#6
D1に入って、シーカーを殺して、装備を奪って、売り払う。それを何度でも繰り返す。毎日繰り返す。危険が無かったわけではない。むしろ毎日危険が付きまとっていた。
シーカーは複数行動を好む。この付近だと、二体から三体が多い。四体はまれだ。五体以上は見た事が無い。二体以上はナナシでは倒せない。二体を見た時点で、ナナシは逃げる。でも地面には水が絶えず流れているので、足音が反響する。そうすると、シーカーがナナシに気付き、追いかけてくる。シーカーはシーカーを呼び寄せ、結局十体以上のシーカーに追いかけられたこともあった。あれは死を覚悟した。浅い場所で探索をしていたので、どうにかこうにか部屋の中に逃げ込んで事なきを得たが、やはり仲間の重要性を教えられた。
そうして、十八日後。
ようやく金が目標額に到達した。
シーカー一体で五百円ほど手に入る。四十体なので、二万円ほどで人間が買えるのだ。
「安いような、そうでもないような……?」
二万円なんてバイトすれば、こんなに時間をかけなくても手に入る。だのに、ナナシは命を張り、命を奪う事で、ようやく二万円を稼いでいる。果てしないな。こんなに頑張ったのに。もちろん、ナナシも生きるためにシーカーを四十体以上殺している。貯金に余裕が出来るまで頑張って稼いだが、予想の二十日よりは早い結果となった。
ナナシはパソコンの前に座って、すぐにパーティーメンバーを購入した。『残高』から二万円が無くなった。喪失感が半端じゃなかった。二十日間の仕事が、一瞬で無くなった。
気を取り直した。特に変化はない。辺りを見回した。
「あ、ボードが……」
ナナシの個人的な部屋に定めている左隣の部屋のプレートに名前が書きこまれている。
名前は、『カレン』。
「え、嘘。マジ。困るんだけど」
名前の感じからして、女じゃない……?
ナナシは当然のように、男が来るものだと思っていた。ナナシは即戦力を求めていた。強い奴が良いな。筋骨隆々のお兄さんが望ましい。それくらいだった。
女……。ナナシの二十日が露と消えた瞬間だった。
ナナシは愕然としながらも、扉の方に歩いて行った。仕方がない。限られた人数の中でやり繰りする。それにパーティーメンバーを買うというのが、イマイチ分からない。もしかしたら、盗賊の教官のように人形が来るのでは……? 女の人形……? いや。なんか怖い。
ナナシは数回扉をノックした。勝手に開けていいものかと思ったので、そうなった。部屋の中からガサゴソする音が聞こえる。「あ、入っていいよ」と返事があった。高い声だ。女の声だった。はぁ、とナナシは意気消沈した。なんだよ。マッチョで超頼りがいのある男の人を期待していたのに、女。別に悪いってわけでもないけど、良くもないよ。
ナナシは扉を開けた。
中には予想通り女がいた。
しかし予想外なこともあった。
ナナシの想像の中の女は、とてもひ弱そうで、頼りなさそうな物だった。酷く貧弱で使い道を考えていたのだが、そんな考えが一発で吹き飛んでしまった。
デ、デケェ……!
