ掛けはなに? ぼくは友だちの兄が持ってて、それを十六歳の夏休みに順番で使ってたら面白くなり、十七から中古ボードを買ってやりだした」

「早くから始めたんだね。わたしは去年の夏、鵠沼で友だちとサーフィン教室に出たの、ロングボードだったけど一日で立てたわ。それでおもしろくて始めたの。でも実際はボードをショップの人が押してくれて波へ乗ったんだとわかった。それにショートだったら一日で立てないのもわかった」

「ハハハハ、ショップのスクールはロングでやるから、みんな一日で立てて錯覚するんだ。サーフ始めるときスクールのショップでボード買って欲しいから立てるようにするんだよ」

「そう、ショートになってわかったの。やっぱ簡単にはいかないんだなって」

「でも自分からショートにしたの?」

 ロングで立つならロングをショップが勧めるはずだ。

「長くて扱いがむずかしいし、ショートの波を切るところがかっこよくて」

「それはぼくも同感だな、ロングは運ぶのが大変だ。ショートは小さな波を刻めるし、ぼくは初めからショートだからロングはちょっとね」

「やっぱショートがかっこいいわ」

「そうだよ、軽自動車でも積めるし」

 美里はにっこりとして自分を見た。

 彼女と話しているうち気分が和らいできた。今後のことなど考えなくなり、会話をすることで気持ちが正常に近づくのかもしれない。

 美里はそろそろ海が近いというのでコンビニへより、飲み物と朝食のおにぎりを買った。遠慮したが彼女のも買った。

 ここまで一時間半掛かった。道を知り尽くす美里の運転でこの時間だ。知らずに来ればまだ着いていない。

 江ノ島に出ると右へ曲がった。

「ここが片瀬であそこが鵠沼だよ」

 波は見た目、膝から腰という感じだ。平日の木曜なのに人はかなりいる。

「湘南は初めて来た。入るのはどこでもいいよ」

「鵠沼でいいね」

 わたしは海から目線を外さずうなずいた。久々に見る波の姿は、なにか胸からこみ上げてくる。懐かしいというのか、久しぶりなのか、自然と意気揚々となっていた。

 美里はプールガーデン近隣の駐車場へ入った。

 ここは田舎とは違い洒落た海に感じる。道沿いにはレストランやお店があり、これが湘南というブランドなのか、と。どこかに似ている、伊豆の……。

「白浜だ」

 車を停めたとき声を出した。

「えっ、白浜?」

「ごめん、どこかに似ていると思って考えていた。白浜海岸だった。でも海の色はもっとブルーだけど」

「わたし伊豆はまだ行ったことないんだ。すごくきれいだってね」

 美里は海を見ながらいう。

「そうだけど、とても混むよ。東京のナンバーが多いな」

「混むと危ないしね。じゃあ早く着がえましょう」

 車から出ると美里は横とうしろのドアを開けた。両サイドにはサーフステッカーが貼ってある車がある。

 美里は大きなバスタオルを頭からかぶった。それは首でとまり、足の膝まで隠れる。女性が着がえるには最適なタオルだった。

 三年以上着ないウエットへ足を通すと、痩せたせいかすんなり入った。

 美里は黒をベースにもものあたりがピンクのラインが入るフルスーツを着た。わたしはブラック一色で胸にロゴが入るウェットだ。

 美里のボードをケースから出すと、クリアではあるがレールはピンクとイエローラインが入る女性らしいボードだった。

 自分のボードを出すとワックスがないことに気がついた。辺りを見回すと近隣にサーフショップはあるがまだやっていない。ショップのスタッフはサーフでもしているのだろう。

 着がえ終わった美里は車の横ドアの中を探った。

「これでしょう」

 ワックスケースを自分へ向けた。

「買ってなかった。ごめんなさい」

「いいよ、使ってね」

 美里からもらい塗り出すとゴリゴリ音が響いた。

 彼女のも塗ってやり、美里と海へ急いだ。

 江ノ島の近隣であり134号線は平日でも混んでいる。信号まで小走りで向かい渡った。

「いつもこの辺でやってるの」

