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4話 氷の剣姫

“氷の剣姫”──第三王女ラグンヒルドが木剣を構えると、稽古場の空気がわずかに張り詰めた。

振りは静かで無駄がなく、踏み込みも呼吸も一定だ。木剣であるはずなのに、刃が通る軌道に沿って空気が裂けるような鋭さが生まれ、乾いた風切り音だけが短く残る。


一方のシグルズは、木剣を頭上に振りかぶるだけで肩と前腕が悲鳴を上げていた。先ほどの走り込みと筋トレで腕は鉛のように重く、真っ直ぐ振り下ろすことすらままならない。

「全身を使え」と檄が飛ぶが、力は手先に逃げ、剣筋はぶれ、動きは途切れる。


とはいえ、全身の痛みを差し引いても差は歴然だった。

素人目にも、ラグンヒルドの素振りは洗練され、シグルズのそれは拙い──その違いが、残酷なほどはっきりと稽古場に並んでいた。


あとから聞いた話だが、彼女が「氷の剣姫」と呼ばれる理由は、その剣の冴えだけではないらしい。


まず、性格が氷のように冷たい。感情を表に出すことはほとんどなく、自分にも他者にも一切の甘さを許さない。その厳しさは、王族であるにもかかわらず例外ではなく、訓練でも私生活でも常に己を律しているという。


剣術の腕前は天才的で、同世代はおろか年長の騎士すら及ばないと噂されていた。

さらに、真偽は定かではないが、氷の魔術を操るとも囁かれている。式典中に襲いかかってきた暴漢を、一瞬で氷漬けにしたという話まであるほどだ。


冷たさ、厳しさ、そして圧倒的な力。

それらすべてが重なり合い、彼女はいつしか──“氷の剣姫”と呼ばれるようになったらしい。


「さあ頑張れ!あと三回だ!己の心を奮い立たせて振り切るのだ!自分を信じる気持ちが大切であるう!」


グンナルにそう叫ばれ、シグルズは言うことを聞かない両腕に力を込める。気づけば他の見習い騎士たちも素振り1000回を終えていたらしく、シグルズを取り囲んで鼓舞していた。歯を食いしばりながら腕に渾身の力を込め、ゆっくりと確実に残る三回を振り終えた。

その様子をラグンヒルドは冷たい視線で眺めていた。


「ここからは一対一での模擬戦を行う!全力でぶつかり合うがよい!それぞれ、実力が近しい者とペアとなるように!」 


その指示が下るや否や、見習い騎士たちは慣れた様子で互いに視線を交わし、すぐさま模擬戦の相手を見つけていった。ただ一人、ラグンヒルドの周囲だけは不自然なほど静かだった。彼女に声をかけようとする者はおらず、誰もが無意識のうちに距離を保っていた。


「おい新入り!初日なのに、なかなか気合が入ってるじゃないか。よかったら俺と組まないか」


比較的シグルズと年齢が近そうな見習い騎士が、そう言って気さくに手を差し伸べてきた。

足を引っ張って、他の見習い騎士たちから迷惑だと思われていないか心配だったシグルズは内心少し安堵した。


「誘ってくれてありがとう。ぜひ──」


シグルズも応じてその手を取ろうとした、その瞬間だった。


「待てえい!シグルズ!」


指導教官グンナルの怒号が稽古場に響き渡る。


「貴様はラグンヒルド王女殿下と模擬戦を行うのだあ!上質な剣技を、その身で食らって学ぶがよいのだああ!」


次の瞬間、グンナルは有無を言わさずシグルズの足を掴み、そのまま引きずっていくと、ラグンヒルドの前へと放り出した。


ラグンヒルド王女の足元で地面に転がったまま、シグルズは顔を上げた。静かに佇む彼女と、その澄んだ瞳が真正面から重なる。

慌てて身を起こし、土を払って体勢を整えると、王女の前に立ち上がった。何か言わなければならないと思い、必死に言葉を探す。


「手合わせを、していただけませんか?」


初めて面と向かった瞬間、稽古場の空気が凍りついた気がした。白金の髪の奥から注がれる蒼い瞳は、感情を映さぬまま刃のように鋭い。剣を持たずとも、間合いも呼吸も見透かされていると悟る。微動だにしない佇まいが、すでに戦いを告げていた。胸が締め付けられ、息が浅くなる。


「貴方は誰かしら。初めて見る顔だけれど」

「──シグルズと申します!」


グンナルに言われたことを思い出しながら、シグルズは大声で名乗った。

彼女は一度、満足げに頷くグンナルの様子を横目で見て、小さく息を吐いた。その後、改めてシグルズへ視線を向け、静かに口を開く。


「……ええ。いいでしょう。構えなさい」

「よろしくお願いします!」


大きく返事をしたシグルズを、ラグンヒルドは睨み上げた。


「無駄な挨拶はいらない。いつでもかかってきなさい」


言われるがまま、シグルズは木剣を構えた。だが、それだけで精一杯だった。震える腕、定まらない剣先。呼吸は浅く、足元すら覚束ない。二人の間には、張り詰めた沈黙が流れる。