ナナシは息をのんだ。容姿如何より、まずその大きさに圧倒された。線は細い。筋肉質なのかは分からない。でも、ナナシよりはるかに大きい。ナナシは小さくない。平均より数センチは大きいと記憶している。ということは、女性より遥かに大きい事が多い。ナナシの記憶の中でも、これほど大きな女性を見たことはない。バレーボールの選手なのじゃないかと思った。
「お、初めまして。カレンです。よろしく」
ベッドに座った状態からカレンは立ち上がった。ぬぉっという擬音が出ても良いほど雄大な所作だった。ナナシは圧倒された。たじろいだ。
カレンは日本人然としている。まんま日本人だ。もしかしたら違う地域かもしれないが、アジア出身の見た目をしている。紙は染めておらず、ナチュラルブラック。短く切っていて、快活な印象を与える。一見すると中性的な男性とも見えるかもしれない。だが、男性にはない丸みがあるし、胸もある。否応なく、カレンは女なのだと感じさせられた。
カレンは手を差し出した。慌ててナナシは服で手を拭って、カレンの手を握った。大きい。でも柔らかい。なんか矛盾していると感じさせられる。
「名前は何て言うのかな?」
「あ、えっと、な、ナナシ……」
「ナナシ……」
本名ではない。だが、ここではナナシだ。ナナシはナナシであると認識している。
カレンはじっとナナシの事を見る。なに。なんか変なところあったかな。ナナシという名前が既に変といえば、変だけど。カレンはじぃぃっと見てくる。舐めまわすように見る。カレンはたっぷり十秒はそうやってナナシの事を見た。その後、ふっと顔を緩めた。
「……良い名前だね。私の名前も良いでしょう? カレン。花と蓮で花蓮っていうんだ。ちょっと装飾華美な名前だけど。もうすこし女の子っぽかったらなぁ。ちょっと大きいよねェ」
「……ちなみに、身長いくつ……?」
あまり訊かない方が良いかと思ったが、凄い興味があった。ナナシは177センチある。それよりも、頭一つ以上は大きい。見上げないとカレンの顔は見えない。多少劣等感を煽られる。
「ん、どうだったかな……。確か、192はあった気がする」
「192……」
デッケェェェェェエェェ。手足も長いし、すごく大きい。数字以上に大きい。それとこんなに大きな女性を見たのは初めてだから、すごい違和感がある。
「大きいからさ、体重もそれなりにあるんだ。コンプレックスだよ。ホント。こんな大きな体に産んでくれなくてもいいのに。ねぇ?」
ナナシは答えに窮した。そんな突っ込んだことは言えない。辛うじて「そうかもね」とか適当な受け答えをするのが精一杯だった。
しかしカレンは、あははと笑って、ナナシの頭を軽く小突いた。
「嘘だよ。そんな変な顔しないでよ。今は嬉しいよ。この体に感謝してる。役に立てそうだよ。ホント。これで体が小さかったら、足手まといも良い所だ」
カレンは机の上に置いてある武器を手に取った。ナナシとは違う。大きな剣が一振り置いてある。ダガーじゃないんだ。しかし大きな剣だ。ナナシでは扱えそうにない。それに盾もある。なんか待遇が違くない……? ナナシは小さなダガーしかなかったのに、カレンは剣と盾を最初から与えられている。いや、そんなものをナナシに与えても扱い切れないのは、目に見えている。ナナシがあれを装備すると、重くて重くてしょうがないだろう。けど、カレンは違う。剣帯をつけ、剣を差し、盾を左腕に付けている。盾は木製でただの木の板にしか見えない。でもあると無いとでは大違いだ。それをナナシは実感している。
「よーし、ナナシ。一体全体どこまで進んでるんだい? 珠玉の一個や二個は余裕で集めちゃった感じかな?」
え、なにそれ。ナナシへの期待値が高すぎる。恥ずかしい。とても恥ずかしい。穴があったら入りたい。さっきまで女は使えないとか考えていたのに、一瞬で立場が逆転した。ナナシは使えない。珠玉の一個や二個……? まだ珠玉の存在すら確認していない。その前に、『溝浚いの坑道』の奥にすら進んでいない。シーカー一体を相手にするのに手間取っている。
ナナシが喋らないのを見て、カレンはあはは……と乾いた笑みを浮かべた。
「あ、あれ……? まだ一個も集めてない感じ……?」
「……そうだよ。何か文句でもあんのかよ」
「え、いや。な、ないよ。そんな目で見ないでよ……。え、怒らないで。お願い。ごめん。私が悪かった。そうだよね。難しいよね。分かってなかった。たぶん。うん。ごめんなさい」