 美里は指を差すと、そこは波の状態がよくサーファーが多い。

「ここだと危ないから、あそこは?」

 わたしは右側を指した。波は小さいが空いていて教えるにはベストだ。

「わかったわ、空いてるしね」

 三年ぶりに海へ入ると潮の香りが漂った。わたしはにんまりし美里と歩けば引き潮とわかった。

「じゃあミサちゃん、パドリングしてみて」

「下手だからね」

 と、照れながらボードの上へ腹ばいになり、波の崩れるところへ向かった。わたしもあとについた。

 ショートボードなのにけっこうパドルは上手だ。自分は初めよろけたが勘をとり戻した。

「いいよ、けっこううまいね」

 美里はボードへ座ると笑みを浮かべた。

「ありがとう、憲さんはどう?」

「うん、やっぱ最初は戸惑ったけどいい感じ。ミサちゃん座れるんだ」

 そこへ波が来た。五メートルほど離れている男が波をつかむところ。わたしもパドルし、板をグーフィー側に向けた。でも波のパワーがなく追いつかなかった。

「ダメだー」

 美里を見ると笑っている。次の波が彼女のところへやってきた。

 パドルを急いでするが乗れなかった。その裏に腰サイズの波が来たので、わたしは軽くパドルすると乗れてグーフィーへ滑った。

「憲さん、やったね」

 美里は見ていたようで声を張った。

「一応、滑れたよ」

 美里へ向ける。岸まで長く滑ったほうで、膝を使うアップスダウンは健在だった。次は彼女の腕前だ。

「ミサちゃん、来たよ」

 美里はパドルの体制から立ち上がった。レギュラースタンツで横へは滑らないが、ワイプアウトせず安定はしている。

「どうかな?」

 岸近くで声を張った。

「グッドだよ、テイクオフは十分だね。あとは横に滑ること」

 パドリングが遅れ気味だったがなんともなかった。

「横かー、なかなか行けないわ」

 美里がよって来て首を傾けた。

「できるって、今から教えるよ」

「やったー!」

 美里は片手を上げた。沖を見ると波が来たので一緒にパドリングした。



 昨日ときょうではまったく違う気分だ。波乗りだろうか。それもあるが、美里とのサーフが気分を変えてくれた。

 この先の不安をいちばんに思っていたが、今は楽しい気持ちになった。

 美里へ横に滑るコツを教えると何度も練習していた。意識と体重移動である。波の状態もあるが、少しは横へ滑った。岸で彼女を見ていると何度もチャレンジするので、必ず横へ滑ることができる。

前向きな精神がいい。わたしは美里にガッツをもらった感じだ。知り合ったことをありがたく思った。

 昼のチャイムがなった。九時ごろから海に入ったので三時間はやっている。わたしは岸で休んでいるが美里はまだ入っていた。こっちを見たとき手を振ると彼女も振る。まだやるつもりなのか、腹が減った。

 引きこもり、いつもはこんな減ることはなかった。これが生きていることだ。

 わたしは仰向けに寝た。きょうは日差しもあり日焼けをするだろうが、志気のない表情にはちょうどいい薬だ。

 仕事を断られたくらいでなにやっているのか、そんな小心な人間だったのか。せっかく東京に来たのだからなにか目標はないのか。

 年令など関係ない、生まれたからには天に生かされたわけだ。

 もっと肝っ玉を強くしろ、と。

「あのー、ご飯にしましょう」

 わたしは不意に驚くと、ボードを持つ美里が笑っている。

「あっ、ミサちゃん練習熱心だな、すぐ横に滑るよ」

「憲さんが教えてくれたから」

 わたしは起き上がりボードを持った。今のところ腰の痛みもなく波へも乗れたので、ここへ運んでくれた美里へ感謝だった。

「いや、ほんとに練習熱心だからだよ。教えても練習しなければ滑らないし」

「ありがとう」

 美里はにやにやして返事をした。国道を渡り彼女と駐車場へ向かった。一見はサーファーカップルに見えるだろうが、ネットで知り合うただの同乗者だ。今は便利である。見ず知らずの男女がネットで知り合うのだ。だが犯罪もあり、知り合って女性が殺された事件もあった。

