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ぜんざい

やっぱり、ヤマもオチもない…

「おはよー。寒いねー!」

 キッチンに入ってすぐ、環はそう声をかけた。

 十二月の朝は普通に寒く、思わず肩を抱くようにしてしまう。セーターの上に厚手のジャンパーも着てマフラーと手袋まで身に着けていても、寒いのは寒いのだ。

 まだ朝の七時。雲で太陽が隠れていると、明かりのついていない部屋の中は薄暗い。その薄暗い部屋の中、はるかが、コンロに向かって立っていた。

「おはよう。鉄子と散歩に行くでしょ? ぜんざいを作っておくから帰ってきてから食べてもいいよ」

 言いながら、悠はポットに入っていた紅茶をカップに入れて環に差し出した。それを受け取ってから、ほんのりと優しい小豆の香りに気付く。すぐに紅茶の香りに消されてしまったが。

「悠ちゃん、何時から作ってるの」

「うん? ちょっと前に起きたばっかりだよ。小豆を一から煮てるわけじゃないからそんなに時間かかってないんだよ」

 名前を呼ばれたことに気付いたからか、いつの間にか鉄子が足元にやってきて、環を見上げていた。

「鉄子、おはよう。散歩行こう」

 鉄子は「散歩」という言葉に反応して、耳をわずかに寄せ、瞳を輝かせる。

「うん。ちょっと待っててね。用意するからねー」

 声をかけて、悠の方へ向きなおる。両手でカップを包むように持って、口元に近づけて少しだけすする。そんなに熱くないことにほっとした。

「餡子から作るのって、水で伸ばすだけ?」

「うん。餡子とほぼ同量の水で伸ばして煮て、そこにお餅を入れて煮るだけ。塩はお好みで」

「そっかー。簡単なんだね。今度作ろうっと」

「あずき缶とか使うと便利だよ」

「あずき缶か。うん。判った。あと、小豆を煮るところからのも今度教えて」

 ゆっくりとお茶を飲んで言う。環もいろいろと作るのは嫌いではない。ただ、まどかほど専門的にやりたいとも思っていないから、こういうものの作り方は悠に教えてもらうことが多くなるのだった。

「うん。小豆もお餅もあるから、いつでもいいよ」

「ありがとう」

 じゃあ行こうか、と再び鉄子に向きなおり声をかける。すると、彼女は弾んだ足取りで玄関まで小走りで行き、こちらを振り返った。



「ぜんざいってねー、よきかな、って書くんだよー」

 肌を刺すような冷たい空気の中を歩きながら、環は傍らの鉄子に向かって言う。意味が判ったのかどうなのか、鉄子は返事をするように軽く頭を上げて環のことを見た。

「よきかな、よきかな」

 友人などは、ぜんざいの甘さを好まないという者もいるが、環は大好きだ。ぜんざいどころか羊羹や餡子のものは甘すぎると言う人も多い。それが環には不思議だ。洋菓子も美味しいが、こってり具合で言えば洋菓子の方が格段に上だと思うのだ。油脂分と糖分がこれでもかというほど使われている。それに比べれば和菓子は糖分がほとんどで、そのほかは豆や寒天などの食材が使われている。洋菓子に比べるとヘルシーだと環は思う。

 太るのが嫌だと言って、チーズケーキを好むのも意味不明だ。酸味が効いていてサッパリと食べられるかもしれないが、バターにチーズに生クリームに卵、砂糖と、高カロリー食材満載だ。太らないほうがおかしいくらいの食べ物だ。太るのが嫌なら、小さな和菓子を一つ食べたらいいと思う。羊羹にしろ練り切りにしろ、食物繊維は非常に豊富なのだ。

「美味しい和菓子は、そんなに甘くないのにねー」

 そんなことを鉄子に向かって言ってから、昨日の夜食べた、円の作った柚子風味の六方焼きは美味しかったな、と思う。確かに甘さは強かったが、口の中に広がる柚子の風味があとを引くのだ。あれが改良されたら…と思うとうっとりしてしまう。

 油脂分もあとを引く。つい食べ過ぎてしまうのだ、と母もよく言っていた。かと言って油脂を摂らないように、とは思わない。油脂分も体には必要なものなのだ。

 要は、必要量以上を食べないことが大切なのだ。

 和菓子が甘すぎるというのなら、ほんの少し食べればいい。それが、体が欲している量なのだ。

「ま、そんなに簡単にできれば、苦労はないか」

 美味しいものをたくさん食べたい、という欲求は、環にももちろんよく判ってはいるのだ。

 角を曲がって、散歩を一時間半コースにする。日頃から悠も鉄子の散歩をしているから、運動不足ということはないだろうが、歩ける時にはできるだけ長時間歩くようにしているのだ。できるだけ、筋力が落ちないように。