──今だ。

そう思い、シグルズが一歩踏み出した、その瞬間だった。


視界が、唐突に塞がれたように感じた。何が起きたのか理解する前に、本能的に地面へ転がって回避する。起き上がった時、彼女はすでに側方に立ち、こちらを向いていた。いつ動いたのか、まったく分からない。無言だった。


ラグンヒルドの瞳が、恐怖を植え付けるかのようにシグルズを捉えている。間合いを測りながら、一切の無駄なく、ただじっとこちらを見据えていた。


シグルズは短く息を整え、覚悟を固めて再び踏み込む。

──消えた。


下か、と気づいた時には遅かった。眼下に潜り込んだラグンヒルドと視線が合う。次の瞬間、顎に鈍痛が走り、視界が跳ね上がった。青空が広がり、その中を自分の木剣が舞っていくのが見える。


そこで、意識は暗転した。



目を覚ますと、視界いっぱいに石造りの天井が広がっていた。簡素だが丁寧に組まれた梁と、壁際で揺れる灯りが、ここがディートリヒ邸であることを静かに告げている。

そこは屋敷の医務室だった。意識を失ってから三時間ほど眠っていたらしく、すでに稽古はすべて終わったのだと知らされる。


やがて夕食の時間だと言われ、食卓へと案内された。

長い木の卓には、焼いた肉と根菜の煮込み、香草の添えられた黒パン、深い色の酒が整然と並び、質素ながらも格式を感じさせる北方貴族の食卓が整えられていた。


その席で、ディートリヒは淡々と告げた。


「初日で剣を握らせてもらえただけ、大したものだ。グラシエル家の稽古は厳しいことで有名だからね」


その言葉のあと、エッダは何も言わず、そっとシグルズの様子を窺った。表情は穏やかに保たれていたが、視線は何度も彼の手や顔に向かい、かすかな傷や疲労を探すように揺れている。


「無理はしていないかしら」


そう口にする声は柔らかかったが、言葉の端に滲む不安は隠しきれていなかった。食事の途中で一度手を止め、さりげなく椅子の距離を詰める仕草にも、息子として迎え入れたばかりの少年への案じる気持ちが表れていた。


ディートリヒは静かに口を開いた。


「シグルズは、今日が剣を握って初日だ。一方で、ラグンヒルド王女殿下は、すでに三年ほど前から本格的に剣を学んでおられる」


淡々とした口調だったが、事実を整理するような響きがあった。


「王宮では、殿下と張り合える同世代の相手も、遠慮なく叱りつける指南役も少ない。だからあの方は、よく城を抜け出して、あえて厳しいグラシエル家の稽古を受けに来られるのだ」


その言葉には、王女の実力と同時に、己を高めようとする姿勢への静かな評価が滲んでいた。


「指導教官のグンナルは脳筋だが、あいつの騎士としての実力はイゼルフロスト王国でも指折りのものだ。あいつの精神論は正直無茶苦茶だが、事実、彼の教え子はみんな優秀な騎士だ」


エッダは心当たりでもあるのか、その言葉に少しはにかんだ。ディートリヒは続ける。


「初日にしては、気が滅入る1日だったかもしれない。だが、教官も、仲間も、いずれ越えるべき相手にも恵まれている。シグルズ、お前はきっと強くなれるさ」


ディートリヒはそう締めくくると、シグルズへ向かって優しく微笑んだ。



グンナルは、ひと目で圧倒される巨躯の男だった。腕も脚も丸太のように太く、長年の鍛錬で鍛え抜かれた筋肉が鎧の下で隆起している。大きく開かれた眼は常に血走り、獣のような威圧感を放つが、その奥には歴戦の騎士としての経験が宿っていた。青い瞳は氷雪の国らしい冷たさを帯び、視線だけで周囲を黙らせる力を持つ。口元は豪快な髭に覆われ、その下から放たれる怒声は稽古場を震わせる。粗暴で脳筋に見えて、その実、実力と信念を兼ね備えた叩き上げの教官である。


