54.憎悪の裏返し
私はルレウの糸に巻かれ、身動きひとつ取れなくなっていた。
背中に押しつけられる体温はルレウのものだ。
膨らんだり萎んだりする感触で、呼吸が荒いことまで伝わってくる。
動けない。口も開けない。
たぶんルレウは、蚕か何かの四半虫で繭を作ったのだろう。
繭って、何でできていたっけ。
――虫の蛹は、中身がどろどろになる。
繭も蛹の一種だとしたら、私はどろどろにされるのだろうか。
ルレウはきっと、私に似た男の子に何かしらのコンプレックスを抱えていた。
もし『どろどろに溶けて一緒になること』でそれが満たされるのだとしたら。
もし今までずっと、そうやって満たしてきたのだとしたら。
どろどろになったら、脳はどうなる?
私はどうなる?
ルレウに溶かされ、混ざってしまったら、それはきっとルレウであって私は――
身体はまったく反応しない。感触も薄い。
……もう溶け始めているのかもしれない。
想像が膨らむほど、震えが止まらなくなった。
ここで取り込まれたら、私は私じゃなくなる。
怖くて涙が溜まる。
一度死んだはずなのに、死がもっと怖い。
溶けていくイメージがぐるぐる回り、それが現実になっていくようで、涙が止まらない。
……私の目的が、理念が、終わってしまう。
死という不可逆のスイッチ。
もう自分はいなくなる。何もかも消えてなくなる。溶炉で溶けた時のように。
行く先は永遠の虚無。
あそこへは、もう行きたくない。
……もう、あそこにも行けないのかもしれない。
いやだ。
いやだよ…
しばらくすると、自分の泣き声の代わりに、背後から小さな声が聞こえた。
「……ごめんね。
……ごめんね」
ルレウの声だった。
胸を刺すような感触を受ける。
全身を覆うように抱きしめている両腕は、とても大きい。
私はもう溶けてしまったのか。
「ごめんね、アテラ……ごめんね」
少しだけ視界が明るくなる。
うつむいていた私は、自分が小さくなっていることに気づいた。
――変化が切れたんだ。
「本当だったんだね。ごめんね」
私は髪の伸びた、一歳児の姿に戻っていた。
反射的に自分にデュナミスをかける。……戻らない。
きっとチャームがかかっている。
何度も、何度もかける。
12回目でようやく、周囲に白いもやが立ち上った。
白い糸まみれの中、ルレウが私を向かい合わせにした。
私はルレウを睨む。
「あんな、か弱い女の子だったなんて……」
「信じで…ぐれなかっだ…のは…
ルレウだよ…」
ルレウが私の頬を拭う。
「……綺麗な目」
「ぼぐに…何度もチャームした。
…しなくても…味方だって言ったのに」
嗚咽が収まらないまま、言葉を返す。
「アテラが欲しくて」
「欲しいのはアテラじゃない。ルレウを好いてくれる“誰でも”でしょ」
「違うよ。アテラが……」
「じゃあ最初から、ぼくだけにすればいいのに。
黄昏の人たちをチャームして、何がしたいの? 結局、誰だっていいんでしょう」
「最初はアテラにしたよ。でも全然効かなくて、淋しくなって……」
「淋しかったら来ればいいでしょ。ぼくが行ったみたいに」
「そういうのは男の子が……」
「ぼくは女の子です。
人の大事な思いの部分に、男女を持ち出さないで。
そういう人、はっきり言ってきら」
あれ、なんでこんなに熱くなってるんだ。
これがチャームの反動なのかもしれない。
「あ……」
ルレウがぼろぼろと涙を流し、黙り込んだ。
泣いて思考停止して場をしのぐ――戦えよ。責任だろ。
……おかしい。憎悪が、異様なほど湧いてくる。
「ルレウ。よかったら、男の子が好きな理由を教えてくれませんか。
ルレウのこと、もっと知りたいです」
