0.プロローグ
私は天江城せつな。
中学二年生だった。
不幸だったわけではない。
そして、周囲から見れば『問題ない子』だった。
成績は悪くなく、教師から扱いやすい生徒。
目立ちすぎず、空気を読めて、トラブルを躱す術を、よく知っていた。
だから私は、怒られることがなかった。
──代わりに、守られもしなかったけれど。
何かが起きるたび、私は『分かる側』に回される。
我慢できる。譲れる。だからあなたは分かるよね。
その言葉に笑って頷くのが癖になった。
割と好きだった、平穏な自分。
…同じようにしても、家では違った形になった。
何でもできるお母さんと、優しい父。そして妹。
難題を乗り越えるお母さんは強く、
父と妹は無力に見えた。
すごいお母さんの『分かる側』になれる。
…これこそが至高、自分が無敵かのように錯覚させてくれる。
父はそんな私を見て、よくこう言った。
「頑張りすぎるなよ」
私は頑張っていない。
頑張りすぎはお父さんの方だよ。結果は逆だけれど。
──ある日、父の隣に、別の女の人がいるのをみた。
怒りより先に、理解が巡った。
優しい父は、『分かる側』になれない自分に、耐えられなかったのだ、と。
いつも正しいお母さんは、絶対に許さないだろう。
…言えない。
これは私のせい。言えば私の居場所が壊れる。
私は無視し続けた。
その女は、次第に私を邪魔者扱いしていった。
──死は唐突だった。
ある日、父に呼ばれて車に乗る。
何も聞かなかった。聞ける関係ではなくなっていた。
…着いた場所は工場。
そして、大きなアルミのケースに入れられたとき、
ようやく理解した。
「え、ちょっと待って」
そう言ったけれど、届かなかった。
ケースの外で、父と…あの女が話している。
手順。時間。金。人質。
私はその『人』に含まれていない。
物としての処理。
最後一度だけ、
あの女と離れて…父は、私の名を呼んだ。
『守るため』と言ったと思う。
泣いているような声だった。
――ああ、私はもう守られる側じゃなかったのだ。
理解した瞬間、恐怖より"納得"が来た。
それがくやしくて、かなしかった。
私は死んだ。
確実な状況で、確実に。
そして、意識だけがある。
暗闇の中で、考えることだけが許されていた。
何日か、あるいは何千時間か。
けれど考える時間は、守られているのだ。
嬉しかった。
どう"なれば"、次は死なずに済むのか。
誰が悪かったのか、ではない。
どうなれば、防げたのか。
『再発防止』
それは、お母さんがよく使っていた言葉だ。
感情を切り離し、善悪を取り除き、仕組みと構造を見る人だった。
…分かったことは、あまりに単純だった。
人は、人を殺せる。
正しさも、優しさも、平等も、その時は役に立たない。
守られなければ無力。
世界は、最初からずっと──私を守らない。
それならば、私が創り出したらよかったのだ。
守られるべきものが守られるように。
…そのためなら、感情を捨てても構わない。
無謀なひらめき。
暗闇に、何かが私の額に触れた気がした。
額から紋が全身に広がる。
「──考えに忠もって、世を手懐けよ。
全ては汝のもとにすがるだろう──」
金色の綺麗な紋は、
四肢を超えて見渡す限りの暗黒を覆っていった。
満遍なく広がった、安心感のある明るさ。
ただ…
描いたとおりに小さく収まる暗黒。それに違和感を覚える。
決意は揺らがない。これは世界を変える力。
──そうして意識は途切れたのだった。




