53.繭
私は心頭滅却しながら部屋へ向かった。
太腿の内側を確認する。
『334』――変わっていない。
やはり、ハクレイたちは違う。
ゆっくり深呼吸して部屋へ戻ると、リーネが朝食の準備をしていた。
「おはようございます」
「あ、アテラ、おはよ」
「ハクレイと話してきました」
「え、もう終わったの?」
「はい。無事、同盟にこぎつけられそうです」
「えらい」
テーブルには、穀類の粉を平たく焼いたチャパティのようなもの、ジャム、干し肉、昨日の肉の余り、野菜、それに野菜用のソースまで用意されていた。
「すごくおいしそう。リーネ、本当に料理上手ですね」
「食材が良かっただけだよ。マーケットみたいに揃ってたから」
この世界の僅かな人生で体験してきた食事と比べると、根本が違う。
母は何でもスープにして配給パンに付ければいい、という人だったし、ノアテラは一品に何でも入れてしまうタイプだった。
でもリーネは“料理”をしている。
メイラ先生の満漢全席は例外として、日々の中で手間をかけられる生活力がある。
口に出すのは憚られるけれど――『良いお嫁さん』になれる人だ。私なんかとは違って。
「本当にすごいよ。慣れたら他が食べられなくなりそう。早く食べたいな」
「う、うん……」
他のみんなを呼んで、さっさと食べたい。
「ムイとウイを起こしてきますね」
「……待って」
「……ん?」
「アテラは、男の人が好き? 女の人が好き?」
急に重たい話題が来た。
二人きりだから聞いたのだろう。
……真摯に向き合え、私。
「わからない。男の人が好きなはずなのに、わからなくなる時があります」
「そう」
「リーネは、外観が男で心が女の人と、外観が女で心が男の人なら、どっちが好き?」
「え、私は……言わない」
『言わない』かぁ。
このまま曖昧に流したくなる。
「好きだと思える人がどんな性別でも関係ないです。好きが先で、性別は飾りです」
「……そう」
前世の私は、そう思い込もうとしていた。
好きが確定条件で、同棲や身分みたいなものは“乗り越える試練”にすぎない、と。
でも今は違う考えがよぎる。
好きも飾りの一部で、全部剥がれたら最後は動物――そんなふうに思ってしまう。
「何があっても、すがらない自己の理念を忠実に成そうと粘り通せば、思いは現実になる。そう思います」
「……よくわかんない」
無意識に変なことを口走った。
母に片想い相談をした時、同じような言葉が返ってきた。
今の私に浴びせたい気持ちがあふれてしまった。
「……みんなを呼んできますね」
朝食をとりながら、ハクレイとの会話や合意書の内容を共有した。
ミュミテとシュゼの口の悪さについて全員が同意し、妙に盛り上がったおかげで、私のストレスは発散された。
片付けを終えると、さっそくサイン集めに動く。
黄昏とは同盟関係でもあるため、まず向かうことにした。
「デュナミスの開発って言う割に、ここまで全然“開発”らしいことしてないね」
「第2プログラムからそういうの来るといいね」
チターナとメイが話している。
黄昏棟に着き、中へ入ろうとしたところで声をかけられた。
「あ、君たちアテラのチームだよね?」
「はい、そうです」
「ルレウさんが、アテラと一人で話したいって」
「……そうですか」
一人、か。嫌な予感がする。
「せめて二人ではだめでしょうか」
「他の方は、シーケウスさんかカルテインさんが窓口になるそうよ」
なぜ私だけ。
ルレウは盟約の時も、チターナの提案に私の確認を挟んできた。
初対面でも、女に騙されたみたいなことを言っていた。きっと閉鎖的な面があるに違いない。
「みなさん、合意書の件はルレウとシーケウス両方に当たったほうがいいと思います。
ぼくはルレウと話します。皆さんはシーケウスを」
「どう来るかな。アテラは肉体的に弱いし一対一は危険だよ?」
チターナが懸念する。
「ルレウはそんな悪い人じゃないから大丈夫です」
「じゃあ時間決めよう。戻ってくる時間」
メイが黄昏に見えないよう、指で「20分」を示した。
「わかりました。ここへ戻ります」
「んじゃまた」「ばーい」
ムイとチターナの声。
