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2話 蒼耀の騎士

シグルズは、その自己紹介が何を意味するのかさっぱり理解できず、その場に固まってしまった。


「国、王……?」


絞り出すような声でそう呟くと、目の前の大男──騎士王グレイムは、わずかに困ったような表情を浮かべた。


「うむ。どうやらお主には、先ほどから誤解させてしまっているようだな。どこから話せばよいものか……」


そう言ってグレイムはシグルズの方へ向き直り、ゆっくりと事の顛末を語り始めた。


あの孤児院は、十歳を迎えた子供たちをアルディア帝国へ奴隷として、あるいは聖刻教会の実験体として売り渡し、不正に金を得ていたこと。

その情報を掴んだ騎士王が、直々に救出隊を編成し、孤児院へ踏み込んだこと。

しかし、孤児院の大人たちが子供たちを人質に取って抵抗したため、やむを得ず手荒な制圧になってしまったこと。

そして今は、ウィンターネル領の中心街へ向かっており、罪人たちはそこで正式に裁きにかけ、子供たちは新たな孤児院で保護する予定であること。


それらを、淡々と、しかし一切の誤魔化しなく語った。


シグルズは地面に膝をついたまま、放心した表情でその話を聞いていた。

怒りも、安堵も、理解も、すべてが一度に押し寄せ、言葉を失っていた。


「どうやらお主は、この孤児院でリーダー格だったようだな」


グレイムはそう言って、視線を子供たちのいる方へ向けた。


「ゆえにまず、お主からあの子たちに状況を説明してやってほしい。伝え方は、お主に任せる」


言われて振り返ると、そこには泣き叫びながら兵士たちに噛みつこうとしている子供たちの姿があった。


「シグルズ兄ちゃんに乱暴したら許さないからな!」

「シグ兄を傷つけないで!」


叫んでいるのは、孤児院で一番やんちゃな少年オーレと、臆病な赤毛の少女ペトラだった。

必死に抵抗する小さな体を、兵士たちが困ったように押さえている。


「お主が私に剣を向けたことは、状況が状況だったゆえ、万事不問でよい」


グレイムはそう告げ、穏やかな声で続けた。


「さあ、早くあの子たちのもとへ行って、安心させてやりなさい」


その言葉とともに、騎士王はシグルズに向かって柔らかな笑みを向けた。

その瞬間、シグルズは自らの過ちと無礼をはっきりと理解した。


鋭く息を吸い込み、微かに眼を見開く。そして勢いよく地面に跪き、額を土に擦り付ける。


「騎士王グレイム陛下。大変な無礼を働いてしまい、誠に申し訳ございません」

「よいと言っただろう」


グレイムは苦笑し、首を振った。


「こちらこそ、強引な手段を取ってしまい申し訳なかった。……それに、お主の年少者を守ろうとする気持ちは、なかなか立派であったぞ」


その言葉に、シグルズはもう一度深く頭を下げると、立ち上がり、子供たちのいる馬車へと走り出した。


グレイムはその背中をしばらく見送った後、ふと視線を落とす。

先ほどシグルズが携えていた、刃の欠けた直剣の柄が目に留まった。


「……しかし、この剣」


騎士王はわずかに眉をひそめる。


「一体、どこで手に入れたものなのか」


夕焼けの中で、銀の甲冑が静かに軋んだ。



目的地までは丸一日ほど時間を要した。ウィンターネル領の市街地オーセルトに到着した一行は、まず領主の館へと通された。

城塞都市として整えられたオーセルトは、厚い石壁と整然とした街路を持ち、夕刻の薄紫の空の下、街灯に火が入り始めていた。市民たちは騎士団の行列を遠巻きに見守り、何事かと小声で囁き合っている。