「ぞれ……いっだら、アデラ……もっどぎら……嫌いに……なるでじょ……」
「ならないです。まだ信じてくれないんですか?」
ルレウはまた黙った。
答えが来るまで、私は同じ目線のルレウの肩を撫で続ける。
――ゆっくりでいい。前に進もう。
そう思っているんだと、自分に暗示をかける。
しばらく嗚咽したあと、ルレウは呼吸を整えた。
そして不意に私を抱きしめる。
「話ずの…長くなる…から。共有のデュナミスで…伝えるね」
共有のデュナミスでは、言葉が感覚として流れ込んできた。
私には、少し年の離れた弟がいた。
弟は私のことが大好きで、物心つくといつもくっついてきた。
最初は面倒だった。けれど友達のいない私は、だんだん弟に依存していった。
私が12歳、弟が5歳になる頃、親がなかなか家に帰ってこなくなった。
ご飯もなくて、弟は教育所の弁当をたくさんもらい、夜もそれを食べていた。
弟は頭が良かった。弁当をもらうだけでなく、野草や食べられる昆虫を調べ、
誰かから引斥の熱デュナミスを覚えてきて、料理までしてくれた。
私たちはすぐに食べ物に困らなくなった。
私たちの地域の虫族は、毎年、5獣から6鳥の星系に来る寒波を越冬する。
親が戻らなくなってから、毎年私は自分の繭の中で弟と一緒に冬を越した。
葉と木で作った家は寒くて、冬越し前になると、仮死状態から戻れなくなる夢をよく見た。
私が16歳、弟が9歳になる年。
私たちは食料を抱え、熱デュナミスで暖かいまま冬を越す計画を立てた。
5獣の星系まではうまくいった。
でも6鳥の星系に入ったあたりで、経験したことのない寒さにデュナミスが追いつかなくなった。
だから弟と一緒に、今までで一番大きな繭を作った。
その繭は丈夫で、安心して私は仮死状態に入った。
でも越冬用に保存していた昆虫が冬虫夏草に寄生されていて、それを繭に混ぜてしまっていた。
弟は仮死と復帰を繰り返しながら、繭の中でも断続的に熱デュナミスを使っていた。
運悪くその行動が、冬虫夏草の成長を促進し、弟の身体を蝕んでいった。
冬が明ける前、弟は異変に気づいて私を起こした。
起きた私も寄生されていて、二人で最期を迎える覚悟をした。
虫族が冬虫夏草に侵された時、蛹のプロセスで菌を分離できる。
そう言った弟は、私と繋がったまま蛹になった。
蛹の中で、私の細胞と弟の細胞はごちゃごちゃに混ざり、ほとんどは崩れて溶けていった。
共有の干渉デュナミスで状況を話し合った。
弟は「コア細胞さえあれば元に戻れる」と言ったけれど、私は元に戻れなくてもいいと思った。
でも弟の細胞は、冬虫夏草でほとんど死んでいた。
残された細胞の最後のデュナミスで菌を焼き殺したとき、
弟は元に戻るための大事な部分まで自己破壊し、私の一部に取り込まれてしまった。
弟を取り込む形で大きくなった私は、いくら内に呼びかけても弟を感じられなかった。
蛹のプロセスで疲弊した私のコア細胞が元気になった時、
蛹のプロセスをもう一度試しても、弟は見つからなかった。
でも――第4棟で最初にアテラを抱っこしたとき、アテラの中に弟を感じた。
やっと会えた、って。
男の子が好きなんじゃない。弟だったんだ。
ルレウの病んだような言動も、少しは理解できた気がした。
それでも、私が弟の代わりになることに、私という個人の利はない。
ノアテラの結論と同じだ。たぶん、それ以外にない。
同情の余地はある。
でも「代わり」としてしか見ないのは、私という人間への冒涜だ。
だからルレウの行動は、やっぱり好きじゃない。これは断言できる。チャームの反動ではない。
「ぼくは、ルレウの弟にはならない」
冷たい目だったかもしれない。
私はルレウに、そう言い放った。




