1.宣言された白い結婚と、素晴らしき条件
「最初に言っておく。私が君を愛することはない。期待しないでくれ」
王宮の一室。豪奢なマホガニーのテーブル越しに、第二王子アレンが冷ややかな声で言い放った。
アレン・ディ・グランディス――この国の第二王子。
太陽に輝かしい金の髪に、氷のような深い青の瞳。
社交界の令嬢たちが焦がれる高嶺の花。
対する私――レティは、茶色の髪を三つ編みにし、茶色の瞳を伏せている地味な女。
体つきも華奢と言えば聞こえは良いものの、ようするにメリハリのない寸胴体型。
昨日晩に開かれた「花嫁探しの舞踏会」で王子に見初められた。
――ということになっている。「かりそめの花嫁」だ。
「……はい、承知いたしました」
私は王子から視線を外し、顔を伏せてから答えた。
王子は、私がショックを受けていると思ったのかもしれない。気まずそうに視線を逸らした。
甘い。甘すぎる。
私が顔を伏せているのは、ニヤつきそうになる口許を隠すためだというのに。
(――愛されない? そんなの最高じゃない!)
私はガッツポーズを決めたい気持ちでいっぱいだった。
愛なんて、今の私には全く必要ない。
私が求めているのは、しっかりと安眠できる寝床と、誰にも邪魔されない静かな空間。
そして、希少な素材と莫大な研究資金なのだから!
王子は言葉を続けた。
「君に求めるのは『王子妃』として、私に既婚の肩書きを作ることだけだ」
「……はい」
「結婚早々、病に伏したものとして離宮に籠ってくれ。不自由はさせない。生活の一切は保証しよう」
「生活の、一切……」
「ああ。衣食住はもちろん、何不自由のない生活を与える。君には王子妃として予算がつく。好きにしてくれ」
私は思わず笑いそうになった。
(素晴らしい! なんて素晴らしいの!)
手厚すぎる。
最高に良い。
私は王子が既婚の立場を手に入れるためだけの女でしかない。
その見返りに、何不自由のない生活が与えられる。
(王家の予算! つまり、あの高価な「ドラゴンの鱗」も「マンドラゴラの干物」も経費で!?)
ここにいるレティとしての私はともかく、本来の私は研究に飢える魔法使い。
魔法使いの才能がある者は王室付きとなって莫大な富を得るものだけど、私はそんな面倒臭いことはしたくない。
しかし、新しい術式の研究には、とにかく金がかかる。素材集めだって楽ではない。
私が花嫁探しの舞踏会に参加した原因である王室付き魔法使い――マリアへの借金だってある。
確かに賭けに負けた私が悪いけど、マリアもなかなか卑劣だった。
でも、マリアへの借金だって王家のお金があったら、きっと完済できる。
「ありがとうございます。身に余る幸せです」
それはもう最高の条件です。
私はただただ研究に没頭しておけばいい。
だって、離宮で療養している病気がちな王子妃なのだから!
「……悪いとは思っている。君のような若い娘に、このようなことを」
王子が自嘲気味に口許で笑った。
何か含みがある言い方だ。
悪いとは思いながらも、どうして偽装結婚した上で離宮にまで追い遣るのか。
――と、そう思わないわけではなかったが、私の頭は「ドラゴンの鱗」の相場計算で忙しい。
「それで、今後の生活についてだが」
王子は手元の書類を整えてから、真っ直ぐに私を見据えた。
なるほど、確かに顔は良い。理性にはクるが、ぐっとは来ない。よくある美形顔だった。
「君には『北の離宮』で暮らしてもらう。王都からは遠いが、静かで療養に適している。使用人は……」
王子はそこで言葉を止めて私を見た。
見れば見るほど顔は良い。
「……希望はあるか」
「いえ、最小限の手さえあれば……」
「分かった。手配する。離宮に移った後、普段の社交の場には出なくて良い。同席が必要な場合には事前に知らせる」
社交界に出なくて良いなんて、尚更に最高じゃない。
使用人は最低限、社交界には出ない。隠された王子妃――きっと憐れまれるはずだが、むしろ好都合。
人が少なければ、私のボロが出るリスクも減る。
レティとしてのこの姿は、魔法によって維持している。
人目がなければ、たまには魔法を解いてリラックスできるかもしれない。
「不満か?」
「いえ!」
私の沈黙を勘違いした王子が眉を顰めた。
まさかまさか、こんな都合が良くておいしい話なんてない。
「そうか。……そして、もう一つ重要な条件がある」
王子の声が、一段低くなった。
立ち上がった彼は私の前まで歩いてくると、まるで威圧するように見下ろした。
その冷たい青い瞳には、若い娘にかりそめの花嫁役を強いる申し訳なさ以上に、絶対的な支配の気配があった。
今から告げることは、絶対に守れ、と。目がそう言っている。
はい守ります。
「私と君の関係は、あくまで対外的なものだ。君が離宮に入るまでの期間も、寝室を共にするつもりはない」
「はい」
「私が君の元を訪れるのは、その必要が出た場合の日中だけだ。夜は決して君の元へは行かない。君も私の部屋には来るな」
アレン王子の声は張り詰めていた。どこか思い詰めているようにも感じられる。
なんだろう。本命が別にいるとしても、全然ウェルカムではあるけれど。
「つまり、君には――『昼間だけの花嫁』になってほしい」
その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中で華々しいファンファーレが鳴り響いた。
夜間の拘束時間なし。たまの日中以外は、フリーダム。
離宮に入るまでは多少窮屈かもしれないけど、病気を理由に離宮さえ入れば予算使い放題! 夢のよう!
(ああっ、ありがとうございます神様! いえ、マリア!)
私はこの縁談を持ち込んできた王室付き魔法使いの顔を思い浮かべた。
そして、賭けによるえげつない借金をチャラにできることを心底から感謝した。
「どうだ」
「――はい。謹んで、お受けいたします。アレン殿下」
私は殊勝な顔を作り、深々と頭を下げた。
完璧すぎる。これで私の平穏な研究ライフが始まる。
書面に走る王子のサインを見つめながら、私はニヤつきそうな頬を必死で堪えた。
――しかし、この時の私は、まさかこの王子が、夜な夜なあんなことをしているだなんて知る由もなかった。




