05
遠い隣国、バステオンまでは馬車で約2日といった所だった。
たったそれだけの距離をこうも長い期間完全に分断していたのだから、『境界』というのは本当に恐ろしい所だったのだと思う。
その恐ろしい『境界』をほとんど無効化できてしまうのだから、本当に恐ろしいのは魔除け石の方かもしれないが。
──そんなことを延々と考えているのは、単に、現実逃避のためである。
この2日で聴き慣れた車輪の回る音だけが、皇帝と二人きりになった馬車の中を支配していた。
何か、話した方が良いのだろうか……と考えかけては踏み止まる。セレフィナ様が言っていた、無駄に話すのは墓穴を掘るだけ。とりあえず、それとなく微笑んでおきなさい、と。
微笑む…微笑む………いや無理だ。元々表情を作るのは得意ではないし、セレフィナ様のように器用に振る舞うことなんてできない。
「………」
「………」
そういうわけで、馬車の中は痛い程の沈黙と、相変わらず止むことのない車輪の音だけがそこにあった。
それから程なくして、馬車は目的の場所へ着いたらしい。
沈黙から解放され、辿り着いたのは大きな屋敷。おそらくはこの国境を守護する領主の屋敷か、迎賓館のどちらかだろう。
流石に街の中の宿屋で一泊、というわけにはいかないらしい。
「ご厚情痛み入ります。」
「いや…今晩はゆるりと休まれよ」
やっと見つけた話題らしい話題に飛びつき皇帝陛下に話しかけてはみたが、返ってきたのはそんな短い言葉だった。
沈黙よりは、前進か。
皇帝陛下から視線を逸らし、着いてきた馬車から降りてきているはずのセレフィナ様の姿を探そうとした時──屋敷の柱の影から何かが飛び出してきた。
体格からおそらく男。腕に持った何かが銀色に煌めいていて、こちらへ真っ直ぐ突っ込んでくる。
(まさか、例の刺客?こんなに早く!?)
幸いにして、その軌道は未熟だ。
歩下がって避け、足を振り上げ腕をへし折る。そう判断して重心をずらそうとした瞬間、視界に黒い軍服の袖が割り込んだ。
「なっ……!」
皇帝陛下だ。彼が私の前に庇うように滑り込み──いや、違う。あれは迎撃へ転じる動作だ。
最小限の動きで刺客の手首を打ち払い、体勢が崩れたところへ、流れるようにみぞおちへ強烈な膝蹴りを叩き込む。
短い悲鳴をあげて刺客が倒れ込む。その少し後に、彼の持っていたナイフがカランと音を立てて地面に落ちた。
無駄がない。それでいて、一切の躊躇も、淀みもない。完璧な制圧に思わず息を呑む。
「殿下。」
皇帝陛下に委縮するのはこれで何度目になるのか。
冷たく、しかしそれでいてどこか安心するような低い声が耳朶を打ち、無意識に強張っていた体の緊張が解れる。
「良い反応だった。邪魔をしてすまない。」
皇帝陛下は倒れた刺客にも、言葉を発することもできない私にも一瞥もくれず、カツカツと軍靴を鳴らしながら屋敷の方角へと向かう。
やはり言葉は少ないが、少し彼の人となりが見えた様な気がした。
しかし──危なかった。良い反応だった、などと言われてしまったが、咄嗟に刺客に反撃しようとしてしまっていた。
いやそれ自体は合っているのだが、一応王女を演じている今、勇ましく反撃などしてはいけない気がする。
「お怪我はありませんか!?」
「いえ、問題ありません」
駆け寄ってきたセレフィナ様に首を振って応えれば、良かった、と安堵した様に息を吐く。
……なんというか、セレフィナ様はここにくるまでずっと楽しそうな顔をしていたから、こうやって心配してくれるなんて意外だ。
そう思っていたのが顔に出ていたのか、気づいたらしいセレフィナ様が頬を膨らませている。ちょっと可愛い。
「……失礼しました。本当に問題ありません。さあ、私達も屋敷へ参りましょう。」
そこから特に襲撃はなく、バステオンでは"試金石の儀式"と呼ばれる文化の説明をキースから受けた。
セレフィナ様からある程度話は聞いていたが、思ったよりも人道的なルールが設けられる点は意外だった。
バステオンはもっと、猪突猛進なイメージがあったというか……こういった文化がある時点でかなり、とは思うが。
ルール上襲撃がないという晩餐を終え、案内された客室にへと向かった。
部屋には、優に三人は並んで眠れそうな大きなベッドが一つ。
普段、直接馬に跨ることはあっても馬車に乗ることなどそうそうない。更には一日中慣れないドレス姿だ、普段の魔物を相手取るよりずっと疲れた。
正直、セレフィナ様にお借りした寝巻きは生地が薄くて少々落ち着かないが触り心地はかなり良いし、何より体を伸ばして存分に休めるのは本当にありがたい!
と、思ったのも束の間。
特にノックもなく客室のドアが開き誰かが入ってきた。
そろそろ見慣れた黒い軍服。
ずっと見ていては首が疲れそうな上背。
初対面の頃より、いくらか和らいで見える威圧感。
「え?」
「は?」
皇帝陛下だ。




