春が運ぶもの
前作の「近況報告。」同様、「よしき」の名義でアメーバブログに掲載した小説です。
楽しんでいただけたら光栄です。
「嘘つくの禁止ね」
マルス先輩は、僕に対してそう言った。全くもって意味不明である。
四月一日、月曜日。高校二年への進級前の春休み。家で漫画を読んでいたら、電話で呼び出された。「あの、――くん居ますか」だそうだ。僕の携帯に掛けてきているのに、おかしな人だ。
だからつい、「お掛けになった電話番号は、現在電話に出ることができません。ピーという発信音のあとに、お名前とメッセージを入れてください。どうぞ」と返してしまった。やべえ、僕もおかしな人だ。
そんなことを思いながら、僕は先輩に返事を返す。
「もはや何もかもが意味分からないですよ」
僕も、先輩も。いやいや、そうじゃなくて。
待ち合わせ場所が学校の校門前とか、休日にもかかわらず彼女が制服を着ている事とか。それしか服持ってねーのかって。
と、まあ、そんな文句を言ったところで、この人には通用しないのだけど。
何故なら、元から意味不明な人間だからだ。彼女は普通の女の子ではないのだ。
そもそも、僕は彼女の名前を知らない。マルス先輩というのは、僕が勝手に考えた名前なのである。
曰く、「私は火星人だから、表面温度がマイナス百度という、地球より遥かに厳しい環境で暮らしているから、そして君は地球人だから、私、もっと、私を崇めるべきなんだけど」らしい。彼女は語学の知識をもう少し付けるべきである。
つーか暮らしてねーし。火星から学校通ってんのか、あんたは。
しかも彼女、火星から地球まで、生身で飛んできたと言う。いや死ぬから。宇宙空間で生身とか無理だから。それに、地球の大気圏もあるんだから。あの辺りから突然発生する重力を舐めてはいけない。いくら宇宙人でも溶けてしまうはずだ。
話が逸れたが、曰く火星人なので、火星を意味する『Mars』から、マルス、と名付けたのであった。
「で?何で嘘ついちゃダメなんですか」
「え、だって……嘘はついちゃいけない物だと思うよ?」
「あっはっはぼくがつくうそはやさしいうそだけですよだからあんしんしてくださいじゃあぼくはかえりますので」
早口言葉で棒読みしてから、踵を返す。歩き出そうとしたら、マルス先輩に腕を掴まれた。今にもポッキーみたく折れそうな程に華奢な体付きをしているくせに、力だけはやたらと強いのである。本当に宇宙人なんじゃないか、この人?
「ダメだよ。君は私の側に居なきゃ」
「何で。やだよ先輩と一緒なんて。改造されそうじゃないですか」
僕がそう言うと、彼女は一瞬動きを止めた。校舎の脇の桜の木が、風に揺れる。
「せまるー、ショッカー」
地獄のぐ~ん~だ~ん…………じゃねーよ。歌ってる場合か。
「よくそんな古いの知ってんな。火星で再放送でもやってんのか?」
「少なくとも火星にはテレビはない」
「でしょうね。トーマス・エジソンという地球人居てこその地球の電気工学ですからね」
微笑み掛けながら、さり気なく帰ろうとするも、腕を掴む手の力を強められ、失敗。
仕方なく、話を聞いてあげる。
「……何で嘘つくの禁止なんですか」
「だって嘘はついちゃ」「それはもう分かりました」
目を細めて、マルス先輩を凝視してやる。真顔でじっと僕の顔を見つめていた先輩は、そのうち、頬を赤らめて目を逸らした。何故赤くなる。
「とにかく、嘘ついちゃダメだからね」
もえ反論する気も失せて、僕は殊勝に頷いた。
「はい、じゃあ今からスタートね」
拍手を一本入れたあと、とりあえず学校に入ろう、というので、校門を乗り越え、体育館へ向かった。校舎ら扉が閉め切ってあるので、中には入れない。
それは、体育館も同じだけど。
でもこの学校の体育館は、空気を入れ替える為の、壁の麓にある小さな窓が壊れているので、そこから普通に進入できる。
靴を脱いで、体育館に上がる。伽藍とした空間は、別世界のようだった。
「ねえ。バスケやろう、バスケ!私得意なんだ」
どこから持ってきたのか、バスケットボールをタムタムとドリブルしながら、挑発的に顎を上げる。
「バスケ?僕苦手なんですけど」
「そうなの。じゃあキャッチボールでいいや。パスくらいは出来るでしょ?」
「そこまで運動オンチじゃない」
「だったら。ほい、パス!」
と、ボールを投げてくる。それをうけとって、投げ返す。続けるうち、床に落としたり、腕以外の体に当たったりしてはいけない、というルールが取り決められた。
素早くボールを投げたり、高くに投げて、床に着くのを狙ったりしながら、
しばらく続けた。
――が、ある時。
素早く投げられた僕のボールは、コントロールを失敗して、狙いより上に行ってしまった。
「危ない!」
僕は叫んだ。マルス先輩は、慌てて腕でボールを防いだ。
ボールのあたった、その場所は。
腕で防がなければ、先輩の顔に当たっていた高さだった。
「先輩、大丈夫ですか!」
その場にしゃがみ込むマルス先輩に駆け寄る。先輩の表情には、さまざまな感情が混じって見えた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
「………………」
僕は必死で謝った。だけど、先輩は何も言わず、ただ震えていた。
それでも僕が謝り続けていると、先輩が何かを言った。
「……いい」
「……え?」
何と言ったのか分からなくて、聞き返すと、先輩は立ち上がって叫んだ。
「もういい!きみなんか、大っっっ嫌い!」
マルス先輩は、走って体育館を出ていってしまった。僕には、その背中を見つめることしか出来なかった。
しばらくして、正気に戻ると、僕は体育館をあとにした。そこに先輩の姿はない。
肩を落としながら、学校を出る。
と、校門を乗り越えたところで、横から名前を呼ばれる。
振り向けば、マルス先輩。
「先輩!」
駆け寄り、その肩を掴んだ。彼女は驚いたように顔を上げてから、しかしすぐに優しく微笑んだ。
「……ねえ、知ってる?今日が何の日か」
「え……?」
四月一日。今日は、何かの日だっただろうか。普通の、何でもない……。
……ああ、そうか。そう言えば、今日は……。
僕が全てを理解した事に気付いたようすのマルス先輩は、一言言った。
「全部嘘だよ」
「……どこから?」
「スタートって言って、校門を乗り越えたところから」
それは、つまり。
「学校内に居た時の言葉は、全部?」
彼女は平然と頷いた。
「うん。バスケが得意っていうのも、………きみの事が嫌いっていうのも」
最後、彼女は恥ずかしそうに言った。
……まったく。この人の行動は本当に理解に苦しむ。エイプリルフールだからって、そんなややこしい方法で告白しなくたって。
「……ねえ」
甘く鼓膜を刺激する、マルス先輩の声。
「なんですか、先輩」
一度深呼吸をして、彼女は言った。
「私の事、好き?」
上目遣いに僕を見つめる彼女は、少し不安そうだった。
そんな彼女に、僕は言った。
「嘘つく人は、嫌いです」
四月十日。始業式。
待ち合わせをした僕達は、手を繋いで登校した。
隣を見ると、彼女の頬は、校舎脇の桜と同じ色に染まっていた。
三年生になった彼女は、卒業までの一年間、僕とどんな毎日を過ごすのだろう。
僕は言った。
「愛してますよ、まゆか先輩」
その言葉に、彼女は何も答えなかった。
遠くから、マルス先輩が僕を見ていた。