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3話 グラシエル家の見習い騎士

極北の騎士王国イゼルフロストは、騎士王を頂点とし、由緒正しき名門「氷壁十二家門」によって治められている国家である。

十二の家門は、それぞれが王国における明確な“役割”を担い、同時にその性質を象徴する“異称”を与えられてきた。盾、壁、律、炉、鎖──その役割は単なる称号ではなく、王国防衛と統治を分担するための制度そのものである。


また、氷壁十二家門の当主同士には、武によって力量を示す決闘の慣習があり、その勝敗によって家門間の“序列”が定められる。

この序列は名誉だけでなく、王国における発言権や軍事指揮権にも影響するため、家門にとっては絶対的な価値を持つ指標であった。


その中でも、グラシエル家が担う役割は“剣”。

それは王族の傍らに立ち、命に変えても王族と国を守り抜く使命を意味する。

建国以来、グラシエル家は一度たりともその座を譲ることなく、常に氷壁十二家門の《序列一位》に君臨し続けてきた。


そして、グラシエル家の当主、あるいはその家系から選ばれた最強の騎士に与えられる称号──


“蒼耀卿”


その異称はもはや「王国最強の騎士」を指し示す、畏敬と畏怖を伴う象徴そのものになりつつあった。


蒼耀卿とは騎士王の近衛兵としての役割も担っているらしく、常に王に帯同しなければならないらしい。

……そういば、騎士王に斬りかかったあの日、馬上で剣を振り上げた時に腹痛に食らった衝撃は、護衛としてそばにいたディートリヒ卿によるものだったのだろう。


あの日、“蒼耀卿”ディートリヒ・グラシエルの養子となり、騎士となることを誓った。そしてあの後、子供たちに別れを告げ、一人一人と抱擁を交わした。……オーレとペトラは二人とも泣きじゃくっていた。


ウィンターネル領の市街地オーセルトから出発し、50人ほど護衛たちと隊列をなしながら歩き続けて、かれこれ5日ほど経とうとしていた。

シグルズは孤児院で飼育していた栗毛の馬を連れて行くことが認められ、その馬に乗って屈強な男たちが織りなす隊列に混ざり、黙々と目的地に向かって歩みを進めた。

陽光が横から差す前に道中で泊まれる場所を探して夜を明かし、空が徐々に明るんでくる頃に出発する──そんな五日間だった。幸い日が長い時期であったため、一日に進みたいだけ進むことができた。


「シグルズ。王都グレイモーンが見えてきましたよ」


ディートリヒ卿の呼びかけに従って、シグルズが正面から差し込む強烈な光に逆らって眼を開ける。その瞳には巨大な城壁のようなものが映った。そして、おそらくその中心部分だろう、台地のように盛り上がった地形に聳え立つ、砦から白い塔が幾重にも伸びて天を貫かんばかりの城があった。遠くからでも容易に視認できるほど巨大な城、そして都市だった。


しばらく歩みを進めると、王都の城壁が近づくに連れて徐々に建物の数が増えていった。沿道からは民衆が王の凱旋を喜ぶ声があがっていた。


今回の遠征はイゼルフロストの南に隣接する“風の国”カレド・ヴァルへ向かい、新たな統治者の誕生を祝うために行われたようだ。

シグルズ達がいた孤児院へ彼らがやってきた理由は──遠征の目的を終えた帰り道、ウィンターネル領の国境付近で孤児院の悪い噂を聞き、遠征のついでとして孤児院を調査し、結果的に子供達を救出することになった──というものだった。


王都を取り囲む外壁の門を通り抜けるとそこには異世界が広がっていた。


活気に満ち溢れた笑い声、料理屋から溢れ出す涎が垂れるような香り、吟遊詩人が楽器を奏でる音色、広い道路と、そこを往来する美しい装いの婦人達……そして荷車を引く見たこともない謎の生命体。そこには絵に描いたような華々しい暮らしが広がっていた。


シグルズははじめて目の当たりにする王都の、建物や人の多さに圧倒され、感動すら覚えていた



騎士王を無事に王城まで送り届けた後、ディートリヒ卿とシグルズは王都の外れにあるディートリヒ卿の屋敷へと案内された。


王都グレイモーンの外れ、閑静な丘陵に蒼耀卿の屋敷は佇む。華美を排した石造りの館は、王を護る者の静かな威厳と、近づき難い緊張を漂わせている。


「先に居間に行って、私の妻エッダに先に挨拶しておいてくれ」


ディートリヒにそう言われ、シグルズは居間に案内された。石造りの居間は簡素で整然としており、暖炉の火が静かに揺れ、剣と家紋が壁に飾られている。


「待っていたわ。シグルズ」


エッダは、凛とした立ち姿に強い意志を感じさせる女性であり、その美しさは静かで気高い。一見すると揺るがぬ強さを纏っているが、ふとした瞬間に儚さを滲ませる眼差しが印象に残る。


