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 懐かしい夢を見た。

 故郷の草原を駆ける夢。

 自分の足で走るよりもずっとずっと早くて、まるで風になったような心地がした。


 彼と出会ったのは私がまだ6歳の頃。

 控えめに母親の陰から顔を出して、けれどしっかりと私の目を見てくれた。

 知性の宿る栗色の瞳。そこにはたしかに優しい光が宿っていて。


 そんな彼は私よりずっと早く大人になった。

 出会った頃は私の方が少し背が高かったのに、数年もすれば、見上げるほど逞しい体躯になっていた。彼の温かい背中に揺られている時が、一番安心できた。

 それでもやっぱり幼いところもあって、彼はよく私の頬を優しく食んだ。少しだけ、故郷の草の香りがしたのも懐かしい。


 彼は多くを語らないけれどその瞳を見れば何が言いたいかもわかったし、私の言いたいことはすべて理解してくれた。辛い時、私が黙って彼に寄り添うと、彼は何も言わずにその大きな体で私を包み込んでくれたものだ。


 『境界』では、常に背中を預け合っていた。泥にまみれ、血の匂いが漂う死線の中でも、彼だけは私を裏切らなかった。私の命は彼の足に、彼の命は私の手綱――いや、私の腕に握られていた。


 少し気難しいところもあった。

 彼が背後に立つことを許したのは、世界で私だけだった。私以外の誰かが不用意に近づけば、彼は烈火のごとく怒り、その剛脚で相手を追い払って、兄を驚かせてしまったこともある。


 領地を出る日、彼は私を乗せた馬車をどこまでも追いかけてきた。

 どれだけ突き放しても、必死な形相で。普段静かな彼が最後に彼が発した、あの悲痛な叫びを、私は一生忘れない。


「ジルは……ジェラルドは、幼い頃からずっと一緒にいて、ええっと、故郷に置いてきた……」


 今頃、故郷で元気にしているだろうか。ちゃんと美味しい干し草を食べているだろうか。次に会う時は、とびきり美味しい林檎を持っていってあげよう。


 ──私の、世界で一番誇らしい愛馬(・・)






──────────────……






 それから3日、私は寝室から出ることを許されなかった。

 体は相変わらず節々が痛むが、首飾りがないおかげで自己回復が働き、怪我自体は治ったのだが、熱がなかなか下がらなかった。せめてその熱が下がるまでは大人しくしているように、と。カイル殿に強く止められてしまった。

 熱などの病は、私の自己回復では治せない。こればかりは自然治癒を待つしかなかった。


 それから、セレフィナ様にそれはもう、怒られて……謝られてしまった。

 痛いくらいに強く手を握り、今にも泣きそうな顔で。


「謝って許されることでないのはわかっているわ。貴女の矜持を傷つけただけではなく、こんなにボロボロにさせてしまって……」

「いえ……もとはといえば身体強化に頼りすぎていた私が悪いのです。それを封じられてもなお動けるように鍛えなおしをしなくては!」

「……馬鹿」


 なんて、また怒られてしまった。悲しい。




 キース殿も一度だけ訪れた。


「陛下が気落ちされていましたよ、何かお話でもされたんですが?」 


 無理をした私が悪いのに、カイル殿もセレフィナ様もとても辛そうな顔をしていた。

 そういった中で、キース殿の態度はとてもありがたかった。飄々としていて相変わらず掴めない人ではあったけれど、少なくとも暗い顔をしていないのはそれだけで救われた。


「夢を見た話をしました。内容は故郷のもので……」

「『ジル』、という人物が出てくる夢だったとか?」

「人物……いえ、ジル──ジェラルドは、私の愛馬の名前です」

「馬」

「馬」


 少し間をおいて、キース殿は腹を抱えて大爆笑を始めた。

 何故だろう。

 

「う、馬……ふふふっ…それ、陛下には伝えたんですか?」

「そういえば、馬だとは言っていないかもしれません…ですが、」

「ですが?」

「『片割れのような存在』だ、とは」


 少し落ち着いてきていたキース様が、また大笑いを始めた。

 よく笑う方だ。




「体の調子はどうだ?」


 そして、一番様子を見に来てくれたのはカイル殿だった。

 流石に今は寝室を別にしており、朝、昼、夜と、少し時間をあけては顔を見せてくださった。


「もうだいぶ良くなりました!」

「……いや、まだ少し顔が赤い。熱があるだろう」


 なのでもう外に…と、いう前にカイル殿に制されてしまった。

 何故だろう、少し過保護なような……いや、今の状態の私が隣にいてはまたお手を煩わせてしまうかもしれない。妥当な判断だろう。


「ですが、もうお披露目まで時間がありません。少しでも動けるようにしておかないと」


 セレフィナ様が提示してくれた、お披露目対策の魔除け石の使用はもう難しいだろう。


「それについては心配しなくてもいい、考えがある。手を貸すと言っただろう?」


 だからもう眠れ、と優しく頭を撫でてくれる。

 ……夜眠るとき、いつも傍にいたからか。この温かさがとてもここち良い。


「ほら、やっぱりまだ熱い……」


 その手が頬へと滑り落ちてくる。

 私の体温よりも幾分低い手のひらが気持ちよくて、つい目を伏せて頬を寄せてしまう。

 そうすれば、彼は小さく笑いを漏らして…


「また来る、ゆっくり休め」


 優しく言い含めるような物言いは、故郷の兄と重なって見えたが……何故だか、少し壁を感じる。

 離れていく手のひらはまるで逃げるようで、距離を取られてしまっているようだ。


「あの、カイル殿?」

「うん?」


 背を向け、扉に向かう彼を呼び止めれば、振り返ってはくれる。

 けれど、それだけだ。きっともう少しここにいてほしいなんて言っても聞いてもらえない。そんな気がした。


「……おやすみなさい」

「ああ、おやすみなさい」


 パタン、と音を立てて扉が閉まる。

 静かな部屋に、私一人が残された。


 私の体温はいつもより高い。

 先ほど頬に触れたカイル殿の手のひらよりも、温かいはずなのだ。

 ここに来てからずっと包み込んでくれていたあの腕よりもずっと。

 だというのに。


「寒い」


 きっとそれは熱のせいだと言い聞かせて、目を閉じた。


 彼との距離に何を苦しむことがあろうか。

 これは本来あるべき距離、むしろそれにしても近すぎるくらいだ。

 私は本物の王女ではない。彼の隣にいるべきは、その腕に抱かれるべきは、私ではないのだから。

読んでいただいてありがとうございます。

続きはまた二日後、18時ころの予定です。

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