13.試行
本の内容が、まったく頭に入ってこない。
――決して逆らうことのできない関係。
――主従リンク。
……やってみたい。
あの、心の内がまったく読めないノアテラの本音を、聞いてみたい。
これは、私の悪い癖だ。
興味が向いた先が、たとえ危険でも、思考が止まらなくなる。
「エンニちゃん、お菓子できたよー」
「……」
あまり好きでもないお菓子。
私は赤子の感情を装い、それを床にばらまいた。
「……エンニちゃん?」
驚いた様子のノアテラ。
私は六歳児の男の子の顔で、精一杯ノアテラを睨みつける。
「おばあちゃん」
「うん?」
「パパが、おこった」
私がそう言うと、
ノアテラの表情が、わずかに強張った。
そして続ける。
「おばあちゃんの、せい」
これで終わりにはしない。
うやむやにはさせない。そう、自分に言い聞かせる。
「エンニちゃん……」
ノアテラは悲しそうな目をする。
それでも、謝罪の言葉は出てこない。
悪いと思っていないわけではないはずなのに。
「パパ、おばあちゃんとエンニのこと、うそつきって言って、おこった」
「それは……言わなきゃと思ったけど、すぐに見つかってしまって……」
「どうして、ごめんなさい、しないの?」
「……」
率直に言えば済むなら、それでこの件は終わらせたかったよ、ノアテラ。
10秒ほど、沈黙が続く。
ノアテラの天秤は、まだ動かない。
……やはり、あれを言うしかない。
「パパは、ほんとうのママを殺したのに。エンニも、あぶないのに」
「……え」
ノアテラの顔から、完全に血の気が引いた。
きっと問題なのは『ママを殺された』事実ではない。
エンニがそれを知っていたこと、そして――
ノアテラのせいで、"また"死の恐怖を実感してしまったこと。
この罪悪感に、平気なはずがない。
私は目に涙を溜め、嗚咽しながら続ける。
「おばあちゃんのこと、好きだったのに……
おばあちゃん、信じたかったのに……」
「おばちゃんは、エンニちゃんの味方だよ。
エンニちゃんのためなら、何でもする」
――何でも、する。か。
ノアテラは冷静を装っている。
だが、相当追い詰められているのが分かる。
「どうして、ごめんなさい、しないの?
エンニは、するのに」
「……それは……おばちゃんは……言ってはいけない……言葉なの」
言ってはいけない言葉?そんなぼやかしは許さない。
「……そう、なんだね……」
そして私は涙をこぼしながら、はっきりと言った。
――「エンニより、自分を守るなんて……思わなかった」
私から大粒の涙がぽろぽろと落ちる。
これで駄目なら、ノアテラの心の内は、
私にとって「延長しない仮初の関係」で十分だ。
それでも構わない。
「……ごめんなさい」
ノアテラは、確かにそう言った。
その言葉が私の奥底に響き、
そこからノアテラの胸へ、赤く細い鎖のようなものが繋がる。
僅かな眩しさとともに――それは、視覚的に見えた。
……これが、主従リンク。
「エンニちゃん、ごめんなさい」
ノアテラは私を、強く、けれど優しく抱きしめた。
私がノアテラにとって、どれほどの存在なのかは分からない。
だが、この覚悟が本物なのは確かだ。
――誠実に、受け止めよう。
「……こわいよ……エンニ、こわい……やだ」
「おばあちゃんが、エンニちゃんを守るよ」
……まだ、赦してはいけない。
主従リンクの効力を、正確に把握する必要がある。
「おばあちゃん……ありがとう」
そう言いながら、私は心の中で、
ノアテラが床に散らばったお菓子を拾う姿を思い浮かべた。
だが、ノアテラは抱擁を解かない。
「……おかし、ひろわなきゃ」
――あえて、主語を抜いて言ってみる。
ノアテラは、すぐには動かない。
二十数秒後。
私の嗚咽が止まると、ノアテラは私の頭を撫で、
それからようやくお菓子を拾い始めた。
すべて拾い終え、皿を床に置いたところで、私は言う。
「おばあちゃん。そのお菓子、食べさせて」
「え……落ちたものだから、汚いよ」
「……食べるの」
ノアテラは、ためらいながらもお菓子を私の口へ運ぶ。
「……おいしい。もっと。食べさせて」
私は微笑んだ。
顎を動かした後は、自然な笑顔を作りやすい。
「よかった。でも、汚いから、新しく作らせてね」
そう言いながら、また一つ口へ運ばれる。
「おばあちゃんの、このおかし……もっと。食べさせて」
「もう……いい? 新しく作るから……」
それでも、逆らえない。
ノアテラは、また私の口へお菓子を運んだ。
異様な光景だ。
だがノアテラは、少しずつ安堵していくようだった。
そして私もまた、
ノアテラの精神的ダメージが致命的でないことに安堵した。
――主従リンクは、機能している。
行動指示は、主語を抜くと即座には動かない。
主語を入れれば、嫌なことでも従う。
そんな結果だった。
おそらく、主語は必要。
そして行動には従っても、言葉での抵抗は可能そうだ。
次は、本番。
主従リンクで、
本音を引き出せるかを、確かめたい。