私は皆に手を振って別れた。
案内されたのは黄昏棟の2階だった。
少し進んだ部屋の前で止まり、案内役が言う。
「ここがルレウの部屋です」
構造は赤誠と大差ない。
私は部屋に入れられ、外から扉が閉められた。
少し不安になって、私は扉を引く。開いた。
閉じ込められたわけではないらしい。
「アテラ、閉じ込められると思った?」
右奥の扉が開いていて、そこからルレウが顔を覗かせていた。
「……ちょっとだけ」
「えー、ひどい」
「ぼく一人だけと話すって言われたので」
「私と一対一、嫌?」
「嫌じゃないです。だからここに来たんです。」
束縛が強いタイプだ。変に刺激しないほうがいい。
「ちょい、こっちおいで」
手招きされ、奥の部屋に入る。
そこには虫かごがいくつも並び、虫が飼われていた。
「まだクモ、持っててくれたんだね。でも、もう死にそう」
ルレウは私の背中からクモを取り、虫かごへ入れた。
「たくさん貢献しましたから。いっぱいご飯あげないとですね」
「もう手遅れだよ」
虫かごを見ると、アシダカグモがハエトリグモに襲いかかっていた。
「あれ……食べられちゃうんじゃ」
「そうだよ。弱ってしまった小さなものは、大きなものに食べられる運命なんだよ」
ルレウがゆっくりと私に手を回してくる。
……怖い。
虫かごの中で、小さな音が鳴っている。
「……ルレウから見たぼくは、小さい?」
「うん、ちっちゃい」
「ぼくは、ルレウに食べられる?」
「ふふ。なにそれ。アテラ、いつも面白いこと言うね」
よかった。
今の雰囲気なら、『食べる』と言われても不思議じゃないくらいだ。
「ルレウ、黄昏の代表はルレウですか?」
「うん。ずるを使ったけどね」
「ずる?」
「私、干渉のチャームなんだ」
代表になるためにチャームを使ったんだ…。
「……そうだったんですね。途切れた時はどうなるんですか?」
私は平静を装って話を繋ぐ。
ルレウは私を後ろから抱きしめる形になった。
私は右手を後ろポケットへ入れ、ズボンを少しだけ引き上げる。
太腿の数字を見る。
『242』……『231』……『219』
下がっていく。
……ルレウ、あなただったのか。
「途切れたら、私は終わり。捨てられるの」
まずい。
どうする。何か、手は――。
「冗談でしょう。ルレウは仲間思いですから」
「ううん。チャームは切れた時に反動が来る。切れたらおしまい。
シーケウス、カルテイン、ノミゾラ、ルンシャク……黄昏の約半数のリーダーが、私に嫌悪感を持つ」
……そんな危険なことを。
「そうなったら、反動が終わるまでぼくたちが匿うよ」
『183』
「どうしてアテラには効かないの? こんなにしてるのに」
抱擁が強くなる。
『160』
「痛いよ。チャームしなくたって、ぼくはルレウの味方だよ」
「嘘つき」
「嘘じゃないです。ルレウを助けたでしょう」
「投資スコアが欲しかっただけでしょ。女もたくさん連れてる。信じない」
『117』
削られる速度が異常だ。
この抱擁や接触が条件なら、離れれば止まる――はず。
動こうとする。だがルレウの力が強く、微動だにできない。
「ルレウ、離して」
「嫌」
ルレウが私の頭に吐息を吹きかけた。
何かが頭に絡みつく感触。
「なんでぼくに拘るんですか。他にも男はたくさんいるでしょう」
「やっぱりアテラは、ルレウのこと嫌いなんだね」
『81』
また吐息。
目の前に白い糸のようなものが舞う。
……虫の糸?
「ルレウ、落ち着いて。ぼくの心は実は女の子で――」
「そういう嘘で、もっと私を傷つけるんだ?」
だめだ。何を言ってもだめだ。
黙ると吐息が来る。
せめて糸だけでも止めないと。喋らないと。
「ルレウは……男の子が好きなの?」
何を言ってるんだ自分…。
「……」
反応がない。糸も来ない。
「ルレウが好きだった人が、ぼくみたいな男の子だったの?」
「……」
「その子は、ルレウを――」
「うるさいなあ」
ルレウが大きく息を吸った。
そして、ものすごい量の糸を私に振りまいた。
「待って、ルレウ、お願い――」
返事はない。
視界が真っ白に染まっていく。
かろうじて見えた太腿の数字は――『46』。