館の大広間は高い天井と白石の床を持ち、壁にはウィンターネル領の紋章と、歴代領主の肖像が並んでいた。

そこに孤児たちは一旦集められ、兵士たちの口から、改めて今後についての説明がなされた。


孤児たちは、オーセルト市内にある孤児院で引き取られること。

その孤児院は騎士団公認で、外部からの干渉を一切許さない、安全が保証された場所であること。

今後はそこで衣食住を与えられ、望めば読み書きや技術も学べること。


突然の話に、子供たちは戸惑い、怯え、ざわめいた。

しかし、道中でシグルズがすでに丁寧に事情を説明していたこともあり、最終的には「怖いことはもう終わったのだ」と、半ば無理やりながらも納得させられていった。


やがて説明が終わり、孤児たちがそれぞれ兵士に付き添われて孤児院へ向かう段になったとき、シグルズだけが一人、背後から声をかけられた。


案内されたのは館の二階、外光が柔らかく差し込む応接室だった。

重厚な木製の扉が閉じられると、部屋の中には三人と静寂だけが残る。


そこにいたのは、騎士王グレイムと──もう一人。

蒼い髪を腰まで伸ばし、金色の瞳を持つ、美しい容姿の騎士だった。

長身で無駄のない体躯。壁に立てかけられた剣と同じように、静かで研ぎ澄まされた存在感を放っている。


二人とも、歴戦の強者であることは一目で分かった。

シグルズは無意識に喉を鳴らした。


「これが例の、兵士から剣と馬を奪って陛下に剣を向けた少年ですか。にわかに信じがたい話ですが」


蒼髪の騎士が、半ば呆れたように言う。


「なにを抜かすか。お主はこれぐらいの年齢の時に、竜を一人で討伐していたではないか」

「……そう言われれば、そうですね」


蒼髪の騎士は眼を閉じ、わずかに口角を上げた。


「それで、小僧よ。もう一度名乗れ」

「はい。シグルズと申します」

「出身は?」

「ウィンターネル領フロスビュ出身です」

「父と母の出身は?」

「父はカレド・ヴァル出身、母はイゼルフロスト出身です。詳細な地方までは分かりません」


グレイムは小さく頷き、話を続ける。


「ふむ。この剣はどこで手に入れた?」


そう言いながら、騎士王はシグルズの形見である毀れた直剣を取り出した。

その瞬間、胸の奥が強く締めつけられ、シグルズの身体が思わず前のめりになる。


「その剣は──」


次の瞬間、首元に冷たい感触が走った。

蒼髪の男が抜いた剣の剣先が、寸分の狂いもなく喉元に突きつけられていた。


……あと一歩踏み出せば頭と胴体はおさらばしていただろう。シグルズの身体は恐怖と本能に凍りつき、奇跡的にその場で停止していた。


「安心してくれ。これはお主に返す。しかしその前に、この剣をどこで手に入れたのかだけ教えて欲しい」


その言葉を受けて、シグルズは一歩下がり、僅かに俯いた。

剣はいつのまにか柄の中に収められていた。


「……母と、……父の形見です」

「……そうか。約束通り、これはお主に返そう」


グレイムは静かに頷くと、シグルズの前に歩み寄り、片膝を床についた。

脱力したシグルズの手に、そっと剣を握らせる。


先ほどまで自らに危害を加えようとしていた相手に武器を握らせるなど、普通は考えられない。それほどの実力差がある者に楯突いたことを、シグルズは今更になって余計に恥ずかしく思った。

俯いたまま、目線を上げることができずにいた。


グレイムは立ち上がり、蒼髪の男へと向き直る。


「──ところで、お主はどう考えておる。蒼耀卿、ディートリヒ・グラシエルよ」


ディートリヒ、そう呼ばれた男は眼を開く。その虹彩は高原に沈む夕陽のような黄金色だった。


「どう考えている……とは。陛下、お言葉ですが、私としてはどうもこうもありませんよ。“騎士王の御心のままに”」

「しかし、ことこれに至っては、グラシエル家の家庭問題でもある。我輩ひとりで決めてよいことではあるまい」

「……とはいえ、この少年のこと、気に入ったのでしょう?」

「……うむ」


グレイムは、少しだけ気まずそうに頷いた。


「陛下が仰る馬術の才については未確認ですが、野生的な勘については──先ほど確認しましたので──最低限は持っているでしょう」


その言葉に、グレイムは目を細める。


「ほう、それはつまり」

「ええ。グラシエル家で引き取っても問題ないでしょう」


二人の視線が、改めてシグルズへと向けられる。


「シグルズよ」


呼びかけられ、シグルズは顔を上げた。


「先ほどお主が見せた勇気、年長者として年少者を守ろうとする覚悟。我輩は深く心を打たれた。誰かを守るために振り絞った勇気は、蛮勇かもしれぬ。だが、蛮勇は決して愚かではない」


その言葉に、胸の奥が震えた。

それは慰めであり称賛でありつつも、あまりにも強烈な激励であった。


──なにもできぬまま父を失い、これ以上失うことだけはしたくないという願望だけが、胸の奥で膨れ上がっていた。奪われまいと虚勢を張り続けてきたが、そこに実力は伴っていない。なにも守れない自分自身に、どうしようもない憤りを覚える。


シグルズは、形見の直剣を両腕で強く抱きしめた。


「そう、いつまでも自分を責めるでない」


グレイムは続ける。


「……お主が望むのであればだが、我がイゼルフロスト王家に仕える騎士として生きる道もある」


シグルズは予想外の言葉に思わず眼を見開いた。

これは遊牧家出身の孤児であるシグルズにとっては身に余る光栄であった。


騎士王国イゼルフロストにおいて騎士とは平民と隔絶された身分を指し示す言葉である。この国では全ての王侯貴族が騎士であり、騎士としての階級が貴族としての爵位に直結する。


「シグルズ、君のその毀れた剣、その柄には我がグラシエル家の家紋が刻まれています。おそらく、君の母上はグラシエル門下の騎士だったのでしょう」


ディートリヒの金色の瞳が、シグルズの黄金色の瞳をとらえて言った。その瞳はシグルズに対して優しい微笑みを投げかけていた。


「私の養子となって、“蒼耀卿”を継承するのはいかがでしよう」


“蒼耀卿”──その言葉が意味することは、シグルズは今はわからなかったが、ディートリヒの満更でもない様子は伝わった。

しばらく沈黙して考えた後、シグルズは決心したように、抱えていた毀れた剣を床に置いた。


「……母さんがそうだったように、私も騎士になりたいです」


シグルズは二人に向かって跪いた。そして、胸に手を当て、首を差し出して、眼を瞑った。


「よかろう。まずは見習い騎士からだぞ」


グレイムは笑い、シグルズの左肩を力強く何度も叩いた。


こうしてシグルズは、イゼルフロストの騎士としての人生を歩み始めることになる。

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