15
「…ん……んっ?」
微睡みの中感じたのは、身を任せてしまいたくなる温かさと、鼻腔を掠める清潔な石鹸……その奥に潜むどこか硬質で熱い香り。
髪に触れる優しい感触に顔をあげれば……彼もまだ寝起きなのだろう、僅かに眠気を孕み、低く掠れた声で「おはよう」と囁かれる。
その振動が直接触れた彼の胸から伝わって、全身に熱が巡るのを感じた。
「おはよう、ございます」
やはり慣れない、慣れるはずがない。
眠った場所と起きた場所が同じ。たしかにそれに感動したのは事実。2日連続でこんなこと奇跡だ。
けれど、2日連続でこんな朝を迎えている。
1日目はともかく……2日目は自ら望んでしまったが故のこの光景だ。
なんだか、とてもいけないことをしているような気がした。
「……あ」
もう、起きるのだろう。
髪から離れていく指が惜しくて、自然と声が漏れてしまった。
驚いたように固まるカイル殿より、そんな声を漏らしてしまった自分の方が驚いている。
「な、なんでも、ありません!」
これ以上情けない姿を見せるわけにはいかない。今の私は辺境伯令嬢ではなく、エリュシオンの王女。今更なような気もするけど、もっと凛とした態度でいなければ!
そう思い、離れようと身を捩ると「ハァー」と、深い深いため息と共に、逃れられないようキツく抱き竦められた。
「どうしてそう…貴女は……」
「あ、あの、カイル殿?」
「今喋らないでくれ、頼む」
何故カイル殿はそんなに切実そうな声で仰るのか。というか、何だか少し怒っている?
話すな、というので黙っておく。本当はお顔が見たかったのだけれど、言外に動くなとも言われているようだったので大人しく彼の胸元に顔を埋めておいた。
私は石像。私は石像……。
それからしばらく、もう離れることはないんじゃないかと思われた拘束が解かれた。
離れていく体温に、また出かかった言葉を飲み込む。今まで触れていた場所から、冷たい空気に曝されたようで少し寒く感じた。
────────……
俺が目覚めたのは、彼女が目を覚ます少し前。
瞼越しに感じる陽の光に目が覚める。
普段の感覚から、起床するにはまだ早い。
「……ん…」
目が覚めたことで少し動いてしまったのだろう。
寝心地の良い場所を探して、腕の中の温かさが僅かに身動ぎをする。
右腕の感覚はとうに消えている。
だが、今はその痺れすらも心地いい。腕の中に収まった彼女の重みは、俺が昨日見た夢が決して幻ではなかったことを証明していた。
たとえ感覚がなくとも、彼女の体温だけは熱いほどに伝わってくる。
カーテンの隙間から差し込む陽光が彼女のもつ銀色の髪にキラキラと反射して、その隙間から僅かに見えるうなじを白く照らし出す。
油断したように跳ねた髪に、僅かに朱色に染まる頬、薄く開いた口元からは穏やかな吐息が聞こえていた。
普段は鉄壁の守りを誇るあの王女が、今は無防備にその喉元を晒している。
……俺が刺客だったらどうするんだ。
ふわりと鼻を掠めるのは、石鹸の香りと……彼女自身の、甘い体温の匂い。
その香りに抗えず、髪に指を滑らせると、吸い付くようなしなやかさが指先を包んだ。
指に絡みつく一房の重み。毛先が手のひらをくすぐるたび、心臓の奥が甘く、痺れるような錯覚に陥る。
では離れようかとその指を解けば、彼女の体温を孕んだ甘い香りがふわりと弾けた。その香りに酔わされたのか、絡めた指に思わず力が入る。
このままもっと……強く引き寄せてしまいたいという衝動を、奥歯を噛み締めて押し殺した。
あれだけ刺客相手に暴れていた女がこんなに柔らかいなんて誰が予想できる?