そこまで怒っていないのだが。ただ不満げな声を少しみっともなく出してしまっただけだ。それでもカレンは大きな体を曲げて、頭を下げた。まるで子供が親に怒られているかのようだ。奇妙な感覚に襲われる。こんな殊勝に謝られても……。
とはいえ、下手に出ても面白くない。このままで行こう。
カレンの肩を叩いて、部屋を出る。カレンも後についてきた。
大きいな。圧迫感がある。存在感がひしひしと伝わってくる。
「カレン」
「え、なに」
「何歳?」
「歳? えっと、18」
「若っ」
「ナナシは?」
「21」
「ナナシも若いなぁ。でも老け顔」
「うっさい」
「かなり年上にみられるでしょう?」
少し前の事を思い出した。すぐに辞めてしまったサークルだったが、新歓の時に先輩に年上にみられたのだ。それも実年齢より五歳も上で。結構ショックだった。案外、男でも年齢を間違われると傷つく事をその時悟った。黙っていると、カレンがおろおろし始めた。
「あ、あれ……? 図星だった……?」
「お前はあれだな。要らない結構言うよね。もうちょっとな。配慮しろ? な? お前の言葉で傷つくやつ、結構いそうだよ」
「うぐっ……」
「図星なのかよ……」
「だ、だって。結構考えなしに物言っちゃうから」
「それをな? 改めろって言う事だ。いいか? うん? 苦労するぞ? 言っていいか悪いか考えてな」
「ぜ、善処します」
「良い方だけは立派だ」
ナナシとカレンはD1の扉の前まで来た。
ナナシは振り返って、カレンを見た。
「あんな? 分かってか知らないけど、今からやるの殺し合いだから。舐めてっと死ぬぞ? 俺たち二人な? 俺盗賊な? お前無職な? 神官いないから。怪我したら死ぬ。一発いいの貰った死ぬ」
カレンはゴクリと喉を鳴らした。
「残念だけど、今カレンをギルドに加盟させるほど金はない。日々を生きるので精一杯だ。それは分かるな?」
カレンが頷く。ナナシは扉の方を向いた。
「敵の名前はシーカー。見た目巨大な鼠だ。粗末な武器を持ってる。でも侮ると結構危ない。雑魚らしいけど、どうも俺は弱いらしい。結構手古摺る。一体までしか捌けない。ていうことは、分かるな?」
「……地味に期待されてる?」
「まぁ。そういうこと。最初女が来たと思って、がっかりしたけど。カレン、デカイし」
「あ、コンプレックスって言ったのに」
「あ、ゴメン。でも自分でも役に立てそうって言ったじゃん」
「そうだけど。人から言われると傷つく」
「……面倒だな」
「聞こえてるよ」
「あー、はいはい。――行くぞ」
ナナシは扉に手をかけた。説教垂れたことを言ってしまった。ナナシは思う。あれは自分への戒めだ。弱い、弱い自分に言い聞かせている。あぁ、いけない。緊張している。初めての団体行動だ。たった二人だけどさ。
扉を開けた。途端にカレンが「うっ……!」と呻き、鼻を押さえた。初めてだとそうなる。やっぱり臭いよな。
逃げようとするカレンの腕を掴んだ。「逃がすか」「ちょ、用事があって……」カレンが首を振る。「ねぇよ。そんなもん。行くぞ」「うぁぁ。嫌だぁぁ……!」ナナシは強引にカレンを引っ張った。重ェんだよ。言ったら殺されそうだ。
『溝浚いの坑道』に足を踏み入れる。カレンがうぉぇぇっと吐きそうになっていた。すぐに慣れると、なぐさめた。余計なことだ。ふっ、ふっ、ふっ、と浅い呼吸を繰り返している。すこし可哀想になってきた。背中をさする。大丈夫かと声をかける。「うぅ、無理かも」と弱音を吐く。頑張れ頑張れ、行けるってと根拠のない言葉を投げかけた。
そうして一分程度、その場から動かなかった。カレンはしゃがみこもうとしているが、地面には汚物が散乱している。そっちのほうが気持ち悪い事に気付いたのだろう。目を瞑って、静かに、口で呼吸している。
「……ほれ。いいか? 行けるか?」
「だ、大丈夫。よし、いいよ。なんとか、もう慣れた……?」
「何で疑問形なんだよ。お前にしかわからねーよ」
「できる。できる。私は出来る……」
独り言をつぶやいている。どうやら暗示でも掛けているのか。分からないけど。
すっくと体を伸ばして、カレンがちゃんと立った。顔色が少し悪いが、行けそうだ。
ナナシが先行して、その後にカレンが付いて来る。いつも通りの道順で進んで、単独行動しているシーカーを探す。カレンはうぅーとかうぇぇとか言いながら、それでもちゃんと付いてきた。思っていたような場所じゃなかったのだろう。戦うのと同じくらい、ここにいるのは辛い。