 足取りも軽く横に付いて歩く鉄子をチラリと見れば、彼女も視線を向ける。そんないつものやりとりに、思わず笑顔を浮かべる。

「よきかな、よきかな」

 環の頭の中では、ぜんざいがふんわりと暖かな湯気を立てていた。


「ただいま」

 玄関の鍵を自分で開けて、鉄子と二人、するりと扉の中に入った。

 一時間半歩いても、鉄子は大して疲れた様子は見せない。それは、歩くスピードがそんなに速くなかったことと、鉄子自身がそんなに頭を使ってなかったからだ。犬種的に、長時間の運動は苦にならないこともある。年寄り犬であっても、こういった持久力はまだある。

 だいたいにおいて、犬はちょっとやそっとの運動でバテるということはない。短時間で疲れさせたいのなら、全力疾走をさせたり、普段通らない道を通ったり、新しいことを教えたりしなければならない。特に後半二つは、緊張を強いたり、頭を使わせたりすることで、実は思いのほか犬を疲れさせる。「寝ている犬は良い犬だ」と言うが、犬がイタズラできないほどに疲れて寝ているくらいに犬と向き合えているか、という話なのだ。あるいは、犬が安心して寝ていられる環境を提供してやれるか。ただ漫然と歩いているだけでは、犬の欲求を満足させることは難しいのだ。

 だが、鉄子との散歩では、ただのんびりと、ゆったりと歩く。基本的には平たんな道を歩くが、時折階段を上り下りもする。目的は鉄子を疲れさせることではなく、多少負荷を与えることで、足腰の筋力を落とさないようにすることだからだ。

 疲れた様子を見せなくても、歩様に問題を感じなくても、帰ってきたら全身をチェックする。時季外れとはいえ、ダニを付けていることもあるし、足の裏に小石が挟まっていることもある。引っ付き虫が貼り付いてることもあるし、泥跳ねが腹のほうにあることもある。だから、全身を確認しながら、軽く汚れも落とす。

 終わるとウォーターボウルの水を新しいものに変えてやる。と、鉄子はそれを合図のように飲み始めた。

「よきかな、よきかな」

 思わず呟いて、どうもそれが今日の口癖になってしまっていることに環は気付いた。

 およそ十六歳の女子高生の口癖とは思えない言葉に、環自身思うところがないわけではない。

(…口に出さないように気をつけなくちゃ)

 彼女はこれでも多少は気を遣っているのだ。友人の前でこんなセリフを言ってしまったら、年寄りくさいと厳重注意を受けてしまう。環本人は年寄りくさいことは気にしてなくても、いちいち言われるのは面倒なのだ。

「おかえりー。長かったね、散歩」

 あくびをかみ殺しながら、円が言う。どうやら、今頃起きてきたらしい。

「うん。神社まで行ったよ」

 もちろん、階段を上るためだ。

「お疲れ。…ん? 悠ちゃん何か作ってた?」

 いつもはキレイに片付いているコンロの上に鍋が一つある。

「ぜんざい作ってくれてたよー。円ちゃんも朝ごはんまだでしょ? ぜんざい食べる?」

 洗面所に向かいながら環は声をかける。多分、お餅はまだ入れてないはずだ。ちょっと焼いてから入れようかな、と環はワクワクしながら考える。

「……余ってたらでいいよ。とりあえず、コーヒーを飲む」

「ほーい」

 円の返答に軽く返して手を洗い、ウガイを済ませる。幼い頃からの習慣だ。やらないと気持ち悪いというほどではないが、帰宅するとなんとなくやってしまう。悠も円も同じだ。

「お餅お餅」

 スキップするような足取りで冷蔵庫へ向かう。

「鍋を火にかけとく?」

 ヤカンを火にかけながら、円が訊いてきた。

「まだいい。お餅を焼くのよ」

 真剣な声でそう返事をする環に、円は思わず笑うが、餅に意識が向いている彼女は気付かない。

 目当ての物を冷蔵庫から取り出すと、さらに真剣なまなざしで、市販の切り餅を見つめる。

「どうしたの?」

 コーヒーの準備をしながらその様子に気付いた円が、声をかけた。

「うん」

 生返事をして、むぅ、と唸り、環は袋の中から一つだけ取り出すと、残りはまた冷蔵庫へとしまった。

 そして、取り出した一つを持って、まな板と包丁を用意する。

 円は口元だけで笑う。こういうところが、母と似ているなぁ、としみじみと思うのだ。

 環は長方形の餅の真ん中に包丁を当て、その背に左手を載せて体重をかける。半分にしたいのだ。

「二つじゃ多かった?」

「うん。でも、ぜんざいのお餅は二つがいいのよ」

「なるほど」

 それほど硬くなかったのだろう、餅はなんとか二つに切り分けられた。環はそれをアルミホイルの上に置いて、オーブントースターに入れる。

「あ、円ちゃん。私もコーヒー飲む」

「ぜんざいとコーヒーなの?」

「うん。合うか合わないか試すのもありよね」

 とか言いつつ、単に、自分の分だけお茶を淹れるのが面倒になっただけだった。そんな環の適当な返事にクスリと笑って、円はカップをもう一つとポットを取り出した。面倒なので、二人分を淹れることにする。フィルターのセットされたドリッパーをポットの上に載せたら準備完了だ。あとはお湯が沸いてからが良い。