「あなたがシグルズですね。……話は手紙で聞いています」

「はい。シグルズと申します。本日はお目にかかれて光栄です」


シグルズは一歩下がり、背筋を正すと、教えられた通りに深く頭を下げた。まだ幼さの残る所作ではあったが、その動きには誠実さと決意と、それを上回る緊張が多分に滲んでいた。


「固くならなくていいわ。ここでは、あなたは家族になる人です」

「家族……まだ、実感がありません」

「それでいいのです。そんなもの私にもありません。……私には子供はできなかったので。お互いにできる範囲で距離を縮めていきましょう」


エッダの顔が僅かに曇った。


「……はい」

「無理に強くなろうとしなくていい。剣は、心が追いついてから握るものですから。それが騎士道というものです」

「騎士道、ですか」

「ええ。ディートリヒが最も大切にしていることです」


そう言うと、エッダは膝を折り、シグルズと目線を合わせると、両腕を開いた。

エッダが膝を折ると、長い髪が肩から静かに流れ、凛とした佇まいの奥に、かすかな儚さが滲んだ。開かれた腕は強さを失わぬまま、しかしどこか慎ましく、迷いを許す余地を残している。


「ほら、もしよろしければ、私に息子を抱擁させてください」


シグルズは静かに頷いた後、エッダの方へ歩み寄った。

シグルズがその胸に身を預けると、彼女はそっと抱き留め、短い沈黙の中で、初めて家族として結ばれる重みが、静かに共有された。


しばらくして、着替えを済ませたディートリヒが居間に姿を現した。彼はエッダの隣に腰を下ろし、穏やかな視線でシグルズを見る。促されるまま、シグルズはこれまでの人生について語り始めた。


母は自分を産んですぐに病で亡くなったこと。父は七歳の頃、村を襲った魔物から人々を守るために命を落としたこと。その後は孤児院で暮らし、年下の子供たちの面倒を見ながら日々を過ごしてきたこと。言葉は拙く、時折声が詰まったが、シグルズは最後まで語り切った。


エッダは静かに耳を傾けていたが、母の話に及んだところで、そっとシグルズを抱き寄せた。その腕には先ほどよりも確かな温もりがあり、母を知らぬ少年への労わりが滲んでいた。ディートリヒは道中ですでに聞いた話であったため、口を挟むことなく、ただ黙って頷きながら聞いていた。


話が終わると、ディートリヒは穏やかな声で告げた。


「早速、明日から見習い騎士としての鍛錬を始めることになる。まずは湯浴みをして旅の疲れを落とし、その後に皆で夕食を取ろう。──グラシエル家へようこそ。今日から君は、我が息子シグルズ・グラシエルだ」


その後、シグルズは従者に導かれ、浴場と食事を経て、自室として用意された部屋へ案内された。簡素ながら整えられた部屋で、シグルズは毀れた剣を机の上に置き、静かにベッドに横たわる。胸元のペンダントを指でなぞり、父の面影を思い浮かべながら、その夜は深い眠りへと落ちていった。



「お前がシグルズだな!お前が一人前の騎士になれるよう、ビシバシ鍛えてやる!」


野太い怒鳴り声で、指導騎士グンナルはそう言った。あまりにも大きな声にシグルズは身が竦む思いだった。


稽古場はディートリヒ卿の屋敷に隣接する場所にあった。

稽古が始まる時間に稽古場へ向かうと、そこにはグラシエル門下の見習い騎士たちが集められ、既に等間隔に並ばされていた。シグルズが慌ててその集団に近づいていくと、指導騎士グンナルの大声が響き渡った。


「我輩はお主の教官となるグンナルである!時間通りに来るとは!なかなか肝が据わっているようだな!さあ、シグルズよ!──まずはこれから共に切磋琢磨しあう仲間たちに自己紹介をするのだあ!」


