06
どれだけの間、そうしていただろうか。
しばしの沈黙。壁にかけられた時計の針の音がやけに大きく聞こえた。
いや、本当は答えなどわかっている。何故皇帝陛下が私の客室に現れたのか。それは……
──ルールその3、就寝中に襲撃してはならない。
パタン、と扉の締まる音を合図に現実に引き戻される。
今の私は下着が透けて見えそうな程、生地の薄い寝巻きを着ている。もう完全にその為に用意していたようじゃないか…!!
しかしそれはまずい。相手は皇帝陛下、本来のお相手はエリュシオンの王女だ、辺境伯令嬢ではない。
恥ずかしいだとかそんなことは──なくはないけれど、とりあえず今は──関係ない。これはそういう問題ではない。
それに、私は寝相が悪い。寝ている間に皇帝陛下を蹴飛ばしたりしたらご迷惑では!?
「この、儀式の間は…」
何か言おうと口を開きかけた所へ、重ねるように先に声を出したのは皇帝陛下だった。
言葉の続きを促すように、閉口する。
「……皇帝と、その妃となる女性は同じ寝所に入るのが決まりだ。ルール上、禁止されてはいるが刺客から守るためでもある。本物の刺客が現れないとも限らないからな。」
あの落ち着くような低い声が、僅かながら上擦っている。
気を遣ってくださっているのだろうか。背を向け、閉まっている扉の方を向いている。
一切躊躇いなど見せず刺客を制圧していた方だった。初対面では冷たい印象を受けた方だった。
けれど相変わらず耳に届く声は不思議と落ち着き、その心遣いは温かい。本来、とても優しい方なのだろう。
「私と貴女はいずれ婚姻を結ぶ。だからといって、初対面の男と寝台を共にするのは嫌だろう。」
「え、えっと……」
「長旅の疲れもあるだろう。貴女は寝台を使ってくれ。お……私は床で良い」
「そういう訳には!」
この方は気遣いの鬼なのだろうか。
だが、素直にお言葉に甘えて皇帝陛下を床に寝かせる訳にはいかない!
確かにベッドを使った方が体は休まるが、野営の経験から岩肌の上でも寝るのは慣れている。それに比べたらカーペットの敷かれた柔らかい床なんて天国みたいなものだ。
「私が床で寝ます。ここの床はとても柔らかいので、寝心地が良さそうだと思っていた所ですので!」
「は!?いや、そんなに寝心地は良くないと思うぞ!?……ではなく、女性を床に寝かせる訳にはいかない」
「いや、皇帝陛下を床に寝かせることこそ、いけないことです!」
両者譲らず。
ここまで来るとなんだか意地のようなものが生まれてきた。絶対皇帝陛下をベッドで寝かせてやる。
そう思って身構えていると、一つ息を吐いた皇帝陛下が扉からこちらへと向き直った。
「……では、一つ提案がある。」
──────……
「……では、一つ提案がある。寝台は十分に広い。端と端で眠るというのはどうだ」
それまで構えていた王女の雰囲気が、心なしか和らいだように感じる。
もう一押しか。
「中央ににクッションを並べて境界を作ろう。それで、お互いに背中を向けて眠るというのはどうだ。その境界は必ず越えないと、約束しよう。」
王女はまだ難しい顔をしていたが、とりあえず妥協点としてくれたのだろう。
今度こそ構えを解き、ゆっくりと頷いてくれた。
俺としても一日皇帝をしていて疲れた、ベッドで眠れるのはありがたい。
儀式の間、皇帝と妃となる女性は同じ寝所に入るのが決まり……と、いうのは嘘だ。
3つ目のルールはいずれ必要になることだからとあるルールだが、別段、必ず寝所を共にせよなどという決まり事はない。
それでも俺がこの部屋に来たのはキース……ケイリクス陛下の謀が原因だ。
今日のお前の部屋はそこだと案内されて来てみたら、中に王女が居た。急いで出ようとするも外鍵がかけられており、出ることができなかったのだ。
鍵をかけた犯人はわかりきっているが、皇帝が入った途端鍵をかけられて出られなくなりました、などと馬鹿正直に王女に伝えてはあらぬ誤解や不安を生みかねない。
自身の妃と別の男を二人きりで部屋に閉じ込めるなんて、何を考えているんだ陛下は。
ベッドの隅に置いてあった予備の枕とクッションを、ベッドの中央へ一直線に並べる。
これでひとまず良いだろう。
ベッドに腰掛け、上着を脱ごうとしていると、ギィ、と沈み込むマットレスの感触がした。
王女は先に休むらしい。
「あの……陛下」
背中越しに声をかけられ、振り返ると横になったままの王女がこちらを見つめている。
「約束通り背は向けて眠るのですが……私はあまり寝相が良くないのです。ご迷惑をおかけしたら、その……すみません。それだけです、おやすみなさい、また明日」
そう言って約束通り背を向ける王女。
知らない男と眠ることより、気にするところは寝相?
律儀に先に謝るというのは真面目というか、それに……
「……ああ、おやすみ。」
上がりそうになった口角を抑える。まずいな、ケイリクス陛下のニヤけ顔が移りそうだ。
振り払うように手早く着替えを済ませ、ベッドへ入る。
間にクッションを挟んでいても、背中越しに誰かがいるのがわかる。
静かな呼吸音まで聞こえてきたが、王女はもう眠ったのだろうか。
それにしても王女、ね?
刺客に狙われた時の反応。
流石に驚いたのか動き出しは多少遅れていたが、それでも十分に早かった。刺客に気づいたこと自体は、俺とほぼ同時だっただろう。
王女は小柄で、体つきも華奢だ。一体どんな訓練を積んだことやら。
エリュシオンのことは詳しくない。伝え聞くに、武より芸事や魔法に長けた国、とだけ。
遠い隣国というのは伊達ではなく、『境界』
がもたらした距離はそれほどまでに長く深かった。
エリュシオンの人間にあったのも、まだこれで2度目だ。
とはいえ、1度目は『境界』の中での魔物討伐時。たまたま共闘することになった時だから、エリュシオンの中でも武に長けた方々だっただろう。
そういえばあの時の将はどうしているだろうか。あの将も小柄だった。しかし勇ましく魔物の群れに飛び込んで行っていた。兜越しで顔は見ていないが、まだほんの少年だったはずだろう。
「小柄な…戦士……」
ふと、あの将のことを思い出して、刺客襲撃の時の王女を思い出す。
そこである予想が、妄想にも近い考えが浮かぶ。
いやまさか、王女があの時の彼と入れ替わっていると?
ありえないとは言えない。バステオンだって皇帝と近衛兵が入れ替わってるじゃないか。
女装して潜入?
いや男にしては線が細すぎないか?それともそう育てられたとか?
仮に男だとしたら、さっき少し可愛いとか思ったのを返して欲しい。
「ん~……」
疑念を振り払っては、また戻ってきて。きっとこれを繰り返し今夜は眠れないぞと覚悟をしていると、後ろなら唸るような声と、ボスボスと柔らかく鈍い……おそらく、クッションの飛ぶ音。
「殿下?」
まさか起きているのか?
そう思って振り返ろうとすると、背中に温かさと……そして、控えめだが柔らかな感触がした。
女性。
少なくともこの王女は女性だ。
それは確定した。
一つの真理と答えを得た夜だが、また別の問題から眠れなくなる夜となるのだった………。
柔らかい。




