大学祭1日目②
大学祭、一日目終了。
結局マリアというイレギュラーの介入で、外村がない脳みそを頑張ってフル稼働させて考えた計画は儚くも崩れ去った。その計画を利用して得をしたのは熊代だけという散々な結果だった。
「よお、外村……許せるか? こんな結果で…俺は……俺は嫌だね……」
「奇遇だな、長谷川……。こいつはメチャゆるさんよなあああああ」
外村は安酒のウィスキーをロックで仰ぐ。半ばヤケ酒に近かった。
一日目終了の打ち上げで、部室では小規模の飲み会が開かれていた。
部室の端では、成立したばかりのバカップルの熊代と諏訪がイチャイチャして、もう片方の端では、浅間と氷川…何故かそこにマリアが加わって女子会が開かれていた。
俺も缶ビールを飲みながら、マリアが下手なことを言わないか耳をそばだてる。
「マリアちゃん、お酒何飲む?」
氷川がマリアに酒を進めているが、あいつはまだ確か……。
「あ、えっと、お酒はちょっと……。お茶でお願いします」
「あー、宗教上の理由ってやつ? お酒は厳禁みたいな?」
「いえ、その、まだお酒を飲んでいい年齢ではないので」
未成年のはずだ、よな。うん。
マリアの言葉に浅間と氷川の二人は驚きを露わにする。
「えっ! マリアちゃんまだ未成年なの!?」
「はい、先月19歳になりました。後もう一年経てば普通に飲めるのですが……。それと、お酒は別に厳禁ではありませんよ。中世では教会でワインをよく作っていたものですから」
そう、赤ワインは「キリストの血」として大事にされた。マリアが酒を拒否する理由はただ単純に、「法律だから」ということだった。まったく真面目な奴だよ、ほんと。
「しかしお前、女子高生を孕ませるとかやるなぁ……」
外村がぼそりと呟く。とりあえず一発ぶん殴っておく。
一応俺の口からマリアとその子供の関係は説明しておいたが、誤解が解けたかどうかはわからない。というか、何故当然のようにマリアが飲み会に参加しているのかが理解できない。
「で、どうするよ、お前は」
氷の入ったコップで殴った箇所を冷やしている外村が質問してくる。
「何がだよ」
「マリアちゃんのことだよ」
外村は小声で質問を続ける。
「あの子がお前に好意を持ってるのは確かだろ。確かに浅間も可愛いとは思うが、マリアちゃんも別ベクトルで可愛いと思うぜ? なら、マリアちゃんに乗り換えてもいいんじゃねえか? その方があの子にとってもいいと思うぜ?」
外村は女性陣に囲まれている子供を指さす。
「…………」
「まあ、お前がマリアちゃんを選ぶか選ばないかはお前の自由だけど。ちゃんと結論だけは出してやれよ」
そりゃ俺が実際に産ませた子供なら男として責任を取るべきだろうが、はっきり言ってしまえばあの子供は俺が見つけただけであって、責任を取るべき必然性はない。
「わかんねえよ……、そんなの……」
子供なんて……、結婚のさらに先に産まれる副産物である。そんなことを学生の身分である俺がどうこうできる話ではない。
マリアからの好意はずっと前からその兆候があった。幼稚園の頃、マリアは将来は俺のお嫁さんになると言っていたが、所詮子供の戯言だと気にも留めてなかった。マリアはその思いをずっと、10年以上も抱き続けていたということか。
「ま、俺が口を出す話でもねえか。俺も俺のことで精一杯だしな」
そういえば外村と氷川の件はどうなったか聞いていなかった。熊代と諏訪は超スピードで成立したが、外村も氷川とは話す機会がいくらかあったはずだ。
「聞きたいか?」
外村が渇いた笑みを浮かべる。
「……何となく予想はつくが、話してみろ」
「好きな人が……、いるんだってさ。そいつが誰なのか、までは聞き出せなかったが、あの氷の女王が顔を赤らめてさ、すごく恥ずかしそうに言ったんだ……。やばかったね! あのギャップは!! もうますます好きになったね!!! 絶対に俺に振り向かせてやる、って決めたね。NTRだ、わかるか、長谷川!?」
「ったく、一途なやつだな、お前は。まぁ頑張れよ」
「何か上から目線だなおい。まあ、お前は浅間に振られてもマリアちゃんがいるからな」
「もう一回殴られたいのか?」
「お前、俺をサンドバックかなんかと勘違いしてないか?」
「違うのか?」
「はっ、俺がサンドバックだったら、お前はサンドバックと一緒に飲んでる可愛そうな奴だなッ! はっはっ、グホァ……」
ムカついたからもう一発だけ殴った。
「おい、外村先輩が吹っ飛んできたぞ!」
「やべぇって、白目向いてる! キモッ!」
吹っ飛ばされた先で、下級生たちに足蹴にされている姿を見ると、少しだけ申し訳なくなる。
すまん、ここまで人望がないとは思わなかったよ、外村……。
●
明日もまだ控えているということで、飲み会は軽く2時間ほどでお開きになった。だが、外村はかなりのハイペースでウィスキーをあおっていたせいで、結構なところまで酔いが回っていた。
