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 皇帝陛下がお休みになってからしばらく、窓の風景が変わってきた。

 国境から離れてしばらく、皇都が近づいてきたのだろう。


 車輪の音もどこか硬質なものに変わった。

 ここからではよくみえないけれど、街道が土を固めただけのものから石畳のものにでも変わったのかもしれない。

 エリュシオンの石畳の街道を走っていた時と、よく音が似ている。


「…ん……」


 音に気付いたのか、まだ起きる様子はないが、皇帝陛下が僅かに身動ぎをした。少し擽ったい。


(寝づらくないのだろうか?)


 視線を悟らせないためにつけているという仮面。

 今は眠っているからその視線については気にしなくてもいいし、邪魔だろう、とその仮面を外してしまうことにした。

 その際また身動ぎをしていたが、宥める様に頭を撫でると、その呼吸が規則的なものに戻っていく。


 頭を撫でるたびに指に絡む毛は柔らかく、癖のない短い黒髪だ。何故だか、そのまま撫で続けたくなる。

 よく見ると、精悍な顔立ちをされている。寝顔は少し幼く見えるけれど、年若い皇帝には気苦労も多いだろう。鼻筋もスッと通っていて、今はもう伏せられた瞳を縁取るまつ毛も長くて………。


(あれ…?)


 そこで違和感に気づく。

 そういえば、こんなにしっかりと皇帝陛下を観察したのは初めてかもしれない。

 今までも確実に視界に収めていたはずなのに、どこか霧がかっていたような……?

 仮面のせい?しかし髪色なども改めて今気づいたような………。


「……殿下?」


 眩しそうに、皇帝陛下がゆっくりと瞳を開けた。

 それは今朝見た時と同じように、夕陽のような、柔らかなオレンジの入った赤い瞳。

 そう、朝はちゃんと見ることができていた。

 何故、今更私はこんなことを……?


「おはようございます、陛下」

「……おはよう。すまない、すっかり眠ってしまった。足は大丈夫か?」

「全く問題ありません、鍛えていますから!それより陛下……」


 ゆっくり上体を起こし、まだ少し眠そうに目元を押さえている皇帝陛下へ、仮面を差し出す。

 寝苦しそうだったとはいえ、勝手に外してしまったことは事実だ。

 一言か二言、咎められるかとも思ったが、皇帝陛下は少しだけ驚いた様子を見せるも、「ありがとう」と受け取ってくれた。


「勝手をして申し訳ありません」

「何故謝る?眠っていたから、外してくれたのだろう?煩わせたな」


 その声色は何処までも優しい。

 それが逆に申し訳なく感じてしまう。


「大丈夫だ、貴女と二人きりの時は構わない」


 眠って居た皇帝陛下に私がしていたように、今度は陛下に優しく頭を撫でられる。

 あやされている、というような感じだ。


「しかし大切な仮面だ。そうでない時は、眠っていても外さないで欲しい」

「は、はい!」


 離れていく手のひらを少しだけ名残惜しく思うが、どうやら目的についたらしい。

 なり続けていた車輪の音は止まり、外から僅かな馬の嘶きを聞いた。




─────────……




「……手を。足元に気をつけろ」

「ありがとうございます」


 皇帝陛下に支えられて、なんとか馬車を降りる。

 ドレスというものになれる日は来るのだろうか。ヒールが高い靴というのも、歩きにくくて仕方がない。……これで蹴られればかなり痛そうだとは思うけれど。


 馬車を降りた先。

 見上げる先にあるのは、城という名の要塞だった。


 幾重にも重なる重厚な石壁は、エリュシオンの白亜のそれとは対照的な、鈍く光る黒。

 エリュシオンは白を貴色とするが、おそらくバステオンは黒を貴色とするのだろう。

 国境付近にあった街もそうであったが、装飾を削ぎ落としたその姿は、美しく飾られることを拒絶し、ただ"不落"であることのみを誇示している。

 けれど、天を衝くほどに高く聳え立つ尖塔の群れは、この国を統べる者の圧倒的な権威を物語るような壮麗さを湛えている。


 これが、強さを尊ぶバステオンの城。


「……改めてようこそ、殿下。今日からここは貴女の城でもある」


 グローブ越しに伝わる手の熱は、先程まで膝に感じていたものと変わらない。

 声色こそ初対面の時に近い、低く冷たいそれへと戻っていたが、かけられる言葉は緊張をほぐすような温かさを持ったままだ。

 立場のある方だ、衆目もある。使い分けていらっしゃるのかもしれない。


 侍女……セレフィナ様の視線を背中に感じながらも無視をして、皇帝陛下のエスコートを受ける。

 振り返るな、見なくたってわかる。今絶対ニヤニヤしてるぞ、あのお姫様!


 城内へ足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。

 天井は高く、むき出しの(はり)が幾重にも交差している。エリュシオンの城にあるような繊細な女神像や花々のレリーフなどはどこにもない。

 代わりに壁を飾るのは、歴代の皇帝が戦い抜いた証である古びた軍旗と、手入れの行き届いた盾の数々。

 窓から差し込む光が石畳を照らし、そこには何百年もの間、騎士たちの軍靴に踏み固められた独特の光沢が宿っていた。


(せめて、あともう少し。ドレスの裾が短ければ動きやすいのだけれど)


 コツコツと、歩くたびにヒールが甲高い音を立てる。

 動き回る練習でもできれば……いや、流石にドレスで歩く練習をしたいので騎士達の鍛錬場にご一緒でにないか?などと聞く王女はいないだろう。


 そんな時だ、丁度良い練習相手(・・・・)の気配を感じた。

 国境の街から数時間、陽はやや傾き始めて……なるほど、二つ目のルール、日中は襲撃してはならない、これのきかない時間となったらしい。


「陛下、少々……失礼いたします」


 廊下の柱の陰から、黒衣の影が二つ、鋭いナイフを閃かせながら飛び出してきた。

 皇帝陛下が何かを口するより先に、ドレスを蹴り上げて強引に踏み込んだ。


 ……正直、イライラしていた。もう3日もこんな服を着せられている。

 この重たいスカート、ずっと足に絡みついて鬱陶しいことこの上ない。

 おまけにこのヒール。接地面が少なすぎて、いざという時に踏ん張りが利かないじゃないか。


 ヒールが石畳を激しく叩き、火花が散るような衝撃が走る。

 不安定?知ったことではない。体幹で強引に軸を固定し、腰の回転をそのまま拳に乗せる。


(急所はまずい。向こうがこちらを殺す気がないのだから、こちらからそれを狙うのは"王女"として些か品がない)


 ドレスのフリルが激しく波打つ。相変わらず目障りだ。

 私の右ストレートが刺客の顎を捉えると、鈍い音をたてながら、男の体が面白いように宙を舞い、背後の石柱に激突して動かなくなった。


 もう一人が、信じられないものを見る目で私を凝視しているのを視界の端で捉えた。

 その目には慣れている。


 もう一人の方へ踏み込み、もう一度片足を軸にドレスごと蹴り上げる。

 慌てて首元を押さえていた様だが、狙ったのはガラ空きになった脇腹だ。


 同じように壁にぶつかった男を見たあと、ゆっくりと足を下す。


(やはり邪魔だ。丈を短くしてもらうか、騎乗服のようなパンツが好ましいな)


「……お待たせいたしました、陛下」


 ドレスの裾を持ち上げ、片足を下げる。

 うん、完璧なお辞儀(カーテシー)だ!


 どうです?と先程の意趣返しとばかりにセレフィナ様の方へ振り返ると、何故だか、呆れたように首を振っているのが見えた。

続きはまた、2日後の18時に

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