有無を言わさぬ迫力で指導騎士グンナルは声高らかに叫ぶ。その声に呼応するように見習い騎士たちの視線はシグルズの方へ向いていた。


「……今日から見習い騎士のシグルズ、です。よろしくおねがいしま──」


「声が小さい!聞こえぬぞお!」


言い終える前にグンナルが再び吠えた。

シグルズの身体は本能的に気をつけの状態を取り、腕は体側、指先までピント張り詰めた。


「シグルズ・グラシエルです!以後よろしくお願いします!」


シグルズの声が訓練場にこだまし、その後静寂が包んだ。

その静寂を破ったのは、やはりグンナルの馬鹿みたいな大声だった。


「いい声だシグルズ!だがまだまだ声は出せる!明日もう一度やり直せ!分かったらお主も整列するのだ!」


シグルズは大きな声で返事をすると、等間隔に並ぶ見習い騎士たちの一番後方、端の方に自らも加わった。

グンナルは大きく咳払いすると、再びその大きな口と喉を開いた。


「最初のメニューはランニングだ!強く正しい騎士となるために!まずは持久力をつけなければならぬう!さあ!強くなりたいものは私についてくるのだ!」


グンナルは唾を飛ばしながらそう言うと、突然屋敷の外の方へ駆け出した。他の見習い騎士たちは慣れているのか、すぐに駆け出した教官を追いかけ始める。シグルズも置いていかれないように慌ててその後に続いた。



1時間後、屋敷から数キロ離れた農道で、シグルズは激しく嘔吐していた。


「シグルズ!さあ早く着いてくるのだ!」

「はい!」


大きな声で返事をして、再び駆け出す。

これは不思議なことに、吐くと身体が一気に楽になるのである。そして、どこまでも走れるかのような高揚感を感じる。しかし、10分ぐらい走ると再び全身に不快感が駆け巡り、また吐き気を催すのだ。

走って吐いてを繰り返しながら、シグルズは前の集団を追いかける。グンナルはシグルズが追いついてくるまでの間、見習い騎士たちに腕立て伏せをさせていた。


「いいかシグルズ!騎士たるもの団結が何よりも大事である!全員で共に走り抜けることが大切なのだ!だから仲間が追いつくまでの間は、筋トレをすることで!共に苦しみを共有しながら待つのだ!」


──ということらしい。シグルズはグンナルに水を飲まされ、意識が朦朧になりながら返事をした。へろへろになりながら鍛錬場に戻ったのはそれから30分後のことだった。


「次は筋トレだ!騎士たるもの、逞しい腕がなければ何も守ることはできぬう!腕の太さが!意志の強さに直結するのである!」


稽古場に戻ってくるなりグンナルはそう吠えた。

シグルズ以外は全員、ランニング中にこれでもかというほど腕立て伏せをしていたが、どうやら更に筋トレが課されるらしい。


地獄のランニングと筋トレを終えて、まだ剣を握ってすらいないというのにシグルズは──シグルズだけでなく他の見習い騎士たちもだが──既にへとへとであった。


「それでは全員、木剣を持てい!今から素振りを行う!まずは上段から、1000回行う!」


グンナルがそんな風に吠えていると、稽古場に馬の蹄が地を蹴る音が響いた。


──ドドド。


訓練場の空気を切り裂くような馬の蹄音だった。振り向いた先には、馬上に一人の少女がいた。ローブに身を包み、背筋を伸ばして鞍に座るその姿は、場違いなほど静かで、しかし否応なく視線を引きつける。


フードの奥からこぼれる髪は白に近い淡い金色で、陽光を受けて冷たく輝いていた。顔を上げた瞬間、澄み切った寒空を思わせる瞳が覗き、その透明さにシグルズは息を呑む。


身に着けているのは訓練用の装束らしかったが、色合いは見習い騎士たちのものとは異なり、その細部には装飾が施されていた。その上から羽織られた麻色のフード付きマントは所々薄汚れており、長く使われてきたことを物語っている。


同じ年頃に見えるはずなのに、その佇まいには不思議な落ち着きがあり、剣を帯びた姿はよく訓練された騎士のそれだった。稽古場に突然現れたその少女は、美しさと張り詰めた気配を同時に纏い、場の空気を一変させていた。


馬から降りて柵に繋ぎ止めた後、少女はマントを脱いでこちらへ歩みを進めた。そんな少女にグンナルは声を上げる。


「これはこれは!“氷の剣姫”と称される、ラグンヒルド王女殿下ではないか!ご多忙の中!本日も訓練のためにお越しくださったのか!」


グンナルは興奮しているのか、より一層大きな声量で空へ向かって吠えた。


「ええ、今日も稽古に参加するわ」


ラグンヒルド王女は礼儀正しく一礼して、稽古中の見習い騎士たちへ視線をやった。

王女の視線が稽古場をなぞり、その途中でシグルズとぶつかった。澄み切った瞳は氷のように冷たく、感情の揺らぎを一切映さない。その一瞬で、胸の奥を射抜かれるような感覚を覚え、シグルズは思わず息を詰めた。

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