それぞれ、明日のシフトを確認しながら帰路につく。
「それじゃあ、みんな。明日も頑張って行きましょうか」
影が薄いことに定評のある部長が締めの挨拶をして解散する。というかこの人飲み会に参加していたのか…気付かなかった……。
俺はチャリで通ってるため、集団とは部室の前で別れて一人学内駐輪場の方へと向かう。そのはずだった。
【天の声:酒を飲んだ状態での自転車はいけません。よい子は真似しないでください。】
「マリア……」
暗がりですぐには気付かなかったが、俺の後ろには眠る子供をおぶったマリアの姿があった。
子供はマリアの背中で幸せそうな寝顔を浮かべていた。
「怒ってらっしゃいますか……?」
昼間のとぼけた雰囲気とは反対に、伏し目がちにこちらの様子をうかがっていた。
あの後、俺とマリアはまともな会話をしなかった。そのことがマリアには、俺が怒っているのではないかという風に映ったのだろう。
確かに、怒ってないとは言い難い。浅間との二人の時間を台無しにして、さらによからぬ誤解を生んだマリアに文句の一つも言いたかった。
だが、見ず知らずの子供を、ここまで育て上げているマリアにそんなこと…言えるはずもなかった。それに俺に好意を抱いているなら尚更だ。
だから俺は代わりにこう言った。
「乗ってくか? 家まで送る」
その言葉にマリアは笑顔で応える。
「はい!」
【天の声:二人乗りはいけません。よい子は真似しないでください。】
●
夜の風が運動で火照った頬を撫でる。
「寒くないか?」
自転車をこぎながら後ろにいるマリアに声をかける。
「はい、大丈夫です」
マリアは自転車の荷台に横座りしながら、俺の体に身を寄せている。
どうしても体と体の密着から、マリアの体の、女性的な膨らみが伝わってくる。
あれ、なんか自転車で後ろに女の子を乗せながら帰るって凄い青春臭くねえか?
長い長い坂道を登りながら、「重くない? 降りようか?」とか女の子が言って、「大丈夫だ。お前を乗せて登らないと意味がないんだ」とか言いながら、夕日に向かってがむしゃらにペダルをこぐ。ああ、青春時代の俺が成し得なかった理想が今現実に……。
自転車をこぎながら、俺はずっと外村の言葉を噛みしめていた。
「ちゃんと結論だけは出してやれよ」と外村は言った。余計なお世話だと思うが、今回ばかりは考えさせられる。
「正直な話、俺はどうするべきか迷ってる」
半日時間を置いたことで、俺の頭はかなりクールダウンしていた。
「確かに、これからもっと多感な時期になるその子に、父親という存在がいた方がいいってわかる。だけど、子供っていうのは、俺が考えているよりもずっと、大きな存在だと思うんだ。俺もまだ学生だし、父親なんて存在になれるとは思えない」
俺の一人語りに、マリアは一切口を挟まずに聞く。
「だから軽はずみに、「俺が父親だ」なんてその子に言えない。そんな不誠実なことはできない。だからごめん、お前の気持ちにはまだ答えられない」
結局、俺の出した結論は保留の一手だった。
しばらく無言のまま道を進む。俺はマリアの言葉を待つ。
俺の出した結論にどう応えるのか。顔を見ることができないが、悲しそうな顔をしている気がした。
「いえ、今はその言葉を聞けただけで十分ですわ。俺の人生は俺の物だと、拒否することもできたはずでしたのに、この子のことを一番に考えてくださっています。本当に昔からお優しい方ですわ、貞道様は」
「優しい人」、なんてこいつからしか言われたことがない気がする。自分でも、自分が優しい人間なんて思ったこともない。
俺がたとえマリアと子供を拒否したとしても、マリアは恨み言の一つも言わないだろう。
きっと、「そうですか」と言って、泣きたい気持ちを抑えながら笑顔で応えるだろう。そして誰も見ていない場所で、一人寂しく袖を濡らすような奴だ。
くそっ……。心の中で悪態をつく。どうしてこいつは俺みたいな、どうしようもない人間を好きになってしまったのだろうか。お前ぐらいいい女ならもっといい男が見つかるはずだ。
それでも好きになってしまったのなら仕方ない。人間の感情なんてそんなもんだ。理屈じゃあ説明できないことの方が多い。
「貞道様?」
「何でもない」
それから俺は無言のまま自転車をがむしゃらにこぎ続けた。考えることを放棄するように、ただただ足を動かし続けた。
「明日も、来るか?」
マリアの家の手前、俺は久しぶりに口を開いた。「来るのか?」ではなく、「来るか?」と聞いたのは、決して来ることを拒むことはしないという意味を込めてだった。
「お邪魔では、ありませんか……?」
「邪魔だと思うならこんなこと聞かねーよ」
「それでは……、お邪魔させていただきますわ」
そういってマリアとあの時俺が拾った子供は家の中へと消えていった。
「さて……、帰ろう」
正直、マリアを乗せてたから結構疲労が溜まった。家に帰って、風呂入ってすぐに寝よう。そうしよう。
俺は一人、暗がりの中を自転車で進んだ。