「ぜんざいはそろそろ温める?」

「あ、うん」

 ぜんざいを入れるための器と小皿を取り出しながら、環は返事をする。そして今度は「塩こんぶ塩こんぶ」と言いながら調味料棚へと向かう。

「ぜんざいと、コーヒーと、塩こんぶ、ねえ…」

 円の呟きを環は聞かないことにする。そして、目指すものを見つけると、引き出しから自分の箸を取り出す。

「餡子とコーヒー、ねえ」

「うん。試す前に否定しちゃダメなんだよ。そういえば、円ちゃんは今日、六方焼き?を、完成させるんでしょ? 餡子を買いに行くの?」

「行くよ。何か欲しいものでもあるの?」

 ヤカンの湯が沸騰してきたので火を消し、ついでに善哉の鍋を覗いて、そちらの火は少し弱める。

「今晩、お刺身やってみたいの。何かお魚のいいのがあったら。なかったら他のものをするからいいよ」

 環の言葉に思わず笑う。日曜日の料理当番は父だが、環はできればさせたくないらしい。

「りょーかい。魚はなんでもいいよね?」

 円は、ポットの上に載せたドリッパーに、挽いた粉を二人分入れた。粉を密閉容器に戻してから、ドリッパーを揺すって山を平らにならす。ヤカンのお湯は一旦急須に入れる。温度を下げるためと、ドリッパーに細く注ぐためだ。

「おはよう」

 少しだけ注いで蒸らしていると、眠そうな声のまま、父が起き出してきた。

「おはよう。夕べ寝るの遅かったの?」

 円の問いに、父は小さくあくびをしながら、頷く。

「つい、本を読みふけってしまった」

 父はカウンターテーブルにつく。

「なんか作ろうか?」

「いや、いいよ。それよりも、環。今日は父さんの当番の日だろう」

「う……。だって、時間がある時でないと、お刺身とかに手を伸ばすの怖いんだもの」

 環は身を小さくして言い訳を口にする。

「円も、判ってて勝手に順番を変えない。私ができない時は、ちゃんと言うから」

「はーい」

 円は苦笑して返事をした。

 そこへ、チンという可愛らしい音が響く。餅が焼けたのだ。

「あ、お餅お餅」

 誤魔化すようにオーブントースターへ向かう環の背を見やって父は軽く首を傾けた。

「ぜんざいあるよ。父さんも食べる?」

 丁度ドリップし終わったコーヒーをカップに注いで、円は父に差し出した。

「ん? ありがとう。あ、ぜんざいはいいよ」

 円はポットに残っているコーヒーもカップに注いで、ヤカンを手に取った。軽くゆすって量を確認したあと、水を足して、再び火にかける。

 それを見ていた父は、再び顔に「?」を貼り付けた。

「環がね、ぜんざいにコーヒーなんだって」

 円が苦笑しながら言うと、父は、いそいそと焼けた餅を鍋に移そうとする娘に胡乱な目を向けた。

「父さん、合うか合わないかはやってみないと判らないんだから、そんな変な目でみないの!」

 お餅を少しだけ煮ると、火を止めて器にうつす。

「餡子とコーヒーが意外と合うかもしれないでしょう?」

「……方向性が似てるよね」

「う……」

 返答に詰まりながらも、環は両手を合わせいただきますをすると、ぜんざいの器に口をつけて上澄みをすすった。優しい甘さが口の中に広がっていく。そして横から漂うコーヒーの香り。

(………)

 お餅を箸で挟んで口に運ぶ。少し焼いたところが香ばしい。

 ゆっくりと味わいながらも、父の「方向性が似てる」という言葉が頭の中を飛び交っている。確かにコーヒーにも苦味があるが、日本茶のように口の中がサッパリする感じはしない。そこがぜんざいと合うか、だ。

(コーヒーとチョコレートは合うんだよねえ)

 甘い汁を口に含んで、意を決してコーヒーに手を出した。

 おもしろがるような視線が二つ突き刺さる。環は、それを受け流してコーヒーを一口飲んだ。

「………合わない」

 口の中のあずきと砂糖の味が、コーヒーの芳醇な香りと混ざって、口の中に貼り付く感じだ。

「やっぱりなぁ…」

 円がしみじみと呟けば、父は

「私もやってみよう」

 と、腰を上げる。

「え、ちょっと! 試すなら、私を非難するような目で見ないでよー!」

 環が抗議の声を上げれば、父はニヤリと笑った。

「どう合わないか、気になる。円も試すだろう?」

「うん。食べ合わせは合わないと思うけど、組み合わせたら美味しい気がするからね」

 軽く同意をする兄にも、環は唖然とした。

「円ちゃんも、酷い!」

「まあまあ」

 抗議する妹を横目で見ながら、円は自分の分のコーヒーを淹れはじめるのだった。


END



この日の夕飯当番は父ですが、環が刺身の作り方を教わって手伝いました。


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