 サーフチップの仲間募集は正統派になる。共通する趣味のため怪しい者はいないのだろう。

 駐車場横のしゃれた小さい店に、ランチの看板が出ているため昼飯はそこにする。



「ごちそうさまでした」

 会計を払うと美里はお礼をした。店は駐車場の横とあって九割がた埋まっていて、ほぼサーファーのようだ。ランチはボリュームあるハンバーグ定食でお互い満足だった。

「いえいえ、ここまで連れて来てもらったのだから」

 店に入るので着がえたが、二ラウンド目をやるのか。まだ一時半でたぶん海へ入ると思った。

「憲さんどうする?」

 車に戻ると聞いてきた。

「どっちでもいいよ、いつもどうしてる?」

「いつもはおにぎりかパンをウエット着たまま車のとこで食べまたやるパターン」

「サーファーらしいね。じゃあ、やろうか」

 美里はにっこりしてうなずく。きょうは暑くて濡れたウエットも冷たくなく平気だ。ただ着がえは面倒だった。

 飯を食べたてなので岸から少し見物することになった。

「教室終えて、ショートで初めてやったとき大変だったでしょう」

 ボードを置きサーフを見ながら美里へ聞いた。

「そうそう、思うようにいかなくて。サーファーは自由に操っているのになぜかなーと。でも今はできるから、やっぱ何度も通い練習しないとダメね」

 わたしの初心者時代もそうだった。まったく自由にいかないし、とても疲れたことを思い出す。

「わかる、ミサちゃん見てると自分の初心者時代を。ぼくも何度と通い練習したから」

 横の美里を見ると海を眺めている。そよ風が彼女の乾いたショートヘヤーをなびかせていた。海を見ると腰ほどのセットをつかみ波へ乗るサーファーがいた。切れのいいオフザリップを二度決め、まわりでは群を抜く技をやった。じっと見つめる美里は、今のサーファーを自分に置き換えているのかもしれない。自分も技ができないころ見物して思ったからだ。

「入りましょう」

 技を見て練習したくなったのか、わたしも美里の前で決めたくなり胸が踊った。

 二時間ほど入ったと思うが、美里は何度も横滑りの練習をしていた。自宅で引きこもったのが運動不足にさせたのか、自分は疲れ果てていた。風が出てきて波の状態もわるく、先に岸へ上がることにした。岸へ寝ると風が気持ちよくうとうとしてきた。

『もう少し、もっとパドルして』

『またダメね』

『じゃあ美緒、岸のところで波へ乗ろう』

『乗れるかな』

『大丈夫だって、きょうはパワーがある波だから乗れる』

『ケンのボードが短いから乗れないの? あの女の子長いボードですんなり乗っているよ』

『ロングならぼくが押せばすぐ乗れるな。でも扱いしにくい。立てるけどそのあとがむずかしいよ』

『わかった、短くていいよ』

『この辺だな、腹ばいになってな』

『波には乗れそうね』

『押すぞー、それー』

『キャー、キャー』

『ほれ乗れたな! 岸まで行かないでくれ、フィンが着くから』

『乗れたわー』

『早く戻ってー、今度は立ってみなよ』

『楽しいわ』

『ハハハハ……』

「憲さん、憲さん」

 目を開くと一瞬だれかと思い、目を凝らすと美里だった。ヘヤーからの潮がわたしの頬に落ちた。

「あーっ、寝てしまったのか」

「よく寝てたわ」

 上体を起こすと腰に軽く痛みが走った。

「うっ!」

 両手を腰へ当てた。急な運動したからだろうか。

「大丈夫?」

「ああ、大丈夫だよ。ちょっと久しぶりだったから」

 ゆっくり立ち上がると腰を伸ばした。

「こめんね」

 美里はうつむき加減で謝った。

「謝らなくていいよ、自分がやりたかったから」

 気分を変えてくれたので謝られると困る。笑顔を彼女へ向けた。

 美緒へサーフを教えるシーンの夢を見てしまった。それで起きたとき美里がだれかわからなかった。なぜ美緒の夢だろうか、今は美里と来たのに。

「今何時かな?」

 美里は時計をしているので見た。

「四時だよ、上がりましょう」

 わたしは腰を少しかばいボードを持った。最後に彼女を不安な表情にさせてしまった。

 シャワーは美里の持ってきたポリタンクで、しゃがむとかけてくれたのでわたしもかけてやった。着がえはゆっくり行った。

 幸い腰巻きベルトを持ってきたので、それをすると楽になった。

「これで大丈夫」

「よかったわ、せっかく治った腰なのに、悪化させてはまた一からだったので」

 美里のボードを残りの水で洗ってやる。彼女をがっかりさせたくないため、帰りはうつ気分を解消してくれた本心を話すことにした。


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