そこから二体以上でいるシーカーは避け、一体で行動しているシーカーを探す。一時間くらいぐるぐる同じ場所を回っていると、ようやく一体で行動しているシーカーがいた。
カレンも若干疲れている。ナナシが止まったのに気付かず、ぶつかった。「あ、ごめんなさい……」と謝る。元気がない。「いたぞ。やれるか?」「うん、やる」とカレンは剣を抜いた。大きい。刃渡り一メートルはありそうだ。ロングソード。細身なので、片手でも持てるようだ。
「打ち合わせ通りに」
「分かった」
カレンが先に出る。ばちゃばちゃと汚水を踏みながら、シーカーに向かって走り出した。
シーカーがこっちに気付いた。棍棒を持っている。シーカーは恐れる様子も無くこっちに来る。ナナシカレンから離れ、シーカーの後ろを取る。
シーカーがこっちを見たが、こっちに来るよりも早くカレンに突っ込んでいた。
シーカーが棍棒を振り下ろす。
「わっ……! な、これ……! 怖い……ッ!」
シーカーは喚き散らして、棍棒をガンガンバツバツ振り回す。その度に、カレンの木製の粗末な盾にガンッバコッという音が行動に響く。カレンは明らかに及び腰になっている。体格で明らかに勝っているのに、下がりに下がる。体勢が崩れそうになる。いや、崩れた。尻餅をついた。転んだ。
「キャッ……!」
シーカーが飛びかかる。カレンの上に馬乗りになった。「ヂュラァ……! ブバァ……! ギヒィ……!」とシーカーは棍棒でカレンを殴ろうとする。カレンはギリギリで盾を自分の頭の上にかぶせた。ガツンガツン殴る。シーカーは盾なんてお構いなしに殴る。カレンが助けを求めた。「な、ナナシ……! 助けてェ!」ナナシは走る。少し離れてしまっていた。シーカーはカレンに夢中だ。ナナシは背後からシーカーの後頭部を蹴り飛ばした。「ギヒュッ」とシーカーが声を出し、カレンの上からぶっ飛んだ。
「……最悪だぁ。服が……」
「そんな事言ってる場合かよ……」
カレンが立ち上がると同時に、シーカーも跳び上がった。ナナシに狙いを定めている。怒っているのか。カレンアは「わっ、わっ……!」と言いながら、下がろうとしている。アホアホ。逃げるな。戦え。
だが、シーカーはナナシに来る。シーカーが棍棒を斜めに振り下ろした。
「叩き落し……!」
ダガーで思い切り棍棒を弾く。腕にビリビリと衝撃が伝わる。いてぇ。また来た。叩き落し。ナナシは下がる。猪突猛進だ。シーカーは反撃されるなどと全く思っていない。
「か、カレン……! 俺が防いでる間に攻撃しろ……!」
「う、うぇ……!? い、イエッサー!」
弾く。攻撃を弾く。目の前しか見えない。カレンがどう動いているかなんて見えない。目の前に集中しないと、何かが崩れる。シーカーは攻める。ナナシは守る。完全にシーカーが優位だ。余裕がない。重いんだ。棍棒が。腕に来る。骨が軋む。うぉぉと気合を入れる。そのうち、視界の端で何か動いた。カレンだ。
「せいっ……!」
横合いからカレンが剣を振った。シーカーは横っ飛びして離れた。ここだ。ナナシは姿勢を低くして、シーカーに肉薄する。シーカーが棍棒を振る。叩き落し。なんとか弾く。カレンが攻撃する。シーカーが逃げる。カレンは追撃する。「えい、せい、やぁ!」と大振りだが、当たったらひとたまりも無い攻撃を繰り出す。数字の面で見れば、シーカーとカレンの身長差は七十センチもある。シーカーはカレンの一撃を食らうまいと必死に逃げる。そのうち、ナナシは気づく。
こっちに気が向いていない。
奴は完全にカレンの攻撃に意識を割いている。ナナシなんてこれっぽっちも考えていない。ナナシは出来るだけ静かに進もうとする。でも、駄目だった。水の音が響いた。シーカーがハッとしてこっちを見た。隙だ。
カレンが片手ではあるが、ダイナミックな動きでシーカーの肩をぶっ叩いた。斬れていない。安物だ。良い剣じゃない。刃物じゃなくて鈍器だ。カレンは斬るというより、殴った。
シーカーが倒れそうになる。
「やたっ!」
カレンが嬉しそうに色めきたった。ナナシは「まだだ!」と叫んだ。シーカーは棍棒を振り廻しまくる。「ヂュァァ! ララララァ!」と近づけさせない。カレンは反撃の憂き目にあっている。「たたた、助け、助けて、……!」とナナシに助けを求める。
