表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/109

15.お別れは簡潔に

「ちょっと待っててね。お昼ご飯、作るから」


ノアテラには、いつもご馳走になっている。

私はお父様とお母様が用意してくれた簡易食も持参し、

それをノアテラの料理と一緒に食べるのが、いつの間にか通例になっていた。


空いた時間は、とにかく読書。

同時に、脱出計画の補完を進める。


ノアテラだけに頼り切るのは危険だ。

有事の際、即応できなくなる。


昼食を終えると、ノアテラは忙しく動き回り始めた。

こちらとは別に、向こうの準備も進めているのだろう。


時間は過ぎ、帰る時間の直前になって、ようやく落ち着く。


「アテラ。本当に、いいの?」


「いいの」


「パパとママには、私から話しておくね」


中年の男性が、どうやって一歳の女の子を引き取るのか。

その建前や説明が、少し気になった。


その日は、きちんと中年の男性の姿のまま、家まで送ってもらった。


家の中には、まだ誰もいない。

何時間待っても、お父様もお母様も戻らなかった。


私は、十ヶ月以上お世話になった家を、静かに見て回る。


木造の住居。

一階は、炊事場・洗濯場・食料庫を備えた広いリビングで、土足で歩く床。

二階には、お父様とお母様それぞれの寝室。

そして別室に、私のベビーベッドと、敷毛布が用意されている。


今は使われていないベビーベッドも、きれいに保たれている。

――次の赤ちゃんが使うのだろう。


十ヶ月……いや、十一ヶ月。

長かった。


愛情を感じた良い思い出もあれば、

死の危機を覚えた苦い記憶もある。


お母様は、機嫌が悪くなると物に当たった。

それが刃物となってこちらに向いたとき、

まだ歩けないはずの体で、走って逃げたいと思った。


お父様は、荒っぽい印象に反して、

機嫌が悪いほど感情をコントロールし温厚さが際立つ人だった。


ただ一度だけ、

私が好奇心に負けて風呂をウォーターベッドにして遊んだとき、

容赦なく叱られた。


そのとき、無意識の脅しのように

「セブリみたいになるぞ」と言われ、肝が冷えた。


私の精神年齢が中学生だから、

想像力が勝手に生命の危機を作り上げただけかもしれない。


それでも、マイノリティな家庭だ。

常識に当てはめて安心する理由にはならない。


はっきり言おう。

ここは幸せだったが、同時に危険だった。


ふと、この長い留守について考える。

ノアテラが強行策に出た可能性も、ゼロではない。


さっきのやり取りで、

私はノアテラへ最大限の危機感を煽ってしまった。

お父様との信頼関係次第では、どう転ぶか分からない。


――ガチャ。


タイミングよく、玄関が開く音。


もし、これがノアテラだったら……。


「おかえりー」


「ただいま。エンニ、生まれたよ。今日はハイナは帰ってこない」


お父様だった。

なるほど、それでこんな時間なのか。


「エンニ、お腹すいただろ。これでも食べてて。あとで話がある」


そう言って、お父様は浴室へ向かった。


机の上には、パンが三つ。

家でよく食べている、小麦のパンだ。


空腹を満たしながら、私は話の内容を予想する。


子供が生まれて話がある、となれば――

「お姉ちゃんとしての覚悟」か、

あるいは「隣のお兄さんとの関係性」か。


どちらにしても、

ノアテラとの脱走計画には支障になりそうだ。


嘘はつかず、説明は最小限に。

風呂が優先されるということは、

そこまで切迫した話ではない、と信じたい。


お父様が浴室から出てきた。


「ふぅ……ああ、全部食べてもよかったよ」


お父様はパンに目を向けた。


「双子が生まれた。そうなると、エンニはここにいられなくなる」


『エンニはここにいられなくなる』

確かにお父様はそう言った。

……淡々としている。


「エンニ、いらない?」


「違う。パパはエンニにいてほしい。でも仕方がない。スコアが大きすぎる」


「……スコア?」


「まだ分からないだろうが、

 スコアは俺たちが生きていくための“評価”だ。

 普通は多いほうがいい。だが、多すぎると一緒に暮らせなくなる」


察しはついた。

ポリコレスコアが、上がりすぎたのだろう。

子供の人数でも加算されるのか。


「エンニ、どうなるの?」


「ハイナと相談するが……

 遠い親戚の家か、隣のお兄さんに頼むかだ」


ノアテラなら、好都合だ。

狙ったかのような展開。


それにしても、

なぜそこまで「お兄さん」を信用できるのかな。



「エンニは、ナイテルお兄さん、好きか?」


「……うん」


ナイテル=ノアテラ。

分かりやすい。


「あの男は間違いない。

 犬族のことも、猫族の過ちも理解している。

 エンニへの気持ちも、本物だった」


水面下で話が進んでいたのか。


それにしても、

お父様にここまで言わせるとは――

ノアテラ、相当なやり手だ。


「明日にでも出ないといけない。

 出産まで、こんなことになるなんて分からなかった。

 スコアの最大値も、把握していなかった」


正直、お父様は無知だと思う。

それでも、

「謝ることの危険さ」だけは理解していそうだ。


同じポリコレ関連でも、

表に出ない情報と、知られている情報があるのだろう。


「ナー……エンニ、きらいになった?」


「違う。

 エンニと一緒にいると、みんな離れ離れになる。

 そう決められてしまったんだ。

 ハイナも、挨拶できなくて悲しんでいる」


「エンニ、わかんない」


「パパは、うまく説明できない。

 お兄さんに話してもらったほうがいい。

 今日はもう遅い」


――最後にきて、

私の“成長演技”が役に立つとは。


お父様は、言葉が通じないことに疲れ、

感情を共有するのを諦めたように見えた。


当の私も、別れに時間をかけて苦しむより、

その時間を未来に使いたい。


大事な決断を感情で狂わせたくない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