──否、今は俺だけが知っていればいい。
なにが『どうぞ』、だ。
目覚めた瞬間、この光景まで想定していたのなら、本当に酷い女だよ。お前は。
そんな俺の心を知ってか知らずか。
ゆっくりと、フィオナの瞳が開かれた。
────────……
そんな朝をなんとか乗り越えて朝食を取る。今朝はまだ"皇帝"と"王女"の時間だ。
この時間に、侍女やキースとの共有事項の伝達を行い、解散して準備をする……というのが先日決めた流れだ。
皇帝と王女の寝室から、侍女とその護衛が出てきてはおかしいからな。
しかし王女……フィオナの様子が少しおかしい。
時折ボーっとしていたり、目が合えばそらされ、いそいそとパンを口に運ぶし。
確かに、髪に触れたり強く抱きしめたりというのはやりすぎたかもしれない。それでもそんな、あからさまに何かありましたって態度を取られると……後ろの視線がやかましいから勘弁してほしい。
………いや、少しだけ優越感があるが。
コホン、とキースが咳払いをする。
今から真面目な話をするぞ、という合図だ。
「以前、陛下にはお伝えしていたお披露目についてですが、やはり早めに開催するようにと」
「……もう少し、王女達が落ち着いてからというわけにはいかないか」
「最初は到着した当日に、と言われていましたから。それがなくなっただけ奇跡でしたよ」
「お披露目、とは?」
バステオンに来る以前に手紙で知らせていた筈だが、ピンと来なかったらしい。
やっとこちらを見たフィオナと目を合わせるが、やはり目を逸らされてしまった。やめろ、笑わないでください陛下。
ちょうど良い機会だと、お披露目について伝えておく。
要は、皇帝の婚約者をお披露目しよう、という夜会だ。バステオンの重鎮──貴族達が大勢参加するもので、規模もそこそこ大きい。
ただでさえ慣れない他国、その大きな夜会。王女達には負担が大きいだろうから、こちらに慣れてから開催しようという話になっていた。
それになにより……
「夜会は"晩餐"に含まれないんだ」
「と、言いますと?」
「刺客が襲ってくる」
お披露目はかなりの人数が集まる。
それ故、刺客には気付きにくくなるし、現れたとしても対応は慎重に。
「殿下の刺客への対応は大変気持ちの良いものではありますが、少々抑えていただく必要がございます」
「?」
「刺客を吹き飛ばしてはいけません」
「なるほど…?」
今までのお披露目は、せいぜい刺客に早く気づくだけでよかっただろう。そもそも刺客は妃となる女性より、皇帝へ差し向けられてきた。それでも妃を狙うことがあるのは、皇帝が妻となる女性をしっかり庇うほどの余裕があるかを見るためでもあった。
しかし、今回やってきた王女は別だ。
自ら迎撃しに向かったり、派手に刺客を吹き飛ばしたりしている。それは目撃した使用人から騎士から、そして吹き飛ばされた刺客自ら、様々なところに伝えられている。
バステオン帝国は、強さを尊ぶ。強い者は歓迎されるし、強いのだと思われたら試されるようになる。
つまり、今回のお披露目は王女も盛大に狙われることになるだろう。
だが夜会は人が多い。
そんな会場で気絶するような威力と速度で人がぽんぽん飛んでしまっては、他の人間に当たる可能性もあって危険だし、夜会自体中止になりかねない。
「バステオン帝国流のおもてなし、というわけですね。全力でお応えいたします」
「全力を出してはいけない、というお話を今されたんですよ、殿下」
いまいちわかってない様子の王女。
侍女が嗜めてはいるが果たして効果は出るのだろうか。
お披露目は1ヶ月後。
王女の夜会用のドレスの発注などを鑑みて……とできるだけ時間を稼いだが、それが限界の長さだろう。
それまでにフィオナが手加減を覚えてくれれば良いのだが……。
そういえば寝起きの話を書いていなかったので……
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
続きはまた、2日後の18時頃に




