71.再考
調査フェーズが進む中、私は中齢層の敵情を調べようとする。
しかし、層と層の間あたりで見ず知らずの教官に止められてしまった。
競争プログラムは許可、現在の開発プログラムは他層に行くことは不許可ということらしい。
大々的に公表された私達チームの情報が漏れにくいのはよいことだが、敵の情報を知らぬまま次の競争プログラムに挑むこととなった。
どのようなプログラムかを想像する。
競争であることとメイラ先生の言っていた、『裏切りを意図するようなプログラム』、これを想定しなければならない。
企業というものは、市場の奪い合いや市場への適応を繰り返し、その結果、死、つまり廃業倒産となるのは世の常である。
生きる、つまり、市場を勝ち取るならば、市場を知り、他企業を知り、それを基に自企業を磨く。基本的にいち早く行動して『出し抜く』ことが必要とされる。
企業は人、仕組み、利権でできている。
仕組みと利権も人により作られるため、結局は人だ。
つまり、人を出し抜く能力が勝者の条件であると言える。
これは凡そ前世の啓発本を立ち読みしただけの知識だが、長命のメイラ先生の経験の通り、『裏切りを意図するような』、という表現に適った背景が存在していることには本当にしっくりくる。
なぜならば結局のところデュナメース認定企業の上位である、小売最大手『ヴィスパダト』金融最大手『アーマン・バラア』通信最大手『イデア』は市場の寡占を今も進めているからだ。
そこから次のプログラムを類推する。
単純な力のぶつかり合いではなく、ゲームなどのような、工夫の余地で盤面をひっくり返す可能性のある何か。
前世で子供の頃、『じゃんけん列車』というゲームをしたのを思い出した。
私は目先に立ちはだかる相手を見て、ただそれに勝つことだけに集中していた。
じゃんけんとは面白いもので、その人の感情から出る手が癖として傾向化しやすい。
特に小学生程度であれば、心の動揺を抑えることができない。
出会いがしらに、勢いよくそれなりの剣幕で迅速なじゃんけんをしかけると、多くはその者の無意識の手の形になるものだった。
私はクラスメートとのじゃんけんの記憶から癖を利用して次々と勝利を重ね、後ろに貨物となる人を連ねて行った。
そして終盤に差し掛かった時、私はワンマン列車の子を見つけて従来の戦法で勢いよくじゃんけんする。
この子はよく知っている。
給食のデザートを取り合うじゃんけんでいつも最初にパーを出す。
そして、私はちょきをだして負けた。
その最後の一人は恐らく私をじっと観察しており、傾向を読んでいたのだった。
私を負かしてトップとなったその子は、その後別の子に簡単に負けた。
人を出し抜くということは、自分を観察してくる相手ならばその特性も当然織り込むということだ。
既に終わった投資プログラムでこのモデルを当てはめてみる。
市場はデューンを持つ人だ。そして他企業はあらゆる他チームで、自企業は自分のチームとなる。
他チームの性格や能力、考え方を知ることで自チームに必要な能力や行動が見えてくる。
私達の行ったチターナボムやリーネバーストなどの純粋な戦闘力、そして黄昏との同盟によるデューン拠出、つまり一定の市場を抑える力、そこから広げる寡占などは、行動の速さで他を出し抜いたと言ってもよい。
投資は一度入れたら引き戻せない特性上、裏切りの起こりにくい環境であったが、次はそうではないと仮定する。
そうすると市場に相当するものが次は土地になるか、あるいはデューンのような所持物ではなく、人そのものになるかもしれない。
あるいはデュナミス開発というくらいだからデュナミスをかけた量自体が市場になるかもしれない。
これらを奪い合う、もしくは出し抜き合うとするならば、平滑に価値を得るためにいかなるルール上でも機能する信頼状態を作り上げることが大事そうだ。
このような難題に直面した時には、いつもお母さんの言葉が思い浮かぶ。
『世の中はお金と思うでしょ。でもお金は信頼を形にしただけなのよ。そして信頼とは、忠誠心+対等性+習慣で作れるの。』
そうお母さんは言っていた。
私は幼少から思考の中で突き詰めて思い込むことがあり、ちょうど今の身体くらい、6歳児頃に世の中を金だと思うようになっていた。
保育園での偽装された人間関係と、そこから垣間見える違和感から何かを学んでしまい私はお母さんにそれを話すと忠誠心+対等性+習慣という答えが返ってきた。
詳しくをすぐに聞き返してみたがお母さんははぐらかせて教えてくれなかった。しかし、その後のお母さんの行動により大体の意味がわかった。
私が本心嫌なことでもお母さんに従う時、お母さんはわざわざ『それは忠誠心ね』と付け足した。
さらに、言いつけを陰で破ったときは『せつなには忠誠心で繋がってほしくないからよかったわ。』と加えた。
勉強を教えてくれたことを感謝すると、決まってこう言った。
『せつなはこうして、知らない世界を最初に知る時の喜びを思い出させてくれるじゃない。私はそうして楽しんでいるから対等だよ。ありがとう。』
それから、初めて母の誕生日にプレゼントした時にお母さんは、
『ありがとう。でも私の誕生日には私を存在させてくれる世界に感謝したいから、これは対等じゃない。』
と、訳のわからないことを言っていた。嬉しそうに受け取っていたくせに。
それで私は、ささやかな復讐として私の誕生日に、お母さんへプレゼントを渡してこう言った。
『私の誕生日なのだから、私を生んでくれたお母さんに感謝させてほしい。
お母さんが私にプレゼントするなんて理不尽で納得できない。』
それに対してお母さんは、
『そうね、せつながいてくれることが私が幸せと感謝していたけれど、それは対等じゃなかったね。
大事なことに気づかせてくれてありがとう。そのお礼。』
と言ってプレゼントを押し付けてきた。
私は結局、お母さんへの忠誠心を消すことが叶わなかったけれど、このような『習慣』と『対等性』の相互認識は強く心に残った。
つまるところ、お金の意味、信頼関係というのはこれらのことなのだろう。
私は、土地や人が次のプログラムの市場となる可能性、それをどうとらえるかについて考えをまとめた。
そして、次の盟主である青月のレーテに、その考え方を伝えることにした。