「反撃しろ!」
「む、無理……! わっ……!」
遅い。カレンは図体がでかくて、小回りが利いていない。小さいシーカーを捉えきれていない。
シーカーは殺されまいと、渾身の一撃をカレンに加えまくる。カレンは盾で防ぐ。後手後手だ。
「絶対に怪我するなよ! 守りまくってろ!」
「わ、分かった、それより……た、助け……てッ!」
カレンがとうとう、また尻餅をついた。ナナシは走る。「こっちだ!」と大声で叫んだ。シーカーが振り返る。目が血走っている。ナナシは狼狽えた。あんな目は初めて見た。カレンはあんな奴の攻撃を防いでいたのか。ナナシは止まってしまった。不覚。ビビったのか。馬鹿な。ナナシの自尊心が酷く傷ついた。
「あぁぁっ!」
ナナシは止めた足を再度動かす。シーカーはナナシを無視できない。棍棒をまっすぐナナシの頭に叩きこもうと跳びあがった。ナナシは大きく横に跳ぶ。びゅぉおんという音が聞こえた。だが、そこまで威力はなさそうだ。カレンの一撃が効いている。速度もそれほどじゃない。痛いんだ。当然だ。殴られたんだ。それが普通だ。
「カレン、立て!」
カレンが立つ。ナナシの前に立って、構えた。ナナシは迂回して、シーカーの後ろに回ろうとした。しかしシーカーはナナシを先に殺そうとした。こっちに来やがった。
「叩き落し……!」
ガイーンと棍棒を弾く。さっきより余裕だ。もう一回来い。そうだ。来た。叩き落し。次はもっと力を入れた。シーカーの体勢が崩れる。
「やぁぁッ!」
カレンだ。来た。ナイスタイミングだ。剣を突き出し、シーカーの横っ腹を貫いた。シーカーは「ギョヒョッ」と体を震わせた。だが、死なない。生き物はしぶとい。
ナナシはこの一か月近い孤独な時間でそれを理解している。
シーカーは弱弱しいが、棍棒でカレンの頭を殴った。油断していたのだろう。カレンは「あぐっ……!」と為すがままに殴られた。数歩下がった。剣がズルッと抜けた。シーカーが崩れ落ちる。
「痛ったぁ……!」
カレンが呻く。頭を押さえている。血は流れていない。大丈夫だろう。
シーカーは「ひぃー……ふぃー……」と虫の息になりながらも、逃げようとしている。しぶとい。ここまでの奴は初めてだ。
「そんな……。まだ死んでないの……?」
カレンの認識は甘い。だが、それもここまでだ。
「生物は、なかなか死なない」
カレンがこっちを見る。
「死ぬときはあっさり死ぬのに、こうやってしぶとい時も多い」
ダガーを逆手で握る。
「躊躇うなよ。カレン。一瞬でも迷えば、死ぬのはお前だ」
違う。カレンだけじゃない。ナナシもだ。
ナナシは這ってでも逃げて、生きようとしているシーカーの背中にのった。
「残酷だ。残忍だ。凄惨だ。それでも仕方がない。やらないと、こっちが殺される……!」
ナナシはダガーを突き刺す。一回、二回、三回、四回――。その度に、血が跳ねる。シーカーが断末魔を上げる。死にたくない、そう言っている。駄目だ。五回、六回、七回。
「うっ……」
カレンが口元を押さえる。
「見ろ」
八回。
「うぅっ……」
カレンが顔を青くしながら、ナナシとシーカーを見た。さらに顔色が悪くなる。九回。何度でも刺す。徹底的に破壊しないと駄目だ。シーカーがぐちゃぐちゃになる。ただの肉塊になる。動かなくなる。
ナナシは立ち上がった。カレンを見る。
「巻き込んで悪いな。でもこれが現実だ。これが俺の夢でも何でもいい。食べないと死んでしまうようだ。腹が減る。金が要る。金を稼ぐには殺すしかないようだ」
ナナシはシーカーが使っていた棍棒を拾い上げた。それをカレンに渡す。
「それも売れる。戦利品だ。喜べ」
カレンは引きつった笑みを浮かべた。無理やり笑っているのがバレバレだ。
初日だ。仕方がない。慣れる訳が無い。実際ナナシもまだ残酷だと思う。何度も何度も突き刺す。その度に気持ち悪い感触が掌から伝わってくる。
慣れるのかな。
でも受け入れている。この気持ち悪さを乗り越えないと、生きてはいけない。餓死する前に殺される。
「……まぁ、でも、なんだ。止めを刺したのは俺だけど、カレンの助けがあったし。悪くなかったんじゃないか。頭大丈夫か? 痛くないか?」
カレンは目をパチクリさせた。
意外な物を見ているようだ。
「……なんだよ」
カレンは首を振って「なんでもない」と笑った。嬉しそうな笑みだ。さっきみたいに引きつっていない。
悪くない。