プロローグ
私は天江城せつな。
きっとどこにでもいる、才色兼備の中学二年生だった。
才色兼備――そう言うと、自意識過剰だと思われるかもしれない。
けれど実際、定期テストでは常に学年トップ10以内に入り、男子からの鬱陶しい絡みや、女子からの露骨な嫉妬を、飽きるほど受けてきた。
そんな一見すれば恵まれた素質の私は、
平凡の中に埋もれたままだった。
それは、私だけの話ではないと思う。
一見恵まれている人間ほど、その立場ゆえに周囲の意図を汲み取らされ、理不尽な攻撃を受ける。
だから内面では自分を殺し、せいぜい“立っているだけ”なのだ。
まさに――
「打たれる程度にしか出っ張れない杭」。
私の人生は、そんなものだった。
そう、私は死んだ。
もう千時間以上、あるいは二千時間近く、夢の中から出られていない。
ガウタマ・シッダールタは『死ねば生まれ変わることなく、ただ無に帰すのみ』と言ったらしい。
それは、『反証できない仮説は科学ではない』と切り捨てる人間と同じ、
賢い思考停止だと私は思っている。
しかしそれは臆病さに裏打ちされた理屈だ。
観測は現実になり得る。
――想像力は、いつの時代も科学を前に進めてきた。
強く思うことから世界は始まる。そう信じたい。
感情に依存させる科学でいいじゃないか、とすら思う。
ただ、今の私は確かに『無』の中にいる。
けれど完全な無ではない。
こうして考えている『私』が、ここにいるのだから。
……はあ。
死んだという事実だけは、否定できない。
私の最期には、明確な殺意と、確実な死の状況が揃っていた。
私は、父親の愛人にとって『消すべき存在』だった。
そして父親自身も、その計画に加担していた。
場所は、とある溶融施設の溶炉。
私は大きなアルミケースに閉じ込められ、二人の会話を聞きながら、生きたまま放り込まれた。
それは、不安全状態と不安全行動の極致――
疑いようのない、確実な死だった。
アルミの融点は600~700℃。
溶炉の温度は1,000℃を超える。
奇しくも、小学生の頃の社会見学で聞いた知識が、私の死を証明してしまった。
こんな状況で生きていられるわけがない。
この『無』の中で、無意味にも私は考えていた。
すでに起きてしまった死の運命に対する――再発防止を。
『再発防止』。
それは、お母さんの口癖だった。
ポリコレだとか、LGBTQだとか。
そういう時代の空気が、私という人間を形作ってきたのだと思う。
私は、生まれながらにしてそれらに守られる側ではなかった。
だからこそ、その歪みの中で生き抜くために、私はそれらを“利用”した。
マイノリティは、所詮マイノリティだ。
マジョリティなくして生きられない。
ポリコレなんて、結局はマジョリティ側の人間が、マジョリティの中でさらに優位に立つために作ったものだ。
そう考える私は、一般的にはひねくれているのだろう。
私は教師や親のポリコレ意識を利用し、学校のカーストを手に入れ、それを家庭にまで持ち込んだ。
そして――妹と、父の愛人に対する武器として使った。
反省はしていない。
ただ、殺されたのは不本意だった。
だから再発防止だ。
もっと自分を殺し、もっと俯瞰すべきだった。
ポリコレも、マイノリティも、強者も弱者も関係ない。
物理的には、人は人を殺せる。
――いや、人というよりも。動物全ての本質。
重厚なヴェールで「平等」を取り繕わなくても、
視点を一つ変えれば、世界はどこまでも平等だ。
そしてそれは、ポリコレなど取るに足らないほど、
あらゆる動物が内包している性質だ。
その事実を、私はもっと正しく受け止めるべきだった。
二千時間の「私」の中で、そんな小さな気づきのようなものを得た瞬間、
無の中で、自分が動き出す感覚がした。
そして無は――
一言だけ、何かを語った気がした。
「考えに忠もって、世を手懐けよ」