「シグルズう!」

「──はい!」

「昨日お前に教えるはずだったが、教えそびえたことが山ほどあるう!」


次の日、稽古が始まるや否や、指導騎士グンナルはまるで王が民衆の前で高らかに宣言するかのようにそう言った。


「まずはお前が目指すべき“騎士”というものがなんなのか!私が今から実演してやるから目ん玉がんびらいて焼き付けるがいい!」


そう言って見習い騎士全員に剣を持たせると、グンナルはシグルズの身体を脇腹に抱え上げた。


「え?ええ?!」


抱え上げられたシグルズは突然の出来事に思わず間が抜けた声を上げる。


「──シグルズ以外の見習い騎士どもよ!全員剣を持ち、我輩にかかってくるのだ!」


見習い騎士たちは一瞬、互いの顔を見合わせた。

相手は教官グンナル。まともに考えれば勝ち目などない。しかしその腕には、シグルズが小脇に抱えられている。しかも丸腰。

彼らは逡巡する。だが、号令はすでに下されていた。


「──行けぇッ!」


誰かの叫びを合図に、全員が一斉に踏み込んだ。木剣が空を裂き、砂埃が舞い上がる。正面、左右、背後。囲むというより、押し潰すつもりの突撃だった。


「一つ!騎士は複数の敵に囲まれようとも!常に冷静さを保ち!敵を一人一人撃破するのだ!」


叫ぶと同時に、巨体は滑るように後退する。逃げ腰ではない。地面を舐めるような低い重心、無駄のない一歩。見習いたちの踏み込みが“届く”瞬間だけを正確に外す、獣のようなステップだった。


最前列の一人が振り下ろした木剣を、グンナルは肩で弾き、そのまま肘を叩き込む。鈍い音とともに男が吹き飛ぶ。返す腕で、別方向から迫った二人をまとめて薙ぎ払った。木剣は砕けるような衝撃を受け、二人同時に地面を転がる。


「一つ!騎士は戦っているとき!その腕にお姫様を抱きかかえている可能性があるう!騎士たるもの、姫の身は命にかけても守らねばならぬ!」


そう言いながら、グンナルはさらに半歩退いた。退きながら、踏み込んできた足を踏み抜く。体勢を崩した見習いの襟首を掴み、盾代わりに放り投げる。空を舞った身体が、後続の仲間に激突し、三人まとめて崩れ落ちた。


その間も、腕の中のシグルズ──もとい姫は微動だにしない。まるで空間に固定されている。


「一つ!騎士とはどんな逆境でも最後まで戦い抜く、強靭な精神力を持っている!精神が強くなければ!腕っぷしだけ強かろうとも、逆境には立ち向かえぬのだ!」


グンナルは叫び、地面を蹴った。突如、前へ出る。後退一辺倒だった動きが反転した瞬間、見習いたちの陣形に裂け目が走った。


豪腕が唸る。

一撃ごとに、確実に一人が戦線から消える。


力任せではない。重心、間合い、呼吸。すべてを支配した上での暴力だった。

華麗という言葉すら、生温く感じられる。そこにあるのは「崩れない強さ」そのものだった。


最後の一人が、歯を食いしばりながら踏み込んだ。

それと同時に、グンナルは吠えた。


「一つ!騎士はいざという時、“魔術”を使って敵を屠る!」


次の瞬間、空気が唸った。

グンナルが振り上げた手刀に、突如として炎が宿る。それは刃の軌道に沿って燃え上がった、獣のような炎だった。


見習いの視界いっぱいに、赤熱する剣閃が迫る。


──死ぬ。


見習いがそう思った刹那。


炎を纏った手刀は、見習いの額に触れる寸前で、ぴたりと止まった。

熱だけが叩きつけられ、髪が焦げる匂いが弾ける。


同時だった。


手刀を止めたままの体勢から、グンナルの蹴りが腹部へ叩き込まれる。


「──ぐっ……!」


空気が肺から一気に吐き出され、見習いの身体がくの字に折れた。そのまま力を失い、膝から崩れ落ちる。剣は地面に転がった。


「……すごい」


シグルズはただ茫然とそう言うしかなかった。彼の黄金色の瞳には赤い一本の光が映っていた。


グンナルは燃え盛る炎の手刀をシグルズに見せつけるように掲げる。そして、吠えた。


「“魔術”とは!イゼルフロスト王国において特権階級である“騎士”にのみ許された奥義である!魔術は攻めを一段上へ引き上げ、戦いの幅を格段に広げる!戦場で生き残り、仲間を守り、勝利を得るために、騎士は魔術を使うのだ!」


そこまでグンナルが言い終えると、手刀に纏っていた炎は役目を終えたかのように掻き消えた。


「──改めまして!我輩はお主の指導教官となるグンナルである!貴様は何者だ!」


グンナルは再びシグルズに自己紹介を求めた。


それは昨日も求められたことだが、その意味合いが大きく違うことをシグルズは理解していた。“強い騎士”の姿を目の当たりにして、シグルズの胸中には決意がみなぎり、彼の瞳は輝いていた。

シグルズは大きく息を吸い込み、胸を張った。


「私は!シグルズ・グラシエルです!以後よろしくお願いいたします!」

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